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一楽章
眠れる妖精はいばらの城に

 おとぎ話を読んだことがありますか?

 海の底に住む人魚や、呪いで姿を変えられてしまったお姫さま。

 お菓子の家や、呪文をとなえると扉が開く洞窟。

 魔神を呼び出すランプや、幻を見せるマッチの火……。

 そんなおとぎ話のような世界を、あなたもマリアたちといっしょに、旅をしてみませんか?

♫ Ⅰ 始まりは迷子から

 辺り一面、緑色です。

 クーヘン地方は、暖かい気候のおかげで自然にめぐまれています。特に今は新緑の季節。うさぎやりすや鹿たちが、やわらかなこもれびの中を元気よくかけ回っています。その姿はまるで、長い冬を終え、草木が芽吹き、森中が生き生きとしていることを喜ぶダンスのよう。

「ああ、もう! これはいったい、どういうことなのかしら!」

 とつぜん、森の中に不満げな声がひびきわたりました。動物たちはおどろき、ダンスをやめて草木の陰にかくれました。

 女の子がひとり、しかめっつらをしています。なぜだかどうやら、とってもきげんが悪いようです――。

「なによ、なんなのよ! この地図、めちゃくちゃじゃないの! こんなでたらめな地図を売りつけるなんて、ひどいじゃないの!」

 手にした地図とにらめっこをしながら、女の子はわめきました。すこし歩いては立ち止まり、また歩いては立ち止まり……を、さっきからずっとくりかえしてばかり。ひとつに結った、金色の髪がゆれています。

 やがてその子は、きっと顔をあげました。

「いいわ。こうなったら、ひたすらまっすぐ進むことにしましょう。世界はつながっているんだもの、いつかはどこかにたどり着けるわよね。それに、これは世界中をめぐる旅なのよ。だから、どこをめざしたっていいんだわ!」

 地図をくしゃっと丸めると、さらに森の奥深くへと歩いてゆきました。

 さて。物語を続けるために、まずはこの女の子のことをお話ししましょう。

 名前は、マリアといいました。歳は十二歳。ぱっちりとした、海のように深い青色の瞳は、いつだって明るくかがやいています。

 本人は、自分のことをいたってふつうの女の子だと思っていました。ほかの人たちは、そうは思いませんでした。理由はふたつ。ひとつは、まるでどこかの国のお姫さまのようにかわいらしいこと。もうひとつは、武器を持っていること。

 自分の背丈よりもはるかに長い槍を、マリアはすずしい顔をしながら背負っておりました。

 たったひとりで、マリアは船に乗って、このクーヘン地方へとやってきました。初めて降り立った大地に、心はうきうきとはずんでいました。予定では、お昼ごろにはおおきな王国にたどりついて、おいしいご飯を食べるつもりでいたのです。

 しかし目の前には王国どころか、建物ひとつだって見当たりません。

「でたらめな地図を売るなんて、本当にひどいわ。ちゃんと、お金だってはらったのに。今度会ったら、こてんぱんにしてやるんだから!」

 思い出したら、また腹が立ってきました。船が停まった港町で、マリアは商人から地図を買ったのです。商人は優しげな顔をした男の人で、子どものマリアを見て値段をまけてくれたのでした。

 あんなにもいい人が、まさか人をだます悪党だったなんて! マリアの心は、悪をうちのめす正義感に燃えていました。

 ――しかし、じつは地図はでたらめなんかではありませんでした。それもそのはず、マリアは地図をさかさまに見ていたのです。そもそも、地図を正しく読むにはまず方角を確かめることが大切なのですが……マリアは、それすら知らなかったのです。

(地図がなくたって平気よ。旅をするときに大切なものは、勘と運と、ほんのすこしの勇気。そして、決してあきらめない気持ち。それらがあれば、だいたいのことはうまくいく。父さまが、そういっていたわ)

 過ぎたことを、いつまでもおこっているのはよくありません。道行く先にすばらしいできごとが待っていると信じて、マリアは元気よく歩き続けました。

 森に差しこむやわらかなこもれびは、いつしか見えなくなっていました。時刻はお昼どきのはずなのに、辺りは夕暮れのように薄暗いのです。ずいぶんと、奥深くにまでやってきてしまったようです。

 マリアは、こぶしを強くにぎりました。目の前に広がる闇を、じっと見つめます。

 そして、ささやくようにうたいました。

 気をつけろ 気をつけろ

 洞窟 沼地 森の奥

 夜の砂漠や こごえる雪山

 光のない地に 行ってはならぬ

 真っ暗闇に うかぶのは

 命をくらう 魔物の目

 人おらぬ地に 行ってはならぬ

 そこにいるのは 魔物だけ

 マリアが幼いころから、何度もきかされた歌でした。子どもはみんな、この歌をきいて育つのです。ひとりで危険なところへ行ってはならないという教えの歌でした。行ったら最後、命ある者はみんな、魔物にたべられてしまうのです。

 ところがそんな森の奥で、真っ暗闇で、人のいないところを、マリアは平気な顔をしながら進んでいるのでした。マリアの瞳に、おそれはありません。

 いよいよ、マリアの体が闇に包まれたときでした。黒い毛並みの獣が、マリアの前に現れ牙をむきました。その目は血のように赤く、殺気のこもった波のようなものが、ゆらめいているように見えました。

「やっぱり、魔物がいるのね」

 マリアの声は、とても落ちついたものでした。

 もしも、万が一魔物に出会ってしまったら。生きのびるには、とにかくありったけの力で逃げること。まちがっても、戦おうだなんて思ってはいけません。

 だというのに、

「魔物なんて、このマリアさまがこてんぱんにしてやるわ!」

 マリアときたら、力強いまなざしで魔物をにらみつけると、すばやく背中の槍を構えました。そして、槍の先を魔物に向けたのです。

 魔物は地の底からひびくような声でほえると、まっすぐにマリアの方へと向かってきました。マリアは魔物をにらみつけたまま、魔物の体をすばやく槍でなぎはらいます。

 それは迷いのない、とても慣れた手つきでした。

 魔物はうめき、そして黒い塵となりました。

「悪く思わないでね。あたしは、負けるわけにはいかないの」

 風にふかれて、黒い塵はどこかへと飛んでゆきました。

 マリアはちいさく息をはき、さらに奥へと歩いてゆきます。

 憎しみ 恨み 妬みや 絶望 

 人の闇から 魔物は生まれ

 心を見すかし 姿を変える

 おそれるものに 姿が変わる

 忘れるな 忘れるな

 大切なものは 宝物

 人からもらった 贈り物

 だれかの想いがこもった物は

 闇から心を守ってくれる

 宝物と おそれぬ勇気

 なくさなければ 魔物に負けぬ 

 だれもいなくなった静かな森に、マリアの歌声だけがきこえます。

♫ Ⅱ いばらの城の住人は

 森は、一向に開ける様子はありませんでした。ふつうの子どもならば、とっくに泣き出していたでしょう。いいえ、大人だって、不安な気持ちにおしつぶされてしまうに決まっています。

 ところがマリアは、とても勇気のある女の子でした。そしてとっても、あきらめることがきらいな性格でもありました。暗かろうと、魔物がいようと、一度まっすぐ進むと決めたら、引きかえしたりはしないのです。

「ふう。すこしつかれちゃったわ。どこかに休めるところ、ないかなあ」

 なんだか、おなかもすいてきました。荷物の中には、真っ赤なりんごがひとつだけ入っています。

 今、食べてしまおうかと思いましたが、どうせなら明るいところで、座ってゆっくり食べたいと思いなおして、もうすこしだけ歩くことにしました。

 ――ふと、空気が変わったような気がしました。

 暖かな風が流れこみ、草木のにおいがむわっと立ちこめます。地面のふかふかとした感触も、より強くなっています。それから音も――今まできこえていた、木々同士がこすれる音が、しんと静かになったのです。

 暗かった森に、太陽の光が差しこんでいます。そこだけ森がひらけていて、青空が顔をのぞかせていました。

 そのひらけた場所を見て、マリアは「わあ」と声をあげました。

 城が、そこに建っていました。

 ただの城ではありません。全体が、いばらで包まれています。

 城は石でもレンガでもなく、植物の蔓や枝や木の根が、いくつもからみついてできていました。それはまるで城自体が、おおきな木のようにも見えました。

 なんとも、不思議な雰囲気の城でした。

 辺りには花がさきほこり、色あざやかな蝶が飛んでいます。優しい、小鳥のさえずりがきこえます。

 空気中にうかんだ塵が、日の光に照らされて、景色がかがやいているように見えました。その美しさに、マリアはしばらく見とれていました。

(なんてきれいなのかしら。まるで、おとぎ話の世界のようだわ)

 この城の中には、だれがいるのでしょうか?

 つかれていたのも忘れて、マリアは城に近寄りました。いばらには、するどい棘がいくつもついていました。うっかりふれでもしたら、あっというまに血が出てしまうでしょう。

 ほかの建物は見当たりません。町や人の姿もありません。城だけが、ぽつんと建っているのです。

 魔物だっているような、深い深い森の中。そんなところに住んでいるなんて、いったいどんな人なのでしょうか。

 もしかして、悪い魔女が住んでいるんじゃないかしら。それならやっつけないと。最初にマリアはそう考えました。けれど森の悪い魔女といえば、もっと暗くて、かれた森に住んでいるか――あるいは、お菓子でできている家に住んでいるものなのだと思いました。ここはどちらにも当てはまりません。

 じゃあ、泥棒のアジトかしら。それならやっぱりやっつけないと。考えてみて、それもちがうなと思いました。泥棒は町の家々をねらうのですから、アジトももっと町の近くにするはずです。こんな場所では、町に着く前に魔物にやられてしまいますし、泥棒が城に住んでいるというのも、なんだかおかしな話です。

 考えれば考えるほど、うずうずしてきました。この不思議な城がなんなのか、とても気になります。

(これは絶対に、調べる必要があるわ。中に入ってみましょ!)

 もし、中にいるのが悪い人ならやっつければいいし、いい人なら友だちになればいいのです。

 それに植物でできているとはいえ、城は城。きっと、豪華なベッドがあるにちがいありません! 休むこともできるし、ひょっとしたら、おいしいご飯だって出てくるかもしれません。我ながらいい考えだと、マリアは思いました(それ以前に、不法侵入であることはマリアは考えもしませんでした)。

 ところが。マリアがお城に近づくと、なんといばらがひとりでに動き出しました。そして、お城の入り口を固く閉ざしてしまったのです。まるで、だれもその中には入れさせないというように。

 むむ、とマリアはうなり声をあげました。これでは中に入ることができません。

 槍で、いばらをなぎはらってしまおうかしら? しかし、マリアはすぐに首を横にふりました。マリアが槍をふるうのは、魔物と悪いやつをやっつけるときだけと決めているのです。なにも悪くない植物を、傷つけたくはありませんでした。

(入り口を閉ざしたってことは、きっと中にだれかがいるってことよね。それとも、だれにもとられたくない宝物があるとか? あたしは泥棒なんかじゃないってこと、この植物たちにわかってもらえないかしら……)

 しばらく考えた末、マリアはいばらに話しかけてみることにしました。ことばが通じるかはわかりませんでしたが、まずは自分が悪い人間ではないことを伝えることが大事だと思ったのです。

「おおい、いばらさん! あたしは、だれも傷つけたりしないわ! ちょっと、休ませてほしいだけなのよ。もしベッドがあったら、ほんのすこしだけ、ねかせてもらえないかしら!」

 城全体に向かって、マリアは声を張りあげました。しかし、いばらは固く入り口を閉ざしたまま。中に入れてくれる様子は、ありませんでした。それどころか、いばらの先っぽで、しっしと追いはらう仕草をマリアに向けたではありませんか。

 その仕草が、なんだかばかにされている気がして、マリアはむっとしました。

「なによ! すこしぐらい、休ませてくれてもいいじゃない、けちんぼ! こうなったら、ぜーったいに中に入ってやるんだからね!」

 負けずぎらいのマリアの心に、火がつきました。

 きっ、と城を見あげます。城の西側には、高い塔がありました。そこに一箇所だけ、ちいさな窓があるのが見えます。

 あそこから入ってやろうと、マリアは塔に向かって走り出しました。あわてたように、いばらがマリアを転ばせようと、足元に輪っかを作ります。

「そんなものに、引っかかるものですか!」

 マリアは、ひょいひょいと輪っかをよけてゆきます。

 華麗に身をひるがえしながら、あっというまにマリアは塔の真下までたどりつきました。そして塔の壁に手をかけると、そのまま登り始めたのです!

 まずい! いばらは急いでマリアを引きずりおろそうと、塔に巻きつきました。

 しかし、ものすごい速さで登ってゆくマリアに、追いつくことはできませんでした。

 木の根や蔓に足をかけて、マリアはどんどん上を目指します。荷物もあるし、槍も背負っているというのに、そうとは思えないほどの軽々とした身のこなしでした。

 いばらは必死に、マリアを追いかけていましたが――マリアの風のような動きに敵わないと思ったのでしょうか、ついには追うのをあきらめたようでした。それぐらい、マリアはだいぶん高いところまで登っていました。

「ふふ。あたしに勝とうだなんて、百年早いのよ!」

 いばらとの追いかけっこに勝てたことがうれしくて、マリアは高らかにそうさけびました。いばらはくやしそうに、するすると元の位置へともどってゆきました。

「安心してよ! なにもとったりしないわ。休んだら、すぐに出ていくから!」

 落ちたら、命はありません。はたから見たら、かなり危険な光景でした。

 もしもその場にだれかがいたら、まちがいなく止めていたでしょう。しかし幸か不幸か、そんなマリアの姿を見ていた人はだれもいなかったので、マリアはさらに上を目指して登り続けました。

 登りながら、マリアは幼いころに読んでもらった、森の中に城があるおとぎ話を思い出していました。そのお話に出てくるのも、いばらで包まれた城だったはずです。

 城の中では、百年のねむりにつく呪いをかけられたお姫さまが、ベッドに横たわっています。そして、ちょうど百年経ったときに、城を通りかかった王子さまが、お姫さまにキスをして呪いを解く――そんなお話でした。

 初めてその話をきいたとき、マリアは王子さまと出会ったお姫さまではなくて、お姫さまの呪いを解いてあげた、王子さまの方にあこがれていたのでした。だれかの呪いを解いてあげるなんて、なんてかっこよくてすてきなんだろうと思ったのです。

(じゃあ、ひょっとしてこのお城にも、呪いにかけられたお姫さまがねむっているのかしら? そうだとしたら、あたしもあの王子さまみたいになれるかしらね)

 しかし、おとぎ話の王子さまは、ちょうど百年経ったときだったので、いばらがひとりでに道を開けてくれていたのです。入り口だってすんなり入れたので、王子さまはなんの苦労もなく、お姫さまのもとにたどりつけたわけです。

 それに比べて、マリアは入り口が開くどころかじゃまをされているので、お話よりもずっと大変な道のりです。

 いばらと戦いながら塔の壁を登ってゆくあたしのほうが、ずっとたくましいんじゃあないかしら、とマリアはひとり笑いました。

 ようやく塔のてっぺんまで登ったマリアは、反対側をふり向いてみました。森の木々よりも、ずっと高いところにいました。

 どこまでも遠くまで、緑が続いていました。高いところだってへっちゃらなマリアは、ここから毎日この景色を見られたら気持ちいいだろうなあ、なんて気楽に考えていました。

 窓は思っていたよりもおおきかったので、マリアはすんなりと中に入ることができました。

 塔の中はしいんと静かで、暖かな空気がマリアを包んでいました。木の優しいにおいが、鼻をくすぐります。

 お城の中も、そこら中に木の根や蔓がからみついていました。まるで木の中にいるような、不思議な感覚がしました。

 いよいよ、この城に住んでいる人のことがわからなくなりました。こんなにも不思議な城に住んでいる人は、いったいどんな人なのでしょう。ひょっとしたら、人ではないのかもしれないとマリアは思いました。

 けれど今はそんなことよりも、ベッドを探すことが先でした。とにかく、やわらかなベッドでねむりたかったのです。城を調べるのは、目が覚めてからにしようと思いました。

 マリアはひとつあくびをすると、塔のらせん階段をかけおりました。そして、広い部屋へとやってきました。

 そこは、城の中心部分だったのですが――。

「まあ……」

 マリアは思わず、両手を口にあてました。

 そこには、一本の木が生えていました。見あげるほどに、おおきな木です。しかし、ふつうの木とはすこしちがいました。

 その木の葉はみんな、金色にかがやいていました。ぎらぎらとした強い光ではなく、見た人をほっとさせるような、やわらかな光でした。

 その木の根っこが、城中に広がっていました。この城をかたどっている根はみんな、この木が元になっているのです。

(すごいわ……) 

 どこまでも力強い生命の力を、マリアは感じました。こんなにも美しい木を見たのは、初めてです。

 その木の下に、天蓋付きのベッドがひとつ、ぽつんと置かれていました。ベッドまで木でできています。

 天幕は閉じられていました。

「やった! ベッドがあるわ!」

 マリアは、ごきげんな気分でベッドにかけ寄りました。そして、天幕をめくろうと手をかけます。

「あら……?」

 天幕の奥に、だれかが横たわっている陰が見えました。

 この城に住んでいる人でしょうか。マリアの手が、迷うように止まりました。

 もし、城の主が悪いやつだったら? 天幕をめくったとたん、いきなりおそってくるかもしれません。

 どう考えても、勝手に入りこんだマリアの方が悪いのですが――念のため、マリアは背負っていた槍を手ににぎりました。

 再び天幕をめくろうとして、マリアはその手を引っこめました。

(いいえ、ちょっと待って。ねむっているとは限らないわよね。もし――もしもよ。ベッドの中の人が、人間じゃなくて、そんでもって、生きてもいなかったら?)

 マリアは青くなって、後ずさりました。急に、体がふるえ出します。

 暗い森も高い場所も動く植物も、そして魔物にだって立ち向かえるマリアがおそれているもの――それは幽霊。もしベッドの中の人が死んでしまっていたら、その人は幽霊になっているかもしれません。

 実際のところ、マリアは幽霊なんてものを見たことはありませんでしたが。しかし、正体がわからないものほどおそろしいものです。自慢の槍の先も、幽霊なら軽々とすりぬけてしまうような気がします。

 けれどここまで来たからには、ベッドの中を確認するまであきらめきれません。

 天幕の先に見える人陰。いったい、どんな姿をしているのでしょうか――。

(どうか、おばけなんかじゃありませんように……)

 そう祈りながら、マリアはつばをのみこむと――思いきって天幕をめくりました。

 そしてマリアは、目を見開きました。

 そこには――ちいさな女の子がねむっていたのです。

♫ Ⅲ その子の正体は

「まさか、本当にお姫さまがねむっているの?」

 マリアは、まじまじと女の子を見つめました。

 体が規則正しく上下していて、ちいさな呼吸もきこえてきます。

 きれいな青色の髪に、やわらかそうな桃色のほっぺた。耳の先がとがっていて、人間のものとはちがう形をしていました。

 そして額には、あの金色の木の葉を並べた形の冠がはめられていました。

 楽しい夢でも見ているのでしょうか。口元はうれしそうに、にこにこと笑っています。

 そして、見たことないものを大事そうにかかえていました。それは木でできていて、両手にかかえるほどの大きさです。卵を半分に切ったような形をしています。細い弦が張られていて、ちいさな鍵盤がいくつもありました。そして卵型の下の部分には、取っ手の形をしたハンドルがついていました。

(なにかしら、これ。それに青い髪の人なんて、初めて見たわ。耳の形も、ちょっと変わっているのね。でも、そんなことよりも……)

 なんてかわいらしいのかしら。この子の寝顔を見ているだけで、顔がほころんでしまいます。見た人を引きつけるような、不思議な魅力があって、マリアはどきどきしました。

 むりやり起こすのは、かわいそうです。この子が目を覚ますまで待っていようと、マリアは思いました。

 マリアは、女の子の顔をのぞきこみました。歳は、八歳ぐらいでしょうか。ほっぺたと同じぐらい、やわらかそうなちいさな手。ふれただけでこわれてしまいそうな、女の子でした。それぐらい、はかなく見えたのでした。

 あまりにかわいかったので、マリアはそっと女の子の頭をなでて、そして額にキスをしました。

 まるでお姉さんが、大切な妹を愛でるように。

 すると――女の子が、ぱちりと目を開けたのです。

 目を覚ましたのは、偶然だったのでしょうか? 本当におとぎ話のとおりに、キスで目覚めたように見えたので、マリアはおどろいて女の子の顔を見つめました。

 女の子は何度かまばたきをすると、そのままむくりと起きあがり、両手を高くのばしました。

「ふわあ。……おはよう。あなたは、だあれ?」

 女の子は、マリアを見つめかえしました。おおきなふたつの瞳は、エメラルドのようにきらめいています。

「……おはよう。あたしは、マリアよ。せっかくのねむりを起こしてしまったようで、ごめんなさい」

 おどろいた表情のまま、マリアはあいさつをしました。

 女の子は、首を横にふります。

「だいじょうぶ。夢の中で、そろそろ起きようかなって思っていたところだよ。なんだか、ものすごくたくさんねむった気がするなあ」

 そういって、もう一度おおきなあくびをします。

「あなたの、名前は?」

 マリアの問いかけに、女の子はすこし考えて――そしてにっこりと笑いました。

「ローナ! 妖精の、ローナ。はじめまして、マリア」

 そういったとたん、ローナのおなかがくううと鳴りました。

「ああ、おなかすいちゃったな」

 それをきいて、マリアはどこかでりんごを食べようとしていたことを思い出しました。

「そうだわ。あたし、食べ物を持っているのよ。それを食べながら、あなたのことをもっときかせてくれないかしら?」

 マリアのことばに、ローナはうなずきました。

 ここに座って! と、ローナがベッドをぽんとたたきました。マリアが座ると、ふんわりとベッドがしずみました。

 のしのしと体を動かして、マリアのとなりにやってきたローナは、にこにこと笑みをうかべながらマリアを見つめました。近くで見ると、より一層ローナの瞳がきらきらとしているのがわかりました。本当に宝石のようです。 

 マリアは荷物の中から、りんごをひとつ取り出しました。食べ物はこれひとつしかなかったので、とっておいてよかったとマリアは思いました。

「あ! りんご!」

 つるりとした真っ赤なりんごが、ローナのおおきな瞳に映ります。

「はい、どうぞ」

 ローナは、まるで宝物をあつかうかのように、両手でりんごを包みました。

「ありがとう、マリア! ……あれ? マリアの分はないの?」

「それ、ひとつしかないのよ。あたしはいいから、あなたが食べてちょうだい」

 本当は、マリアもおなかがすいていたのですが――自分よりも、ローナのおなかがいっぱいになればいいや、と思いました。

 ローナはすこし首をかしげると、りんごをマリアにかえしました。

「じゃあ、はんぶんこにしよう! 食べ物をだれかとはんぶんこにすると、量は減っても、そのぶんおいしくなるんだよ!」

 花がさいたような笑顔で、ローナはいいました。

 マリアはりんごを半分に切って、片方をローナにわたしました。なるほど、たしかにローナのいうとおり、いつもよりおいしく感じられたのでした。

「ローナは、ここに住んでいるの?」

 マリアがきくと、ローナはこまったように眉をひそめました。

「わからない。ローナね、自分の名前と、妖精であること以外は、なんにもおぼえていないんだ」

 それは大変だわ、とマリアも眉をひそめました。ねむっているあいだに、記憶を夢の中に置いてきてしまったのでしょうか?

「どうして、ここでねむっていたのかもわからないの?」

「うん……。マリアは、ここがどこかわかる?」

「森の中にあるお城ってことしかわからないわ。お城の周りは、いばらで囲まれていたの。それも、ひとりで勝手に動くいばらよ。通せんぼしてきたけれど、このあたしには敵わなかったの!」

 マリアは、いばらとの壮絶な戦いを、ローナに話してきかせました(だいぶん、おおげさに話していましたが)。

「そういうわけで、あたしはお城の一番高い塔の壁を、よじ登ってここまできたのよ」

「マリアって、すごいんだねえ! ローナだったら、絶対そんなことできないよ!」

 マリアの話に、ローナは楽しそうに笑いました。

 そしてどこかなつかしそうな目をして、遠くを見つめます。 

「自分のこと、なにもおぼえてないけれど……でも、ずっとだれかといっしょにいた気がする。こうして、毎日楽しく笑っていたような気がするんだ」

 この城には、ほかにもだれかいたのでしょうか。そうだとして、その人はどこへ行ったのでしょうか。

 それに、城の中へ入るにしても出るにしても、周りはいばらにふさがれているのです。マリアのように、いばらと戦った人が、ほかにもいたのでしょうか。

 しかし今はその人の行方よりも、もっと気になることがありました。

「ローナは、本当に妖精なの?」

 ローナは、元気よくうなずきました。

 古くから、妖精と出会った者は幸せになれるという言い伝えがこの世界にはありました。マリアも、その言い伝えを知っていました。

 どうして幸せになれるのかはわかりません。妖精がなんでも願いをかなえてくれるのかもしれませんし、いっしょにいればよい方向へと導いてくれる、幸運の神さまのような力があるのかもしれません。

 どんな姿をしているのか、どこに住んでいるのかもわからない種族を、多くの人が探し求めたといいます。

 自分が幸せになるために。

 けれど結局、だれも妖精を見つけることはできませんでした。みんなくやしがって、妖精なんて嘘だったのだと決めつけました。今では、その言い伝えを本気にしていな人たちばかりです。

 マリアがその言い伝えを初めてきいたのは、まだ幼いころでした。ちいさなマリアは、自分も妖精に会いたいと思いました。幸せにしてほしかったからではありません。幸せというものは、だれかにお願いするものではなくて、自分で見つけるものなのだと、マリアはちゃんと知っていましたから。

 ただ、妖精と友だちになれたらいいなと思ったのです。友だちになってお菓子をあげたり、いっしょに遊んだりしたいと思っていたのです。

(……そう。そうだわ。あたしは、妖精を探しに行ったことだってあったのよ。結局、見つからなかったけれど……)

 それから今まで、一度も妖精と会ったことはありませんでしたが、きっとどこかにいるのだろうと信じ続けていました。見つけられなかったからって存在を嘘だと決めつける大人たちに、「妖精に失礼だわ!」とおこったことさえあります。

「そうだよう。妖精はね、魔法を使ったり、薬草から薬を作ったりできるの。あとね、歌や音楽が大好きなんだよ!」

 自分がそんな言い伝えになっていることも知らず、ローナはおいしそうにりんごをかじりました。

 マリアはどきどきしました。ちいさいころから会いたいと思っていた妖精が、今目の前にいるのです。

 それに、魔法が使えるなんて! 魔法なんて、それこそおとぎ話の中だけのできごとだと思っていました。

 この不思議な女の子といっしょにいたら、きっとわくわくするようなことが起こるような予感がしました。

「あたし、妖精ってもっとちいさくて、羽がはえていて、きらきらした粉をふりまいているものだと思っていたわ」

 ローナは八歳ぐらいの女の子で、羽なんかはえていなくて、ぱっと見ただけでは人間の女の子となんら変わりませんでした。

「そういう妖精も、もしかしたらいるかもしれないね。でもローナたちは、人間とほとんど姿が変わらないから。だから、人間たちといっしょに暮らしていたんだよ」

 マリアは耳を疑いました。

(人間と、いっしょに暮らしていたですって? ローナったら、まだ夢の続きを見ているんじゃないかしら……)

 おそるおそる、マリアはローナにたずねました。

「あたし、妖精と出会ったのは初めてよ。たぶん、ほかに会ったことがある人も、ほとんどいないと思うわ。それなのにローナは、人間といっしょに暮らしていたというの?」

「うん。人間と妖精は、おたがいに助け合って生きていこうって約束したでしょう? ローナ、だれと暮らしていたのかはおぼえてないけれど――その約束は絶対、忘れないよ」

 妖精といっしょに暮らしている人の話なんて、きいたことがありません。そんな約束が交わされていたことも、初めて知りました。

 ローナは、家族や友達のことは覚えていませんでしたが、妖精がどうやって暮らしていたのかとか、魔法の使い方とか、薬草の見分け方とか――そういうことは、覚えていました。ローナの思い出だけが、すっぽりとぬけてしまっているのです。

 ローナは不安そうな顔をして、マリアを見あげました。

「マリアは妖精と人間の約束、忘れちゃったの? ううん、それだけじゃない。妖精を見たの、初めてっていったよね? ほかの妖精はどこにいるの?」

「……わからないわ。この世界では、妖精は言い伝えの中だけの種族なんだもの。約束のことだって、あたし知らなかったの」

「そんな……」

 ローナは顔をふせました。ひどく落ちこんでしまったようです。

 マリアはローナの背中を、優しくなでました。

「ごめんなさい、あたしが余計なことをいってしまったわね。だいじょうぶよ、きっと世界のどこかに、妖精たちが住んでいるところがあるんだわ。もちろん、人間といっしょにね。世界はとても広いんだもの。あたしが知らないことだって、たくさんあるに決まっているわ」

 マリアだって、まだ旅を始めたばかり。世界は広く、そして知らないことだらけなのです。妖精たちといっしょに暮らしていた人たちがどこかにいても、不思議ではありません。案外、この近くにそんな村や町があるのかもしれません。

 それに、どこかで人間と妖精がいっしょに暮らしているなんて、とてもすてきなことです。早くその場所に行ってみたいとマリアは思いました。

 マリアのことばに、ローナもすこしずつ元気を取りもどします。ふにゃりと笑って、うなずきました。

「ありがとう。そうだよね、きっと会えるよね」

 そういって、ローナは頭をかきました。するとその手が、自分の額の冠にふれました。

「あれ? なんだか変なものが、ついてる」

 ローナは首をかしげます。

「あなたの額に、葉っぱの冠がはめられているわよ。ほら、このベッドの後ろにある木と、同じ葉の形をしているわ」

 ローナはベッドから降りて、金色にかがやく木を見あげました。

 そして大きな瞳を、さらにおおきく見開きました。

「これは……妖精の木だ」

「妖精の木?」

「妖精が生まれる木だよ。妖精は、木から生まれるんだ」

 どういうこと? と、今度はマリアが首をかしげました。

「この木が育って、花がさくと――やがて、おおきな木の実ができるんだ。その木の実から、妖精は生まれるんだよ。だから妖精にとっては木がお父さんでもあるし、お母さんでもあるんだ」

「じゃあ、ローナはこの木から生まれたの?」

 ローナは、頭をかかえました。

「わからない。ふつうは、一本の木にひとつ木の実がなって、そこから妖精がひとり生まれるんだ。たまに、ふたつ木の実がなって、兄弟や姉妹になるときもあるんだって。でも、この木がローナを生んでくれたかどうかは、わからない……」

 金色の木は、ただ静かにローナとマリアを見おろしています。

「大事なことなのに、どうして思い出せないんだろう……」

 ローナは悲しげな顔をして、その木の幹をそっとだきしめました。

 人間のマリアにとっては、木から生まれたという話だけでもとても不思議なものでした。

 人間と同じような姿をしていても、やっぱり自分とローナはまったくちがう種族なのです。

 マリアはそっと、ローナにいいました。

「……ローナは、わからないっていったけれど。この木はずっと、あなたのそばにいたのよ。まるで、あなたを守るようにね。それってやっぱり、この木があなたの両親だからじゃないかしら」

 根をのばして城をつくったのも、いばらで囲んでだれも入れさせないようにしたことも、みんなローナを守るため――マリアは、そんな気がしたのです。

 たとえ種族がちがえども、お父さんやお母さんが子どもを大切にする気持ちは、きっとみんな同じなのだろうとマリアは思いました。

「……そう、かな。うん、きっとそうなんだね。……ずっと、ローナのそばにいてくれてありがとう」

 ローナは優しく、だきしめた幹をなでました。

 風もないのに、木の葉が優しくゆらいだような気がしました。

「額の冠も、この木と関係があるのかしら? ほら、同じ葉っぱの形だもの」

「それも、わからない……。でも、いつもは冠なんてついていないはずなんだ。ほかの妖精たちにきけば、わかるかもしれないなあ」

 ローナの失った記憶も、冠のことも、知るためにはほかの妖精に出会うしかなさそうです。

 ローナはしばらく愛おしそうに、金色にかがやく妖精の木をだきしめていました。

「ところで、マリアはどうしてここにきたの?」

 幹をだきしめていた両手をはなして、ローナがマリアにたずねました。

「あたしは、世界をめぐる旅の真っ最中なの。この森をぬけた先に、レープクーヘンという王国があって、そこを目指していたんだけれどね。持っていた地図がまちがっていて、道に迷ってしまったのよ。それで森をさまよっていたら、このお城を見つけたというわけ」

 迷ったのはあくまでも「地図のせい」であることを、マリアは強調して伝えました。

「わあ! 世界を旅しているなんてすごいね!」

「まあね。ものすごく高い山や、見わたすかぎりに広がる海。王国や都だってたくさんあって、それぞれちがった暮らしをしているのよ」

 得意そうに話すマリアを見て、ローナは目をかがやかせました。

 実際のところは、マリアは自分の足で山を登ったことはありませんでしたし、故郷以外の国や村は、まだ数えるほどにしか行ったことはありませんでした。ローナが素直にすごいと尊敬のまなざしを向けてくれたので、すこしおおげさにいってみたくなったのです。

(これから行く予定なんだし、いいわよね)

「いいなあ。きっと、すてきな世界が広がっているんだね」

 ローナは、うらやましそうにマリアを見つめました。エメラルドのような瞳は、憧あこがれに満ちています。

 マリアはすこし考えて――ローナにひとつ提案をしました。

「ローナ。あなたさえよければ、あたしといっしょに妖精を探しに行かない? ほかの妖精たちに会えれば、きっとあなたの記憶だってもどるわよ。額の冠のことも、わかるかもしれないし」

「ほんと?」

 ローナは、うれしそうにいいました。けれどすこしだけ顔をくもらせて、妖精の木の方に目を向けました。

「でも……ローナがここをはなれたら、この木がひとりぼっちになっちゃう。それってきっと、とてもさびしいことだよね。この木はローナのことをずっと守ってくれていたのに、ローナはなにも、この木にしてあげられていないんだ」

 ローナがつぶやくと、それがきこえたかのように、金色の葉がゆれました。

 すると、ローナのとがった耳がぴくりと動きました。

〈だいじょうぶ。いってらっしゃい〉

 優しくて、おだやかな木のことばが、ローナにはきこえたような気がしました。

 やがてローナは決意したように、再びマリアの方へとふり向きました。

「ローナ、マリアといっしょに行きたい。自分の足で世界を歩いて、記憶を取りもどしたい。自分の力で、妖精たちを見つけたい」

 そのことばに、マリアはにっと笑いました。

「そうこなくっちゃ。旅は、新しいことがいっぱいよ。よろしくね」

「ありがとう! ふつつか者ですが、よろしくお願いします!」

 ローナはぺこりと頭をさげました。ちいさなローナが、ふつつか者なんてことばを使うのがなんだかおもしろくて、マリアは笑いました。

 こうして、ふたりはいっしょに旅をすることになりました。

 世界のどこかに、妖精たちがいることを信じて。

♫ Ⅳ 妖精の魔法

 さて。そうと決まれば、さっそくこの城から出ようということになりました。

 ローナは、ねむっているあいだも大事そうにかかえていた、卵型の機械のようなものを肩からさげました。

 ローナの荷物は、たったこれだけです。

「ずっと気になっていたの。それ、なにかしら?」

「これはね、ローナの楽器だよ」

「楽器?」

 町で楽器ひきの人たちを何度か見かけたことはありましたが、ローナの持っている楽器は、一度も見たことがありませんでした。

 ハーディ・ガーディという楽器だよ、とローナが教えてくれました。

 下の部分についたハンドルを回すと、張られていた弦が中の円板とこすれて、音が出る仕組みのようです。

「妖精は生まれたときから、楽器をひとつ持っているんだ。ローナの宝物なの」

 ローナは、そっと楽器をなでました。

 しかしこまったことに、この城の入り口はいばらがふさいでいるのです。もし入り口を開けてくれなければ、また塔の窓から壁をつたっておりてゆくしかありません。

「あたしはたぶん、塔の窓からおりられるけれど……ローナは、ちょっとむりそうよね」

 ローナの手はやわらかくてふにふにしていて、まるで力がなさそうなのです。手をすべらせて、塔から真っ逆さまなんてことになったら元も子もありません。

 体はマリアよりもずっと小柄でしたが、ローナをかかえて壁をつたうのは、さすがのマリアもできないと思いました。

 どうしましょう、とマリアが考えていると。ローナがにこっと笑いました。

「だいじょうぶ。妖精と自然は、友だちだから。ローナがここを出たいっていえば、きっといばらたちも道を開けてくれるはずだよ」

 そういって、ローナはそっと城の扉に手をかけました。

「ここから、出てもいいかな。今まで守ってくれて、ありがとう。もう、だいじょうぶだから」

 ちいさく語りかけるように、ローナはつぶやきました。

 そして、城の扉をゆっくりとおします。

 すると――あんなにも入り口が固く閉ざされていたというのに、すんなりと扉が開いたのです。

 いばらは、はしっこによけて道を開けてくれていました。

「……妖精って、すごいのねえ」

 マリアがしみじみといいました。

 ローナの足が、ついに城の外へとふみ出したとき。

 突然、地面がゆれ始めました。辺りに、砂ぼこりがまいあがります。

 おどろいたふたりが、ふり向きました。

 城が、かれてゆくところでした。さっきまで、たくましくそびえていた植物の城が、みるみるうちに茶色くなって、かれてゆくところでした。

「そんな!」

 ローナが、城にかけ寄ろうとします。

「だめ、あぶないわ!」

 マリアがローナの体をつかんで、引っ張りました。このままここに立っていたら、つぶされてしまいます。

 妖精の木も、囲んでいたいばらも、なにもかもがかれてゆきました。

 いばらの先が、ゆれています。それがまるで、さよならと手をふっているかのように見えました。

「まって! おねがい、いかないで!」

 ローナは必死に、手をのばしました。その手はむなしく、空を切ります。

 あっというまのできごとでした。

 さっきまで目の前にあった、立派な城はもうどこにもありません。

 かれ果てた植物たちが、風にふかれてゆれているだけでした。

 ローナは、その場に座りこみました。そしていつまでも、かれた植物たちをじっとながめていました。

「ローナ……」

 マリアが、ローナの肩に手をのせました。ちいさな体が、さらにちいさく見えました。

「……きっとね、あなたを守る役目が終わったんだわ。あなたが、どれぐらい長くねむっていたのかはわからないけれど。あなたが、自分の意思で外に出ようと思った。だからあの木も、もう休もうと思ったのよ」

「マリア……」

 ローナが、マリアの手をにぎりました。マリアもその手を強く、にぎりかえします。

「……そうだね。植物はね、たとえかれてしまっても、命までは消えたりしない。土にかえって、また新しい命となるんだ。だから、きっとまた会える。悲しくないよ」

 ローナは、そっと微笑みました。

 ふたりが、ほっと息をはいたのも束の間。

 背後で、うなり声がきこえました。ふりかえると、ふたりの後ろに巨大な獣が立ちはだかっていました。毛並みは真っ黒。そして、なんと頭が三つもありました! 六つの目はどれも、血のように赤くかがやいています。

「うわあ! なに、あれ!」

「魔物だわ! あたしがやっつけるから、ローナはかくれていてちょうだい!」

 マリアは魔物をにらみつけて、背負っていた槍を構えました。

 頭が三つもある魔物を見たのは初めてです。それでもマリアはおそれることなく、槍の先を魔物に向けました。

「かかってきなさいよ! あんたなんか、こてんぱんにしてやるんだからね!」

 魔物はそれにこたえるようにおおきくほえて、マリアに飛びかかりました。

 真ん中の頭が、マリアにかみつこうと首をもたげます。それをよけ、その首めがけて、勢いよく槍をふりおろしました。

 真ん中の頭が、地面に落ちました。黒い塵となって、ばらばらになって消えてゆきます。

 しかし、その塵はひとりでに集まって、再び頭となって首にくっついてしまったのです。

「ええっ。そんなの、きいてないわよ!」

 おどろきながらも、マリアがもう一度、槍の先をふるいます。

 しかし、右と左の頭を斬り落としても同じ。すぐに元どおりになってしまうのです。これではきりがありません。

 せまりくる魔物の牙を必死でよけながら、マリアは考えます。

「頭は三つでも、体はひとつよね。それならきっと、体をねらえばいいんだわ!」

 マリアは魔物の体の下にもぐりこもうとしました。しかし、三つの頭がそれを防ぎます。頭が邪魔をするせいで、なかなか思うようにいきません。目が六つもあるせいで、背後に移動してもすぐにマリアの姿をとらえてしまうのです。

「きゃあっ」

 もぐりこむのに夢中になりすぎて、背後からおそいかかってきた頭に気がつきませんでした。背中に盛大に頭突きをくらったマリアは、そのまま地面を転がります。

「もう! いたいじゃないのよ!」

 きっ、と魔物をにらみつけてさけびます。

 マリアをおしつぶそうと、のしかかってきた魔物の右足を間一髪、槍の柄で受け止めました。

 ものすごい力です。マリアは歯を食いしばって、魔物の右足を受け止め続けます。絶対に負けるものかと、マリアは槍を持つ手に力をこめました。しかしどうにかここからぬけ出さなければ、このままおしつぶされるか、かみくだかれてしまいます。

 真ん中の頭が、がばっと口を開きました。

 かまれる! 思わずマリアは目を閉じました。

「そこの、真っ黒な悪い子! マリアにかみつくなんて、絶対にゆるさないよ!」

 かわいらしい声とともに、速い旋律が森中にひびきわたりました。

 ハーディ・ガーディを構えたローナが、とてもすばやい指さばきでひいていました。右手でハンドルを回し、左手でいくつもの鍵盤をおします。

「ハーディ・ガーディ・カンタービレ! おおいなる森の植物たちよ、マリアを助けて!」

 旋律を奏でながら、ローナが呪文を唱えました。

 その音色に共鳴するかのように、地面がゆれ出します。

 すると魔物の足元から、太い蔓が勢いよくのびて、魔物の体をしめつけました。魔物が苦しそうに、うめき声をあげます。

 この隙を、マリアがのがすはずがありません。

「さあ、観念なさい!」

 しっかりと槍を構えると、マリアはすばやく魔物の体めがけて、槍をふりあげました。

 魔物の体すべてが、塵となって――今度こそ、本当に塵となって消えてゆきました。それきり、よみがえることはありませんでした。

 辺りが、しんと静まります。

 ふう、と息をひとつはくと、マリアはローナの方へとかけ寄りました。

「なんだかよくわからないけれど、助かったわ! ありがとう。ローナは、すごい力を使えるのねえ!」

 興奮したようにいうマリアに、ローナもうれしそうに笑いました。

「よかった。マリアが無事で……」

 そこまでいいかけると、力がぬけたようにローナがその場にたおれこみました。

「ローナ! どうしたの? だいじょうぶ?」

 あわてて、マリアがローナの体をだき起こします。

 ローナはまるで深いねむりについたかのように、気を失ってしまったのでした。

 ローナが目を覚ますと、辺りはすっかり暗くなっていました。

 木々の隙間から、白くかがやく星と月が見えます。

 ゆっくり体を起こすと、すぐとなりでマリアが心配そうにこちらをのぞいていました。

「よかった、目が覚めたのね。気分はどう?」

 たき火に照らされて、マリアの顔がゆらめいています。

「うん。もうだいじょうぶだよ。ローナ、どうなっちゃったの?」

「あたしを助けてくれたあと、気を失ったのよ。その楽器を鳴らして、なにか呪文を唱えていたわ。そうしたら、おおきな植物が地面から生えてきたの」

 マリアは、ローナがかかえていた楽器を指さしました。

「もしかして、あれが妖精の魔法なの?」

 マリアの問いかけに、ローナはこくりとうなずきました。

「……妖精は、楽器を鳴らして、自然の力を借りた魔法が使えるんだ。雨を降らせることも、風を起こすことだって、できるの。そうやって、妖精たちはこまっている人たちを魔法で助けるんだよ」

「すごいじゃない。人間にはできない、すてきなことよ」

 けれどローナは、悲しげにうつむきました。

「でもね、ローナは魔法を使うのがへたくそなんだ……。魔法を使うときは、いつも心を落ちつかせていなくちゃいけない。さっきみたいに、自分の気持ちが高ぶったまま魔法を使うと、その反動が自分の体に返ってくる。そうすると、気を失ったり、けがをしたり――死んでしまうことだってある」

 死――そのことばに、マリアは、息をのみました。

「どうしても、マリアを助けたくて。絶対に、マリアを死なせたくなくて。そのことだけを考えて、必死で楽器を鳴らしたの。けれど結局、自分が気を失っちゃった。もっと、うまく魔法を使えるようになりたいのに」

 マリアは思わず、ローナの体をだきしめました。ローナの体が、びっくりしたようにふるえました。

 魔法を使うことが、そんなにも危険なことだなんて夢にも思っていませんでした。自らの命を危険にさらしてまで、自分を助けてくれたローナに感謝すると同時に、なんてはかない女の子なのだろうと思いました。

「本当にありがとう、ローナ。あたしを助けてくれて。あなたはあたしの、命の恩人だわ」

 マリアの感謝の言葉に、ローナは微笑みました。

「どういたしまして。あのね、だれかの役に立てることが、ローナにとって、心からうれしいことなんだ」

 ふたりは、じっとたき火の前に座っていました。

「さっきの黒いやつは、なんだったの?」

 ローナが、マリアにたずねました。

「あれは魔物。生きる者をおそう、ひどいやつら。人間も、動物も、きっと妖精の命だって、うばおうとするのでしょうね」

 たき火のゆらめく赤い光を見つめながら、マリアはいいました。そのとなりでは、ローナがちいさな眉を寄せながら首をかしげています。

「ローナね、魔物ってはじめて見たような気がするよ……ローナが生まれたころは、魔物なんていなかったような気がするんだ」

 マリアは目をまたたかせました。

「そんなはずないわよ。だって、あたしがちいさいころには、もういたもの。ローナがおぼえていないだけじゃないかしら? 魔物は暗い森の奥や、洞窟の奥にいるから、見たことないって人はいるだろうけど……でも、知らない人はあんまりいないと思うわ。子どもだって知っているし、歌にだって出てくるもの」

 ローナはマリアよりも、ずっとずっとちいさな女の子でした。当然、マリアよりもあとに生まれてきたはずです。

 ローナはまだ首をかしげていましたが、ひとまずマリアのことばに納得したようでした。

「そっかあ。じゃあ記憶がもどったら、思い出すかもしれないね。それにしても、魔物ってなんだか変だったな。どうしてだろう。動いていたけれど、生きているようには思えなかったんだ」

 ローナのことばは、おかしなものでした。けれどマリアは笑わずに、とてもまじめな顔つきでうなずきました。

「魔物はね。あたしたちが感じた憎しみや恨みや、絶望の気持ちから生まれてくるのだそうよ。ふつうの生き物とはちがうの。そして、魔物を見た人の心を見すかして、その人が最もおそれているものに、姿を変えてしまう」

 ローナはおどろいて、そのおおきな瞳をまんまるにさせました。

「じゃあ、さっきの頭が三つある子は、マリアが最もおそれているものの姿だったってこと?」

 マリアは首を横にふりました。

「魔物は、いつもは牙がある獣とか、するどいくちばしのある巨大な鳥とか、それか……おおきな翼をもつ竜だとか、そんな姿をしているの。魔物は、人のよくない気持ちから生まれたものだから……そういう、みんながこわいと思う姿をしているんじゃないかしらね。あたしはあんな魔物、全然こわくないわよ! こわいのは、もっと別のもので……」

 たとえば幽霊とか、といいかけて、あわてて口をおさえました。自分のこわいものをだれかに知られてしまうのは、なんだかくやしい気持ちがしたのでした。

「じゃあ、どうして魔物はマリアのこわいものにならなかったの?」

 ローナの問いかけに、マリアは微笑みました。

「大好きな人からもらった、大切な贈り物を持っているから。それがあれば、その贈り物が心を守ってくれる。心さえ魔物に見すかされなければ、魔物は姿をかえることはないのよ」

「そうなんだ……それなら、ローナもきっとだいじょうぶだね。妖精の木からもらった、ハーディ・ガーディがあるもん」

 ローナはそっと、だきかかえていたハーディ・ガーディをなでました。

 そして、マリアの顔をのぞきこみました。

「マリアの大切なものはなに? おしえてくれる?」

「あたしは、この槍が宝物。旅をしながら、この自慢の槍で魔物をやっつけることにしているの。魔物がいなくなれば、みんなも安心できるでしょうから」

「すごい。じゃあマリアは、みんなを助けるために旅をしているんだ!」

 みんなを助けるため――そのことばに、一瞬だけマリアの胸が、ちくりと痛みました。マリアの心の奥底に、大切な人の顔がうかびました。

 けれどすぐに笑って、得意げに胸をたたきました。

「まあね。でも当分は、妖精たちを探すことの方が大切だから、魔物退治はお休みすることにするわ。さっき、あなたに助けてもらっておいていうのもなんだけれど、ローナにこんなあぶないことをさせるわけにもいかないもの」

「ローナもマリアのお手伝い、するよ!」

 ローナは勢いよく、マリアの手を取りました。

 マリアはおどろいて、ローナを見つめます。

「どうして? 運が悪かったら、死んじゃうかもしれないのよ」

「だからこそ、だよ。マリアがどれだけ強くたって、槍をふりまわせたって、ひとりはあぶないよ。さびしいよ。でも、ふたりだったらあぶないことも、さびしさだってはんぶんこにできるから。助け合うことだって、できるじゃない?」

「でも……やっぱり、だめよ」

 もし、ローナが魔物にやられて死んでしまったら――それを考えただけで、マリアは胸がつまる思いがしました。

(そんな悲しい思いは――もう二度としたくないの)

 けれどローナはマリアの手を取ったまま、首を横にふるのでした。

「さっきの魔物、とても悲しそうだった。そりゃあ、憎しみとか絶望とか、そんなものから生まれているんだから、そういうふうに感じるものなのかもしれない。でも……なんだか、無理やり生まれてきてしまったような気がするんだ。魔物だって、本当ならこんな悪いことをするために生まれてきたくなかったんじゃないかって。魔物をたおしたら、体は塵にはなっちゃうかもしれないけれど。でも、それはきっと、みんなを休ませてあげることにも、なると思うんだ」

 魔物たちのため、というローナの考えにマリアはおどろきました。みんな、魔物におそわれるのがこわくて、魔物たちがどんな気持ちでいるのかなんて考える人はいませんでしたから。

 マリアは、ふわりと微笑みました。

「ローナって、優しいのね。……きっとこれから旅をしていくうちに、さっきみたいに魔物と出会うことがきっとある。そうしたら、あたしといっしょに、立ち向かってくれるかしら?」

 ローナのことは、自分が守ればいいのです。絶対にこの子を死なせはしないと、マリアは心にちかいました。

 任せてよ、とローナはおおきくうなずきました。

「魔法は、まだまだへたくそだけれど……でも、薬草を集めるのは得意なんだ! どんなけがや病気だって、治せる薬を作れるんだよ」

 ローナの話をきいて、マリアはどうして妖精が幸せを呼ぶといわれているのか、すこしわかったような気がしました。

 たとえば雨が降らない土地に、妖精が魔法で雨を降らせてあげたら、人はきっとそれを奇跡と呼ぶでしょう。不治の病におかされていたとしても、妖精が作った薬があれば、治すことができるのです。

 そうやって妖精たちはずっと、人間を助けてくれていたのでしょう。

 人間は妖精のようなことは何もできないけれど、ローナが無事にほかの妖精たちと出会えて、そして幸せになれたらいいなと、マリアは思いました。その手伝いがすこしでもできたらいいなと、思いました。

「魔法だって、練習すればきっとうまくなるわよ。あたしだって、初めから槍を使いこなしていたわけじゃないわ。いっぱい練習したのよ。だからだいじょうぶ。すこしずつ、いっしょにがんばりましょう」

 マリアのはげましのことばに、ローナはうれしそうに笑いました。

「ねえ、なにか曲をひいてくれないかしら。ええと、魔法じゃなくて、ふつうの演奏をね。あたし、もっとローナの音楽をききたいわ」

 もちろんだよ、とローナはうなずいて、ハーディ・ガーディを構えました。ハンドルをくるくる回して、軽やかに鍵盤をおしてゆきます。楽器はひとつしかないのに、たくさんの音色がきこえてくるような、不思議な音色でした。

 それに合わせて、ローナがうたいました。

 あなたが生きたその軌跡を

 音にのせて 歌にのせて

 伝えてゆくよ

 立ち向かう勇気や だれかを愛する想いや

 自分を傷つけてしまう優しさや だれかを守る強さ

 それをみんな 伝えてゆくよ

 それはきっと……

 そこまでうたうと、ローナは急に手を止めてしまいました。

「……続きが、思い出せない。どうしよう。とっても、大切な歌だった気がするのに」

「記憶を取りもどしたら、きっとまたうたえるわよ。そのときに、またきかせてね」

「うん……久しぶりに、楽器をひいたんだ。弦が古びちゃってるなあ。あとでしっかり、お手入れしないとね」

 ローナは慎重な手つきで、楽器をいじっています。

「楽器をひくことが、本当に好きなのね」

「うん! 妖精にとって、楽器は命と同じぐらい、大切なものだからね。でもね、本当に大切なものは、楽器じゃないんだ」

「どういうこと? それはなに?」

「だれかを想って、音楽を奏でる気持ちだよ。楽器は、それを助ける道具にすぎないもの。音楽は、喜びや、悲しみや、怒り、幸せ……想いを表現するのに、ぴったりなものだから。想いのこめられた音楽は、きっとだれかの心を動かすよ。それは、妖精も、人間も、関係ない。ローナたちはこれからも、だれかに大切なことを伝えるために、音楽を奏でながら生きてゆくよ」

 そんなローナの姿が一瞬、とても大人びて見えました。どうしてか、とても長い時を生きている大人のように見えたのです。

「ふふ。それはきっと、人間も同じだわ。音楽というものはきっと、いつだって人々のそばにあるのでしょうね。歌声や楽器の音色で、うまく伝えられない想いやことばを、あたしたちは音楽にのせてきたんだわ」

 マリアは楽器をひいたことがありませんでしたが、ローナの話をきいて、ひとつ思い出したものがありました。

 それは、お母さんがいつも歌ってくれていた子守唄。マリアが安心してねむれるように、いい夢を見られるように、心をこめてうたってくれた子守唄。

 明日も元気に過ごせますようにと、お母さんの願いがこめられた子守唄が、マリアは大好きだったのです。

「そう……そうね。音楽って、いいものよね」

 マリアは、夜空を見あげました。

 今日だけで、いろいろなことがありました。

 言い伝えでしか知らなかった妖精、へんてこな形をした楽器に、自然の力を借りた魔法。いばらで包まれた城……。そのどれもが、マリアにとって不思議ですばらしいできごとでした。

 そもそも、ローナと出会えたのは道に迷ったからでした。それを思うと、でたらめの地図も悪くないな、とマリアは笑いました。

 ローナはころりと横になったとたん、すやすやと寝息をたてました。かわいいな、とマリアは思いました。

(お城の中でも寝ていたのに、よく寝る子ねえ)

 ローナのとなりにマリアも寝そべって、ちいさく子守唄を口ずさみました。

(母さまのように、うまくはうたえないけれど……)

 そう思っていたのは本人だけで、じつは森に住む動物たちや虫たちや、植物たちも、みんなその歌声にうっとりと耳をかたむけていたのでした。

 やわらかい月の光に

 小鳥も ゆらり 眠る

 おやすみ 小さな手のひら

 静かに 包み込んで

 いつでも すぐそばにいるよ

 やさしい そのこころに

 あふれるような ぬくもりが

 絶えぬように 願いながら

 ローナは口元をゆるめて、マリアの服の裾をつかんでいます。

 絶対にはなれないと、強い意志をもっているかのように。

 ねむっているローナの顔を、のぞきこみました。

 胸の奥が、ざわめいています。

 ねむる前、ローナがマリアにいいました。

「マリアってなんだか、優しいお姉ちゃんみたい」

 それは、なんでもないひとことでした。けれどそのことばは、マリアの胸に深くつきささったのです。

 ローナのきれいな青い髪を、そっとなでます。

「クレア……」

 そうつぶやいたとたん、とてつもない苦しさにおそわれました。

 視界がゆれました。

 声には出さずに、マリアはローナに語りかけました。

(ねえ、ローナ。あたしにはね、妹がいたの。クレアという妹。あたしは……本当にお姉ちゃんだったのよ。
 クレアはすこしどんくさいところがあって、なにもないところで転んでしまうような子だった。でも、いつも勉強熱心で、あたしなんかよりもずっと頭がよかったわ。あまえんぼうで、いつも「お姉さま、お姉さま」って、あたしの後ろをついてきていたの……)

 大好きな、大切な妹でした。

 マリアは、ゆっくりと瞳を閉じます。

 まぶたの裏に、幼いころの記憶が映し出されました……。

♫ Ⅴ マリアが旅に出たわけは

 今から、数年前のこと。 

 この世界の北の大地に、ひとつの国がありました。とてもちいさいけれど、いつも人々の笑顔であふれている国です。

 寒さが厳しいところではありましたが、みんなで助け合って暮らしていました。薪がなくなれば、となりの家の人が分けてくれたし、だれかが迷子になったという話をきけば、国中の人が探しに出かけました。

 住むところがどれだけ寒かろうと、人々の心はとても温かったのです。

 国の中には湖がひとつあって、その真ん中に城が建っていました。そこが、マリアの家でした。

「マリアさま! 今日という今日は、しっかりお勉強机に座ってくださいませ! クレアさまは、とっくに準備をなされていますよ!」

 教育係の先生が、おこったように腰に手をあてます。もはや日課のようにいわれているお小言でした。

「はあい。すぐに行きますから!」

 そのころ、まだ八歳だったマリアは元気よくこたえました。心の中では、顔をしかめていました。マリアは勉強なんて、これっぽっちも好きではなかったのです。

 マリアにとって、一時間以上も椅子に座り続け、文字だけの本をながめ続けるなんてことは、空腹よりもいやなものでした。

 先生は疑り深い目で一度マリアを見ると、ため息をついて図書室の方へと向かってゆきます。

 その背中が見えなくなるのを、しっかりと見届けて――マリアは風のように走って、ある部屋へと向かいました。

 そこは、城に仕える人たちが寝泊まりする部屋でした。今は朝なので、当然みんなは働きに出ていて、だれもいません。

 マリアはかくしておいた、厚着のコートと赤いリボンのついた頭巾を取り出しました。これがないと、とても寒くて外に出ることはできないのです。

 しっかりとそれを着こんで、マリアはくもった窓を勢いよく開けました。

 つめたくて、新鮮な空気が部屋の中にふきこみます。雲ひとつない青空が目に飛びこんできました。

「今日は雪の降っていない、とっても貴重な日よ! こんなにもすてきな日にお勉強だなんて、先生ったらどうかしているわ!」

 マリアは図書室の方に、べえっと舌を出すと、窓からひらりと飛び降りました。

 そして、町の方へと軽やかにかけ出します。

 途中で、おおきく盛り上がった雪の丘に立ち寄りました。そこからなら、城も町も見わたすことができるのです。

 朝日に照らされて、積もった雪がきらきらと虹色にかがやいています。国全体に雪が積もっているので、まるで国が大きな虹に包まれているようでした。晴れたときにしか見られない、めずらしい光景でした。

 マリアは、ここからの景色が好きでした。このこごえるような寒さも、虹色にかがやく雪も、なにもかもが大好きでした。

 はあっ、と真っ白な息をひとつはきます。そして再び、町の方へとかけ出しました。

「また、うちのおてんば姫さまがやってきたぞ」

 マリアは町の通りを、転がるようにかけてゆきます。それを見た人が、微笑ましげにつぶやきました。頭巾をかぶっていたって、町の人たちにはすぐばれてしまうのです。こうしてマリアが、こっそりひとりで町へとやってくるのは、しょっちゅうでしたから。

 マリアは、お気に入りのお菓子屋の扉を開けました。ちりん、と扉についたベルが、お客がきたことを伝えます。

「こんにちは! いつもの、くださらないかしら?」

 マリアは丁寧な口調で、お店の主人に声をかけました。白いひげをたくわえた、優しいおじいさんです。そのとなりには、毛糸の帽子をかぶったかわいらしいおばあさんもおりました。

「これはこれは、マリアさま。本日も、おしのびで?」

「まあ、そんなところですわ! だって、先生がお勉強しなさいなんて、おっしゃるんですもの。こんなにもいい天気なのに、もったいないですわ!」

 そうこたえながら、マリアはコートのポケットから銅貨を二枚取り出して、おじいさんにわたしました。

「あいかわらずお元気そうで、なによりです。けれどあまりおてんばが過ぎますと、また国王陛下におしおきされてしまいますぞ」

「ばれなければ、だいじょうぶよ! だから、あなたたちもだまっていてちょうだいね」

「善処いたしましょう。マリアさまは、うちの大事なお客さまですから。これからもいらしていただかなくては、こまりますからの」

 おじいさんはいたずらっぽく笑いました。おばあさんはにこにこしながら、棚からお菓子をふたつ出して、マリアのちいさな手にのせてくれました。

「ありがとう! クレアも喜ぶわ」

「クレアさまは、お元気ですか?」

「ええ。お医者さまからも、すこしずつ元気になっていますっていわれているわ。だから今度ここにくるときは、クレアもいっしょよ!」

 そういって、マリアはひまわりのように笑いました。

 気がつけば、太陽はすでに高くのぼっています。今ごろ城の図書室では、教育係の先生が眉をつりあげているでしょう。

 おじいさんに別れを告げて、マリアは城へと再び走り出しました。

 ぬき足、差し足、しのび足。物音を立てぬよう、飛び出した窓の方へと向かいます。

 しかし、城の角を曲がったところで、後ろから大声をかけられました。

「マリア!」

 マリアはびくりと体をふるわせました。ふり向かなくても、だれだかすぐにわかります。

「また、ひとりで城をぬけ出したりして! 先生にご迷惑をおかけしてはだめだと、いつもいっているだろう!」

「エ、エリクお父さま……!」

 青い顔でふり向きます。けれど買ったお菓子だけは、いそいでコートのポケットにつっこみました。せっかく手に入れたお宝を、ここでとられるわけにはいきません。

 マリアのお父さん――エリクは厳しい顔をして腕を組んでいましたが、ふいに意地悪く笑いました。

「マリア。罰として、今日は槍の稽古はなしだ。代わりにわたし自ら、おまえの勉強を見てやろう。そうだな……この世界の歴史がびっしりと書かれている、三千ページの本を教科書にすることにしよう」

 三千ページ! 考えただけで頭がくらりとしました。それに槍の稽古がないのも、マリアにとってはつらすぎる事態です。体を動かすことが大好きなマリアにとって、エリクとの槍の稽古は、城での暮らしの中でとても大切な時間でした。

「父さま! せっかくのおさそいですが、ごえんりょさせていただきます!」

 マリアはだっとかけ出しました。しかしエリクは、マリアの動きなどお見通しでした。

 あっというまに、マリアの体を脇にかかえてしまいました。マリアがばたばたと暴れても、エリクはすずしい顔をしています。

「さあ、楽しいお勉強の時間だぞ」

「えーん! 父さま、ごめんなさい!」

 脇にかかえられたまま、マリアは図書室の方へと連れられてゆきました。

「よし、じゃあ今日はここまでにしよう」

 結局マリアは半日も、文字だけのおもしろさのかけらもない本を読まされるはめになりました。終わるころには、マリアは灰のように燃えつきていました。長いこと座りすぎて、お尻がやけどをしたように痛みました。

 大変つらい時間でしたが、こんなにも長くエリクがマリアといっしょにいてくれたのはめずらしかったので、ほんのすこしだけ、うれしくもありました。

 いつもエリクはいそがしくて、食事の時間と槍の稽古の時間ぐらいしか、いっしょにいられないのです。暇ができても、体の弱いクレアを心配することが多くて、マリアは城の中では、ひとりでいることが多かったのでした。

「さあ、マリア。がんばったから、ほんのすこしだけ槍の稽古をしてあげよう」

「ほんとう?」

 マリアはお尻の痛みも忘れて、勢いよく立ちあがりました。

 ふたりは、訓練場へと向かいました。

 エリクの持つ、立派な槍が夕日に照らされてきらりと光りました。マリアが持っているのは、エリクの槍の半分ほどの長さしかありません。はやく、あたしも父さまみたいな槍を持てるようになりたいなあ、とマリアはいつも思っていました。

 そしてふたりは、何度も槍を打ち合いました。

 こごえるような寒さの中だというのに、マリアの額には汗がうかんでいました。

 稽古が終わるころには、辺りはすっかり暮れていました。

「ありがとうございました」

 マリアは丁寧に、エリクに頭を下げました。

「強くなったな、マリア。このままではわたしなど、すぐに追いこされてしまいそうだ」

 やわらかな微笑みをうかべて、エリクがいいました。けれどマリアは、エリクがまだまだ手加減をしてくれているとわかっていました。

「ねえ、父さまはとても強い槍使いで、魔物をやっつけながら世界を旅していたのよね!」

 海のように青い瞳をきらきらさせて、マリアがききました。

 今でこそ、この国の王ではありましたが、元々エリクは旅人だったのです。魔物をたおすために、世界を旅する槍使いでした。

「旅人だった父さまが、エミリアお母さまを助けてくれたんだわ。母さまが乗っていた馬車をおそった魔物たちを、それはもう、光のような速さでたおしたって! いいなあ、あたしも、見たかった! もう、どうしてあたしったら、そのとき生まれてなかったのかしら!」

 おかしな不満をもらしたマリアに、エリクは笑いました。

「マリアが生まれていないのは当然じゃないか! それが、わたしと母さんの出会いだったんだから!」

 マリアのお母さん――エミリアは、自分を助けてくれたエリクを一目見ただけで、恋に落ちてしまったのです。

 一国の女王と、ただのしがない旅人。結ばれるまでにはいろいろと困難もありましたが、最後にはエリクはこの国の王となり、この国と一生をともにすると決めたのでした。

 そして――マリアと、クレアが生まれたのです。

 そんなふたりの出会いの話が、マリアは大好きでした。そして、世界を旅していたエリクに、あこがれをいだいていました。それも、魔物をたおすだなんて! 強いだけでなく、だれかを助けるために旅をしていた自分のお父さんを、マリアは世界で一番かっこいいと思っていました。

「父さまは、本当にすてきだわ。あたしも……じゃなくて、わたくしも、おおきくなったら魔物を退治しながら旅をして、みんなを助けるお姫さまになるの!」

 エリクはこまった顔をしながらも、優しくマリアの頭をなでました。

「マリアは、わたしの大事な娘だ。だから、そんなあぶないことをしてはいけないよ。けれど、そんな勇気のある子に育ってくれてうれしいよ。あとはもうすこし、勉強をがんばるべきだな」

 また勉強、ということばが出てきたので、マリアは頬をふくらませました。

 ふと、エリクは真剣なまなざしでマリアを見つめました。

「けれど、もし――もしこの先、マリアがその手で、だれかを守らねばならないときがきたら。これだけは、覚えておいてほしい。だれかのことを、恨んではだめだ。人のことも、魔物のことも」

「魔物も、だめなの? だって、悪いやつなんでしょう?」

 マリアも、エリクを見つめかえします。ふたりは、同じ瞳の色をしていました。マリアの海のような瞳は、父親ゆずりなのです。

「魔物は、人の恨みの気持ちから生まれるといわれている。だから魔物を恨んだら、また新しい魔物が生まれてしまうんだ。
 それに――もしこの世界に、魔物がいなかったとしても。人が人を恨んだら、きっとその人を傷つける。そしてまた、別のだれかを傷つけてゆく。それが広がったら――いずれ戦になってしまう。戦になったら、なにも悪くない、たくさんの命が死んでしまう。……わたしのいっていることが、わかるね?」

 マリアはうなずきました。それを見て、エリクは微笑みました。

「だれもが恨まず、憎まない世界になったらいいのだけれどね。人の気持ちというものは、そう簡単なものではないと、旅をしながら感じたよ」

 エリクはマリアをだきあげ、城の方へと歩き出しました。

「さあ、そろそろもどろう。夜になったら、おばけが出てきてしまうからな」

「と、父さまったら! おばけなんて、いないもの!」

 ふるえる声でマリアはいいました。このころから、マリアは幽霊がこわかったのです。前に開いた絵本にえがかれた幽霊が、あまりにおそろしかったので――そのときから、マリアにとってあの幽霊は忘れられないものとなってしまいました。

「さあ、どうかな。マリアがあんまり悪い子だったら、おばけたちがおまえをさらいにくるかもしれない」

 意地悪くエリクがいったので、マリアはいよいよ涙目になりました。

「もし、もしおばけがきたら、父さまがあたしのこと守ってくれる?」

「ああ。この命にかえても、おまえを守るよ」

 マリアは、エリクにぎゅっとしがみつきました。エリクの腕の中はとても温かくて、この温もりをマリアはずっと忘れないと思いました。

(父さま、大好き。きっとどんなことが起きたって、父さまがみんなのことを守ってくれるんだわ)

 群青色の空に、真っ白な月がのぼり始めていました。

 夜になりました。

 マリアは、ベッドにもぐりこみました。そのとなりには、クレアがいます。

 ここはクレアの部屋でしたが、マリアがやってきたのです。今日はふたりにとって、特別な日だったので――いっしょにねることにしたのでした。

「お姉さまったら、また今日も先生の授業をぬけ出したでしょう?」

「だってえ、先生の授業、退屈なんですもの」

「まあ! ちゃんと話をきけば、お勉強だってとても楽しいのに!」

 ふたりがいい合っていると、部屋にエミリアが入ってきました。

「あら、今日はいっしょにねるの? じゃあ、ここでご本を読んであげましょうね」

 マリアの、もうひとつの大切な時間。それが、ねる前にエミリアが本を読んでくれるときでした。勉強の本はきらいでしたが、エミリアが読んでくれるおとぎ話の本は、大好きでした。

「けれど、お城にあるおとぎ話の本は、もうほとんど読んでしまったわ。まだ、きいたことのないお話がいい!」

 マリアがだだをこねると、エミリアはすこし考えていいました。

「それじゃあ、今日は……妖精のことを話しましょうか」

「妖精?」

 マリアもクレアも、目をかがやかせました。

「この世界にはね、妖精がいるといわれているの。森に住んでいて、出会った人のことを、幸せにしてくれるんですって。きっと、魔法が使えるんじゃないかしらって、わたしは思っているわ」

「母さまは、妖精を見たことあるの?」

 エミリアは首を横にふりました。

「いいえ、ないわ。お父さまも、見たことないんですって。あんなにも世界中を旅しているのにね。妖精に会った人は、きっと運がいいのね」

 妖精――いったい、どんな姿をしているのでしょう。ちいさくて、羽がはえているんじゃないかとマリアは思いました。きらきらした粉をまとっていて、それをふりかけたら空を飛べたりするのかもしれません。

「会いたい! あたしも、妖精に会いたい!」

「わたしも!」

 マリアとクレアはベッドの中で、手足をぱたぱたとさせました。

 優しいまなざしで、エミリアはふたりを見つめました。

「ふたりがいい子にしていたら、もしかしたら会えるかもしれないわね。だからマリア、明日はちゃんと、先生の授業を受けるのよ?」

 ぐっ、とマリアはことばにつまりました。結局、家族みんなに授業をさぼったことを、知られてしまっていたのです。

「はあい……」

 顔を半分布団にうずめて、マリアはちいさく返事をしました。

 エミリアはいつものように、子守唄をうたってくれました。

 そして、ふたりの寝顔にキスをして、部屋から出てゆきました。

 ――しばらくして、ねむったふりをしていたマリアは、ぱちりと目を開けました。

「クレア、クレア」

 横でねむっているクレアの体をゆすります。

 クレアも、すぐに目を開けました。

 そしてふたりは顔を見合わせて、いたずらっぽく笑みをうかべます。

「じゃじゃーん」

 マリアは枕の下にかくしていた、町で買ったお菓子を取り出しました。

「いけないんだわ! もう歯みがきしたのに!」

 そういったクレアも、わくわくとお菓子を見つめています。

 ふたりにとっての、特別な日――それは、真夜中に内緒でお菓子を食べる日のことでした。

 それが、どれほど楽しいことか! ふたりだけの晩餐会の始まりです。

 くるくると渦の巻かれた、あまくてふんわりとしたお菓子。かくし味に、ぴりりとしたスパイスが効いています。

 マリアもクレアも、このお菓子が大好きでした。

 布団の中で、ふたりはお菓子をほおばります。明日、起きたときにばれないように、食べかすをこぼさないよう慎重に。

「やっぱり、ここのお菓子屋さんのやつが、一番おいしい!」

 クレアがそれはもう、おいしそうにお菓子を食べるので、マリアはうれしくなりました。

「じゃあ、もっといっぱい買ってきてもらいましょうよ。お城で働いている人にたのめば、きっとすぐに買ってきてもらえるわ」

 マリアはそう提案しましたが、クレアは首を横にふりました。

「お姉さまが買ってきてくれるやつがいいの。こうして、ふたりで、こっそり食べるのが好きだから! ひみつのパーティみたいだもん!」

「まあ、クレアったら悪い子!」

 そういいながらも、マリアはさっきからにこにこしっぱなしでした。クレアの細くてやわらかな髪を、そっとなでました。

「今日はね、晴れていたから丘の方まで行ったのよ。お城も町も、虹色にかがやいていて、とてもきれいだったわ」

 マリアは城の外で見たことを、クレアに話してきかせました。クレアは体が弱いので、あまり外に出ることができないのです。そんな景色を見たことも、クレアはまだありませんでした。

「いいなあ。わたしも見てみたい」

「もうすこし元気になったら、いっしょに見にいきましょうね。あと、お菓子屋さんにも行きましょう。だいじょうぶよ、あたしがクレアをおんぶして、連れていってあげるから!」

 明るくいいながらも、心の中ではくやしい思いをしていました。どうして自分の体だけが、こんなにも丈夫なのでしょう。この世に生まれてから、風邪ひとつひいたことすらないのです。自分の元気を半分でも、クレアにあげられたらどんなにいいだろうと、マリアはいつだって考えていたのです。

「元気になったら、妖精も探しにいきたいなあ。ねえ、お姉さまも、妖精に会いたいでしょう?」

「もちろん。妖精と出会ったら、お城にお招きしてパーティを開きましょう! 妖精とあたしたちが、お友だちになった記念パーティよ! きっと、楽しいわね」

 希望に満ちた未来を思いえがいて、ふたりは笑いました。この先もずっと、ずっとみんなといっしょにいられるものだと思っていました。

 マリアは、とても幸せでした。

 すべてが変わってしまう、あの日が来るまでは。

 その日は、クレアの誕生日の前日でした。

 国中が、クレアの誕生日をお祝いしようと準備にかけ回っています。もちろんマリアも、大好きな妹になにか贈り物をするつもりでした。

 けれどこまったことに、その年はなにをあげればいいか、まったく思いつかなかったのです。なやみになやんでいるうちに、前日になってしまったのでした。

 頭をかかえていたマリアに、ふと、すばらしい考えがうかびました。

(妖精を探しにいこう!)

 妖精を見つけて、いっしょに誕生日をお祝いしてほしいとお願いするのです。そして友だちになって、みんなで楽しくおどるのです。これ以上の贈り物はないと、マリアは思いました。

 いつものように城をぬけ出して、マリアはひとり、雪の森の方へと向かいました。妖精が森に住んでいるという、お母さんの話だけをたよりに、マリアは森へと向かったのです。

 一日中、森をさまよいました。草木の陰や、岩の下ものぞいてみました。木の根本に住んでいるかも、と雪を掘ってみました。けれど、どこにも妖精はいませんでした。妖精どころか、冬の森には子うさぎの姿すら見えません。手足はすっかりかじかんで、頬も鼻の頭も赤くなってしまっています。だんだんと、日もかたむいてきました。

(ちぇっ。寒いところには、いないのかなあ。つめたいけれど、雪だってきれいでいいものなのに)

 そろそろ帰らないと、またエリクにおこられてしまいます。

 あきらめて、いつものお菓子屋さんで贈り物を選ぶことにしよう――そう考えて、マリアはとぼとぼと町の方へと踵をかえしました。

 森が変わったのは、そのときでした。

 ざわざわと森の木々がうめき出しました。こんなことは初めてです。なにが起きているのかと、マリアは不安げな表情で辺りを見回します。

 いきなり、目の前が赤く染まりました。焼けるほどの熱風が、マリアをおそいます。風に飛ばされて、マリアの体は森の中を転がりました。

 おどろいて、空を見あげます。

 城の上に、おおきな竜が翼を広げて飛んでいました。闇のように、真っ黒に染まった竜でした。

(魔物……!) 

 体がふるえます。魔物なんて、見たことはありませんでした。しかし、竜が放つまがまがしい気を感じて、一目であれが魔物なのだとわかったのです。

 竜が口を開いて、炎をはきました。たくさんの火の粉が、国中に降りかかります。

「そんな……! 父さま、母さま! クレア!」

 マリアはさけんで、炎に包まれる城へとかけ出しました。熱風が体の中にふきこみ、肺が焼けるような思いがしました。それでも構わず、城へと走りました。

 そんなマリアに立ちはだかるように、一匹の狼があらわれました。真っ黒な毛並みで、血のように赤い目をしていました。

「や、やだ! あっちいってよっ!」

 ふるえながらも、マリアは落ちていた木の棒を拾いあげ、魔物めがけてめちゃくちゃにふり回します。

 狼は、姿をかえました。マリアの心を見みすかして、おそろしい幽霊の姿になってしまったのです。

「きゃあああ!」

 悲鳴をあげて、マリアは森の奥へとにげ出しました。魔物が追ってきているかどうかなんてわかりませんでした。こわくてこわくて、泣きながらただひたすらに森の中をかけぬけました。

 涙で視界がにじんで、前がよく見えません。そのせいでマリアは足をすべらせ、森の中を転がってゆきました。

 転がった先は、ちいさな洞穴でした。マリアは頭を打って、そのまま洞穴の中で気を失ってしまいました。洞穴に別の魔物がひそんでいなかったことだけが、不幸中の幸いでした。

 どのぐらい、気を失っていたのでしょう――。

 マリアが目を覚ましたときには、辺りは、しんと静かになっていました。体を起こすと、打ったところがひどく痛んで、マリアは顔をしかめました。額にふれると、指に固まった血がこびりつきました。

 しかし、痛みなんか気にしている場合ではありませんでした。一刻も早く、みんなのところにもどらなければ……。

 氷のようにつめたくなった体を無理やり動かして、マリアはそっと洞穴からぬけ出しました。

 空はくもっていて、雪が降っていました。

 感覚のなくなった足を、けんめいに動かします。

 ようやく、見慣れたところに出てきました。このまま進めば、いつものように城と町があるはずでした。マリアの愛する故郷があるはずでした。

 しかし、そこにたどりついたとき――マリアは、息をのみました。

 そこには、なにもありませんでした。

 城も、町も、人々の笑顔も。

 大好きな家族も。

 真っ白で美しかった町並みは、真っ黒な焼け野原に変わっていました。

 がくりと、膝からくずれ落ちました。

(みんな、どこに行ったの? みんな……)

 きっとみんなにげ出して、どこかに避難しているにちがいないと思いました。城や町はなくなってしまったけれど、みんなの命だけは無事に決まっていると、マリアは思いました。それさえ無事ならば、あとはなくなってもいいと思いました。

 ふと、焼け野原の真ん中に、きらりと光るものが見えました。よろよろと立ちあがって、その光に近寄ります。

(そんな……)

 そこにはエリクの槍が、地面につきささっていました。エリクが旅をしていたときからずっと持っていた、相棒のような槍でした。

(父さまが……この槍を手放して、どこかへ行くわけがないわ。きっと、父さまはずっとここで……真っ黒に焼けた、この場所で……)

 その先のことを、考えることはできませんでした。考えたくありませんでした。

 マリアは、その槍を地面からぬきました。自分が稽古のときに使っていたものよりも、ずっと長くて重いものでした。それでも不思議なことに、それはマリアの手の中に、しっとりとおさまったのです。まるで槍が、マリアを選んだように。

(父さま……)

 マリアは、槍の柄を握りしめました。

 槍に、エリクの愛がこめられているのを感じました。エリクが世界を旅しながら、みんなを魔物から守ろうとした愛が。旅の途中で助けた、エミリアへの愛が。そして大切な娘が強くなれるよう、何度も稽古をしたマリアへの愛がこめられているのを、感じたのです。

 焼け野原の真ん中で、ぼんやりとたたずむマリアを、狼の魔物がねらっています。

 マリアはそれに気づくと、槍を握りしめたまま、じっと魔物を見つめました。

 魔物は、マリアのおそれる姿にはなりませんでした。何者にも、姿をかえることはありませんでした。

 おそいかかってきた魔物を、マリアは力強く槍でなぎはらいました。とまどいも、おそれもありませんでした。

 魔物は声をあげて、黒い塵となりました。塵は氷のような北風にふかれて、消えてゆきました。

 マリアは無言のまま、エリクの槍だけを持って、ふらふらと焼け野原をあとにしました。

 行くあては、ありません。

 とにかく、歩き続けました。

 それからのことは、あまり覚えていません。

 気がついたときには、マリアは森の奥にある修道院に拾われていました。森でたおれていたところを、助けてもらったのです。

 修道女たちから、北の大地に竜の魔物が降り立って、マリアの国を焼きつくしたのだと伝えられました。竜がどこからやってきたのかは、だれもわかっていないといわれました。生き残った人がいるかどうかも、わからないと。

 今さらになって、すべてを失った悲しみが、吹雪のようにマリアの心を痛めつけました。

 マリアは泣きました。涙がかれてしまうぐらい、泣きました。喉だってかき切れてしまうぐらい、泣きました。

(なぜ、あたしだけが生き残ってしまったの? あたしが、お勉強をしない悪い子だったから、ばちが当たったの? 父さまや、先生のいいつけを守らなかったから? それなら、あたしだけが死ななきゃおかしいじゃない!)

 自分だけが生き残ってしまった運命を、呪いたいと思いました。国を焼きはらったあの魔物も、世界に魔物が存在しているという事実も、心の底から恨んでやりたいと思いました。

 けれどそのたびに、魔物のことを恨んではいけないという、エリクのことばが頭によぎるのです。エリクの優しい笑顔とともに。

(そんなの、無理よ! 父さま、どうしてあたしを置いていってしまったの? みんな死んじゃうなら、あたしだっていっしょに死んじゃいたかった!)

 毎日、礼拝堂で泣き続けるマリアの心は、すっかり鉛のようになってしまっていました。

 それから、数年の時が流れました。

 十二歳になったマリアは、毎日修道女たちと、神さまに祈りをささげていました。もういない家族や、町の人々の魂がうかばれるように。

 修道女たちは、深くマリアを愛してくれていました。それでもどこか、あわれみの目を向けられていることが、マリアには伝わっていました。

 決して、マリアは修道女たちのことをきらっていたわけではありません。むしろ、命を救ってくれたことに感謝をしていました。

 けれど、こうして祈りをささげるだけの毎日は、どこかもやもやとしたものでした。いつまでも晴れることのない、霧がかかっているような気分がしました。

(――あたしは、このままでいいの? こうして、ただ祈りをささげることが、あたしのやるべきことなの?)

 こうしているあいだにも、世界には魔物がはびこり、だれかの命がうばわれているかもしれないのです。自分のように、大切な人を失って悲しみに暮れている人が、いるかもしれないのです。

 なんのために、強くなろうとしていたのか――マリアはエリクの槍を見つめて、考えました。

 自分が、家族に愛されていたことを思い出しました。町の人々に愛されていたことを思い出しました。

 マリアも、そんなみんなのことを深く愛していました。

 その思い出があれば、どんなこともがんばれるような気がしました。

(――あたしが、やらないとだめなんだわ。あたしが、みんなの分まで生きて、この世界の人たちを、魔物から守らないとだめなのよ)

 人を助けるために旅をしていた、お父さんのようになりたいとマリアは思いました。ちいさいころから、そんなお父さんのようになりたいと思っていたのでした。

 エリクの槍を、にぎりしめます。八歳のころよりもさらに、自分の手になじむように感じられました。槍はマリアの決意を、わかっているかのようでした。

(……この傷は、永遠に残り続けるのだわ。でも、あたし、ここであきらめたくない)

 修道女たちの反対をおし切って、マリアは修道院を飛び出しました。

 大好きな、お父さんの槍を背負って。

 それが、マリアの旅の始まりでした。

♫ Ⅵ ひとりじゃないから、だいじょうぶ

 マリアは、閉じていた目をそっと開きました。

 いつのまにか、涙が頬をつたっていました。

 故郷のことを考えたのは、ずいぶんと久しぶりのことでした。

 忘れたわけではありません。あまりにつらすぎるから、思い出さないようにしていたのです。

(……あのとき、あたしは森に妖精を探しにいっていたから、助かったんだわ。そして今、あのとき探していた妖精が、目の前にいるのね。でも……)

 それを伝える妹は、もうどこにもいないのです。

 すやすやと寝息を立てているローナに、クレアの姿が重なりました。

 唇をかみしめます。

(しっかりしなさいよ、マリア。父さまも母さまも……クレアも、もういないのよ。ローナはあたしの、妹じゃないのよ)

 悲しみと後悔は、一生分感じたと思っていました。すべてを失ったときに、もう涙はかれてしまったと思いました。けれど今、視界は涙でかすんでいました。

 何度、魔物を憎もうと思ったでしょう。けれどその憎しみが、また新たな魔物を生むのです。

 旅に出るときに、その思いは捨てようと決めました。かわりにエリクのことばを、胸にしっかりと刻みました。

 故郷のような運命をたどる人たちが、もうこれ以上増えないように。自分のような悲しい思いをする人がこれ以上増えないように――だれかを助けることを、生きる理由にしようと決めたのでした。

 マリアは祈るように、夜空を見あげました。

(父さま、母さま、クレア。あたし、もっとがんばりますから。だからどうか、見守っていてください)

 死んでしまった人が、よみがえることはないのです。マリアが神さまのもとに導かれないかぎり、家族に会うことはできないのです。

 そこに行く気は、まだマリアにはありませんでした。

 これ以上、泣くのはやめようと目をこすります。

 すると、ローナが薄目を開けました。

「マリア……」

 ローナはねぼけた声を出して、マリアの服の裾をつかんでいる力を強めました。

「ごめんなさい、起こしてしまったかしら」

「ううん。……マリア、泣いているの?」

 びっくりして、マリアはローナを見つめました。涙はふいたはずなのに、泣いていたことがローナにばれてしまったのです。

「な、泣いてなんかいないわ。あなたと出会えて、これからいっしょに旅をするのがとても楽しみなのに、どうして泣くのよ?」

 マリアは笑顔で、そうこたえました。故郷のことは、だれにも話すつもりはありませんでした。

「そう? それなら、いいんだ」

 そうつぶやいて、ローナはゆるゆるとまぶたを閉じました。けれどまたすぐに、マリアを見つめました。

「あのね。マリアは、ひとりじゃないよ。だから、だいじょうぶだよ」

 そういって微笑むと、ねむりについてゆきました。

 マリアは目を見開いて、ねむったローナをしばらく見つめていましたが――そのことばに返事をするように、ローナの青い髪を優しくなでました。

 夜が明け、朝日がのぼったら、ふたりは旅立つのです。

 きっと、新しいことがたくさん待っているでしょう。

 つらいできごとに立ち向かわなければならないこともあるでしょう。

 たくさんの人と出会い、そして別れていくのでしょう。

 こうして出会ったローナとも、いつかは別れる日がきます。けれどローナのいうとおり、今はひとりではないのです。

 自分以外の、ひとの温もりが、とてもうれしく感じられました。

 だれかといっしょなら、きっとだいじょうぶ――マリアはそう思いました。

「ありがとう、ローナ。おやすみなさい」

 白い月が、優しい光でふたりを照らしながら、いつまでも見守っていました。

 ※マリアの子守唄は、手嶌葵さんの『願いごと』という歌から抜粋したものです。