Ⅰ 天才発明家は空を飛ぶ?
森をぬけた先に、広い丘があります。雲ひとつない空は、まるで青い絵の具をぬったように濃く、あざやかでした。
「風向き、よし。天気も、文句なし。絶好の、飛行実験日和だね」
丘の上で、マチーネは笑みをうかべました。明るい赤毛を三つ編みにした、すらりとした女の子です。すんだ瞳はまっすぐに、はるか空の向こうを見つめています。
マチーネのとなりには、おおきな機械がありました。木の骨組み、車輪とプロペラ、そしてうすい皮を張ってつくられた翼を持つ機械でした。
「今日こそ、夢をかなえてみせる。たよりにしているからね。わたしの自慢の、飛行機五世くん」
おおきな機械――飛行機にそう話しかけて、マチーネは飛ぶ前の最終確認を行いました。耳当てつきの、ふかふかの帽子をかぶっているかどうか。空を飛んだときに、寒さから耳を守るためです。それと、分厚いレンズがはめこまれた飛行用の眼鏡をかけているか。
どちらも、ちゃんとありました。あとは、自分が飛行機に乗るだけです。マチーネの心臓は、どきどきと鳴っていました。
マチーネは飛行機の操縦席にまたがると、勢いよくペダルをこぎ始めました。
飛行機のプロペラが回り出します。風を切る音が、耳当て越しにきこえます。頬を赤くさせて、マチーネはさらにペダルをこぐ足に力をこめました。
やがて、飛行機は動き出しました。すべるように、丘をくだってゆきます。だんだんと速度があがってゆき、馬だって追いつけないほどの速さになりました。けれど、マチーネの表情におそれはありません。ただひたすらに、ペダルをこぎ続けます。
ふいに、ふわりと体がういたような感覚がしました。こんな感覚ははじめてです! 横を見ると、目線とおなじ高さに木のてっぺんがありました。さっきまで立っていた丘は、まるで緑色の絨毯を広げたように見えました。
「やった! わたし、空を飛んでる! ついに、ついに飛行機が完成したんだ!」
マチーネはひゅうと口笛をふきます。このままペダルをこぎ続ければ、太陽にだって手がとどくかもしれないとマチーネは思いました。
しかし、そう思ったのもつかの間のこと。飛行機は急にがっくりとゆれて、一気に地面をめがけて落ちてゆきました。どうやら、飛行機は空よりも大地のほうが恋しいようでした。
「うわああ!」
丘いっぱいに、マチーネのさけび声がひびきわたりました。落ちてゆきながら、マチーネの体が操縦席から放り出されます。
こうなってしまったら、あとはもう神さまにいのるしかありません。空の真ん中で、マチーネは胸の前で手を組み、ぎゅっと目をつむりました。
(ああ、もう! また失敗だ! とりあえず、命だけは助かりますように。それとできれば、骨も折れませんように!)
半ば投げやりに、マチーネは心の中でいのりました。
ふしぎな旋律がきこえたのは、そのときでした。きいたことのない音色です。まさか、天使がおむかえにきた合図? このまま、天国に連れてゆかれるのでしょうか? マチーネはあせりましたが、体は落ちてゆくばかり。どうすることもできません。
すると、その音色にあわせるかのように、やわらかな風が生まれたのです。
風は、マチーネを包みこみました。マチーネの体は風にだかれ、ふわふわとゆれながら、そっと地面におり立ったのでした。骨が折れるどころか、かすり傷ひとつありません。
マチーネは首をかしげました。いったい、なにが起こったのでしょう。
けれどすぐに、はっと目を見ひらきました。
「いけない! わたしの大事な飛行機五世は……!」
マチーネがさけんだと同時に、すぐ後ろですさまじい音がきこえました。落ちた飛行機が、粉々にこわれた音でした。翼の骨組みは折れ、張った皮は破れてしまっています。プロペラや車輪もはずれて、遠くはなれたところに転がっていました。
ほんの数分前まで、りっぱな飛行機だったのに……マチーネはがっくりと肩を落としました。この飛行機を完成させるまでに、いったいどれほどの汗を流したことでしょう。設計図を書いて、材料を集めて……これまでの日々が、一気に頭をかけめぐりました。
けれどこんなにもめちゃくちゃにこわれてしまっていては、修理することもできません。また、一からつくり直しです。
「しかたないか。発明にはいつだって、失敗がつきものだもの。こんなことであきらめていたら、天才発明家とは名乗れないよね」
マチーネは自分にそういいきかせ、折れた骨組みを拾い始めました。使えそうな部品は、新しい飛行機をつくるときに再利用するのです。思いのほか、たくさん集めることができました。
ばらばらになった部品を両手いっぱいにかかえて、さて帰ろうとしたときでした。
丘と森のあいだのところで、だれかがたおれています。朝、丘にきたときには、だれもいなかったはずです。思わずかかえていた部品を放り出し、マチーネはいそいでかけよりました。
たおれていたのは、なんと子どもでした。
けがはしていないようです。ちいさな体が、上下に動いています。生きているのです。マチーネは、ほっと息をはきました。
ねむっているのでしょうか。どうしてこんな森の中に、子どもがひとりで? お父さんとお母さんは? さまざまな疑問が頭によぎりましたが、このままこの子を森に放っておくわけにはいきません。むりやり起こすのも、なんだかかわいそうです。
すこし考えた末、マチーネはその子をだきあげ、自分の家へと連れて帰ることにしました。
Ⅱ その子の名前は
森の中にある小道をまっすぐ行けば、町へとたどりつきます。しかし、マチーネは小道をはずれると、けもの道のようなところを歩き出しました。
道はどんどん細くなってゆき、まわりの草木はのび放題。とちゅうには金色にかがやく鳥の羽が落ちていたり、星形の実をつけた植物がはえていたり、あやしい色をしたきのこがはえていたり、手のひらぐらいの水晶がごろごろとうまっていました。
だれがどう見たって、ふつうの道ではありませんでした。まるで、近くに魔法使いが住んでいるような雰囲気です。
その先に、家が一軒ありました。屋根からは煙突が何本もつきでていて、そのうちの一本は、なんと紫色の煙をはきだしています。
玄関の扉には、これまたいくつもの歯車がとりつけられていました。それが、マチーネの家でした。
マチーネは扉の前までやってくると、足もとにつけられたボタンを、つま先でおしました。
すると、扉にとりつけられた歯車が、ゆっくりと動き始めました。ひとつの歯車が動き出すと、それとかみあわさったべつの歯車も動き出して――そうして、ひとりでに扉がひらいたのです。
この、〈自動扉装置〉はマチーネが考え、つくりだしたものでした。家に帰るときは、いつも部品をかかえて両手がふさがっていることがおおいので、足で扉をあけられる機械を発明したのです。
われながらすばらしい発明だと、マチーネは思っていました(扉が半分しかひらかなかったのは、思わぬ計算ちがいでしたが)。
家の中は、ごちゃごちゃと散らかっていました。はじめてこの家にきた人なら、まちがいなく何かにつまずいてしまうでしょう。マチーネは慣れた足どりで自分の部屋へと向かうと、その子をそっとベッドにねかせました。
そしてようやく、その子の顔をじっと見つめました。やわらかな髪が、窓からふきこむ風でゆれています。楽しい夢でも見ているのでしょうか、桃色のほっぺたは、うっすらと笑っていました。
男の子でしょうか、それとも女の子なのでしょうか。どちらのようにも見えました。
どっちだっていいやと、マチーネは思いました。ちいさな、かわいい子どもであることにかわりはないのですから。
それよりももっと、気になることがありました。その子はなにやら、見たことないものを大事そうに持っていたのです。
木でできていて、両手にかかえるほどのおおきさです。卵を半分に切ったような形をしています。細い弦が張られていて、ちいさな鍵盤がいくつもありました。そして卵型の下の部分には、取っ手の形をしたハンドルがついていました。
(これは、なんだろう。なにかの機械? だとしたらどんな仕組みで、どんな役目を果たす機械? この子はこれを使って、いったいなにをしていたんだろう……)
機械に目がないマチーネは、まじまじとその子のかかえるものを見つめました。気になってしかたありません。
すると、その子がとつぜんぱちりと目をあけました。目をこすりながら、むっくりと起きあがります。そうして、マチーネを見あげました。
そのとたん、マチーネはなにもいえなくなってしまいました。なんて、きれいな瞳なのでしょう。きらきらとしていて、すきとおるようで……マチーネはその瞳にすいこまれそうになりました。瞳のおくに灯るかがやきは、まるで暗い夜空を照らす星のようです。
しばらく時がとまったかのように、ふたりは見つめあっていました。
「ここは、どこ?」
やがて、その子がマチーネにいいました。小鳥がさえずるような声でした。
マチーネは我に返ると、やさしくその子にこたえました。
「ここは、わたしの家だよ。正確には、わたしたちの家なんだけれど……それはおいといて。はじめまして、わたしはマチーネ。森であなたがたおれていたから、家まで連れてきたんだ」
それをきいて、その子はにこっと笑いました。
「たすけてくれて、ありがとう」
「どういたしまして。あなた、名前は?」
その子はすこし考えていましたが、やがてぽつりとこたえました。
「マーガレット」
マーガレット。おなじ名前の花があることを、マチーネは知っていました。かわいらしい名前だね、といおうとしましたが、その子はさらに続けました。
「マーガレットの前は、ダイヤモンドという名前だった。さらにその前は、アサヒという名前で……」
「ちょ、ちょっとまって。どうして、そんなにたくさんの名前があるの?」
その子はこまったように、眉をひそめました。
「わからないんだ。本当の名前が。名前だけじゃない。自分のことを、なにもおぼえていないんだ。だから今まで出会ったひとたちに、名前をつけてもらっていたんだよ」
マチーネはあっけにとられました。名前も、自分のことも、友だちや家族のことも、なにもわからないなんて。
それってどんな感じなんだろうと、マチーネは想像してみました。きっと不安で、おそろしくて、だれかにすがりたくなるに決まっています……。
けれど、自分の前でにこにことしているその子は、そんなふうには見えませんでした。見えないように、かくしているだけかもしれません。
マチーネは、心がしまるような思いがしました。そして、すこしでもこの子の力になってあげたいと、強く思ったのでした。
「ねえ、マーガレット。もしくは、ダイヤモンド。もしくは……まあ、とにかく。あなたはどうして、森の中でたおれていたの? ひとりでここまできたの?」
「自分のことを知るために、ひとりで旅をしているんだ。森でたおれていたのは……」
そういいかけたとき、その子のおなかが鳴りました。首をかしげます。
「おなかがすいていたから、かなあ?」
マチーネは思わず笑ってしまいました。
「そっか。食事は、生きるものが体を動かすための大切な原動力だからね。よかったら、わたしがつくったご飯、食べていってよ」
その子は、うれしそうにうなずきました。
「ありがとう! ぼく、食べることが大好きなんだ」
「ふふ。それって、体が元気である証だよ。ええと……あなたのこと、なんてよぼうかな。マーガレットっていう名前が、一番のお気に入りなの?」
マチーネがたずねると、その子は、ちょっと考えこみました。
「ううん。今までつけてもらった名前は、どれもおなじぐらい気にいってるんだ。大好きだけれど、でも……どれも、本当の名前じゃないと思う。ぼくの本当の名前は、きっとべつにある。それは、なんとなくだけどわかるんだ」
「じゃあ、こうしてわたしたちが出会った記念に、わたしもあなたの名前を考えてもいいかな。本当の名前を思い出せるまで」
「ほんと? うれしいなあ」
その子は、瞳をきらきらとかがやかせました。期待に満ちた表情に、マチーネも気合が入ります。
マチーネはしばらく天井を見あげて考えこんでいましたが、ふと、人差し指をぴんと立てました。
「そうだ。ベガ、というのはどう? 星の名前からとったの。最初にあなたの瞳を見たとき、まるで星のようにきれいだと思ったから」
「それ、とてもすてきだよ! 今から、ぼくの名前はベガ。よろしくね、マチーネ」
ベガはうなずいて、元気よくマチーネの手をとりました。
そのとき、部屋の外から「ぼん!」と派手な音がきこえました。それに続いて、「また失敗だ!」というさけび声。
目を丸くしたベガに、マチーネは苦笑いをうかべました。
「気にしないで。わたしたちの家では、よくあることだから」
マチーネが部屋の扉をあけると、黒い煙がもあもあと入りこんできました。あっというまに、部屋は真っ黒にそまってゆきます。
煙の中に、人が立っています。頭からつま先まで、煤だらけにした青年でした。
「なんだ、マチーネ。帰ってきてたのか」
「マギー。あなたってば、今度はどんな魔法の実験をしたの?」
「機械ばかのきみに説明したって、わからないだろ」
マギーとよばれた青年は、ふきげんそうにこたえました。そしてベガに気がつくと、首をひねりました。
「その子は、どちらさまだ?」
「わたしが、森で見つけたの。まいご……みたいなものかな。おなかがすいているようだから、これからみんなで食事にしようと思っていたところだよ」
それは大変だ、とつぶやいて、マギーはベガのそばまでやってきました。そしてマチーネとおなじように、ベガの瞳からしばらく目がはなせなくなっていました。
ようやくマギーがベガにあいさつをしたのは、部屋の黒い煙がすっかりと晴れたころでした。
「ああ、ごめん。ぼくの名前はマギー。マチーネの、双子の弟なんだ。こんな煤だらけの格好であいさつをするのもどうかと思うけれど、どうぞよろしく」
ベガも「よろしく!」とにっこり笑って、マギーの黒くなった手をとりました。
Ⅲ 機械と魔法
おそめのお昼ご飯を、みんなで食べることになりました。マチーネは、木の実がたくさんつまったパイや、野菜がじっくりと煮こまれたシチューをテーブルにならべてゆきます。香ばしい、いいにおいが部屋中にたちこめました。
「さあ、どうぞ。ごうかな食事っていうわけじゃないけれど、味には自信があるんだ」
「どれも、とってもおいしそう。いただきます!」
ベガはうきうきとスプーンを手にとって、シチューを口に運びました。そしてうっとりとした表情で、頬に手をあてました。
「おいしい! 一口食べただけで、こんなにも幸せになれる味があったなんて!」
ベガは夢中で、スプーンを動かします。マギーもそのとなりで、シチューとパイを食べ始めました。さすがは双子、煤をはらったその顔は、マチーネとそっくりです。
「ありがと。そんなに喜んでくれると、つくったかいがあるよ。マギーはいつも、無言で食べるから」
マギーはむすっとしたまま、パイをほおばりました。マギーの皿の上は、ベガに負けないぐらいの速さで空になっていました。
「いちいちことばにしなくても、わかるだろ」
「わかるわけないでしょ。思っていることは、ちゃんと口にしなくちゃ。だからあなたは、誤解されやすいんだからね。ちいさいころ、学校の窓ガラスがわれたときだって、あなたがだまったままだったから、犯人にされちゃうところだったでしょ。だからわたしが『鳥がつついてわったんだよ』ってごまかしたんだ」
「そして、あっけなくきみが真犯人だとばれた。あんなにもへたなうそは、あとにも先にもきいたことがないね。きみのほうこそ、あのときよけいなことをいわなければ、しかられずにすんだのに」
「おこられるのはいやだったけれど、わたしのせいでマギーがおこられるのは、もっといやだったの」
マチーネは笑って、そうこたえました。
お昼ご飯のあとは、あたたかい紅茶をのみました。マチーネは、紅茶をいれるのもとてもうまいのです。
「マチーネは、あの丘でなにをしていたの? なにかをしていたから、ぼくを見つけてくれたんだよね?」
ベガがたずねると、マチーネは得意げに胸を張りました。
「じつは、わたしは空を飛ぼうとしていたんだ」
「空を? うわあ、すごい! ぼく、ここまで旅をしてきたけれど、空を飛んでいるひとって、まだ見たことないよ」
ベガが「すごい、すごい!」と手をたたいたので、マチーネはごきげんな気分で、さらに話を続けました。
「自分で飛行機をつくって、自分の足の力で空を飛ぶ。それが、わたしの夢なの」
マチーネの顔は、とても生き生きとしていました。しかし、マギーのほうは顔をしかめています。
「おい。またぼくにだまって、飛行実験をしたのか? あの、世界一むだな実験を? 何度もいうけれど、人間の足の力で空を飛ぶなんて、どう考えても不可能だ。いいかげんにあきらめろよ」
マギーのそのことばに、ベガの顔がすこしこわばりました。けれどマチーネは気にしていないというふうに、手をひらひらとふりました。
「なんでも、すぐにむりだって決めつけるのはよくないよ。やってみないとわからないじゃない。まったく、マギーは頭がかたすぎるところがあるんだよね」
マチーネはみんなのカップに、紅茶のおかわりをそそぎました。
「今日は、わたしにとって人生で五回目の飛行実験だったんだ。今度こそ成功すると思ったんだけれど、なかなか世の中うまくはいかないよね。そういうわけで、わたしのつくった飛行機五世は、またもや見るかげもないほどにこわれてしまったよ」
マチーネのことばに、マギーの表情はさらにけわしくなりました。
「やっぱり、失敗したんじゃないか。それで今度は、どこをけがしたんだ? 前の実験のときだって、おおきなあざをつくって帰ってきただろ」
「それがなんと、今回はかすり傷ひとつないんだよ。飛行機から放り出されたっていうのにね。あれ? そういえば、どうしてわたし、無事なんだろ」
マチーネは腕を組んで考えこみます。けれどすぐに、首をふりました。
「まあ、いいや。とにかく、わたしはまたもう一度飛行機をつくるよ。あきらめなければ、物事はいつか絶対にうまくいくもの」
ベガは、そんなマチーネを見あげました。
「マチーネは、すごいね。失敗しても、めげない強い気持ちを持っているんだ」
「そんな、おおげさだよ。わたしはわたしの好きなことを、ただひたすらにやっているだけだからね」
そんなふたりに、水をさすようにいったのがマギーです。
「よくわかっているじゃないか。きみは、なんでも好き勝手にやりすぎなんだよ。いいか? 人間は鳥のように、自分の体ひとつだってうかせることができないんだぞ。そんな人間が、重い機体に乗って空を飛ぶなんてありえない。きみの頭のねじがはずれているとしか思えないね」
「マギー! それ以上ばかにしたら、明日からあなたのパイにはドリーベリーをつめてあげるんだから」
急に低くなったマチーネの声をきいて、マギーは「げっ」と青ざめました。
「あの実だけはかんべんしてくれ。においがきつくて、食べられたものじゃない」
「ぼくはドリーベリー、好きだよ。においはすごいけれど、目にいいんだ」
信じられない! といった顔で、マギーはベガを見ました。
「そうなの? ドリーベリーが目にいいなんて、知らなかったな」
マチーネはそうつぶやいたあと、眉をよせながらため息をつきました。
「とにかく。わたしのパイには、どれだけ文句をいってもいいけれど。でも、わたしの飛行機づくりに文句をいうのだけはやめて。わたしは、あなたの魔法の研究のことを一度だってばかにしたことないじゃない。毎日あなたが家を煤だらけにしても、わたしは不満なんていってないでしょ」
マギーはばつが悪そうな顔をして、顔をそらしました。そして「煤だらけにしているのは、悪いと思っているさ……」と、ちいさな声でつぶやきました。
「魔法? マギーは魔法にくわしいの? 魔法なんて、すてき!」
ベガはさらに目をきらきらさせて、今度はマギーにたずねました。マギーはこほんとせきばらいをして、すこし得意そうにこたえました。
「ぼくは、魔法の力によって空を飛ぶ道具をつくっているところなんだ」
「え? マギーも、空を飛ぼうとしているの?」
「空を飛ぶのは、わたしたちふたりの夢なんだ。わたしは機械で、マギーは魔法で……それぞれ、自分の好きなもので夢をかなえようとしているの」
「じゃあ、マギーは魔法使い?」
ベガの問いかけに、マギーは首をふりました。
「いいや。ぼく自身は、魔法を使うことはできないよ。しかし、強い力を秘めた物質を研究して、その力を利用した道具をつくることはできる。たとえば空を飛ぶほうきとか、空を飛ぶ絨毯とか……人は、世界に存在するさまざまなものの本質を知れば、そんなおとぎ話に出てくるような道具だって、つくることができるんだ」
ベガは「どういうこと?」と首をかしげて、なんともかわいらしい声でうなりました。マギーは、ふっとほほえみます。
「みんなが知らないだけで、世界はふしぎな力を持つものであふれているんだよ。
たとえば、雲の上ほどにまで芽をのばす植物や、雨にうたれても消えることのない火。人の心をこおらせ、その人の性格をつめたいものにかえてしまうという、氷の結晶。そんなおそろしいものも、どこかに存在するといわれている。ぼくはそういう『ものが持っている力』を、魔法とよんでいる。そういったものを研究して、魔法の道具をつくろうとしているんだ」
マギーは、テーブルの上のランプを指さしました。ランプの先には、すきとおった水晶がとりつけられています。水晶は自ら、あたたかな光を放っていました。
「このランプは、ぼくたちの祖父が見つけた水晶を使って、ぼくがつくったものなんだ。この水晶は、太陽の光を集める力があるんだよ。水晶は集めた光を、こうしてしばらくのあいだ放ってくれる。これなら、もしランプをたおしてしまっても、火事になる心配がないだろ。ろうそくとちがって、ふれてもやけどをすることもない」
マギーの説明に、ベガはうんうんとうなずきました。
「とはいえ、集めた光は永遠に続くわけじゃない。だから、たまに太陽の光をあびせないといけないけどな」
「この家の明かりはみんな、マギーがつくったものなんだよ。雨の日が続くと、家が真っ暗になっちゃうのが玉に瑕だけれどね」
ベガは夢中になって、ランプを見つめました。水晶にふれてみると、ほんのりとあたたかさを感じました。
「すごいなあ。こんなものがつくれるなんて、マギーはやっぱり、りっぱな魔法使いだよ!」
マギーは苦笑いをうかべて、首をふりました。
「そういってもらえるのは、うれしい。けれど、ぼくはただの人間だ。ぼく自身には、なにも力はないよ。……しかし、はるか大昔には、自ら魔法を使いこなすことができる種族がいたと、前に本で読んだことがある。地中から水をわきあげたり、風を起こすことができたり、植物を使って病気を治す薬をつくれたりしたそうだ。今はもう、その種族はいなくなってしまったようだが……そんなすばらしい種族がもういないなんて、本当に残念だ。ぜひとも、会って話をしてみたかった」
そこまで話すと、マギーはすこしいぶかしげな表情で、ベガを見つめました。
「それにしても……ベガは、ずいぶんと熱心にぼくたちの話をきいてくれるんだな。自分のことがわからないなんて、ぼくだったら、きっとたえられない。だれかのことを知ろうとするどころか、自分のことだけで手いっぱいになってしまうよ」
ベガは、マギーにほほえみました。そのほほえみが一瞬、ちいさな子どもとは思えない大人びたものに見えたので、マギーは思わず目をまたたかせました。
「自分が何者なのかわからなくて、不安になることもある。ぼくの家族や友だちはどこにいるんだろうって、ぼくの帰るところはどこなんだろうって、ぼくが生きている意味はなんだろうって……そんなことが、いつも心の中でぐるぐるしているんだ。
でも、いくらぐるぐるしていたって、今のぼくができることは、行動〈する〉か〈しない〉かぐらいだから。それなら、まだ知らないところへ行ってみて、知らないひとたちと出会って、そのひとたちがどんなことを考えながら生きているのか、知りたいって思ったんだ。そうやって旅をしてゆくうちに、いつか自分のことも、わかるかなって思って」
マギーは、なにもこたえられませんでした。自分よりも幼いはずのベガが、自分よりもずっと長く生きているような気がしたのです。すくなくとも、自分がベガとおなじ歳のころは、こんなふうに考えることはなかったでしょう。
(この子はいったい、何者なんだろう……)
ベガはそっと、大事そうにかかえていた機械をなでました。あ、とマチーネが声をあげます。
「それ、ずっと気になっていたの。ハンドルもついているし、細かい部品もあるね。それは、どんな機械なの?」
声をはずませながらたずねたマチーネに、ベガはこたえました。
「これはね、楽器なんだ。ハーディ・ガーディっていう、古い楽器だよ」
マチーネもマギーも、首をひねりました。きいたことのない楽器の名前です。
ふたりは前に、町で楽器をひく人たちを見たことがありましたが、その中でもハーディ・ガーディを持っている人はいませんでした。
マチーネはじっくりと、ハーディ・ガーディをながめました。楽器のことは、あまりくわしくはありません。けれどならんだ鍵盤と、ぴんと張られた細い弦は、ピアノとバイオリンを組みあわせているように見えました。そのふたつの楽器なら、マチーネも知っていました。
「ぼくは自分の名前すらおぼえていないけれど、この楽器の名前と、ひきかたはちゃんとおぼえてた。だからきっと、ぼくにとってとても大切なものなんだ……」
ベガはそっと、ハーディ・ガーディのハンドルを回しました。なつかしい気持ちになるような、すこしせつない気持ちにもなるような、ふしぎな音色が部屋にひびきます。
ベガが反対の手で鍵盤をおすと、高さのちがった音が重なってきこえました。ピアノのように、いくつもの音を同時に出すことができるのです。
(あれ? この音、どこかできいたことがあるような……)
マチーネがそう思ったとき。ベガはハンドルを回しながら、いくつもの鍵盤をおしてゆき、曲を奏で始めました。
曲にあわせて、ベガが歌います。
ぼくは自分のことを知らない
だから知るために旅にでた
そうして出会ったひとたちは
金色の砂漠をさまよう少年
月の海辺をおよぐ人魚
森の湖でおどる お姫さま
だれかを想う気持ちや 決意をいだいて生きる
そんなひとたちの物語を
ぼくは伝えてゆきたいんだ
だから今 ぼくはそのために 旅をする
マチーネもマギーも、ベガの歌声に耳をかたむけました。
やわらかな歌声は心地よくて、きいているだけでその景色がうかびあがってくるようでした。
砂漠も人魚も、お姫さまだって、ふたりは一度も見たことはなかったのです。けれどふたりの目の前には、そんなひとたちの姿がはっきりとうつっていました。まるで、歌に魔法がかかっているかのようでした。
歌が終わると、ふたりは自然と、ベガに拍手をしていました。
「ベガは楽器も歌も、とてもじょうずなんだね。あなたがどれぐらい、長く旅をしているのかはわからないけれど。今まで出会ってきた人たちのことを、とても大切にしているのはよくわかったよ」
「うん。だからね、ぼく、こうしてせっかく出会えたマチーネとマギーのことを、もっと知りたいんだ」
そういったベガの表情には、不安やおそれはありませんでした。マチーネはほほえんで、ベガにいいました。
「それなら、好きなだけここにいるといいよ。あなたが、また新たな場所へと旅立ちたいと思うまで。どうせこの家には、わたしとマギーしか住んでいないからね」
「いいの?」
マチーネのとなりで、マギーもうなずきました。
「なにかぼくたちにできることがあるなら、手を貸すよ」
「ありがとう!」
ベガははにかんで、ふたりにお礼をいいました。
思えば、この家にお客さまがくるのははじめてのことでした。きっと、これから楽しい日々になるでしょう。マチーネは、心がうきうきとはずむのを感じました。
「ところで、ベガはどこをめざしていたんだ? 自分のことがわからないとはいえ、さすがに旅に出てから、ただやみくもに歩いていたわけではないだろ?」
「あのね。東をめざしていたんだ」
「東?」
ベガはうなずくかわりに、ハーディ・ガーディを鳴らしました。
「前に、楽器にくわしいひとに教えてもらったんだ。世界の東の果てに、音楽を愛して、どんな楽器もつくれるひとが住んでいるんだって。うわさできいただけで、そのひとに会ったことはないっていってたけれど。どんなところかも、知らないみたい。でも、そこに行けばもしかしたら、ぼくは自分のことがわかるかもしれないって思ったんだ。ぼくが持っているものは、このハーディ・ガーディだけだからね」
マチーネとマギーは、顔を見あわせました。ふたりも、そんな話ははじめてききました。なんとも、途方もない話です。東というだけでも、数えきれないほどの国や町があるのですから。
それにね、とベガは続けました。
「東は、太陽がのぼる場所。一日のはじまり、すべてがめざめる方角。東の果てまで行けば、きっとなにかが、わかる気がするんだ」
楽器の音にあわせて、まるで詩人のように、歌うようにベガはいったのでした。
「そっか。ベガがそう思うなら、きっとそうなんだろうね。うまくことばにできないけれど、あなたからは、なんだかふしぎな雰囲気を感じるもの」
「しかし、ここから東は山脈が続いているんだ。東の果てをめざすというのなら、その山脈をこえなければならない。ベガの足で、のぼれるだろうか」
マチーネたちは窓から、東の方角を見ました。季節はあたたかくなっていましたが、山の上のほうには、冬にふった雪がまだ残っていました。
そうだ、とマチーネが手をたたきました。
「わたしがつくった飛行機に乗って、山脈をこえるっていうのはどう? 設計図はもうできているから、前のものよりもっと早く完成させられると思うし」
「うわあ、いいの? それなら、ぼくも飛行機をつくるの、手伝っていい?」
「もちろん! ベガを、わたしの助手一号に任命しよう!」
「うれしい! ぼく、がんばるよ!」
手をとりあって喜ぶふたりを見て、マギーはあきれたようにため息をつきました。
「墜落するかもしれない飛行機に、ベガを乗せるっていうのか?」
「もちろん、ちゃんと飛べるか実験してからに決まっているじゃない。それは、わたしがひとりでやるよ。それで失敗したら……また、次の手立てを考えることにする」
「期待できないな。やめておいたほうがいい」
マギーは、かがんでベガと目線をあわせると、その肩をしっかりとつかみました。
「空を飛ぶ道具は、ぼくがつくってみせる。だから、きみはマチーネの飛ばない飛行機になんて乗る必要はない」
マチーネはむっとして、マギーからベガを引きはなしました。そして、ベガの体をだきしめます。
「また、そうやってわたしの発明をばかにして! でも、残念でした。今まではひとりだったけれど、今回は助手がいるからね。絶対に成功させてみせるよ。わたしの飛行機と、あなたの魔法の道具、どっちが先に完成するか勝負しよう」
マギーはなにもこたえず、マチーネを見つめかえしました。ふたりのあいだに、火花が散ります。ベガは目をぱちくりとさせて、そんなふたりを交互に見つめたのでした。
Ⅳ 飛行機をつくるには
マチーネの部屋の床には、歯車やらねじやら、細かい部品がそこら中に散らばっていました。ものがおおすぎて、立っていられるのもやっとなぐらいです。
「遠慮なくくつろいでね。まあ、くつろげるような場所なんてないんだけど」
これでもちょっとは掃除したんだ、とマチーネは頭をかきながら笑いました。
ベガは川からつきでた岩を飛びこえるように、慎重に床のものをよけながら、マチーネの机のそばへと行きました。
机の上には、おおきな紙が広げられていました。美しい飛行機の製図に、細かい文字や数字がびっしりと書きこまれています。まるで、ひとつの芸術作品のようでした。
「それが、飛行機の設計図なんだ」
「すごい。これ、マチーネがひとりで書いたの?」
ベガは設計図をのぞきこみました。
「まあね。でも、設計図だけあっても意味はないの。肝心の飛行機が完成しなくちゃ」
「そんなことないよ! ぼくには絶対、書けっこないもん。マチーネは、天才なんだ!」
ベガがまっすぐにマチーネを見つめてそういったので、マチーネは顔を赤らめました。
「ベガったら、さっきからわたしのことをほめすぎだよ。でも、うれしいな。こんなにもほめられたのははじめて。わたしの発明なんて、だれにもわかってもらえないと思ってた……」
マチーネは、心の底からうれしかったのです。胸のあたりが、あたたかくなるのを感じました。
「いっしょに飛行機を完成させよう、マチーネ」
「そうだね。うん、ふたりで力をあわせれば、絶対にうまくいく!」
ふたりは、こぶしを天井につきあげました。
そしてマチーネは、設計図を手にとりました。
「これは、五世をつくったときの設計図なんだ。飛行機の形は、これで完璧なはずなの。あとは、わたしの足の力の問題。もうすこしわたしに力があれば、飛べるようになるんだけれど。それこそ、わたしの足が四本あればいいんだけれどね」
四本足になったマチーネの姿を想像して――ふたりは、ちょっとおそろしくなりました。あわてて、マチーネがつけたします。
「でも、わたしの足を増やす方法なんてないじゃない? だから、飛行機のほうに手を加えるしかないんだよね」
「それなら、材料をかえてみるっていうのは、どうかな? おなじように見える木の枝も、黒っぽい木と白っぽい木じゃ、重さがちがったりするよね」
「うん。わたしも、そう思っていたところ。だから形はこのままで、今度は飛行機自体の重さをかえてみるつもり。今まで使っていたのは、この木材なんだけれど……あ、それよりも、金属の部品をかえたほうがいいかな? 鉄以外にも、銅とか錫とか、いろいろためしてみるのがいいかも。でも、そうすると今度は耐久力に問題が……」
頭の中に、次々と新しいアイディアがうかびます。こうなると、もうだれにもとめられません。マチーネはまるで火がついたように、しばらくひとりでしゃべり続けていました。
それから、ふたりは森で材料を集めることにしました。太い木の枝や、じょうぶそうな石や、ときには動物の骨や貝の化石なんかも、森には落ちていました。
ベガは、どうして森に貝の化石があるのかふしぎに思いました。マチーネにたずねると、森に貝の化石があるのは、ここがはるか昔は海だったからなのだと、教えてくれました。
「海だったところが森になるように、この世界に存在するものはすべて、長い時間をかけながら変化をし続けてる。人が生まれてから死ぬまでの時間なんかとは、くらべものにならないぐらいの長い時間でね。永遠におなじものなんて、なにひとつないんだって。まあ、わたしもマギーに教えてもらったの。あの人は、そういうことを考えるのが好きだから」
ベガは目をとじ、耳をすましました。森の木々がゆれる音にまじりながら、どこか遠い遠いところで、海の波の音がきこえたような気がしました。
落ちていた枝を拾って、マチーネはいいました。
「飛行機をつくるとき、わたしは森にあるものを使うの。ねじとか釘とかは、町まで買いに行くこともあるけれどね。それでね、できるだけこうして、落ちているものを使うようにしているんだ。そしてどうしても必要なときだけ、木にお願いして、必要な分だけを切るようにしてる」
マチーネは枝の長さをはかってみたり、手で曲げてみたりして、じょうぶかどうかをたしかめました。なかなかいい枝です。うまくけずって整えれば、翼をつくる骨組みに使えそうです。
「マチーネは、森が好きなんだね」
「うん。森は、わたしが必要としているものをあたえてくれる。森だけじゃない。人は、いつだって自然の力を借りながら生きているんだ。わたしがつくってきたものはみんな、こうして自然から生まれた材料を使ってつくったものだからね。だからわたしの飛行機と、マギーの魔法の道具は、ひょっとしたら似ているものなのかも」
「自然が持っている力のことを、魔法とよんでいるってマギーはいっていたもんね」
マチーネはうなずきます。でもね、とマチーネは続けました。
「わたしは、自分の力で空を飛びたいの。ただ、飛ぶだけじゃだめ。空を飛ぶための機械を自分でつくって、自分の力でそれを動かしたいんだ。空を飛べるほうきも絨毯も、もちろん本当にあったらすてきだよ。でも、いざそれらが目の前にあったとしても、きっとわたしはどっちにも乗らないんだ」
マチーネの頭の中には、いつも飛行機がえがかれていました。そして、それに乗る自分の姿も。広い空をすべるように飛んでゆき、まだ見たことのない景色や、知らない町へ向けて、どこまでも飛んでゆくのです。
「マチーネはどうして、そんなにも空を飛びたいって思うの?」
ベガがたずねました。そのとき、頭の上で小鳥の鳴き声がきこえました。
白い小鳥が二羽、よりそいながら木の枝にとまっています。とても仲がよさそうに見えました。やがて小鳥たちは歌うように鳴くと、どこかへと飛び立ってゆきました。自分の翼を広げながら。マチーネとベガは、それを目で追いました。
「ふふ。あんな鳥のようになりたいから、なんてこたえたらロマンがあるけれどね。そういうわけじゃなくて、じつは空を飛ぶのは、もともとは父さんの夢だったの。おじいちゃんは魔法の研究家だったんだけれど、父さんは機械をつくる発明家だった。わたしとマギーは、きっとそれぞれの血を継いだんだね」
そうこたえて、マチーネはふと顔をふせました。
「でも、父さんはその夢をあきらめてしまった。だから、わたしがかわりにかなえることにしたの」
「ええ? どうして、あきらめちゃったの? マチーネのお父さんなら、絶対にあきらめないっていいそうなのに」
「母さんと出会ったからなんだって。それまで空を飛ぶことをずっと夢見ていたのに、母さんに会ったとたん、父さんったら一目で好きになっちゃった。それであっさり夢をあきらめて、母さんのために生きることにしたんだって。今はふたりとも、町で子どもたちに勉強を教えているの。まったく、自分の子どもたちはこうして、森の奥に住んでいるっていうのにね。まあ、森が好きだからいいんだけれど」
マチーネは苦笑いをうかべました。
ベガは、マチーネの顔をのぞきこみました。
「夢をあきらめたお父さんのこと、どう思ってる?」
「そうだな……父さんのことはきらいじゃないよ。でも、やっぱり心のどこかで、どうして夢をあきらめちゃったのって思ってる。何度も挑戦したけれどうまくいかなくて、どうしようもないぐらい悲しくなってあきらめたのなら、まだわかるの。でも、母さんと出会ったって、夢を追うことはできたはずじゃない? なんだか、母さんのせいで夢をあきらめたみたいで、ちょっといやだったな……」
マチーネは顔をあげて、空を見つめました。やわらかなこもれびが、マチーネとベガを照らしています。
「わたしは、まだ夢を追いかけていたい。だれかのことで頭がいっぱいになるより、自分の飛行機のことだけを考え続けていたい。自分の好きなことで、自分がどれだけがんばれるのか挑戦したいんだ。最初は、父さんを見返してやるなんて、そんな気持ちで飛行機をつくり始めたけれど……今はただ、わたし自身が空を飛びたいって思ってる」
そして、マチーネはにっと笑いました。
「あとね、ベガのために飛行機をつくりたいんだ。あなたがわたしの飛行機で山脈をこえられたら、わたしのつくった機械が、人の役に立ったってことでしょう? 発明家として、これ以上うれしいことはないからね!」
ベガも笑って、マチーネの手をにぎりました。
「マチーネは、やっぱりすごいね。マチーネにもマギーにも、会えてよかった。ぼくをたすけてくれて、本当にありがとう」
「わたしのほうこそ、ベガに会えてよかった。だからね、ベガにはぜひ、わたしの飛行機に乗ってほしいんだ。あんないじわるで、あきらめてばっかりのマギーには負けたくない!」
力強い声で、マチーネはそういいました。瞳の中で、炎がゆれています。
ベガは眉をよせて、遠慮がちにマチーネにたずねました。
「マチーネが飛行機のことを話したとき……マギー、ちょっとこわかったよ。飛行機なんて、飛ぶはずがないって。いつも、マギーはあんな感じなの?」
マチーネはすこしだけ悲しそうな顔をして、首をふりました。
「そんなことないよ。ううん、そんなことなかったよ、っていうのが正しいのかな。愛想は悪いし、なまいきなことばっかりいってるけれど。でも、マギーはいつだって、わたしが発明した機械を見てくれたの。わたしに「あきらめろ」だなんて、一度だっていったことなかった。それなのに……いつからか、あんなふうになっちゃった」
マチーネの声は、消え入りそうでした。けれどすぐに、元気よく顔をあげます。
「さあ。もうすこしがんばって、材料を集めよう」
ふたりはうなずきあって、ふたたび森の中を歩き出しました。
Ⅴ 大切なこと
それから、ベガはのこぎりの使いかたや、かなづちの使いかたを、マチーネに教わりました。ベガはマチーネが道具を使う姿を、とても興味深そうに見ていました。ひとつひとつの道具の名前をきちんとおぼえて、そしてマチーネの動きをまねながら、ていねいに道具を使いました。
ベガが最も得意になった仕事は、切られた木材にやすりをかけることでした。表面がなめらかになるように、けれどけずりすぎてちいさくならないように、慎重にやすりをかけてゆくのです。それを後ろから、マチーネがのぞきこみました。
「ベガって、器用なんだね。それに材料も道具も、ていねいにあつかってる。ものを大切にあつかうことは、そのものに敬意をはらうのとおなじ……とっても、大事なことなの。ベガは、ものをつくる才能があるね」
ベガはやすりをかける手をとめて、マチーネを見あげました。
「でも、ぼく、字があんまり読めないんだ。数字も、よくわからない。だから設計図なんて書けないよ。設計図がなくちゃ、なにもつくれないよね?」
「そんなことはないよ! 文字は習えば読めるようになるし、数字の計算なんて、だれがやったって答えはおなじになるんだからね。でも、生まれ持った才能はもっともっとのびてゆく。あなたのそのていねいさや、ものを大切にする気持ち。あと、歌をつくったり楽器をひく才能もね。どれも、あなたがほこれるものだよ」
マチーネのことばをきいて、ベガはうれしそうに笑いました。
ベガは熱心に木材をみがき続けました。やすりをかけるとたくさんの木くずが出るので、そのときは家の外で作業をすることにしていました。
マチーネもベガのとなりで、翼となる骨組みを組み立てています。すこしずつですが、飛行機らしい形になってきました。
翼の骨組みに皮を張ったときは、思わずふたりで歓声をあげました。今すぐにだって飛べそうなぐらい、りっぱな翼です。
「この調子なら、あと何日かで完成するかもしれない。ベガを乗せる前に、わたし自身が乗ってたしかめなくちゃいけないけれど……今回は、うまくいくような気がする!」
マチーネは、飛行機の機体をなでました。
一方、マギーは部屋にこもったきりです。食事のときに顔をあわせることはあっても、マギーが自分のことを話すことはほとんどありませんでした。
「マギーは、なにかに集中しているときはほとんど部屋から出てこないの。あっちはあっちで、がんばっているみたいだね。でも、負けないんだから。わたしのほうが、絶対に先に完成させてみせる」
額に流れる汗をふきながら、マチーネはマギーの部屋の窓を見つめました。
そのとき、けもの道をたどって、ひとりの男の人がやってきました。ズボンのあちこちに、草や葉がこびりついています。この道を歩きなれていない人は、みんなこうなってしまうのです。
男の人は、郵便配達の帽子をかぶっていました。
「郵便です。マチーネさまとマギーさまあてに、手紙をとどけにきました」
「父さんと母さんからだ。あれ、いつも配達にきてくれているおじいさんは?」
いつも手紙をここまでとどけてくれていたのは、白いひげをたっぷりとたくわえたおじいさんでした。
「じつは、あの人は腰をいためてしまいまして……このあいだ、郵便局内を大掃除したときに、やたらとはりきったせいですよ。腰が治るまで、ここまで配達することができなくなってしまったのです。だからしばらくは、ぼくがかわりにここまで配達をすることになりました」
男の人は、やれやれとため息をつきました。
それは大変、とマチーネは眉をよせました。町からこの家まではすこしはなれているので、おじいさんが配達にきてくれたときは、せっかくだからとお茶をごちそうしたり、おしゃべりに花をさかせていたのでした。だからおじいさんとは、仲よしだったのです。マチーネがこれまでにつくった機械の話も、いつも楽しそうにきいていました。
「おじいさんに、どうかお大事にと伝えてください。それと、あまりがんばりすぎないでとも。よかったら、あなたもうちでお茶でもどうですか?」
「いいえ、けっこうです。早く町にもどりたいので……」
男の人はめんどうくさそうに、肩からさげたかばんを背負いなおしました。かばんの中には、まだまだたくさんの手紙や小荷物が、ぞんざいに入れられているのが見えました。
立ち去ろうとした男の人の背中に、ベガが声をかけました。
「まって。この草を、腰をいためたおじいさんにわたしてあげてほしいんだ。すりつぶして、いたいところにぬれば、すぐによくなるよ」
いつのまにつんだのでしょう、ベガの手の中には、ちいさな丸い葉をつけた植物の束がありました。
男の人はちいさくため息をつきながら、ベガから植物の束を受けとりました。それを、乱暴な手つきで上着のポケットにつっこみました。とても、人にものをとどける仕事をしているとは思えない手つきです。マチーネはすこしだけ、顔をしかめました。
「わかりました、わたしておきます。それにしても、ずいぶんと不便なところにお住まいなんですね。なんだか、変なものもいっぱいあるし……たった一通の手紙をとどけにくるだけでも、一苦労ですよ」
「空を飛ぶ夢をかなえるには、森に住むのがぴったりなんです。わたしは機械いじりが好きだから、こうして広くて、人がいないほうがやりやすいの」
男の人は、すぐそばにあった飛行機に目を向けました。マチーネは元気よく、「それが空を飛ぶための機械なんです」と説明しました。けれど、それもあまり真剣にはきいていないようでした。
「へえ。機械いじりが趣味だなんて、めずらしいですね」
「そうですか? 機械が好きな人って、けっこういると思いますけれど」
「男は好きかもしれませんね。でも、町にいるあなたぐらいの女の子は、みんな流行りの洋服とか宝石とか、やたらとあまいおかしとか、そういうものに夢中ですよ」
それはまるで、マチーネが変わった女の子だといっているようでした。
「あら。女の子が機械好きだと、なにか悪いことでもありますか?」
マチーネは目を見ひらいて、首をかしげました。
かわいい洋服も宝石もおかしも、マチーネは興味がありませんでした。町に出かけたときだって、一度もそんなものを買ったことはありません。そういうものが好きな、女の子とも話をしたことがありませんでした。
「いいえ、べつに……こんなもので空を飛ぶだなんて、ばからしい。どうせ、飛びやしないだろ」
だれもきこえないぐらいのちいさな声で、男の人がつぶやいたときでした。
「うちに、なにかご用ですか」
いつのまにか、マチーネのとなりにマギーが立っていました。
「手紙をとどけにきてくれた郵便屋さんだよ。いつものおじいさんは、腰をいためてしまってしばらくこられないんだって」
男の人のかわりに、マチーネがこたえました。
「それはどうも」
ぼそりとそういって、マギーは男の人を見つめました。いつものようにふきげんそうな表情でしたが、今はいちだんと、こわい目をしていました。それを感じとったのか、男の人はあわてて頭をさげて、にげるようにしてけもの道をもどってゆきました。
マチーネはちょっとおこった顔をして、腰に手をあてました。
「マギーったら。せっかく、お手紙をとどけにきてくれたのに。人にはもうすこし愛想をよくしないとだめだよって、いつもいってるじゃない」
マギーはだまったまま顔をそらして、さっさと家の中へと入ってしまいました。マチーネはやれやれと肩をすくめました。
「あらら。なんだかすごく、きげんが悪いみたい。魔法の道具づくりが、うまくいってないのかな?」
「でも、さっきのひと、ちょっといやな感じだったなあ。マチーネがここに住んでいることや、機械が好きなことも、変だと思っているみたいだったよ」
ベガはしょんぼりとした声で、そういいました。マチーネはとてもすてきな女の子なのに、それをあの男の人にわかってもらえないのが、悲しくなりました。
「元気だしてよ、ベガ。あなたまで落ちこんだら、この家の中がしんみりしちゃう」
「だって……マチーネはあんなふうにいわれて、いやにならないの?」
平気だよ! と、マチーネはからからと笑いました。
「天才発明家っていうのは、つねに孤独だからね。だれにも理解されなくたって、ちょっとぐらい変な子だっていわれたって、気にやしないの。わたしの父さんも、なにか発明するたびに、『うそつき』だとか『はったりや』だとかいわれていたみたいだし。あれ? そう考えると、そんな父さんを好きになった母さんも、そうとうな変わりものってことになるのかな?」
マチーネの声は明るいものでしたが、ベガはまだ肩を落としています。
「マチーネは、変なひとなんかじゃないよ。……もしもマチーネの飛行機が空を飛んでも、だれも信じてくれなかったら? ひとが空を飛ぶわけがないって、マチーネはうそつきだっていわれたら、ぼくはいやだな……」
「そりゃあ、じっさいにいわれたら、小さじ一杯分ぐらいは落ちこむだろうけれどね。でもね、ベガ。だれになんといわれようと、大切なのはわたし自身が夢をかなえたかどうかなんだ。それに好きなことには、いつだって真剣に向きあっていたいじゃない? この気持ちがあるかぎり、わたしはきっと、だいじょうぶ」
マチーネはベガの手をとって、いっしょに家の中へと入りました。
「それにしても、ベガはとても植物にくわしいんだね。ドリーベリーが、目にいいことも知っていたし……それもきっと、ベガのすてきな才能なんだね」
Ⅵ 魔法の道具
さて。今、ベガはマギーの部屋の前におりました。
ベガはマチーネの飛行機だけでなく、マギーの魔法の道具にもとても興味がありました。だから、マギーのつくっている道具も見てみたいと思ったのです。このごろ、とくに口数がすくないマギーを気にして、マチーネもベガについてゆくことにしました。
部屋の扉をたたくと、中から「どうぞ」と声がきこえてきました。マギーは、ベガの後ろにマチーネがいるのを見て、ふきげんそうに眉をよせました。
「どうして、マチーネまでいるんだよ」
「いいじゃない。おなじ家に住んでいるのに、最近はあんまり話すことができなかったでしょ。それとも、なにかわたしに見られたらまずいものでも置いてあるの?」
「それは……べつに、ないけれど」
マギーはいいよどんでいましたが、やがて「しかたないな」とため息をつきました。
マギーの部屋も、マチーネの部屋とおなじぐらいごちゃごちゃとしていました。ちがっているのは、散らばっているものが鉱石や水晶であることです。
「じつはわたし、マギーがつくっている道具の話をきくのははじめてなの。いったい、どんな道具をつくっているの? 空飛ぶほうき? それとも空飛ぶ絨毯?」
マチーネがたずねましたが、マギーは首をふりました。
「どちらもちがうな。ぼくがつくっているものは、これだよ」
マギーがふたりの前に置いたもの。それは両手でかかえるほどのおおきさもある、古びた球の模型でした。球の下には持ち手がついていて、立てられるようになっています。球の表面には、白鳥やさそりのような生き物や、天秤や王冠など、さまざまな絵がえがかれていました。
「これは天球儀といって、空にうかぶ星座の位置を示したもの。えがかれている絵は、星座をあらわした生き物や道具なんだ」
どの絵も、星座の線にそってえがかれています。線をつなぐ星の部分には、ちいさな穴があいていました。
マチーネとベガは、夢中になって天球儀を見つめました。それぐらい美しいものでしたし、こんなにもたくさんの星座が夜空に存在しているということにも、おどろきでした。
「とてもきれいだけれど……これでいったい、どうやって空を飛ぶの?」
マギーは、くるりと天球儀を回しました。
「もちろん、これはただの天球儀じゃない。星座をつないでいる星の部分に、穴があるだろ。ここに『星のしずく』とよばれる石をはめて星座を完成させると、星座の生き物や道具が本当にあらわれるんだ」
天球儀をとめ、マギーはひとつの絵を指さしました。
「ここに、翼のはえた馬の星座がある。一般的に、天馬とよばれる生き物だ。この星座に星のしずくをはめれば天馬があらわれ、そしてその背中に乗って空を飛ぶことができるというわけだ」
マチーネもベガも、目をまたたかせました。星座の生き物を実現させるなんて、夢のような話です。それに星のしずくというものも、はじめてきくものでした。
「天馬の星座は、九つの星から成り立っている。そしてぼくは今、星のしずくを八つ持っているんだ。だからあとひとつ集まれば、天馬の星座を完成させることができる」
「それ、本当なの?」
マチーネが疑り深い目で、マギーを見つめました。マギーはおおまじめな顔つきで、うなずきました。
「絶対に、うまくいく……いや、ぼくは〈絶対〉ということばは信じられないから、ほぼ確実に、ということにしておこう。この天球儀は祖父のさらに前の代から、さまざまな材料を研究し組みあわせてつくられたもの。それがぼくの代になって、ようやく完成したんだ。この天球儀と星のしずくの力があれば、星座を本物にすることができると、祖父がいっていた」
「わたしも、おじいちゃんのことは大好きだけどさ。ちょっと、いいかげんなところがあったじゃない? 人をからかうのが大好きだったもの。わたし、何回おじいちゃんにだまされたかわからないよ。おじいちゃんのうそを見やぶる機械をつくれないかなあ、なんて思ったぐらい」
「それについては、ぼくもおなじことを思っていたよ。でも、魔法の道具に関しては、だれよりも真剣だった。魔法を正しく理解し、人を助ける道具をつくれといっていた。ぼくにとっては、偉大な魔法研究家だよ」
マギーの声は静かでしたが、よくとおったものでした。
「ねえねえ。べつの星座で、ためしてみるのはだめなの? 星のしずくが八つあるなら、とかげの星座や、鳥の星座ならできるってことだよね? どっちも、八つよりすくない星の数だもん。熊みたいな、おおきくて凶暴な生き物が出てきちゃったら大変だけれど、とかげならきっと平気だよ」
ベガが、とかげの星座を指さしました。とてもちいさな星座です。
「ああ、それはいいね! わたし、子犬がいいな。マギー、この子犬座に星のしずくを使って、子犬をよびだしてよ。子犬座なら、ふたつのしずくでできるじゃない」
マギーは、心の底からいやそうな顔をしました。子犬座を指したマチーネの手を、しっしと追いはらいます。
「おい、勝手に話を進めるなよ。ほかの星座でためしてみるっていうのは、ぼくも考えたんだ。けれど星のしずくは、一度星座を完成させるとなくなってしまうらしい。だから、ぼくは天馬の星座以外にしずくを使う気はないよ」
マチーネは口をとがらせました。
「ちぇっ。犬といっしょにくらすの、わたしのささやかな夢なのにな」
マチーネのことばを無視して、マギーは机の引き出しから、ちいさな箱をとりだしました。宝箱を手にしたかのように、慎重な手つきで箱をあけます。
「これが、星のしずくだよ」
箱の中には、ダイヤモンドのようにすきとおった美しい石が、八つおさまっていました。とてもちいさな石でした。
「きれい……本物の宝石みたい」
「星のしずくは、だれかの願いをかなえた流れ星が、石となって地上にふってきたものだといわれているんだ。この八つのしずくは、祖父やさらにその前の代が見つけて、残してくれたものだよ」
「そんなものがあるんだ……たしかに、流れ星にお願いごとをすると、願いがかなうっていい伝えがあるね」
マチーネのとなりで、ベガは首をかしげています。
「そうなの? ぼく、知らなかったよ」
「流れ星の光は、神さまが天にある扉をひらいて、地上を見ているときの光だっていわれているの。だからそのときにお願いごとをすると、神さまがそれをきいてくださるのだそうだよ」
「じゃあ、星のしずくの分だけ、だれかの願いがかなったってことなんだね!」
ベガが、明るい声でいいました。
今、目の前に星のしずくが八つ。それは流れ星にのせた、だれかの願いが八つかなったということなのです。それを知って、ベガの心はなんだかあたたかくなりました。これから、どこかで星のしずくを見つけるたびに、きっと心があたたかくなるのでしょう。
「必要な数は、あとひとつ。最後のひとつは、ぼくが見つけてみせる。ぼくの代で、この天球儀を完成させたいんだ」
「でも、そもそも流れ星がめずらしいものじゃない? 最後のひとつとはいえ、そのひとつを見つけるのはちょっと大変そう」
すると、マギーは机に置かれた暦表を手にとりました。
「もうじき、流星群がやってくるといわれている。流星群とは、流れ星が大量に流れることだ。もしかしたら、そのあとなら星のしずくを見つけられるかもしれない」
流星群が見られることは、マチーネも知っていました。めったにないできごとなので、町のほうでもうわさになっていたのです。マチーネもマギーも、まだ一度も流星群を見たことはありませんでした。
「飛行機に乗って空を飛ぶのも、天馬の背に乗って空を飛ぶのも、どっちもすてき。ぼく、どっちも乗ってみたいなあ。完成するのが、とても楽しみだね!」
ベガはその場で、子犬のように跳ねました。マチーネもうなずきます。
「そういうことなら、わたしも星のしずくをさがすの、手伝うよ」
マチーネのことばに、マギーはおどろいたようでした。
「勝負している相手を手伝うなんて、ずいぶんとのん気なんだな」
「いいじゃない。あなたとわたしはライバルだけれど、それ以前にずっといっしょに生きてきた双子でしょ。マギーのその天球儀が完成したら、わたしだってうれしいよ。だからいっしょに流星群、見ようね」
マチーネはにっと笑って、マギーを見つめました。マギーはなんだか気まずそうに、目をそらしました。
「ということは、マギーはもうすぐ空を飛べるかもしれないんだね。わたしの飛行機も、あとちょっとで完成しそうなんだけれど……」
そうつぶやいたマチーネは、ふと部屋の戸棚に目を向けました。古びた本や、化石や、フラスコや、天秤。さまざまなものが、すきまもないほどにならべられています。
その中に、いちだんと目立つガラスびんがありました。マチーネは思わず手をのばします。
「このびんはなに? 中に、変な色の液体が入ってる。金色だ」
それをきいたとたん、マギーはいそいでマチーネの手からびんをひったくりました。
「ああ! 勝手にさわるなよ! これは……べつに、なんでもない。ただの色水だ」
その声がうわずっています。明らかに動揺しているマギーを見て、マチーネは眉をひそめました。
「あやしいな。もしかして、いつも『失敗だ!』ってさけびながらつくっていたものって、これのこと? どんな効き目があるの?」
「きみに説明したって、どうせわからないだろ」
「やっぱり薬なんじゃない。まさか、きけんな薬をつくったんじゃないよね?」
マギーは目をひらいて、マチーネを見かえしました。
「このぼくが? きみじゃあるまいし、そんなわけないだろ。きみの飛行実験のほうがよっぽどきけんだよ。とにかく、ぼくのほうはあとは星のしずくを見つけるだけなんだ。だからもう、出ていってくれ」
マギーはふたりをせかすように部屋から追い出すと、勢いよく扉をしめてしまいました。
「マギー、いったいどうしたのかな……」
ベガはマチーネを見あげます。マチーネは心配そうな顔で、いつまでもとじた扉を見つめていました。
Ⅶ 流れ星に願いを
待ちに待った、流星群の日がやってきました。飛行機づくりも、今日は日がくれる前に切りあげました。
マギーはカンテラの中に、火のかわりに水晶を入れました。水晶は、ほのかな光を放っています。
マチーネとベガは、おおきなかばんに毛布をつめこみました。外で流星群を見るので、体を冷やさないようにするためです。それと、たくさんの木の実が入った袋も、いっしょにつめこみました。ちょっとしたピクニック気分です。
「夜ふかしは、体によくないんだけれど。今日だけは特別だよね」
三人は、丘へとやってきました。マチーネとベガが出会ったあの丘です。
やってきたころには、空はすでに真っ黒な闇にそまっていました。そこに白砂糖をまぶしたように、数えきれないほどの星がかがやいていました。それだけでも、じゅうぶんすぎるほどに美しい夜空でした。
丘の上には、町からやってきた人たちの姿がちらほらと見えました。
「みんな、空を見あげてるね。ふふ、なんだかおもしろい」
ベガを真ん中にして、三人はならんで丘に腰かけました。そして毛布を広げて、よりそいながら毛布にくるまります。木の実が入った袋もあけました。
「こうしていっしょにすごしていると、ベガもわたしたちのきょうだいになったみたい。なんだかあなたって、ずっと昔からお友だちだったような感じがするの。出会ってから、そんなに長い時がたったわけじゃないのにね」
マチーネはほほえんで、ベガのやわらかな髪をなでました。
「ぼくも、毎日がとても楽しいんだ。マチーネとマギーが、本当のお姉ちゃんとお兄ちゃんだったらよかったのになあ」
ベガは、すこしさびしげにつぶやきました。
マチーネの飛行機が完成するか、マギーの星のしずくが集まったら、ふたりとすごす時間も終わりをむかえるのです。旅をするとは、そういうことなのです。そうやって、ベガは何度も大好きなひとたちとの別れをくりかえしてきました。その中には――もう二度と、会えないひともいます。
「そんなことをいっていいのか? マチーネが姉だと、大変だぞ。昔から変な機械をつくってはそれを暴走させて、まわりの人たちをこまらせていたんだ。もちろん、ぼくもそのひとりだった」
あきれたように、マギーがいいました。けれどその口もとは、笑っていました。
「ええ! そうだったの? マチーネは自分の気持ちをはっきりいえるし、お料理もじょうずなしっかりものだから、前からそういうひとなんだと思ってた」
「あはは。じつは、マギーのいうとおりなの。わたしはなにかつくるたびに、『わたしってなんて天才なんだろう!』ってうぬぼれていたんだけれどね。かならず、どこかしらがうまくいかなくて……ちいさいときに学校の窓ガラスをわったのも、本当はわたしの発明品が原因だったんだ」
マチーネはぺろりと舌を出して、頬をかきました。
それは、空を飛びたいと思い始めたころのことでした。ためしにちいさな飛行機をつくってみて、こっそり飛ばしてみたのです。飛んだはいいものの、あろうことか飛行機はとまることを知らず、そのまま窓ガラスへと飛びこんでいってしまったのでした。
「いつだったか、おばけをつかまえる機械を発明したとかいいだしたこともあったな。けれどその肝心のおばけがこわいから、いっしょにきてくれって夜中に起こされたこともある」
「あったなあ、そんなこと。マギーはいやがりながらも、結局はいっしょにきてくれたんだよね。おばけをやっつける薬、なんてものを持ちながらね」
「きみが発明した機械のことだ。本当におばけがあらわれたとき、ちゃんと動くかどうか信用ならなかったからな」
「あのときの薬、本当に使えたの? わたしには、ただの水にしか見えなかったよ!」
「きみの発明品といっしょにするなよ。結局おばけなんていなかったから使わなかっただけで、ぼくの薬はちゃんと効き目があるんだ」
そっけなくいいかえされて、マチーネは口をとがらせました。ベガはおもしろそうに、くすくすと笑っています。
「ふたりはずっと、なかよしだったんだね」
「そうだよ。マギーはいつだって、わたしのそばにいてくれた。いつだって、わたしの発明品と向きあってくれた。でも、いつからか、わたしが機械をつくるのをとめるようになって……」
マチーネは、ふいに口をとざしました。からまったひもをほどいてゆくように、おさないころの記憶を、たどってゆきます。
「あれは……そう。わたしが、はじめて空を飛ぼうとしたときのこと。わたし、家の屋根から落ちて、けがをしたんだ……」
ひとりごとのように、ちいさくそうつぶやいたときでした。
丘にいる人たちが、歓声をあげました。三人ははっとして、夜空を見あげます。
一筋の白い線が、すっと夜空を通りすぎました。それを追うように、次から次へと白い光の線が夜空にえがかれてゆきます。
流星群が、始まったのです。
「すごい……!」
ベガが、ぽつりとつぶやきました。その瞳の中に、いくつもの流星がうつります。
流星たちは静かに弧をえがき、そしてまたたく間に消えてゆくのです。それこそ、まばたきをしているひまもないぐらいに。
マチーネたちは、ただただ夜空を見ていました。目には見えない、とてもおおきな自然の力が、そこにあるように感じられました。
「……あの光がすべて星だなんて、本当におどろきだ。あの光を見ているだけで、どうしてだか、この世界が生まれた理由や、自分が生まれた理由。そんなことを考えてしまう……自分が、とてもちっぽけな存在に感じるよ」
マギーはじっと空を見あげながら、つぶやきました。
「星も、海が森にかわってゆくのとおなじように……こうしてかがやきながら流れて、変化していっているんだね。それがたとえ、だれにも見られなかったとしても……星はそんなこと、まったく気にしないんだろうな」
マチーネたちは時が経つのもわすれ、長いこと流星群をながめていました。
「そうだ。ふたりは、流れ星になにをお願いするの?」
思い出したように、ベガがいいました。マチーネは腕を組んで、考えこみました。
「星のしずくって、だれかの願いをかなえた星が落ちてきたものなんだよね? でも、わたしはなにもお願いすることなんてないなあ。だって自分の夢は、自分の力でかなえなくちゃって思うもの」
「まあ、その考えにはぼくも同意するよ。星のしずくはたしかに存在するが、それが本当に願いをかなえた星のなれのはてなのかどうかは、だれにもわからない。願いごとをしたって、必ずしもそれがかなうわけではないからな。星に願いをかけることは、結局は単なるおまじないにすぎないのだと思う」
「マギーったら、夢のないいいかたをするんだから。でも、そうだね……自分の願いや、それをかなえたい気持ちをわすれないようにするために、人は星に願うのかもしれないね。たとえ願いがかなわなくたって、それを星のせいにしようだなんて思わないもの」
真っ黒な夜空には、今も流星がとぎれることなく流れています。
「まあ、どうしても自分の力だけじゃどうにもならないときは、きっと神さまだって、たすけてくれるかもしれないけれどね。わたしが何度も飛行実験に失敗しても、こうして命があるのは神さまのおかげだったりして」
マチーネのことばに、マギーは顔をしかめました。マチーネはそれに気づかず、ベガにたずねました。
「そういうベガは、なにをお願いするの? やっぱり、自分のことがわかりますようにってお願いするのかな」
「ううんと……ぼくも、本当の自分は自分の力で見つけたいって思うから……もっとたくさんの歌や音楽を知れますように、ってお願いしようかな」
自分で歌や曲をつくることが好きなベガでしたが、おなじくらい、だれかの楽器の音色や、歌をきくことも大好きでした。
「じゃあ、わたしはマギーのためにお願いする。マギーが星のしずくを見つけて、魔法の天球儀を使って空を飛べますようにって」
マチーネは目をとじ、流れ星にいのりました。マギーはなんだか、複雑そうな表情をうかべています。
「それで? マギーはなにをお願いするの?」
「ぼくは……今、心の中で願った」
マチーネは眉をあげて、マギーにつかみかかりました。
「なに、それ! ずるい! わたしはちゃんと、教えたじゃない!」
「べつに、願いごとを声に出す決まりなんてないじゃないか。きみが、勝手に声に出していっただけだろ」
本当にいじわるなんだから、とマチーネはすねたようにそっぽを向きました。
そんなマチーネを、マギーはじっと見つめていました。それを見たのは、ベガだけでしたが――そのときのカンテラに照らされたマギーの表情は、とてもせつなく見えたのでした。
「さて。もう夜もおそいし、そろそろ家に帰ろうか」
三人は立ちあがり、丘をあとにしました。
Ⅷ マギーの夢は
次の日。マギーはさっそく、星のしずくをさがしに出かけました。
「ついていってもいい?」とベガがきくと、マギーはすこしおどろいていましたが、「べつにいいけど」とうなずきました。
マギーは分厚くて、なにやらむずかしそうな本をかかえていました。そして、細かなかざりがついた羅針盤を手のひらに乗せて、森の中を行ったりきたりしていました。
「この羅針盤は、強い力を持つ物質に反応するようにできているんだ。しずくという名前だけあって、どうやら星のしずくは水辺のそばによく落ちているらしい……しかしこの小川の付近には、しずくの持つエネルギー反応は感じられない。ということは、このあたりには落ちていないようだ」
ぶつぶつとつぶやきながら、マギーは森の中を歩き続けました。小川につながるちいさな泉や、さらに森の奥にある湖のほうにまで足を運びました。ベガも、それについてゆきました。
マギーはめずらしい植物や、化石を見つけるたびに立ちどまって、かかえていた本で調べたり、しばらく考えこんだりしていました。星のしずく以外にも、森にはマギーの興味を引くものがあふれかえっているのです。マチーネとおなじように、マギーも森が好きなんだとベガは思いました。
ベガはマギーのじゃまをしないように、静かにマギーのとなりで植物をながめたり、森の音をきいたりして、ひとりで楽しんでいました。もちろん、星のしずくが落ちていないかと、ときおり地面を見ることもわすれませんでした。
太陽が空の真上にのぼったころ。マギーとベガは、小川の近くで休むことにしました。お昼ごはんは、マチーネがつくってくれたサンドイッチです。
お弁当箱を広げて、びんに入れたあたたかな紅茶をそそぎました。いいかおりが、辺りにたちこめます。パンにはさまったブルーベリーといちごのジャムが、日の光をあびてきらきらとかがやいていました。
「とっても、おいしそう」
「まずかったことは、一度もないさ」
マギーのいったとおり、すばらしくおいしいサンドイッチでした。今度はお弁当を持って、三人で森の中を歩きたいなあとベガは思いました。ふたりがそれぞれ、好きなように森を歩き回る姿が想像できます。ベガはひとりで、くすりと笑いました。
マギーとベガは、おたがいなにもいわないまま、サンドイッチを食べました。小川の流れる音や、木々のこすれる音が、静かな森に流れています。
こうして、ベガとマギーがふたりきりになるのはめずらしいことでした。いつもベガはマチーネといっしょにいるか、もしくは三人でいることがおおかったのです。
マギーはベガになにか話したほうがいいのか、なにを話せばいいのか、なやんでいました。
「星のしずく、なかなか見つからないね」
先に口をひらいたのは、ベガのほうでした。マギーはすこし、ほっとしたような顔をしました。
「とてもちいさいし、めずらしいものだからな。正直にいうと、ぼくが生きているうちに見つけられるかどうかも、わからないよ。祖父たちも、集めるのにとても長い時間がかかったようだから。よく、八つも見つけたものだ」
サンドイッチをかじって、マギーはつぶやきました。
「マギーが空を飛ぼうとしているのも、それがお父さんの夢だったから?」
ベガがたずねると、マギーは首をふりました。
そして、ぽつりぽつりと話し始めました。
「……ぼくはマチーネのように、夢を持っていない。夢をかなえたいという、熱い気持ちがないんだ。魔法の研究は好きだけれど、それだってもともとは祖父が教えてくれたから、なんとなく続けてきただけだ。ぼく自身が、どんなことを研究して、どんな道具をつくりたいのか……まだ、よくわからない」
そんなマギーの手をとったのが、マチーネでした。幼いころのマチーネは、にっこり笑ってマギーにいったのです。
「それなら、マギーの夢も空を飛ぶことにすればいいよ!」
空を飛ぶ? このぼくが? じょうだんじゃない、とマギーはいおうとしました。けれどマチーネのかがやく笑顔を見ていたら、なにもいえなくなっていました。
「マギーが本当の夢を見つけるまで、わたしとおなじ夢を持っていて。そのほうが、わたしもがんばろうって思えるもん。それでいつか、いっしょに空を飛ぶんだ。雲の上まで、お日さまにだって手がとどくぐらいにね。ひとりだったら心細いけれど、ふたりならどこにだって行けると思うんだ」
そのときのマチーネの手は、とてもあたたかなものでした。
その日から、マギーの夢は空を飛ぶことになったのです。空を飛ぶために、魔法の研究をしようと決めたのでした。マチーネが飛行機をつくっているとなりで、あのふしぎな天球儀をつくり続けていたのでした。
「マチーネのつくってきたものは、たしかに失敗作ばかりだった。本人が苦労してつくったものも、ほかの人たちにとっては、がらくたも同然なんだよ。ぼくは何度も、マチーネがだれかにばかにされているのを見てきた」
マギーは顔をあげて、目の前の小川を見つめました。ちいさな魚のかげが、すきとおった水の中でゆれていました。
「それでも……マチーネは、いつだって自分を信じている。あきらめずに、できないことをできるようにしようという気持ちがある。それは、ぼくにはない気持ちだ。ぼくができないことを、マチーネは平然とした顔でやってのけてしまう」
そのときのマギーのことばは、いつものマチーネの飛行機をばかにしたいいかたとは、すこしちがったようにきこえました。マチーネにたいして、あこがれをいだいているようにベガにはきこえたのです。
ベガは、マギーに問いかけました。
「マギーは、マチーネの飛行機は飛ばないっていうけれど。本当に、そう思うの? ずっと、マチーネがなにかをつくってきたのを、そばで見ていたんだよね? マチーネが、ずっとがんばってきたのを見ていたんだよね?」
「……いつかは、飛ぶとは思うさ。あきらめずに、何度も挑戦し続ければ。今ある機械や魔法の道具だって、みんなだれかがあきらめずにつくり続けたからこそ、できたものなんだから。……ただ、マチーネにはひとつ問題がある。失敗をおそれていないことだ。それが、どんなにきけんなことか、まるでわかっていない」
マギーは重い口ぶりで、そうこたえました。その姿は、なにかをおそれているように見えました。
ベガはだまりこんで、小川を見つめました。
しばらくたって、やがてベガはそっとつぶやくようにいいました。
「でも……ぼくはマチーネのことも、マギーのこともすごいなって思う。もしふたりがつくったもので、ひとが空を飛べるようになったら、世界はもっとよくなるよ。ふたりのつくった空飛ぶ道具が、きっとたくさんのひとたちをたすける日がくるよ。そうなったら、ぼくはうれしいな」
どこか辺境の地でだれかが病気になっても、空を飛ぶことができれば、お医者さんがそこまで行くことができます。遠くはなればなれになっている人たちも、会うことができるようになるのです。たくさんの人が、山や海をこえることができるようになるのです。
マギーはまじめな顔つきで、こたえました。
「そういう世界になれば、ぼくだってうれしい。けれど、世の中にはばかなやつっていうのが、すくなからずいるんだ。そういうやつらが使うと、せっかくの道具が悪いものになることもある。
たとえば空を飛べるようになったことで、どこかの国が遠いちいさな国を攻め落とそうとするかもしれない。それまでかかわることのなかったはずの国が、敵同士になる可能性だってあるんだ。空を飛ぶことさえなければ、つい昨日まで、おたがいに平和だったはずなのに」
「そんな……」
ベガは、うつむきました。ふたりがつくった道具が、そんな使われかたをされるなんていやだと思いました。だれかが争っているのも、見たくないと思いました。
「道具は、人を助ける。その一方で、人を不幸にしてしまうことだってある。道具をつくったり、新しいものを発明する人は、つねにそのことを考えていなければならない。どんな人が、どんなふうにぼくがつくった道具を使うのか。その道具が、だれかを傷つけたりしないだろうか。そういう可能性を考えることは、研究者や発明家としての、責任であるとぼくは思う」
マギーは、自分の手のひらを見つめました。
「ぼくがこれから、魔法の研究をどう生かしていけるのか――それは、まだわからない。けれど、ぼくが研究しているものはみんな、だれかを助けるためのものであってほしい。マチーネの、飛行機もだ」
マギーはベガのほうへとふりむき、すこしだけ笑いました。
「なぜだろうな。ベガといると、いろいろと話しすぎてしまう。ぼくは人と話すのは得意じゃないし、愛想もよくない。マチーネがいうように、いじのわるい性格なんだ。けれどきみには、なんだか自分の気持ちを話せてしまう。こんなにも、自分のことを話したのははじめてかもしれない」
からになったお弁当箱を包んで、マギーは立ちあがりました。
「ぼくはもうすこし、星のしずくをさがしてみる。まだ、飛行機は完成してないんだろ。ぼくはひとりでいいから、きみはマチーネところに行くといいよ。きみと出会ってから、マチーネは毎日楽しそうだ。まあ、前から能天気なやつだけどさ」
ベガも立ちあがり、マギーにほほえみました。
「マギー。あなたは、いじわるなんかじゃないよ。本当は、とてもやさしいんだ」
ベガの星のような瞳に見つめられて――マギーは心がゆさぶられるような、そんな気がしたのでした。
そして――とつぜん、その日はやってきました。
「最後の、星のしずくを見つけた」
マギーがつぶやくように、いいました。そのことばに、マチーネもベガもぴたりとかたまりました。
Ⅸ すれちがい
「星のしずくを見つけたって……じゃあ、マギーはもう空を飛べるようになったってこと?」
「ああ。全部で九つの星のしずくが、今ぼくの手もとにある」
マチーネは、目をぱちくりとさせました。マギーはどうしてだか、あまりうれしそうには見えませんでした。どちらかというと、こまったような顔をしていました。
「今朝、井戸に水をくみに行ったとき……そこで光るものを見つけた。拾ってみたら、それが星のしずくだったんだ。まさか、こんな近くに落ちていたなんて思わなかった」
「すごい! ひょっとしたら、マチーネのお願いごとをきいた流れ星が、しずくとなってマギーのところにきたのかもしれないね」
歌うように、ベガがいいました。そのとなりで、マチーネは肩を落としています。
「ということは、勝負はわたしの負けかあ。わたしの飛行機、まだできていないもん。ベガは天球儀でよびだした、星座の天馬に乗って山脈をこえることになりそうだね」
そういったマチーネの声は、悲しいものではありませんでした。もちろん、勝負に負けたのはくやしかったのですが、それよりもただすなおに、マギーの道具が完成したことがうれしかったのです。
しかしマギーのほうは、うかない顔をしています。
「マギー、あんまりうれしそうじゃないみたい。どうして?」
「え? ああ、まあ……天馬をよびだせたら、ベガとも別れることになるしな」
マギーのことばに、マチーネははっとしました。
「そうか。空を飛べるようになったってことは、ベガとはもうお別れなんだね。この家からベガがいなくなるなんて、なんだか信じられない……」
マチーネは思わず、ベガをだきしめました。
「ベガ、ここまでいっしょに飛行機をつくってくれてありがとう。わたしのほうは、完成させることはできなかったけれど……」
じつは、飛行機はほぼ完成というところまできていたのです。そして、今までで一番の自信作でした。あとは、マチーネ自身が飛行機に乗って、飛べるかたしかめるだけだったのです。
「マチーネ……ぼく……」
ベガはおずおずと、マチーネを見あげました。かわいらしい眉をよせて、悲しそうな顔をしています。
マチーネはほほえみながら、首をふりました。
「気にしないで。ベガだって、はやく山脈をこえたいでしょう。東のはてにたどりついて、自分が何者なのか知りたいでしょう。それが今のあなたにとって一番大切で、やるべきことなんだから。だからわたしに遠慮しないで、天馬に乗って山脈をこえて。あなたに会えて、本当によかったよ」
そうはいったものの、心の中ではベガに自分の飛行機に乗ってほしかったとマチーネは思っていました。ベガと出会ってからは、ベガのために飛行機づくりを続けていたのですから。
マギーはうかない顔のまま、口をひらきました。
「明日……集めた星のしずくを使ってみようと思う」
「わかった。じゃあ、今日の夜が、ベガといっしょにすごせる最後の夜になるんだね。おいしいお料理を、たくさんつくってあげる」
「ありがとう……」
ベガはうれしそうに、はにかみました。
いつもよりすこしだけごうかなご飯を食べて、いつもどおりに楽しくおしゃべりをして、そうしてねむりにつきました。
明日には、ベガはこの家を出てゆくのです。このまま、三人で過ごす日々は終わりを告げるのだと、だれもが思っていました。
「マギー! 大変だよ、マチーネがいないんだ」
次の日の朝早く、ベガはマギーの部屋に転がるようにかけこみました。
マギーは、のろのろと起きあがります。マチーネとちがって、マギーは夜おそくまで本を読んだり書き物をしていることがおおいので、いつもこの時間はまだねむっているのでした。
目はまだ半分とじたまま、マギーはおおきなあくびをしました。
「なんだって? まだ、太陽だって出たばかりじゃないか。こんな朝っぱらから、マチーネはどこでなにをやってるんだ」
「マチーネだけじゃないよ。つくりかけの飛行機もないんだ……」
ベガのことばに、マギーの眠気は一気にふきとびました。顔から血の気が引いてゆくのが、自分でもわかりました。
「まさか、ひとりで飛行実験に行ったのか?」
マギーは眉をよせ、いそいでベッドからおりると、寝巻きのまま家を飛び出しました。ベガも、それを追いかけます。
早朝の森には、もやがかかっていました。太陽もまだのぼりきっていないので、あたりはうす暗く、一歩先ですらよく見えません。
歩くだけで大変だというのに、こんな中でマチーネは空を飛ぼうとしたのでしょうか。マギーの顔は、ますますけわしくなってゆきました。
森をぬけて、マギーとベガは丘までやってきました。マチーネがいつも飛行実験をするときは、決まってこの丘であることをマギーは知っていました。
丘をすこしくだったところに、マチーネの飛行機があるのが見えました。そのそばで、マチーネがうずくまっています。
「マチーネ!」
マギーとベガはさけんで、そばへとかけよりました。マチーネはふたりに気がつくと、気まずそうに笑いました。
「ごめんね。さがしにきてくれたの?」
マチーネのズボンは破けて、そこから血が流れていました。マチーネのズボンは、何度も縫い直されたあとがありました。飛行実験をするたびに、どこかしら破けてはけがをしていたのです。
「たいへんだ、いそいで手当てをしなくちゃ!」
「これぐらい、平気だよ。かすり傷だもん」
心配ないよというふうに、マチーネは笑っています。けれどその額からは、汗が流れていました。
「……また、飛行実験をしたのか? むだだからやめろって、前にいったよな?」
マギーはけわしい表情をかえぬまま、マチーネを見おろしました。とてもこわい顔をしていました。
マチーネはマギーの表情にひるむことなく、いいかえしました。
「だって、今日でベガとさよならだから。わたし、どうしてもベガに飛行機が飛ぶところを見てほしかったんだ。これまで、いっしょにつくってきたんだもの。ひょっとしたら飛べるかもって思ってやってみたの。そうしたら、なんと飛べたんだよ! 今までで、一番高く飛べたの! ついにわたしの飛行機、完成したんだよ!」
「じゃあ、どうして足をけがしているんだ。どうせ、またすぐに落ちたんだろ。けがをしたなら、成功とはいえない」
マギーの声は、とてもつめたいものでした。
「それは……」
だまってしまったマチーネの顔を、ベガも心配そうにのぞきこみます。
「むりをしたらだめだよ、マチーネ」
「平気だってば。わたしの体はとてもじょうぶだからね。はじめて空を飛ぼうとしたときも、屋根から落ちたんだけどね。そのときだって、ちょこっとけがをしただけだったんだよ。それより、飛行機のほうが心配」
マチーネは体をひねって、飛行機のほうを見ました。ところどころ部品がはずれてはいましたが、こわれてはいませんでした。
「よかった。飛行機は無事みたい。もう一度やってみるから、見ていてほしいんだ。もうすこし太陽がのぼって、霧が晴れたら、うまくいくと思う。さっきはちょっと、視界が悪かったの」
「だめだよ。足を治すのが先だよ」
「だいじょうぶ! さっきはすこしのあいだだけれど、本当に飛べたんだ。もう一度飛んでみるから、見ていてほしいの」
マチーネはベガのことばもきかずに、けがをした足をひきずって、もう一度飛行機に乗りこもうとしました。
「いいかげんにしろ!」
とつぜん、マギーが声を荒げました。だれもいない丘に、マギーの声がひびきわたりました。
マチーネもベガも、びくりと肩をふるわせました。口数のすくない、おとなしいマギーからは想像もできないほど、おおきな声でした。
「どうして、わからないんだ。何度やったって、きみの飛行機は完成なんてしないんだよ。人の足の力で、空を飛ぶなんて不可能なんだ。どれほどがんばったって、力の限界っていうものがある。あきらめなきゃいけないことだってあるんだよ。
きみが絶対成功させるなんていいはじめてから、どれほどの月日が経ったと思っているんだ? その〈絶対〉が、一度でも本当になったことなんてあったのか? きみの飛行機は、いいや、きみが今までつくってきたものなんて、なんの役にも立たなかった。いつもだれかにめいわくをかけて、そして笑い者にされてきただけなんだよ。ぼくが一番、それをわかってる。空を飛ぼうだなんて……もう、そんなばかばかしい夢を持つのはやめろ!」
辺りが、しんと静まりました。
マチーネは、目を見ひらきました。そのまま、しばらくなにもことばが出てきませんでした。口の中が、からからにかわいてくっついてしまったような感じがしました。
マギーはうつろな目をして、じっとマチーネを見つめています。こんなにも近くにいるのに、自分とマギーとのあいだには、見えない分厚い壁があるようにマチーネは感じられました。
やがて、ようやく静かな声で、マチーネはいいました。
「……そっか。やっぱり、マギーもわたしのこと、そんなふうに思っていたんだ。
わたしね、あなたに飛行機は飛ばないってばかにされても……それはきっと、マギーの本当のことばじゃないんだって、いつも自分にいいきかせていたの。本当は、わたしのことを応援してくれているんだって信じてた。だって、ちいさなころはいつも、マギーはわたしの発明品をそばで見てくれていたじゃない。おばけ退治にだって、いっしょにきてくれたじゃない……。
でも、それは全部、わたしのかんちがいだった。あなたも、わたしをばかにするほかの人たちとおなじだったんだね」
マチーネは立ちあがりました。足の血はまだとまってはいませんでしたが、マチーネは気にもなりませんでした。
マギーから目をそらさないように、見つめかえしました。
「ねえ。わたしが夢を追っているのって、そんなにむだなことだと思う? 失敗しても、あきらめずに続けることって、そんなにおかしいの? みんなからばかにされて、笑われて、だれにもわかってもらえなくて……気にしていないふりをしていただけで、本当はわたし、とても心細かった。わたしがやっていることって、まちがっているのかなって不安だった」
マチーネは、力強くこぶしをにぎりしめました。爪が手のひらに食いこんで、血が出てしまいそうなほどに。
マギーはただ、だまっていました。それがもどかしくて、マチーネは早口で続けました。
「ずっと、空を飛ぶ夢なんてばかばかしいって思っていたんでしょう? いつかいっしょに空を飛ぼうだなんて……そんなの、かなうはずなかったんだ。だって最初から、マギーはそんなつもりなんてなかったんだもの!」
「マチーネ、ちがうよ。マギーは、本当は……」
ふるえる声でそういったベガを、マチーネは見おろしました。いつものマチーネからは想像もできない、暗いかげがさした目をしていました。
「ベガはだまってて。あなたはわたしたちのこと、なにも知らないんだから」
低い声に、ベガは体がすくむのを感じました。
マチーネはふたたび、マギーに目を向けました。
「わたしは、飛行機づくりをやめない。それをやめたら、この気持ちをなくしてしまったら、わたしがわたしでなくなってしまう気がする。……夢がないあなたには、一生わからないだろうけどね」
そのことばを口に出した瞬間、マチーネは心が深くつめたい水の底にしずんでしまったような、そんな感覚におそわれました。
「……勝手にしろ。もう、ぼくからきみにいうことはなにもない。きみひとりで、夢でもなんでも追いかけていればいいさ」
たったそれだけ、マギーはつぶやきました。
マチーネは今にも泣きそうな顔で、マギーをにらみつけました。
「そう。わかったよ。マギーなんて、だいきらいなんだから」
はきすてるようにこたえて、マチーネは早足で歩き出しました。大切な飛行機も、マギーのことも丘に残したまま。
「マチーネ、まってよ!」
ベガはさけんで、マチーネの背中を追いました。
ベガが双子の家へともどると、マチーネは自分の部屋の机につっぷしていました。いつもきれいに編まれていた三つ編みは、ぐしゃぐしゃにからまっていました。
「マチーネ……」
ベガはそっと、マチーネに声をかけました。マチーネはつっぷしたまま、ベガにたずねました。
「ベガ。あなたも、わたしの飛行機は飛ばないって思ってた? わたしのしていることは、むだなことだと思ってた?」
「そんなことないよ。だから、ぼくはいっしょに飛行機をつくったんだ」
マチーネは顔をあげて、ベガを見つめました。その目が、赤くなっていました。
「でも、飛ばなかった。わたしがやったことは、なんの意味もなかった……あなたのために、飛行機をつくりたかったのに。あなたを助けてあげたかったのに。あきらめたくないなんていったけれど、本当はマギーのほうが正しいってわかってる。わたしがつくってきたものは、みんななんの役にも立たないって、自分でもわかってるの……」
「マチーネ……足のけがが治ったら、もう一度、飛行機をつくってみようよ。ぼく、それまでここにいるよ」
ベガがいいましたが、マチーネは首を横にふりました。
「もう、いいの。あなたにこれ以上、めいわくはかけられない。それに今さら飛行機をつくったって、わたしがマギーとの勝負に負けたことにかわりはないんだから。だから天馬に乗って、山をこえて。……もう、出ていって」
マチーネはそれきり、また机につっぷしてしまいました。ベガは、マチーネにかけることばが見つかりませんでした。
ベガはそっと、マチーネの部屋をあとにしました。家の中は静かで、ひんやりとしていました。マギーの部屋の扉は、かたくとじられていました。
ベガはマチーネの部屋の前に、足のけがを治せる薬草を置きました。
そしてそのまま、双子の家を出てゆきました。ふたりにさよならすら、いうことができぬまま。
Ⅹ 雨の中で
いつのまにか、雨がふっていました。小鳥のさえずりも、動物の鳴き声もありません。しとしとと葉をうつ雨の音だけが、静かにきこえていました。
ぬれるのもかまわずに、ベガは雨の森を歩きました。
ベガは、ひどく心がいたむのを感じていました。
(ぼくのせいで、マチーネとマギーがけんかをすることになっちゃったんだ)
自分がいなければ、マチーネがあんなにもあせって飛行機で空を飛ぼうとして、けがをすることもなかったかもしれません。マギーが、あんなふうにマチーネにどなることもなかったかもしれません。そもそも、ふたりが勝負をすることだってなかったはずでした。
自分は、ふたりの仲を引きさくきっかけとなってしまったのです。それなのに、ふたりをとめることができなかった自分がいやでした。
マチーネのいうとおり、ベガはマチーネのことも、マギーのこともちゃんと知っていたわけではありません。ふたりがちいさなころのことだって、ベガにとっては知るよしもないことです。
それでもすこしのあいだ、本当の家族のように仲よくなれて、ベガは幸せでした。ふたりのことが大好きでした。ふたりのためになにかしてあげたいと、いつも思っていました。
けれど、マチーネに「出ていって」といわれたとき。自分はもう、あの家にいてはいけないような気がしたのです。自分はただのじゃま者なのだと、そういわれているような気がしたのです。
雨にうたれながら、ベガは東をめざしてとぼとぼと歩き続けました。丘には、マチーネの飛行機がそのまま残されていました。雨の中で、乗る人をいつまでも待っているようでした。
マチーネは、もう一度この飛行機に乗るでしょうか――ベガには、わかりませんでした。ベガは飛行機の前を通りすぎ、ふたたび森の中を歩き続けました。
ベガは、旅のあいだに出会ったひとたちのことを思い出しました。
出会ったすべてのひとたちが、いいひとだったわけではありません。森でマギーがベガにいったような、よくないことを考えたり、だれかを傷つけようとするひともいたのでした。
それでも、ベガの心には出会ったひとたちの笑顔や、やさしさが残っていました。ベガを心配してくれたり、助けてくれたり、手をさしのべてくれました。 すべての出会いが、ベガにとって大切なものでした。
自分のせいで、だれかの仲が悪くなったのははじめてのことでした。
心がこわれてしまいそうでした。こんなふうになるぐらいなら、マチーネとマギーに出会わなければよかったとすら思いました。
どれぐらい歩いたのでしょう。そのとき、雨の音にまじって、かすかな泣き声がきこえました。だれが泣いているのでしょうか。ベガは立ちどまり、じっと耳をかたむけました。そして泣き声のきこえるほうへと、すこしずつ足を運びました。森は、さらに深くなってゆきます。
そして、ベガは声の主を見つけました。木の下で、女の子が泣いているのです。ベガよりも、さらにちいさな女の子でした。
ベガは女の子のそばによりました。「どうしたの?」と声をかけましたが、女の子は泣き続けるばかり。なにもこたえてくれません。
(どうしよう……)
おいしげる葉のおかげで、雨にあたることはありませんでした。けれどこのまま、女の子を放っておくわけにもいきません。
ベガは女の子のとなりに、そっとすわりました。女の子はまだ泣いています。ベガは途方にくれながら、ただ女の子のそばにいるしかありませんでした。
(……こんなとき、マチーネだったらきっと、やさしく声をかけるんだろうな。ぼくをたすけてくれたときみたいにね。マギーだったら……きっとなにか、ふしぎな道具を使ってみせて、この子を泣きやませようとするのかも)
ベガはうつむきました。
(でも、ぼくにいったいなにができるの? だって、この子に「ここはどこ?」ってきかれても、ぼくはこたえることができない。「あなたはだれ?」ってきかれたって、こたえることができないんだ。ぼくは自分のことすら、わからないんだもの)
なおさら、ベガは自分が無力であることを感じました。自分よりちいさな、弱い命を助けることができないのがくやしくなりました。
(……ぼく、生きている意味なんてあるのかな。たとえ、自分が何者なのかわかったとしても……もし、ぼくになんの力もなかったら? だれのことも、たすけることができなかったら……ぼくはどうすればいいんだろう。どうして、生まれてきたんだろう)
ベガはふたたび、うつむきました。すると、肩からさげていたハーディ・ガーディが目にとまりました。楽器に手をのせます。
そのとき、ベガは楽器の声をききました。もちろん、楽器が本当にしゃべったわけではありません。けれどふしぎと、楽器が「ひきなさい」と心に語りかけてきたような、そんな気がしたのです。
(……これは、ぼくが持っているただひとつの道具だ。どうして、これを持っていたのかはわからないけれど。これはぼくにとっての、ただひとつの道具なんだ……)
ベガは泣いている子のとなりで、そっとハーディ・ガーディのハンドルを回しました。やわらかな音色が、森の中にひびきます。
女の子が、はっと顔をあげました。なみだにぬれたその目で、ベガの顔を見つめています。
ベガはほほえんで、ハーディ・ガーディをひき続けました。やさしくて、ゆっくりとした曲を奏でました。
自分でつくった曲以外で、ただひとつの知っている曲でした。どこで知ったのか、だれがつくったのかもわからないけれど、生まれたときから知っているような、そんな曲のような気がしていました。
女の子は、しばらくその音色をきいていましたが、やがて泣きやむと、そのままねむってしまいました。ベガにぴとりと、体をよせるようにして。
ベガは、ほっと息をはきました。ひとまず、この子を泣きやませることができたのです。とにかく、今はただそばにいてあげようと思いました。
いつのまにか、雨はやんでいました。木々のあいだから夕日がさしこんでいます。森全体が、オレンジ色にかがやきました。その美しさに、ベガは思わず見とれました。
しかしそれはあっというまのできごとで、すぐに森の色は、深い青へとかわってしまいました。このままここにいたら、いよいよ夜になってしまいます。熊やおおかみが出てくるかもしれません。
女の子はまだねむっています。ベガは不安になってきました。急に手先がつめたくなって、体がふるえだしました。
そのとき、遠くにちいさな明かりがひとつ見えました。明かりは、すこしずつこちらへと向かってきているようでした。
ベガはその明かりに見おぼえがありました。火ほど強い光ではない、あたたかな光。それは――。
「マギー!」
明かりの正体はマギーでした。マギーが持っているカンテラの中には、あの光る水晶が入っていました。
「ここにいたのか。夜になるまえに、見つけられてよかった……きみの楽器の音色がきこえたから、ここにいるってわかったんだ」
マギーはずっと、ベガのことをさがしていたのです。マギーの髪や服は、雨でぬれていました。
「どうして、ぼくをさがしにきてくれたの……?」
「きみが山脈をこえられるように協力するって、約束したじゃないか。それにその……まだ、さよならもいっていなかっただろ。もう一度、ぼくたちの家にきてくれないか。マチーネも、きみのことを待ってる。足をけがしているのにさがしに行こうとしたから、むりやり部屋におしこめてきたけどな」
ベガの瞳がゆれました。
「でも、ぼく、ふたりに悪いことをしちゃったのに……」
「なにをいってるんだ。悪いことをしたのは、ぼくたちのほうだよ。ぼくたちがけんかをしたから、きみがあの家にいづらくなってしまっただろ。きみより、ぼくたちのほうが大人だというのに情けないな。……ごめん」
ベガは、強く首をふりました。なみだが流れてしまいそうになるのを、必死でこらえました。
「ぼくのほうこそ、ごめんなさい。ふたりに、ありがとうもさよならもいわずに家を出てきちゃったから。暗くなってきて、これからどうしようって、不安だったんだ。でも、マギーの顔を見たら、とても安心したよ。ぼくをさがしにきてくれてありがとう」
ベガは、精一杯の笑顔をうかべました。マギーはすこし照れたように顔を赤くして、頭をかきました。
「ところで、その子はだれなんだ?」
「ここで、泣いていたんだ。今は、ねむっているけれど……ぼくひとりじゃ、なにもできなかった。この子のことを、たすけてあげてほしいんだ」
マギーはうなずき、そっと女の子をだきあげました。そしてベガの手をとり、自分の家へと向かってゆきました。
「天球儀で、天馬をよびだしてみた?」
手をつなぎながら、ベガはマギーの背中にたずねました。
「いいや。そんなものより、きみをさがすことしか頭になかった」
ふりかえらないまま、マギーはそうこたえたのでした。
「ベガ! よかった、もどってきてくれたんだね」
双子の家にもどるなり、マチーネが立ちあがりました。足にはちゃんと、包帯がまかれていました。
「マチーネ……足はだいじょうぶ?」
「平気だよ。あなたが、薬草を置いていってくれたでしょう。あれのおかげで、もうほとんどいたくないの。ベガは本当にすごいよ。あなたはこうやって、たくさんの人を助けてきたんだね」
ベガは思わず、マチーネにしがみつきました。マチーネはやさしく、だきしめてくれました。
「ごめんね。あなたのことを悲しませてしまって。わたしってば、あなたに『出ていって』だなんて、ひどいことをいってしまった。けれどいざ、ベガがいなくなったら、わたし……胸が苦しくて、はりさけそうだった。本当にごめんなさい。わたしのこと、ゆるしてくれる?」
「もちろんだよ。ぼくのほうこそ、ごめんなさい」
マチーネとベガは見つめあって、そうしておたがい、ほほえみました。
「マギーとは、仲直りした?」
ベガがたずねると、マチーネはこまったような顔をしました。
「じつをいうと、まだなの。でも、これは本当に、わたしたちの問題だから、あなたが気にすることないからね」
ベガにそうささやいて、マチーネはマギーのほうを見つめました。
「マギーには、いろいろといいたいことがあるけれど……まずは、これをきかないといけないみたい。その、あなたの腕の中にいる子はだれ?」
「ベガが、森で泣いているのを見つけたらしい」
マギーはそっと、女の子をベッドにねかせました。
「ひとまず、この子が目をさますのを待とう」
Ⅺ 本当の気持ち
やがて、女の子が目をあけました。女の子はおびえたように、みんなを見あげます。
マチーネはやさしい声で、女の子に声をかけました。
「だいじょうぶ。こわがらなくていいからね」
その声にほっとしたのか、女の子はちいさくうなずきました。
「あなたのお名前は?」
「……ターニャ」
「ターニャは、どこからきたの?」
「ずっとずっと、とおくから」
「どうして、木の下で泣いていたの?」
さらにマチーネがたずねると、ターニャはくしゃりと顔をゆがめました。
「……おかあさんが、しんじゃうの」
ターニャのことばに、みんなの表情がこわばりました。
ターニャの家族は、お母さんただひとりでした。けれどそのお母さんが、重い病気にかかってしまったのです。
ターニャの住む村には、お医者さんがいませんでした。それに、お医者さんをよぶお金もありませんでした。だからターニャ以外の村の人たちは、もう助からないだろうとあきらめてしまったのです。
ターニャは泣きじゃくりながら、話し続けました。
「あのね、夢をみたの。お星さまが、きらきらかがやきながらふってくる夢。それでね、おちてきたお星さまを七つあつめたら、お星さまがきれいなひしゃくになったの。そのひしゃくからは、水があふれつづけるんだよ。その水をおかあさんがのんだら、病気がなおったんだ。だからわたし、お星さまをあつめるために、ここまで歩いてきたの」
それをきいて、みんなは顔を見あわせます。ターニャの夢の話は、マギーの天球儀の話にとてもよく似ていました。
「それって、マギーの天球儀を使えば、ひしゃくをつくれるってことじゃない? きっと、そうだよ。神さまが、ターニャをここまで導いたんだ」
明るい声で、マチーネがいいました。けれどターニャは、まだ顔をゆがめたまま。
「このあいだ、空にいっぱいお星さまが流れていたでしょ? だから、もしかしたらお星さまが落ちてるかもしれないって思って、ずっとさがしていたの。でも……ひとつも見つけられなかった。このままじゃ、おかあさんがしんじゃうよ」
ターニャは、わっと泣き出してしまいました。
ターニャの両手は、かわいそうなほどにまで傷だらけで、爪のあいだにも土が入りこんでしまっていました。
マチーネはそっと、ターニャの背中をなでてあげました。
「よしよし。だいじょうぶ、泣かないで。神さまは、あなたを見捨ててなんかいないよ。だって、星のしずくはここにあるんだもの。しかも、九つもね! あなたにひしゃくをつくったって、ふたつもあまるんだから」
見て、とマチーネはマギーの手のひらを指しました。ちいさな星のしずくが九つ、かがやいています。ターニャはなみだでぐしゃぐしゃになった顔をあげて、じっとそのしずくを見つめました。
「わあ、とってもきれい……でも、これはみんな、おにいちゃんのものでしょ? 大切なものだから、もらえないよ」
「いや、それは……」
マギーはこまったように、眉をよせています。口ごもっているマギーを、マチーネはきっとにらみつけました。
「なに、まよってるの。まさかあなた、ひしゃくよりも天馬をよびだしたいだなんていわないよね。だれかを助ける道具をつくれっていう、おじいちゃんのことばをわすれたの? 星のしずくは、また集めればいいじゃない」
「ぼくからもお願いだよ。どうか、ターニャにひしゃくをつくってあげて」
マチーネのとなりで、ベガもマギーを見あげていいました。マギーは手の中の星のしずくを見つめ、しばらくだまっていましたが、やがてうなずきました。
「わかった。天馬はあきらめて、ひしゃくをつくる」
マチーネとベガは、ほっと笑みをうかべました。
しかし、マギーはことばを続けました。
「……マチーネが、もう二度と空を飛ぼうとしないのなら。飛行機をつくらないって約束するなら、星のしずくはターニャにゆずるよ」
マチーネの顔から、血の気が引きました。
「どうして……どうして、そんなことをいうの? ターニャを助けることと、わたしの飛行機は、なにも関係ないじゃない。自分が天馬をよびだせなくなったから、わたしにも飛行機をつくらせたくないってわけ?」
「ちがうよ……そうじゃない」
マギーは顔をふせながら、そうこたえました。けれどマチーネはマギーをにらんだまま、つめよりました。
「なにがちがうの。そうなんでしょう。いったい、どこまでわたしのじゃまをしたら気がすむの? 夢を追うわたしが、そんなに気に食わない?」
「そんなこと、いってないだろ。そうじゃなくて……」
「もう、いい。あなたが、そこまでいじわるだったなんて思わなかった。そこまで、わたしのことがきらいだったなんて思わなかった! 昔のマギーは、もうどこにもいない。なまいきだけれどやさしかった、わたしが好きだったマギーは、もうどこにもいないんだ。人も自然とおなじように、いつかはかわっていってしまうってことが、よくわかったよ!」
マチーネはマギーの手をつかみ、むりやり星のしずくをうばおうとしました。
「やめろ、はなせ!」
マギーがさけびましたが、マチーネは手をゆるめませんでした。
「マギーの思いどおりになんてさせない。ひしゃくはつくるし、飛行機づくりもやめないんだから! はやく、このしずくをよこしなさい!」
マチーネもさけんで、マギーの手をつかむ力を強めました。ふたりの声は、さらにおおきくなってゆきます。
「ふたりとも、やめてよう……」
ベガがおそるおそる声をかけましたが、ふたりはきく耳を持ちません。
ターニャがおびえたように、体をちいさくすぼめました。その目には、またなみだがたまってしまっています。
それを見て――ベガの瞳に、強い光が宿りました。ターニャのことを守るようにして、双子の前に立ちふさがりました。
「ふたりとも、やめてってばー!」
ベガはさけんで、思わずハーディ・ガーディのハンドルを勢いよく回しました。おおきな和音が、部屋中にひびきわたりました。
双子ははっとして、そして同時にベガを見ました。
「やめて! ターニャがこわがってるよ! ぼくだって……ふたりがけんかをしているところなんて見たくない! ぼくはそのために、ここにもどってきたわけじゃないんだよ!」
ベガのことばに、双子はだまりこみました。ベガはさけぶように、マチーネにいいました。りんとした、よくとおった声でした。
「マチーネ、マギーからむりやり星のしずくをうばうなんてだめだよ! ぼくの知っているマチーネは、そんなことしない。ターニャだって、そんなふうにして手に入ったひしゃくをもらったって、うれしいはずがないよ!」
そして、今度はマギーを見あげました。
「マギーだって。前にぼくと森に行ったときは、ちゃんと自分の気持ちを話していたじゃないか。マチーネの飛行機はきっと飛ぶって、ぼくにいっていたじゃないか。どうして、それをマチーネにいってあげないのさ!」
それをきいて、マチーネはびっくりしたように目を見ひらきました。
「うそ。あのマギーが? わたしの飛行機が、ちゃんと飛ぶっていったの?」
「そうだよ! マチーネはどんなときもあきらめないって、マチーネの飛行機がいつか人をたすける道具になってほしいって、はっきりいっていたんだ。マギーは本当は、マチーネのことをばかになんてしてないんだよ!」
「や、やめてくれ! そんなこと、話さなくていい!」
マギーは顔を真っ赤にして、ベガをとめようとしました。けれどベガはきかずに、ひたすらにまくしたてました。息が切れるまで、ベガがとまることはありませんでした。
やがてベガは深く息をはいて、ぽつりとちいさな声でつぶやきました。
「マチーネ……どうか、マギーの話をきいてあげて。マギーも……本当の気持ちを、マチーネに話してよ。ふたりの仲が悪いままなんて、このままなんて、ぼくはいやなんだ」
双子は、しばらくだまっていました。マチーネもマギーも、うつむいています。
先に顔をあげたのは、マチーネのほうでした。
「……わかった。わたし、ちゃんときくよ。だから教えて。どうして、マギーがわたしの飛行機づくりをやめさせようとするのかを」
マチーネは、まっすぐにマギーを見つめました。マギーは道にまよった子どものように、目を泳がせていましたが、やがて決意したのか、重い口をひらきました。
「……きみは飛行機をつくるたびに、どこかしらけがをして帰ってくる。さっきもそうやって、足をけがしただろ。けがですんでいるのは、まだ飛行機がそこまで高く飛んでいないからだ。けれどこれが、山をこえるぐらいの高さになったらどうなる? 成功するならいいさ。でも、失敗したら? そんな高さから落ちたら、まちがいなく無事ではすまないだろ。落ちたときに、骨が折れるかもしれない。木の上に落ちて、枝が目にささって、目が見えなくなるかもしれない。それだって、まだましなほうだ。もし――」
そこまでいって、マギーは口をとざしました。その顔が、ひどく青ざめていました。
マチーネはだまったまま、マギーの話をきいていました。
「……きみが、絶対成功すると信じるのは勝手だけれどさ。それで失敗して、きみがいなくなったら――残された人はどうなるんだ? ぼくは、絶対に成功するなんてことばは、信じられないんだ。いつか、とりかえしのつかない日がくるんじゃないかって――ぼくは毎日、それをおそれている」
マギーの声は、とてもちいさなものでした。それでも、マチーネにはしっかりときこえていました。
マチーネはしばらくのあいだ、じっとマギーのことを見つめていました。
マチーネは、静かに問いかけました。
「もしかして……それで、わたしの飛行機をばかにしていたの? わたしのことを心配していたから、ひどいことばをかけて、あきらめさせようとしていたの?」
「ああ、そうだよ。……きみが、はじめて飛行実験をしたときのことだ。父さんと母さんにだまって、屋根から飛んで、落ちてけがをして……きみ自身は、けがをしたってぴんぴんしていたけれど。ぼくは平気じゃなかった。そのときから、ぼくは飛行機づくりをやめさせようと思っていたんだ。……このままでは、きみがぼくの前からいなくなると思ったから」
マギーはそういって、うつむきました。その表情は、とてもちいさな少年のようでした。マチーネが知っている、幼いころのマギーとおなじものでした。
マギーはぽつりぽつりと、話し続けました。
「けがのことだけじゃない。昔から、きみは人にどれだけおかしな目に見られようとも、気にせず自分の好きなことに夢中だった。おかげでぼくは、きみがだれかにいじめられるんじゃないかって、つねにひやひやしていたよ。身内の陰口をきくのって、けっこうしんどいものなんだぞ。なにかあったら、そのときはぼくがきみを守らなくちゃいけないって思っていた。こんな姉でも、いちおう、ぼくにとってたったひとりの姉だからな」
そういって、マギーは顔をそらしました。その表情はいつもとかわらない、ふきげんそうなものにもどっています。
「マギー……」
「正直にいうと、ぼくは空を飛ぶことなんてどうでもいいと思っている。高いところはきらいなんだよ。空を飛びたいだなんて、これっぽっちも考えたことない」
ええ! とマチーネは思わず声をあげました。
高いところがきらいだったなんて、一度もマギーからきいたことはありませんでした。それを知っていたら、いくらマチーネでも、いっしょに空を飛ぼうだなんていいませんでしたから。
「じゃあ……どうして、天球儀で天馬をよぼうとしていたの?」
「マチーネが、いっしょに空を飛ぼうといってくれたから。夢がなかった、ぼくの手をとってくれたから。だから、それをぼくの夢にもしようと思った。それだけだよ」
「……わたし、ちっとも知らなかった」
「それに、もし天球儀を使って天馬をよびだせたら。マチーネは天馬に乗って、空を飛べるだろ。飛行機よりも、安全な方法で。まあ、天馬が暴れ馬だったら、それこそ飛行機よりもきけんだろうけどさ。とにかく、きみが空を飛ぶことをあきらめるなら、ぼくは星のしずくも、この天球儀も必要ないんだ。この道具は、きみのためにつくっていたんだよ」
マチーネは、なにもいうことができませんでした。ずっとそばにいて、なんでもわかっているつもりだったマギーのことを、はじめてちゃんと知れたように思いました。
「……もう。ちゃんと、本当のことをいってよ。思ったことはちゃんと口にしないと伝わらないよって、いつもいっているじゃない」
ちいさな声でマチーネがつぶやくと、マギーは鬼のような形相でいいかえしました。
「伝えたところで、きみがいうことをきくわけがないだろ。マチーネが機械ばかで、発明に夢中になったらまわりのことが見えなくなることなんて、生まれたときから知っているんだ。ぼくの心配なんて、気にもしなかっただろうさ」
マチーネはたじたじとなって、あとずさりました。それぐらい、こわい顔をしていました。
「ごめんなさい……」
しかられた子どものように、ちぢこまったマチーネを見て、マギーはため息をつきました。
「まあ……ぼくももうすこし、自分の気持ちを話すべきだった。ベガには話せたのに、一番に伝えるべきであるきみには、いうことができなかった。ぼくのことばで、きみが傷ついたのは事実だ。だから、その……ぼくのほうこそ、悪かったよ」
マギーはどこか気まずそうに、けれどしっかりとマチーネの目を見ながら、そういいました。
そして、ほんのすこしだけほほえみました。
「きみのつくった発明品のせいで、何度もめいわくをかけられた。窓ガラスをわった犯人になるはめになったり、夜中にたたき起こされたりさ。でも……それはいやじゃなかったよ。なんだかんだ、ぼくはいつも楽しかった」
「もしかして……学校の窓ガラスをわったの、本当はわたしだってわかってた? だから、わざと犯人になろうとしたの?」
マチーネがきくと、マギーは「今ごろ気づいたのか」と、あきれたようにいいました。
「ぼくはきみとちがって、おとなしいいい子だったからな。ぼくなら、たいしておこられないだろうと思ったんだ。だというのに、きみがへたなうそをついてぼくをかばったりしたから、なんの意味もなかった」
「そうだったんだ……マギーはずっと、わたしのことを見ていてくれたんだね。それなのにわたし、いつも自分の好きなことばっかりに夢中で、あなたのことなんて全然見ていなかった……」
マチーネは、しゅんと肩を落としました。
「べつに、それがきみのいいところなんだから、それはそれでいいだろ。さっきもいったけれど、めいわくをかけられるのはいい。変な機械をつくって、それにまきこまれたってぼくはかまわない。だけど……心配はかけさせないでくれ。空を飛ぶだなんて、もうそんな、あぶないことをするな」
それはマギーの、心からのことばでした。ことばにこめられた気持ちが、マチーネの胸の中にしみわたるように、広がってゆきました。
マチーネはしばらくのあいだうつむいていましたが、やがて顔をあげました。
「わかった。わたし、あきらめる。空を飛ぶことも、飛行機をつくることも、もうやめるよ。だから星のしずくを、ターニャにゆずってあげて」
そうこたえたマチーネの顔に、まよいはありませんでした。
「マチーネ……」
ベガはそっと、マチーネの手をにぎりました。
「ごめんね、ベガ。いっしょに飛行機、つくってくれたのに。せっかくもどってきてくれたのに。あなたが山脈をこえるお手伝い、できなくなっちゃった」
「ううん、それはいいんだよ。飛ばなくたって、山をこえることはきっとできるから。でも、マチーネはそれでいいの? ずっと、飛行機で空を飛ぶことが夢だったんでしょ?」
マチーネは、うなずきました。
「ベガ。わたしね、父さんが夢をあきらめた理由が、やっとわかった気がするの。きっと、母さんも父さんのことが心配だったんだね。父さんはわたしとおなじぐらい、ううん、それ以上に破天荒で、無茶をする発明家だったから。
それにね。父さんはいつも、母さんのとなりで幸せそうな顔をしてる。それぐらい、母さんのことが好きなんだ。なら、それでいいんじゃないかって。父さんも母さんも幸せなら、きっとそれでいいんだってわかったの。
夢をあきらめることって、決して悲しいことだけじゃないんだと思う。たとえ夢がかなわなくても、その人が幸せなら。ほかの幸せを見つけて、笑顔で生きられれば、それでいいのかもしれない。その幸せのひとつが、だれかを愛したり、だれかとともに生きることなんじゃないかな……」
マチーネは、マギーにほほえみました。
「わたし、マギーの本当の気持ちを知ることができてよかった。ずっと、わたしのことを見ていてくれたことがうれしかった。それだけで……もう、わたしはじゅうぶんに幸せ。きっと、空を飛んだときよりも、うれしいと思う」
マギーはむすっとしたまま、そっぽを向きました。その頬がすこし、赤くなっていました。
そして――マギーは七つのしずくを、ターニャのちいさな手にのせました。
「このしずくは、きみのものだ。これで、きみのお母さんを治そう」
ターニャはなみだをぽろぽろと流しながら、「ありがとう」とつぶやきました。
マチーネは両手をあわせ、急に明るい声でいいました。
「さあ! そうと決まったら、さっそくひしゃくをつくろう。まずは、ひしゃくの星座をさがさないとね」
みんなで天球儀をかこんで、くるくると回してみました。あらためて見てみると、たくさんの星座がありました。どこかにひしゃくがえがかれていないかと、天球儀のはしからはしまで念入りにたしかめました。
「おかしいな。ひしゃくの星座なんて、どこにもないじゃない」
みんなの表情がくもります。何度見てみても、ひしゃくの絵はどこにもありません。
マギーは考えこみながら、つぶやきました。
「もしかしたら、存在している星座じゃなくてもいいのかもしれないな。きっと、どこかにひしゃくの形をした、星のならびがあるはずだ」
みんなはもう一度、天球儀を回しました。気ばかりあせって、回転の速度がどんどん速くなってゆきます。
「ちょ、ちょっと。みんな、速く回しすぎだよ!」
「そういうマチーネが、一番速く回してるじゃないか」
「……ねえ! ここを見て!」
ベガが天球儀をとめて、おおきな熊の星座を指さしました。
「この、熊の星座のしっぽの部分。ここの七つの星をつないだら、ひしゃくみたいな形にならないかな」
ベガが星のならびをなぞりました。たしかに、ひしゃくを逆さまにしたような形がありました。
「本当だ! すごい、よく見つけたね」
「ベガは、星の名前だからね。星の名にかけて、やっぱりぼくが見つけなくちゃ」
ベガは得意げに、胸を張りました。
ターニャは宝物をあつかうように、慎重に星のしずくをはめてゆきます。そしていよいよ、最後のひとつをはめるときがやってきました。
(うまくいきますように……)
みんなが、強くいのりました。
ターニャが最後の星のしずくをはめると、七つのしずくが、まぶしいかがやきを放ちました。光は線となって、となり同士のしずくをつないでゆきます。
そして、すべてのしずくがつながったとき――そこには、銀色の美しいひしゃくがありました。あまりの美しさに、みんなは息をのみました。
ターニャがおそるおそる、ひしゃくを手にとると、またたく間に水があふれだしてきました。水はなくなることがなく、永遠にあふれてくるのです。
「やったー! 本当に、本当にひしゃくが手に入ったよ!」
ベガはまるで自分のことのように喜んで、ハーディ・ガーディをかき鳴らしました。みんなの気持ちをあらわすように、軽やかで明るい旋律を奏でます。
「すごい……マギーのつくった道具は、本当にすごいよ。ちゃんと成功させて、こうして人を助けるために役立ってる。わたしの発明品とは、おおちがい。わたし、自分のことを天才発明家だなんていっていたけれど、本当に天才なのは、わたしじゃなくてマギーのほうだよ」
マチーネはすなおに感動して、そうことばをもらしました。くやしさや悲しさなんてものはなくて、心の底から、マチーネはそう思ったのです。
マギーも、無事にひしゃくを出すことができてほっとしていました。
「これできっと、きみのお母さんの病気は治るよ」
マギーはふっとほほえんで、やさしい瞳でターニャを見つめたのでした。
「ありがとう……」
ターニャはいとおしそうに、ひしゃくをにぎりしめました。
「早く、お母さんに飲ませてあげよう。ところで、ターニャがやってきた遠いところって、いったいどこなの?」
ターニャが、村の名前をいいました。それをきいて、マチーネは眉をひそめました。
「ここから歩いたら、何日もかかるところじゃない。ちいさな子どもの足だと、もっとかかってしまうかも。そのあいだに、お母さんの具合がもっと悪くなってしまったら……」
みんなの顔が、さっと青くなりました。
「だ、だいじょうぶ。わたし、ここまでずっと歩いてきたもん。帰りだって、がんばれるよ。おかあさんも、きっとわたしのこと、まっていてくれるはず」
ターニャはそういいましたが、だれもターニャをひとりで行かせるつもりなどありませんでした。ただでさえ、ターニャの足はちいさくて傷だらけで、靴もぼろぼろだったのです。ひょっとしたら、とちゅうで歩けなくなってしまうかもしれません。
「こまったな……そっちの方角に行く馬車もない。みんなで歩いていったとしても、けっこうな時間がかかってしまう」
マギーも顔をしかめて、腕を組みました。
「どうしよう……」
ベガもおろおろとしながら、双子の顔を見あげました。ベガもここまでずっと歩いてきたので、ほかの方法はなにも思いつきませんでした。
マチーネはこぶしを強くにぎりしめて、つぶやきました。
「……こんなときに、飛行機があればよかったのに。わたしが、ちゃんと飛べる飛行機をつくれていればよかったのに。……わたしの発明って、本当になんの役にも立たないんだなあ。人にめいわくかけて、心配もかけて……肝心なときに、使えないんだもの。そんなの、なんの意味もない。マギーのいうとおり、好き勝手にやっていただけだった。これじゃあ、発明家失格だよ」
「マチーネ……」
ベガは、マチーネによりそいました。けれど、どんなことばをかければいいのか、わかりませんでした。
どんよりとした空気の中、マギーが口をひらきました。
「おい、マチーネ。つくった飛行機はどこにあるんだ」
「え? まだ、丘に置いたままだよ」
「機体は、完成しているのか?」
「してるけれど……やっぱりわたしの力が足りなくて、飛べなかった。だから、あれはもう失敗作だよ」
マチーネは、力なくこたえました。それをきいて、マギーはじっと考えこみました。
「……まさかこんな形で、いきなり使うことになるなんてな。けれど、しかたがない」
なにやらぶつぶつとつぶやいたあと、早口でマチーネにいいました。
「今すぐ丘へ行って、飛行機を飛ばす準備をするんだ。ちゃんと、飛行用の帽子と、眼鏡もかけておけよ。ぼくもあとで、そこに行くから」
マギーはさっさと、自分の部屋へと行ってしまいました。
とつぜんのマギーのことばに、残された三人は顔を見あわせました。
「マギーったら、なにをするつもりなんだろ……」
とにかく、今はマギーにしたがおうと、みんなは丘へと向かいました。
Ⅻ 空飛ぶ双子
丘の上で準備をしていると、マギーが走ってきました。
「いったい、どういうつもりなの? 飛行実験なんて、やってる場合じゃないのに」
「実験じゃない。本番だ」
マギーのことばに、マチーネは首をひねりました。
「マチーネ。飛行機を飛ばすのに足りないものは、自分の足の力だっていっていたよな」
「そうだよ。わたしにもうすこし力があれば、飛べるはずなんだ……」
マギーは、ポケットからふたつのびんをとりだしました。ひとつには金色の液体が、もうひとつには灰色の液体が入っています。
「あ、こっちの金色のやつ、棚に置いてあったやつだ。前に、わたしがあやしいっていった薬だよね」
マチーネのいったことにはこたえず、マギーは続けました。
「いいか。この灰色の液体を飲んだ人は、体が石になる。石になった人間の魂は、こっちの金色の薬を飲んだ人間に宿る。魂が宿っているあいだは、その人の力を使うことができるんだ」
「へえ! それはすごい薬だね。それがどうかした?」
のん気な声でたずねたマチーネに、マギーはいらいらとしながら話を続けました。
「わからないのか? だから、ぼくが石になって、きみに魂をあずける。そのあいだ、きみの足にはぼくの足の力が加わるんだ。体の重さはかわらないから、ひとりでふたり分の脚力を使うことができるってことだよ。それなら、飛行機も飛ぶかもしれない」
マギーの説明をきいて、マチーネはぽんと手をうちました。
「なるほど! それで、当然あなたは石からもどれるんだよね?」
「三日以内に、きみがここにもどってくればな」
「もどってこられなかったら?」
「永遠に石のままだ」
あっけらかんといわれて、マチーネはぶんぶんと首を横にふりました。
「じゃあ、だめじゃない! 三日以内なんて絶対にむりだよ。それに、わたしは空を飛ぶことはあきらめたんだよ。飛行機なんて、もう……」
うつむいたマチーネを見て、マギーはふっと笑いました。
「ぼくは、きみに夢をあきらめてほしかった。きみが飛行実験中に死ぬぐらいなら、天馬に乗って優雅に空の散歩でもすればいいと思っていたよ。
けれど、それじゃあきみが納得しないことも、本当はわかっていたんだ。きみの夢は、自分でつくった機械で空を飛ぶことなんだから。発明家っていうのは、そういうものだろ」
マチーネは、マギーを見つめました。マギーも、真剣な表情でマチーネを見つめかえしました。
「きみがつくった飛行機を、こわしてしまおうと思ったこともあった。けれど、どうしてもそれはできなかった。ちいさいころからずっと、発明に夢中なきみを一番近くで見てきたのはこのぼくだからな。
それに……きみは、ぼくにいっしょに空を飛ぼうといってくれた。それはぼくにとって、とてもうれしいことだった。たとえ、高いところがきらいでも。ぼくに夢をかなえようという気持ちをくれたのは、マチーネだったんだ。空を飛ぶのは、ぼくたちふたりの夢だ。だから、この薬をつくった」
「……今までずっと失敗していたのは、この薬だったの?」
マギーは、うなずきました。
「ぼくは、天才なんかじゃないよ。祖父たちが残してくれたものを、ただ受け継いでおぼえてきただけだ。水晶のランプや、おばけをたおす薬や、あの天球儀だって、祖父がつくりかたを残してくれていたから完成したんだ。
けれどこの薬は、はじめてぼくが、自分で考えて一からつくったものだ。きみの飛行機とおなじようにさ。何度も失敗した。そのたびに、もうあきらめようと思った。でも、いつもあきらめないきみを見ていたから、ぼくも研究を続けようと思えたんだ」
「……わたし、ちっとも知らなかったよ。あなたが、わたしを心配してくれていたことも。こんな薬をつくっていてくれたことも。あなたが、高所恐怖症だってこともね。全然、知らなかった。ごめんね」
マギーは、マチーネの肩に手をのせました。その手には、しっかりと力がこもっていました。
「祖父は、人を助ける道具をつくれといった。それは決して、ぼくだけにいったわけじゃない。発明家であるマチーネにたいしても、だ。
それが、この飛行機だろ。ぼくたちで、ターニャのことも、ターニャのお母さんのことも助けるんだ」
マチーネの茶色い瞳がかがやきました。どこまでもすんだ、美しいかがやきでした。
「わたし、絶対に飛んでみせる。ターニャをお母さんのもとに送りとどけて、絶対に三日以内に帰ってくる!」
それをきいたマギーが、肩をすくめました。
「いっただろ。ぼくは、〈絶対〉なんてことばは信じられないんだ。……でも、今だけは信じることにするよ。マチーネなら、絶対に飛べる」
そういうと、マギーは一気に灰色の薬を飲みほしてしまいました。それは一瞬のできごとで、みんながとめる間もありませんでした。
すると、みるみるうちにマギーの体が、足もとから灰色にそまってゆきました。
「マギー!」
みんなが、マギーのもとへとかけよります。
「ああ、どうやら薬はちゃんと成功していたみたいだ。前言撤回しよう。やっぱり、ぼくは天才かもしれないな」
「やだ、どうしよう! わたし、やっぱり不安になってきた!」
「いいから、早く薬を飲めよ。ああ、ちなみにそっちの薬にはドリーベリーが使われているから、よく味わって飲むんだな」
マギーはいじわるく笑って――ついにはその表情のまま、石になってしまいました。
マチーネは金色の薬びんをあけ、においをかぎました。そして、これでもかというぐらい顔をしかめました。
「ドリーベリー……じつはわたしも、だいっきらいなの」
マチーネは鼻をつまんで、一気に薬を飲みほしました。
「マチーネ、気分はどう……?」
おそるおそるベガがきくと、マチーネはなんともいえない顔をしました。
「最悪だけど、最高。あのね、わかるの。マギーが、わたしの中にいるのが。今ならどんなに重いペダルだって、こぐことができる。力がわいてくるの!」
マチーネは飛行機にまたがり、後ろにターニャをのせました。
「本当はひとり用なんだけれど、ターニャはちいさいからだいじょうぶだね。しっかりつかまっていて。ひしゃくを落としちゃだめだよ」
マチーネは額の眼鏡を、ぐっとおろしてかけました。
ベガが、飛行機にかけよりました。
「気をつけて。マチーネとマギーなら、絶対にうまくいくよ!」
マチーネは親指をつき立て、勢いよくペダルをこぎました。
飛行機は、すべるように丘を走り出し、そして――ついに、地面をはなれました。
そしてそのまま落ちることなく、高く高く飛んでいったのです。
「やったー! 成功だよ!」
ベガは丘から飛行機に向けて、手をふりました。
飛行機はやがて点のようにちいさくなり、ついには見えなくなりました。
それから、ベガは丘の上でマチーネの帰りを待ち続けました。石になったマギーのとなりで、いつまでも待ち続けました。
心の中で、何度もいのりました。マチーネの飛行機が、落ちませんように。ターニャのお母さんが、よくなりますように。マギーが、もとにもどれますように。ただそれだけを、ひたすらいのりました。
三日目の朝をむかえました。とてつもなく、長い時間のように感じられました。
「今日で、三日目だね」
ベガは、石になったマギーに話しかけました。もちろん、返事はありません。それでも、ベガはマギーに笑いかけました。
「だいじょうぶ。今日、帰ってくるよ」
石になったマギーが、うなずいたように見えました。
太陽はやがて真上にのぼり、そしてすこしずつ西へとかたむきました。すっかり、夕方になってしまいました。マチーネは、まだ帰ってきません。
心臓がうるさいぐらい、ばくばくと鳴りました。もうすぐ、太陽がすべてしずんでしまいます。
(神さま、お願いします。どうかみんなを、たすけてください。流れ星には、願えなかったけれど……どうかぼくの願いが、神さまにとどきますように)
ベガは手を組み、目をとじました。
そのときでした。
すぐ後ろで、はでな音がきこえました。ふりむくと、飛行機が丘に着陸していました。着陸というよりは、墜落といったほうが正しいものでした。
「マチーネ!」
こわれた機体から、マチーネがはい出てきました。髪はぐしゃぐしゃにからまっていて、目も真っ赤になっています。額にあげた眼鏡は、われてしまっていました。
ベガはさけんで、マチーネをだきおこしました。マチーネはベガを見て、にっと笑いました。
「だいじょうぶ。ターニャのお母さん、助かったよ」
かすれたマチーネのことばをきいて、ベガはほっと息をはきました。荷物をせおったように重かった肩が、すっと軽くなったような気がしました。
マチーネはふらつきながら、石になったマギーのもとへと歩いてゆきます。そして、つめたいマギーの体を、だきしめました。
「ただいま。わたし、飛べたよ。ベガが、飛行機づくりを手伝ってくれたから。マギーが、力を貸してくれたから。ずっと、そばにいてくれたから。だから、飛ぶことができたんだ」
マチーネの目から、なみだがひとつぶこぼれました。それは頬をつたって、マギーの体に落ちました。
すると、マギーの体が白くかがやきました。そして光が消えたときには、マギーの体は、すっかりもとにもどっていたのです。
「ああ、最悪だ! 魂をあずけているあいだは、視界も共有することをすっかりわすれていた! まったく、あんなにも高いものだなんて思わなかった。もう、空の上なんてまっぴらだ!」
もとにもどるなり、マギーは大声でわめきました。マチーネは笑って、マギーのことをさらに強くだきしめたのでした。
ⅩⅢ 新たな旅立ちへ
「もう、行ってしまうのか。結局、なにも手伝うことができなかったな……」
ある晴れた日の朝、マギーは申しわけなさそうにベガにいいました。ベガが、双子の家を発つ日がきたのです。今度はちゃんと、さよならを告げて。
ベガは笑顔で、首をふりました。
「だいじょうぶだよ。あのね、空を飛んだマチーネとマギーを見ていたら、ぼくも自分の足で山をこえたいなって思ったんだ。自分の足で、歩いてゆきたいって思ったんだ」
ベガは星のようにかがやく瞳で、山脈の向こうを見つめました。
この先に、なにがあるかはわからないけれど。きっと自分の足で、どこまでだって行けると、ベガは強く思いました。
「そうか。ベガがいなくなってしまうのはさびしいけれど、きみのこれからの旅路が、幸せであふれていることを願っているよ」
「ありがとう。ぼくも、さびしいよ。ふたりとすごせて、本当に楽しかった」
すると、森のほうからかわいらしい鳴き声がきこえました。
銀色の美しい毛なみをもった子犬が、ベガの足もとにかけよって、しっぽをふっています。その後ろから、マチーネが軽い足どりでやってきました。
「よしよし。プロキオンも、ベガにさよならをいいたいみたいだね」
マチーネが子犬をだきあげて、頭をなでました。なでられた子犬は、気持ちよさそうに目を細めています。
「マギーが、残ったふたつの星のしずくで子犬をよびだしたのはびっくりしたよ。朝起きたら、こんなにもかわいい子が、わたしの前にいたんだもの!」
いとおしげに子犬に顔をすりよせて、マチーネがいいました。プロキオンという名前は、マチーネがつけました。ベガとおなじように、星の名前からとったのでした。
「しずくを残しておいても、しょうがなかったからな……」
マギーはぼそりと、つぶやきました。
プロキオンを地面におろすと、ふたたび森の中をかけまわりました。それをマチーネが追いかけます。マチーネが小枝を投げると、プロキオンはうれしそうに小枝を拾いにかけてゆきました。
「でも、もう一度しずくを九つ集めれば、天馬をよぶことだってできたのに。ふたつは、残しておいてもよかったんじゃない?」
ベガがそっと、マギーに問いかけました。「まあ、そうだけど」と、マギーは口ごもっています。
マギーは、遠くでかけまわっているマチーネを見つめました。とても、やさしいまなざしをしていました。
「まあ、その、あれだよ。マチーネはきっと天馬よりも、子犬のほうが会いたいだろうと思ったんだ」
ベガはなんだか心がくすぐったくなるような、心があったかくなるような、そんな気持ちになりました。そしてあいかわらず、マギーは本当の気持ちをマチーネに話さないんだもんなあ、とちょっとあきれてしまいました。
(でも、それをむりに直さなくてもいいんだ。それがきっと、マギーらしいってことなんだね)
しばらくして、マチーネがもどってきました。プロキオンは遊びつかれたのか、マチーネの腕の中でねむっていました。
「ね、ベガ。もし、もしも東のはてまで行っても、自分のことがわからなかったら。そしたら、ここにもどっておいで。それで、わたしたちのきょうだいになっちゃいなよ」
マチーネの提案に、ベガは笑いました。
「ほんと? でもそれ、ぼくが一番、大変な目にあいそうだね。マチーネもマギーも、自分の好きなことにばっかり夢中なんだもん」
「あら、いうようになったじゃない。でも、そのとおりだね。ベガがいなかったら、わたしたち、おたがいの気持ちをちゃんと話すことなんてなかった。こうしてけんかをして、仲直りをして……本当の気持ちを知ることなんて、できなかったと思う。みんな、あなたのおかげだよ」
マチーネは、心からベガにお礼をいいました。ベガは照れたようにはにかんで、「どういたしまして」とこたえました。
「ぼくも、自分のことがわかるようにがんばってみる。だからマチーネとマギーも、飛行機づくり、がんばってね」
三日間飛び続けたマチーネの飛行機は、着陸の反動で見事にこわれてしまいました。また、はじめからつくり直すことになってしまったのです。
けれど今度は、マギーもいっしょです。マチーネが機体の部分をつくって、マギーが飛行機を動かすエネルギーとなるものを、研究することになったのでした。
「あんな心臓に悪い飛びかたは、わたしももうこりごり。これからは安全に、そしてみんなが安心して空を飛べるような飛行機をつくるつもりだよ。わたしたちふたりで、力をあわせてね」
そういって笑うマチーネは、とてもうれしそうでした。
「それじゃあ、またね。気をつけて」
「うん。またいつか、どこかで」
双子とベガは、別れのことばを交わしました。そうしてベガは、東へと旅立ってゆきました。双子は、ベガの後ろ姿が見えなくなるまで見送っていました。
「それにしても、ベガはずいぶんとふしぎな子だったな……」
ベガを見送ったあと、マギーがふとつぶやきました。
「あんなにもちいさいのに、たまに大人びた表情をすることがあった。まるでぼくたちよりも、ずっと長く生きているような……いったい、ベガは何者なんだろう」
「植物にも、とてもくわしかったの。ほら、ドリーベリーが目にいいって、知っていたじゃない? ほかにも、郵便屋のおじいさんの腰を治す薬草も見つけてた。わたしの足のけがだって、ベガがくれた薬草で治したんだよ」
「なんだって?」
はじめてきいたぞ、とマギーはいいました。それもそのはず、ベガが薬草を見つけたときはいつも、マギーはそばにいなかったのです。
「それにね……わたし、思い出したんだけれど。最初に、ベガと出会ったときのこと。わたし、飛行機から放り出されて、地面に落ちるところだったの。そのとき、ふしぎな音色がきこえて――わたしのことを風が包んで、おろしてくれたんだ。あのときにきこえた音色、ベガの持っている楽器の音だった。ええと、ハーディなんだっけ?」
「ハーディ・ガーディだろ。ちょっとまってくれ……」
マギーはいそいで、自分の部屋へとゆきました。あわてて、マチーネもそれについてゆきます。
マギーは本棚から、分厚くて古い本をぬきました。本をひらくと、辺りにほこりが舞い散りました。
マギーは真剣な表情でページをめくり、やがて一か所を指さしました。
「……はるか昔、自ら魔法を使いこなす種族がいたって話を、前にしただろ」
マチーネはうなずきました。
「その種族のことが、ここに書かれている。かれらが古い楽器を奏でると、風を起こしたり、水をわき起こすことができた。そして、薬草を使って、どんな病気やけがを治すこともできたという……」
マギーのことばに、マチーネは目を丸くしました。
「それ、もしかしてベガのこと? ベガはその魔法が使える一族で、わたしのことを魔法で助けてくれたってこと?」
マギーはなにもこたえず、じっと考えこんでいます。
「でも、ベガは自分が魔法を使えることを知らなかったよ。マギーの魔法の話にだって、おどろいていたじゃない。それなのに、わたしを風の魔法で助けてくれたの?」
「仮に、ベガがこの魔法が使える一族だとしたら。おそらく……無意識に、魔法を使ったんじゃないか。きみを助けるために、自然と手が動いたんだ。本人はそれが魔法だと知らないまま……」
マギーは、まだ考えこんでいます。
「それ、本当?」
「もちろん、確証はない。それにこの種族がいたのは、はるかむかしの話だ。そして、今はもういないとされている……」
「どうして、いなくなってしまったの?」
マギーは本を目で追いましたが、首を横にふりました。
「書かれていない。ぼくは……ぼくたちは、そのことを調べなければならないな」
「ベガに、このことを伝えたほうがよかったのかな」
しかし、ベガはもうここにはいないのです。
「わからない。もしもいなくなった理由が……とても悲しい理由だったとしたら……」
マギーは眉をひそめました。マチーネも、不安げな顔をしています。
東のはてで、ベガはいったい、なにを知るのでしょうか――。
ベガは森を歩きながら、ハーディ・ガーディを奏でました。そして、小鳥がさえずるような声で歌いました。
流れ星に 願いをこめれば
星のしずくが ふってくる
七つのしずくを つなげたら
それはひとをたすける 奇跡の魔法
空飛ぶ機械に 魔法をのせて
双子は はるか遠い空へと 飛び立った
機械と魔法
どちらもふしぎで ちょっぴりへんてこ
どちらもとても すてきなもの
ベガのつくった双子の歌は、道ですれちがう人たちや、この先でたちよった町の人たちの耳に入りました。たくさんの人たちが、その歌声と楽器の音色にきき入りました。
そして、双子の話は旋律にのせて、いつか遠い大地にまで伝わってゆくのです。
またひとつ、ベガの好きな歌が増えました。ベガはごきげんな気分で、自分の目の前へと続く道を歩いてゆくのでした。