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四楽章
盗賊は砂漠の星を見る

♫ Ⅰ 金色の砂漠

 目の前には、きらめきながら、さらさらと流れる砂が広がっていました。

 今までそばにあった木々や花たちは姿を消し、代わりに色あせた枯れ草が、ところどころで風にふかれてゆれています。

 空には雲ひとつなく、夏の始まりの太陽がじりじりと照りつけていました。

「すごい! これが、砂漠なんだ……!」

 そんな砂漠のはしっこで、感嘆の声をあげる三人の姿がありました。

 強くて明るい女の子のマリア。自分の背丈よりも長い、立派な槍を背負っています。そのとなりには、歌や音楽が大好きな妖精のローナと、優しくてたよりになる、青年ヴィクトル。三人は砂漠にある国を目指して、ようやく山をこえたところでした。

 三人はローナの記憶を取りもどす手がかりになる、盗賊の男の子――アランを探しています。すこし前に訪れたシュネーバルという王国で、マリアたちはアランと出会いました。しかし気がついたときには、アランは再び姿を消してしまっていたのでした。

 ローナのお姉さんであるロレーヌのことや、妖精の楽器を持っているわけ――ききたいことは山ほどありましたが、今はそれよりも、何度も助けてくれたアランに感謝のことばを伝えたいと思っていました。なにしろアランがいなければ、今も王国の地下牢に閉じこめられていたかもしれないのです。

 三人とも、砂漠を訪れたのは初めてでした。どこまでも同じ景色が続き、地平線がまっすぐにのびているのが見えました。

 初めて見る砂漠の広さと太陽のまぶしさに、心はおどっていましたが――だんだんと、そのとてつもない暑さに、途方に暮れてゆきました。

 はるか彼方に、陽炎がゆれているのが見えます。

「うわさにはきいていたが、砂漠がこんなにも暑いものとは……。立ち止まっているだけで、干からびてしまいそうだ」

「あたし、もう頭に血がのぼってきた気がするわ……」

 いつもは元気なマリアが、めずらしく弱々しい声でいいました。マリアとヴィクトルは雪国育ちなので、暑さに慣れていないのです。

 ローナは心配そうに、ふたりの顔をのぞきこみました。

「だいじょうぶ? ふたりとも、つらそうだよ」

「ええ……なんとか。ローナは、平気なの?」

「うん。そのかわり寒いところは、全身が凍っちゃいそうなぐらい苦手なんだけれどね」

 そうはいっても、このまま太陽の下に立っていては、みんな暑さにやられてしまいます。なるべく気温が低い早朝や夕方に歩くことにして、昼間の暑い時間はテントを張って、休みながら進むことにしました。

 コンパスの針はしっかりと南を指していましたが、辺りには建物ひとつ、見当たりません。来る日も来る日も、目に映るのは、からからの青空と砂ばかり。行く先に砂漠の都が本当にあるのかどうか、三人は不安になってきました。

「いっそのこと、空でも飛べたらいいのに」

 マリアがうんざりしたようにいうと、ローナが得意げな顔をしながら、肩からさげた楽器をなでました。ハーディ・ガーディという名前の、魔法の楽器です。

「風の魔法で、飛んでいこう! そうすれば砂漠なんて、すぐにこえられるもんね」

 マリアとヴィクトルは、顔を見合わせました。

 ローナの提案は、もちろんうれしいものでしたが――以前、ローナは魔法を使いすぎて気を失ったのです。そして、何日も目を覚まさなかったのです。

 妖精の魔法は、ときに使った本人を傷つけてしまいます。特に、だれかを助けようとする気持ちが強ければ強いほど、深く傷つくのです。

 もし、ローナが目を覚まさなくなってしまったら。エメラルドのような美しい瞳を、二度と見られなくなってしまったら――。そう考えただけで、マリアは心が凍る思いがしました。ヴィクトルも同じです。ふたりとも、ローナにはなるべく魔法を使ってほしくないと考えていました。

 マリアは微笑みながら、ローナにいいました。

「それは、すてきな提案だわ。でもね、あたしは新しくきたところは、なるべく歩きたいと思っているのよ。その地をよく知るためには、自分の足で歩くのが一番だもの」

「わたしも、自分の国しか見たことがなかったから、こうしてまだ知らぬ大地を歩けるのは、じつはうれしいんだ。おっと、こんなことを思っていることが父上に知られたら、なにをいわれるか」

 いたずらっぽくいったヴィクトルに、マリアもローナも笑いました。

 途中で、キャラバンの行列に出くわしました。キャラバンとは、隊を組んで砂漠を旅する商人たちのことです。かれらはらくだに乗って、砂漠の都へと向かっているところでした。

 親切なキャラバンの人たちは、快く水や食べ物を分けてくれました。そのころには、マリアたちのかばんの中身は底をつきかけていたので、たいへんありがたいことでした。

「慣れない人が、砂漠を徒歩で横断するのは危険だよ。今度から、らくだやろばを連れたほうがいい。かれらは暑さに強いし、重い荷物だって持ってくれる、すばらしい相棒だからね」

 商人にそういわれ、三人はうなずきました。

「それにしても、いったいどうしてきみたちは、砂漠の都に用があるんだい? あそこは商人たちにとっては人気の町だけれど、子どもはなるべく近寄らないほうがいいと思うよ」

「あたしたち、人を探しているの。その人が、砂漠の都の生まれなのよ……たぶん」

 アランが本当にそこで生まれたのかどうかは、わかりません。ただ、アランがその都の服装をしていた、というだけなのですから。

「なぜ、近寄らないほうがいいのでしょうか?」

 ヴィクトルがたずねました。

「あの国は、悪いやつらが多いんだ。ぬすみやすりはしょっちゅう起こっているし、あやしいものを売っている店だってある。それに運が悪いと、人売りにつかまって、売りとばされてしまうんだ」

「人売り? ……人を、売るというの?」

 マリアは眉を寄せました。商人のいうことが、信じられませんでした。そんなことは許されるわけがないと、当然のように思いました。

 人はだれしも、自由でなければなりません。お金のために、その人の自由をうばうなど、ましてや命に値段をつけるなど――絶対にあってはならないことのはずです。

 ローナは、そのおおきな瞳をゆらして、マリアにしがみつきました。ヴィクトルはだまったまま、じっと商人の話をきいていました。

「身寄りのない若者や子どもは、人売りにねらわれる。それに、生活が苦しくて親が自分の子どもを売ってしまうことだって、めずらしくないんだ」

 そういったあと、商人はあわてて両手をあげました。

「かんちがいしないでくれよ、わたしたちはそんなことはしない。もちろん、いい商人たちだってたくさんいるんだ。ただ、そういうやつらもいるから――きみたちも気をつけるんだよ」

 それから何日か、マリアたちはキャラバンとともに都を目指しました。

 長い道のりのあいだ、ローナはハーディ・ガーディを奏でて、キャラバンのみんなの前で歌をうたいました。

 白くかがやく 白鳥は

 呪いにかかった 王女さま

 呪いを解くには 真実の

 愛のことばが 必要でした

 呪いをかけた 旅人は

 人を恨んで 孤独に生きて

 人を憎んで 闇をかかえて

 愛を知らずに ねむりについた 

 はてさて 呪いを解いたのは

 王女を愛する お友だち

 ふたりは手を取り 王国は

 かがやく未来へと 向かうでしょう 

 オデットとオディール、そして今はもうこの世にいない、ロットバルトの物語をつむいだ歌でした。商人たちは、熱心にローナの歌をきいていました。

「オデット姫たちは、元気かしら。いろいろあったけれど、みんなすてきな人たちだったわ」

 シュネーバルを発ってから、だいぶん月日が経っていました。マリアはなつかしむように目を細めます。

「砂漠の都は……はたして、どんなところなのだろう。何事も、なければいいのだが」

 人を売るという話をきいてから、マリアたちの胸の中には不安がうずまいていました。

 その不安は消えることなく――一行はようやく、砂漠の国へとたどりついたのです。

♫ Ⅱ 宝石の都

 砂漠にある都は、ジャウハラといいました。

 砂の粒が陽の光に照らされて、きらきらとかがやく様子がとても美しいので、ジャウハラは〈宝石の都〉とも呼ばれていました。

 都は海に面していて、港があります。港にはほかの大陸から、たくさんの商人が海をこえてやってきました。

「昔、ある商人が宝石や装飾品を持って、このジャウハラを訪れた。その商品の質がとてもよかったので、貴族たちがそれを求めてジャウハラにやってきた。それをききつけた別の商人が、負けじと自分も宝石を売りはじめたんだ。
 そうやって、商人が次々に集まるようになっていって――今では、世界中の宝石や美しいものが、ジャウハラに集まるとまでいわれるようになったのさ」

 キャラバンのひとりが、マリアたちにそう教えてくれました。

 都の入り口で、三人はキャラバンたちに別れを告げました。ずっと砂地の上を歩いてきたので、もうくたくたです。髪にも細かい砂がこびりついているし、お腹はぺこぺこ。お風呂に入って、おいしいものを食べて、ふわふわのベッドでねむりたい気分でした。

 夕暮れどきの町並みは、にぎやかで生き生きとしていました。大通りにはたくさんの店や屋台が並んでいて、おいしそうな香りをただよわせています。

 町の景色も、今まで見てきたものとはまるでちがいました。

 家は四角い、黄土色の石でできていて、壁には細かい模様がほられています。屋根が半円状になっている、おおきな宮殿もありました。屋根にはいくつもの宝石がちりばめられていて、それがまた一層、美しくかがやいていています。

 群青色の空の下に広がる、そんな町並みの様子は、まるで絵画のようでした。

 遠くへきちゃったんだなあ、と思うと同時に、マリアの心ははずんでいました。危険だという話ももちろん忘れてはいませんでしたが、それにしたって、初めてやってきた土地というものはわくわくするものです。

 ローナは町の景色よりも、人々の服装を目で追っていました。みんな頭から布をかぶっていたり、首に布を巻いています。強い日差しをさけるために、人々はなるべく肌をかくしているのでした。服にはこの都をあらわす、太陽を模した刺繍がされていました。アランの服にも、太陽の刺繍がありました。

(やっぱりアランは、この都にいたことがあるんだ)

 アランはどんな思いをいだいて、この都で生きていたのでしょう。町をゆけば、アランのことがなにかわかるでしょうか。アランのことを、知っている人がいるでしょうか。たとえば、家族や友だちが――。

 ローナはおなかがすいていたのも忘れ、いてもたってもいられなくなりました。

「はやく、アランの手がかりを探そう!」

 そう意気込むローナのとなりでは、ヴィクトルがなんだかねむそうに、ちいさなあくびをしています。

「どうしたの、ヴィクトル。だいじょうぶ?」

「ああ、気にしないでくれ。……暑いところは、どうも苦手で。すこし、つかれただけだ」

 ヴィクトルは砂漠をわたっているあいだも、夜はマリアたちがねむるまで起きていました。それに、重い荷物だって持ってくれていたのです。

 それはヴィクトルの優しさによるもので、もちろん見張りも荷物持ちも、おしつけていたわけではないのですが――思えば、ローナもマリアも、ずっとヴィクトルにたよりっぱなしでした。

「ローナ。気持ちはわかるけれど、今日はもう休みましょう。いっぱいねて、元気になったら町を歩くのがいいと思うの」

 マリアの提案に、ローナは素直にうなずきました。

 宿の二階の窓から、ローナは外をながめていました。ガラスのない、ただ四角くくりぬかれただけの窓からは、心地よい夜風がふきこんできます。

 砂漠に住む人々は、昼間は暑いので、家の中でじっとしています。日が暮れるにつれ、まるで目を覚ましたように、町はにぎやかになってゆくのです。

 今まで訪れたところは、朝日とともに人々は起き出し、日が暮れればねむりにつく――それがふつうでした。

 月夜の下で、たくさんの人が楽しげに歩いているのは、なんだか不思議な光景でした。

 ローナは、キャラバンからきいた人売りの話を思い出しました。

(話をきいたときは、こわいって思ったけれど……全然、そんなふうには見えないよ。町は明るくてにぎやかだし、通りを歩くひとたちだって、楽しそうだもんね)

 通り道の至るところに置かれたランタンの光が、なんとも幻想的です。

(お姉ちゃんは、この町にいるのかなあ。きっと、もうすぐ会えるよね)

 ロレーヌと会えたら、まずなにを話そう? 今まで出会ってきた人たちのことを話して、そして人間はとても優しいことを話して――考えただけで、ローナの心はうきうきとはずみました。

 自分と同じ、青い髪の女の子がいないかとローナは目をこらします。

 そんな町のはしっこ、すこし暗くなった通りの角に、ちいさな人陰がありました。

 茶色いくせっ毛の男の子。一瞬だけふり向いた男の子の瞳が、琥珀色にちらりと光りました。

(アラン!)

 ローナは思わず、窓枠から身を乗り出しました。

 アランとは、シュネーバルの城で会ったきりでしたが、その姿を忘れるわけがありません。あれはまちがいなく、探しているアランの姿でした。

 まさか、こんなにもすぐに会えるなんて! ローナは体が火照ってゆくのを感じました。

 声をかける間もなく、アランは路地裏へと消えようとしていました。このままでは、またどこかへ行ってしまいます。

 追いかけないと――ローナがふり向くと、マリアはベッドに、ヴィクトルは椅子に座ったまま、うとうととねむりについていました。ヴィクトルだけなく、マリアも暑さにやられて、つかれがたまっていたのです。

 ローナは、ふたりを起こそうか迷いましたが――やがて、うなずきました。

(ひとりで、アランを探しに行こう。ふたりにたよってばっかりじゃだめだ)

 ハーディ・ガーディを肩からさげて、ちいさなリュックを背負うと、ローナはそっと部屋の扉を開けました。

 路地裏の角にたどりついたころには、アランの姿はすっかり遠くなっていました。闇にとけこみ、今にも見失いそうです。周りの様子を見る暇もなく、ローナはアランの背中を必死で追いかけました。

 しかし、足がおそいローナではまるで追いつけず――あっというまに、姿を見失ってしまいました。

(どうしよう、アランがいなくなっちゃった)

 いつのまにか、にぎやかで明るい大通りからははなれていました。明かりはなく、三日月の細い光だけがたよりです。

 路地裏にはだれの姿もなくて、しいんと闇が広がっているだけ。昼間はあんなに暑かったというのに、今は空気がひんやりとしています。

 世界に自分以外、だれもいなくなってしまったような気分です。けれどローナは勇気を出して、暗闇の中を進んでゆきました。

(アランは、どうしてこんなところにいるの? こんなところに、ひとりぼっちだなんて……そんなの、さびしいよ)

 なんとしてでも、アランのそばにいきたいとローナは思いました。

 そんなローナに、しのび寄る陰がありました。

「アラン?」

 ふり向いたとたん、目の前が真っ暗になりました。

♫ Ⅲ マリアが見たものは

 マリアは、ふと目を覚ましました。

「いけない。いつのまにか、ねむっちゃっていたわ」

 まだ頭がぼうっととしたまま、マリアは部屋を見回しました。

 ローナの姿がありません。それに、ハーディ・ガーディも。

「まさか、ひとりで町へ行ったというの?」

 マリアは窓枠に手をかけ、外をながめました。ローナの青い髪は、どこにも見えません。

「大変だわ。探しにいかないと!」

 ヴィクトル――そう名を呼んで、ねむったままのヴィクトルを起こそうとした手を止めました。マリアもまた、ずっとヴィクトルにたよりっきりだったことを気にしていたのです。

 なんとか、ひとりでローナを見つけ出そうと、マリアは槍を手にして宿の外へと飛び出しました。

 町を歩く人々は、幸いにもローナのことを覚えていました。

「ああ、そのおじょうちゃんなら、走って路地裏の方へ行ったよ。あの、暗い角の先さ」

 露店の主人が、品物をみがきながら教えてくれました。

「ただでさえ暗い路地裏は、あやしいやつらのたまり場なんだ。危ないから止めようと思ったんだが、よほど急いでいたみたいでさ。さっさと走って行っちまった。おじょうちゃんも、そんなところには行かないほうが身のためだよ」

 そう忠告してくれましたが、それに従うわけにもいきません。マリアはお礼をいうと、自分も路地裏の方へと向かいました。

 なぜローナが、そんな危険なところにひとりで行ったのかはわかりませんが、とにかく一刻も早くローナを見つけなければ! 

 露店の主人がいっていたとおり、路地裏の先は闇が広がっていました。

 ヴィクトルがいてくれたら――マリアはとまどいましたが、こうしているあいだにも、ローナが危険な目にあっているかもしれません。そう思うと、マリアは足を止めることなどできませんでした。

 通りは細く、曲がり角がいくつもありました。ローナを見つけたところで、今度は自分が迷ってしまうんじゃあないかしら、とマリアは不安になりました。

 だれかがいる気配はありませんでした。屋台の主人がいっていた、あやしいやつらの姿なんて、どこにも見えません。

 ローナの名前を呼ぼうかと思いましたが、そのあまりの静けさに、かえって声を出してはいけないような気がしました。

 暗闇の先、路地裏の一番奥に、ぽつんとひとつ明かりが見えました。マリアはすこしほっとして、明かりの方へと向かいます。

 明かりの正体は、ちいさなテントを広げただけの、簡素な露店でした。

 そこで売られているものを見て――思わずマリアは息をのみました。

 見覚えのあるものでした。ロットバルトが、魔神を従えるために持っていたオイルランプです。

 マリアは、ふらふらとその露店に近寄りました。

 頭から布を目深にかぶった男が、店の番をしていました。布にかくれて顔はほとんどわかりませんでしたが、するどく光る目がこちらに向いていました。

 そのつめたい光に、マリアは思わず後ずさりました。

「おい。ここはおまえのような、がきがくるところじゃないぜ」

 露店の男は、しっしとマリアを追いはらう仕草をしました。その動きに合わせて、男が吸っていたたばこの煙がゆれました。

 マリアはその迫力に負けないように、こぶしを強くにぎりしめます。

「……このランプは、持ち主の憎しみや恨みの気持ちから、魔神を生み出すのでしょう?」

 男は、なにもこたえません。

 マリアは勇気を出して、男に問いつめました。

「どうして、こんなものを売っているの? こんなおそろしいもの、この世にあってはいけないわ」

「おそろしい、だと?」

 低い声で、男がいいました。地の底からきこえてくるような声でした。

「これはおそろしいものどころか、とても便利なものだ。持っているだけで、魔物におそわれなくなる。こんなにもすばらしいものは、ほかにない」

 ロットバルトもそういっていたと、マリアはヴィクトルからきいていました。持ち主の憎しみから生み出された魔神のことを、魔物たちすらおそれ、近寄らないのだと。

 マリアは、負けじと男にいいかえしました。

「必要ないわ。だって、こんなものがなくたって、だれかからもらった贈り物があれば、それが魔物から持ち主を守ってくれるもの」

「わかってねえな、おじょうちゃん。世の中には、そんな贈り物をだれからももらえないやつだっているんだよ。だれにも愛されなかったり、いらない存在だと捨てられたり、生きているだけで邪魔だとうとまれたり――ここにいるのは、そういうやつらばかりだ」

 マリアの顔がこわばりました。まさか、そんな人たちがいるなんて考えたこともなかったのです。

「で、でも、たとえ魔物からおそわれなくなったとしても……このランプが、だれかを傷つけることにかわりはないわ。それに、これを持っていた人が魔神によって、命を落とすところを見たの。こんなものは、やっぱりあってはいけない」

「それはその持ち主が、使い方を誤っただけだ。じゃあきくが、おじょうちゃんには憎み、恨んでいるやつが、この世にひとりもいないっていうのか?」

「いないわ、そんなひと!」

 力強くいったマリアを、男は鼻で笑いました。

「なにも、人間にかぎったことじゃない。……いるだろう、おまえにも。その槍で、殺したいやつが。なぜおまえは、武器を持つ? 武器だって使い方によっては、命をうばうものだろう。ちがうか?」

 男のことばに、マリアはうっ、とつまりました。

 家族を、故郷をうばった魔物――それが、マリアにとって一番憎くて、きらいなものでした。

 恨みや憎しみは、また新たな魔物を生んでしまいます。だからお父さんのことばのとおり、魔物を憎まないようにしてきたつもりでした。

 そんな気持ちをいだいて魔物をたおすのではなくて、だれかを助けるために槍をふるってきたつもりでした。

 それでも――それでもどこかで、自分の大事なものをうばった魔物なんて、みんな死んでしまえばいいと――憎しみの気持ちをこめて、そう思ったことがあるのも、嘘ではありません。

「憎む気持ちが強ければ強いほど、魔神の力も強くなる。その気持ちに、勝るものはないだろうよ。魔神は、憎しみにかられたやつの願いをかなえてくれる。おまえも、かなえたいものがあるのならば、魔神にたよればいい」

 マリアの中に、ちいさな迷いが生まれました。あとかたもなく焼けてしまった故郷の景色が、頭によみがえりました。

 もし、自分がいだいたこの気持ちで、すべての魔物を消すことができたら。強大な力で、今すぐにでもこの世にはびこる魔物を、たおせたら――。

 魔神の力で、マリアも、魔物に苦しむ人々も幸せになれるのでしょうか。

 心臓の鼓動が速まります。マリアはおそるおそる、闇色にかがやくランプに手をのばしました。それを見た男が、うっすらとあやしげな笑みをうかべていることに、マリアは気づいていません。

 あとすこしで、マリアの指先がランプの表面にふれそうになったとき。

 横から、その手をつかまれました。その力の強さに、マリアははっとしました。

「あなたは……!」

 マリアの手をつかんだのは、アランでした。

「さわったらだめだ」

 アランは、ぼそりとそれだけいいました。

 男は笑ったままです。

「がきが、がきを助けにきたのか? ――まあいい。おまえは、ここがどういうところか、よく知っているようだな。今回はみのがしてやる。さっさと消えな」

 アランは男をするどい目でにらみつけると、マリアの手を引いて、足早に歩き出しました。

 マリアの心臓は、ばくばくとうるさいぐらいに鳴っていました。

 あとすこしで、ランプに触れてしまうところでした。魔物を憎んではいけないという、お父さんのことばを忘れてしまうところでした。

(ごめんなさい、父さま……。あたしが、まだまだ弱いせいだわ)

 そして、マリアは前を行くアランの後ろ姿を見つめました。アランが手をつかんでくれなかったら、今ごろランプを手にして、魔神を生み出していたかもしれません――。

 アランは立ち止まりませんでした。一刻も早く、この場から立ち去ろうとマリアの手を引く力をさらに強めました。

 歩きながら、マリアはたずねました。

「あのランプは、なんなの? それに、あの男の人は?」

「……願いをかなえるなんて、うそだ。ランプにすこしでもふれたら、とりつかれてしまう。そして魔神はいつか必ず、持ち主の命をうばう。あいつはああやって、人をだまして金をとって、自分だけ幸せになろうとするやつだ」

「なら、なおさら放っておけないじゃない! 悪い人は、こらしめなくちゃいけないわ」

「……周りに、同じようなやつらがかくれてる。おれたちのような子どもを、つかまえて売るつもりなんだ。はやくここから、にげないと」

「でも……」

「あいつらは、魔物のようにただおそってくるだけじゃない。……おれは、魔物より人間の方が、ずっとこわい」

 静かに、けれど強くいい放ったアランに、マリアはなにもいいかえすことができませんでした。

 アランは、この路地裏にほかにも人がいるといいます。その気配に、マリアはまったく気づいていませんでした。

 入り組んだ路地裏を、アランは迷うことなく進んでゆきました。どうやら、マリアを大通りの方まで連れていってくれているようでした。

「……あなたはどうして、こんなところにいるの?」

 マリアがそうきいても、アランはなにもこたえてくれません。

 アランが、盗賊だからでしょうか? アランも悪いことをしているから、こんなにも暗い世界にいるのでしょうか?

 その距離は近いはずなのに、アランと自分のあいだには、とても分厚い壁があるような気がしました。

「あんた、あの妖精の仲間だろ。そっちこそ、なんでこんなところにいるんだ」

 ふりかえらぬまま、アランがそういったのがきこえました。

 あの妖精、アランがいっているのはきっとローナのことです。

 そのことばで、マリアは自分が路地裏に迷いこんだ理由を思い出しました。

「ああ、そうよ! あたし、その妖精のローナを探しにきたの! ねえ、あなたローナを見ていない? この路地裏に入ったのを、見た人がいるの」

 アランがふり向きました。見開いた、その瞳がゆれています。

「あたしたちね、あなたを探して、この都にきたのよ。あなたが着ている服を見て、この都の生まれなのかなって思ったから」

 マリアは、アランの手を強くにぎりかえしました。

「ねえ、お願い。ローナのこと、いっしょに探してほしいの。……ローナ、あなたのことを、とても心配していたわ。もちろんお姉さんのことや、妖精のこともききたがっていたけれど。でもそれよりも、あなたに会いたがっているのよ。あなたが、心配なのよ」

「や、やめろ。もう、おれに構うな。放っておいてくれ」

 その声が、ふるえていました。

「それは、あなたが盗賊だから? でも、何度もあたしたちを助けてくれたわ。今だって、あたしを助けてくれたじゃない。あなたは悪い人なんかじゃないわ!」

「やめろ、やめてくれ!」

 話をきこうとしないアランがもどかしくて、マリアはつい声をあらげてしまいました。

「あなたは、なにをおそれているの? ローナのお姉さんのこと、知っているんでしょう? お姉さんのことを、ローナに話してあげてよ!」

「もう、いない。ロレーヌは死んだ。おれのせいで!」

 周りの空気が、凍ったような気がしました。

 さびしく暗かった路地裏は、いつのまにか明るくなっていました。大通りはすぐそこです。

 けれど、そのにぎやかな声や足取りは、マリアの耳まで届きません。

 まるで世界から、音がなくなってしまったようでした。

♫ Ⅳ 秘密の呪文と、盗賊のアジト

「マリア!」

 大通りの方から、マリアを呼ぶ声がきこえました。

 ふりかえると、ヴィクトルが息を切らせて立っていました。

 ヴィクトルは安心したような、おこったような顔をしながら、マリアの両肩をつかみました。その手に力がこもっています。

「ここにいたのか! よかった……。いったいどういうことだ、勝手にどこかへ行くなんて!」

 こんなにも、ヴィクトルに怒られたのは初めてのことでした。けれどその瞳を見て、ヴィクトルがとても心配していたことがマリアにもわかったのです。

「ごめんなさい……」

 マリアは、素直に謝りました。

「……いいや。わたしが、ふたりが部屋を出たのに気がつかなかったのが悪かったんだ。いきなり怒ったりして、すまない」

 どちらかといえば、ヴィクトルは自分自身に怒っていました。マリアやローナよりも歳上のヴィクトルは、ふたりと旅を始めたときから、自分がしっかりしていなくてはと思っていたのです。

 それなのにいつのまにかねむってしまって、ふたりがいなくなったのに気がつかなかった自分が許せなくて――つい、マリアに八つ当たりしてしまったのでした。

「……きみが、マリアを見つけてくれたのか?」

 ヴィクトルが、アランにたずねました。

 アランはうつむいたまま、なにもこたえません。

 マリアとアランの会話は、ヴィクトルにはきこえていなかったようでした。ヴィクトルはため息をついて、マリアを見つめました。

「それで、ローナはどこに? いっしょじゃないのか?」

「……行方がわからないの。この路地裏の中に入ったのを見たって話をきいたから、探しにいったのよ。でも、見つからなかったわ」

「こまったな。どこに行ってしまったんだ」

 ヴィクトルは辺りを見回しました。

 そのとき、路地裏からふたりの男が出てきました。人ひとりぐらい、まるごと入れそうな袋を担ぐようにして運んでいました。

 じつは、このふたりは悪い盗賊たちでした。それもまさにちょうど、悪事を働いたところで、人目につかないようにこそこそと出てきたところだったのです。

 そうとは知らないヴィクトルが、袋の後ろ側を持っていた男に声をかけました。

「すこし、おたずねしてもよろしいですか?」

「ああ?」

 ふりかえった男は、ぎょっとしました。見るからに騎士のような格好をした人に、話しかけられたのです。ひょっとしたら、自分たちの正体がばれてつかまえにきた衛兵なのでは、と男はあせりました。

「し、知らない! 青い髪の小娘のことなんて、おれたちは知らないぞ!」

 そうさけんだあと、あわてて口に手をあてました。

「まだ、なにもきいていないが。それより、青い髪の小娘といったな?」

 するどくなったヴィクトルの目に、盗賊たちは飛びあがります。

「し、しまった!」

 盗賊たちは、全速力でにげ出しました。

「なに、あれ! 明らかにあやしいじゃないの、追いかけましょう! あなたもいっしょにきてちょうだい!」

 マリアは強引にアランの手を引いて、盗賊たちを追いかけました。

 人の波を泳ぐように走りぬけながら、港へとたどりつきました。ふたりの男はさらにその先の、浜辺の奥に向かっているようです。

「あの先は……!」

 アランがちいさくつぶやきました。そしてマリアの手をふりはらうと、風のような速さで盗賊たちを追いかけてゆきました。

 その足取りといったら。運動が得意なマリアですら、なかなか追いつけないほどでした。

 浜辺の先は、おおきな岩がいくつも積み重なった岩場でした。岩は高く積みあがっていて、行き止まりになっていました。

「おかしいわ。たしかに、こっちにきたはずよ。どこに行ったの?」

 マリアは息を切らせながら、辺りを見回しました。盗賊たちの姿はどこにも見えません。まるで、こつぜんと姿を消してしまったようでした。

「かくれられるような場所も、どこにもない。どういうことだ……」

 呆然とするふたりの横で、アランはのろのろと岩に近づきました。

 そうして、岩に手をそっとあてて、深く息をはきました。

「ひらけ、ゴマ」

 アランがちいさく、そうつぶやいたのがきこえました。

 すると――岩がまるで扉のように、横にずれていったのです。

 その光景に、マリアとヴィクトルは目を丸くしました。

「なにかの、魔法なのか……?」

 しかし、岩を調べている場合ではありませんでした。奥から、声がきこえてきたのです。

「ローナの声だわ!」

 洞窟の奥では、何人かの盗賊たちがローナを縄でしばりつけようとしているところでした。追いかけていたふたり以外にも、仲間がいたのです。

「こいつ、もしかしたら妖精じゃないか? おれ、きいたことがあるぜ。幸運を運んでくるっていわれているんだ」

「なんだって? じゃあ、いっしょにいた方がおれたちも幸せになれるのかなあ」

「ばかをいうなよ。そんなめずらしい生き物なら、大金で売れるじゃねえか。そんな、いつ来るかわからない幸せよりも、目先の幸せをおれは取るぜ。これでおれたちも、大金持ちだ」

 ローナは必死に暴れていましたが、盗賊たちの力強さにはかないません。

「あなたたち、なんてひどいことを!」

 マリアの怒りのこもった声が、洞窟内にひびきます。その声に盗賊たちは、びくりと体をふるわせました。

「げっ、おまえたち、どうやってここに入ってきたんだ!」

「まさか、洞窟の呪文を知っているのか?」

 盗賊たちはあわてたように、ローナを後ろにかくしました。

 その奥には、山のように積まれた宝石や金貨が見えました。

「おまえたち、盗賊か。宝石だけでなく、人までも……。ローナをつかまえて、売るつもりだったのか? そんなことは、わたしたちが許さない」

 ヴィクトルは、さげすむような瞳で盗賊たちを見おろすと、腰の剣をぬきました。

 その姿に盗賊たちはすこしたじろぎましたが、すぐに自分たちも剣を構えます。

 仲間の後ろに立っていた、盗賊の頭領がにやりと笑いました。

「おまえのいうとおり、おれたちは盗賊さ。ここは、おれさまのアジトだ。呪文を知らなければ、決して開くことのない不思議な洞窟。かくれるには、ぴったりだろう? ……なぜ、おまえたちが呪文を知っているのかはわからねえが、たった三人でおれたちに勝てると思うのか? それも子どもばかりだなんて、なめられたものだ。おまえたちもつかまえて、まとめて売りとばしてやる」

「なによ、えらそうにふんぞりかえっちゃって! できるものなら、やってみなさいよ!」

 ヴィクトルのとなりで、マリアも槍を持つ手に力をこめます。盗賊が何人いようと、絶対に負けるつもりなどありませんでした。

 そんな中――ずっとだまっていたアランが、盗賊の前に立ちはだかりました。

「その子をはなせ。そして、ここから出ていけ。ここは、おまえのアジトなんかじゃない。盗賊シハーブのものだ」

 それは今まできいたことのない、よく通ったアランの声でした。

 頭領は目を見開きました。

「盗賊シハーブだと? まさかここで、その名前が出てくるなんてなあ。シハーブは、たしかに砂漠では有名な盗賊だったが……それも昔のこと。うわさでは、貧乏人を助けてばかりいた、腑抜けたやつだったんだろう? そんなやつは、盗賊の片隅にも置けねえ」

「やめろ! シハーブさんのことを、悪くいうな!」

「さてはおまえ、シハーブの仲間か? いいか、シハーブはもういねえ。今さらもどってきたところで、おまえを待つ者はもうどこにもおるまいよ!」

 糸が切れたように、アランが頭領につかみかかりました。頭領はそれをいともたやすく、ふりはらいました。

 アランの服の袖から、なにかがからんと音を立てて落ちました。

 それは――。

「魔神のランプ!」

 マリアがさけびました。

 いそいで落ちたランプ拾おうと、アランがそれにふれたとたん――ランプの口から、黒い魔神があらわれました。

「ああ、ようやくご主人がわたしを呼び出しましたか。まったく、ランプの中はせまくて退屈ですこと」

 魔神は目をぎらりとさせて、盗賊たちを見おろしました。

「う、うわあ! なんだあれは!」

「ばけものだ!」

 盗賊たちは、その姿を見るなり情けない声をあげます。

 先ほどの、威勢のいいかけ声はどこへやら。すっかり魔神におびえた盗賊たちは、我先にと洞窟の入り口へと走ってゆきます。

「にがすものですか!」

 マリアが、足ばらいをかけました。

 すっ転んだ盗賊たちは、そのままなだれのようにたおれこんで、ひとり残らず動けなくなってしまいました。

「命あるものを売るなど、非道で最低な行いだ。いつか必ず、おまえたちはその報いを受けるだろう」

 ヴィクトルははき捨てるようにそういって、盗賊たちをしばりつけたのでした。

 マリアは、ローナをだきしめました。

 ローナはマリアの腕の中で、ぼんやりとみんなを見つめていました。

「だいじょうぶ? どこも、けがしてない?」

 今にも泣きそうなマリアに、ローナは微笑みました。

「うん。ごめんね、マリア、ヴィクトル。アランの姿を見かけたから、ひとりで外に出ちゃったんだ。でもそのせいで、ふたりにまた心配かけちゃった。ローナはもう、だいじょうぶだから。いつも足手まといで、ごめんね」

 本当は、だいじょうぶなんかではありませんでした。こわくてこわくて、今にも泣きさけびたい気持ちでした。けれどこれ以上、マリアにもヴィクトルにも心配をかけたくなくて、無理して笑顔を作っていたのです。

 ローナは、人が好きでした。最初にマリアと出会ったときから、マリアの優しさや強さが、太陽の光のようにかがやいていると思いました。そのあと、ヴィクトルと出会って――ヘイゼルやカシュや、オデットたちとも出会いました。みんな優しくて、あたたかい人たちでした。

 ロットバルトのように悲しい心をもった人もいましたが、それでもローナは人を信じていました。心の底から悪い人なんていないと思っていました。

 旅をしてから、初めて人をこわいと思いました。自分の幸せのためなら、だれかが傷つくことをなんとも思わない人たちがいることを知りました。

(あれ……? この気持ち、前にも感じたことがある気がするよ。どうしてかな……人間のこと、大好きなはずなのに)

 つめたい水の底にしずんでゆくようなこの気持ちに、ローナは覚えがありました。いつ感じたのか、思い出せません。

「人は必ずしも、いい人ばかりとはかぎらない。悲しいことに、自分のことだけを考えて、平気でだれかを傷つける人なんて、いくらでもいるんだ。人間はそうやって、何度も過ちをくりかえしてきた。おろかなことだ」

 ヴィクトルは苦々しい顔をしながら、静かにそういいました。

「……騎士は魔物だけではなくて、そういう人たちからも大事な人を守れるように――強くならなくてはならない。それなのに、わたしの力が足りなくて、きみをこんな目に合わせてしまった。……すまない」

 マリアとヴィクトルは、そうしてしばらくローナのそばに寄りそっていました。

 それを、すこしはなれたところでアランが見つめていました。その後ろでは、ランプからあらわれた黒い魔神がただよっています。

 マリアは、そっとアランにたずねました。

「アラン……どうして、あなたが魔神のランプを持っているの? この魔神は、あなたが生み出したものなの?」

 琥珀色の瞳は、どろりとにごっていました。その瞳の奥に絶望が映っているのが見えて、マリアはどうしようもないほどの悲しい気持ちが、胸の内からあふれてきました。

「……あたしには、さわっちゃだめっていってくれたのに。それなのに、どうして! あなたが魔神を連れているのよ! あなたも魔神でだれかを、傷つけるつもりだったの?」

 泣きそうになりながらさけぶマリアの肩に、ヴィクトルが手をのせました。

「マリア、落ちついて。……前に地下水路でわたしたちを助けてくれたとき、きみが魔物におそわれなかったのは、魔神のランプを持っていたからだったんだな」

 シュネーバルの地下水路にいた、魔物の群れをアランは追いはらってくれたのです。

 けれどそれは、群れを追いはらうほどにまで、アランの生み出した魔神が強大であるということにもなるのです――。

「きみは、この洞窟の扉を開く呪文を知っていたり、魔神のランプを持っていたり……いったい、何者なんだ?」

 アランは唇をかみしめたまま、なにもこたえません。

 ローナは、アランにふわりと笑いかけました。

「魔神を連れていたって、アランは悪いひとなんかじゃないよ。だってお姉ちゃんの楽器を、大事に持っていてくれてるもの。そうだよね?」

「……ちがう。おれは……」

 アランの顔から、血の気が引いてゆきました。うったえるかのように、なにかをいいかけたとき。

 ふっと力がぬけたように、アランがその場にたおれこみました。

 おどろいてそばにかけ寄ると、苦しそうに息をあらげています。

「アラン! アランってば!」

 ローナが必死で体をゆさぶりますが、返事がありません。

 ヴィクトルが、アランをだき起こして額に手をあてました。その体があまりにやせ細っていて、ヴィクトルは息をのみました。

「ひどい熱だ。……きっと、ひとりで無理をしすぎていたんだ」

 思えば、アランのとなりにだれかの姿を見たことは一度もありませんでした。友だちや、両親ですら、アランのそばにいたことはなかったのです。

 アランのことを心配してくれる人は、だれもいなかったのでしょうか。ローナはたまらなくなって、アランの手をにぎりしめました。

 その周りをただよっていた魔神が、口を開きました。

「ああ、かわいそうなご主人。このままでは、命を落としてしまいますね。あわれな少年は、こうしてひとりぼっちのまま、永遠のねむりにつくのでしょう」

 その口ぶりは、悲しそうでもなんでもなく、淡々としたものでした。

 ローナは、光を宿した瞳で魔神を見あげました。

「ひとりぼっちじゃないもん。ローナたちがいるもん。それに、死なせないよ。ローナが、絶対アランを助けるから。だから、あなたはじゃましないでね」

 ローナはリュックから薬草を取り出しました。

 妖精が作る薬は、どんな病気やけがだって治せるのです。

 魔神はローナのその手つきを、ただおもしろそうにながめているだけでした。前に一度、魔神と戦ったことのあるマリアたちからすれば、すこし拍子ぬけてしまったぐらいです。魔神も魔物も、結局は人間をおそうものだと思っていましたから。

「あなたは魔神なのに、あたしたちをおそったりしないのね」

「ご主人が、それを望んでいませんから。ご主人にあなたがたを傷つける気持ちがないのなら、わたしはそれに従うまで」

「けれどあなたも、憎しみや恨みの気持ちから生まれたものなんでしょう? そんなの、魔物といっしょじゃない」

 マリアがいうと、魔神はおおげさな仕草で両手をあげました。

「なんという屈辱! たしかにわたしは、この少年の絶望から生まれた魔神。しかし魔神とは、人のように自らの意思を持ち、考える力を持つ者。魔物のように、ただ生ける者をおそうだけの、下等な存在といっしょにされてはこまります」

「なら、アランを助けてよ。あなたの主人なんでしょう」

 魔神は首を横にふりました。

「いちおう、絶望の気持ちから生まれていますので。魔神には人を生かしたり、命を助けたりするような力はないのですよ。魔神がかなえられる願いは、人を傷つけることだけです」

 しばらくすると、ローナの作った薬が効いたのか、アランの呼吸はだいぶん落ちついていました。静かな寝息がきこえてきます。

 ローナはほっと、胸をなでおろしました。

「よかった。これでもう、だいじょうぶ」

「わたしも前に一度、けがを治してもらったが……妖精が作る薬というのは、本当にすごいな」

 ヴィクトルが、感心したようにいいました。

「ありがとう。……あのね、はじめてアランと会ったとき、なんだかなつかしいにおいがしたの。それは、妖精のにおい。ローナのお姉ちゃんの、においだよ。今も感じる。アランはやっぱり、ロレーヌお姉ちゃんといっしょにいたんだ」

 魔神は「ほう」とローナのことばに相槌を打ちました。

「さすがは、自然とともに生きる妖精。耳や鼻がすぐれていらっしゃる。たしかにこの少年は、過去に妖精と過ごした思い出があります。あなたと同じ青色の、長い髪をもった妖精の少女と」

 マリアは、路地裏でのアランのことばを思い出しました。ロレーヌがもう、この世にいないということばを……。

 きっとそれをローナに知られたくなくて、アランはだまっていたのです。

「あなたは、アランの絶望の気持ちから生まれたものなんだよね。なら、どうしてアランが、そんな思いをいだいてしまったのかも、わかるの?」

 魔神は目を三日月のように細めて、笑いました。

「いかにも。わたしはもともと、この少年が生み出したものなのですから。ご主人のことは、なんでもわかります」

「なら、おしえて。どうしてアランは、盗賊になったの? どうしていつも、ひとりぼっちなの? ――どうして、あなたは生まれたの?」

 マリアは迷いました。アランの気持ちを思えば、その真実を妹のローナにはきかれたくないはずです。ローナを、悲しませたくないのです。

 そう思う一方で、もし自分だったら――それがたとえつらいことだとしても、家族のことは、知りたいと思いました。永遠に、知らないままでいるわけにはいかないのです。

「かまいませんが……それはあなたにとって、少々つらい話かもしれませんね」

 魔神がそういっても、ローナは迷うことなく、うなずきました。

「いいよ。どんなに悲しいことでも……ローナは、アランを助けてあげたいの」

「そうですか。それならば、まずは少年が盗賊になった理由をきいていただきましょう」

 そうして魔神は、アランの過去を話し始めました。

♫ Ⅴ アランが盗賊になったわけ

 今から、五年ほど前のこと。

 砂漠の都ジャウハラに、ひとりの男の子がおりました。まだ八つぐらいの、ちいさな男の子です。名前は、アランといいました。それ以外のことは、なにもわかりませんでした。

 アランは、人売りによって売られていた子どもでした。売られた人間は、だれかに買われると、その元で奴隷として働くことになるのです。それはひどいもので、まるで人が物のようにあつかわれているのでした。

 この都には、貴族たちが宝石や装飾品で着飾る一方で、アランのように身寄りのない子どもや、貧困に苦しんでいる人たちが何人も住んでいたのです。

 それはまるで、宝石のかがやきによってできた影のようでした。

 その影に生きる人々は、毎日を生きぬくのがやっとでした。毎日どこかで、飢えに苦しみ命を落とす人がいました。人売りにつかまって、牢の中に入れられてしまう人もいました。もしもだれかが自分を買って、外に出られたとしても、死ぬまでこき使われ続けるのです。だれかを愛することも、だれかに愛されることもないまま、死んでゆくのです。

 宝石の都とうたわれるこの都も、アランの目にはすべてが灰色に見えていました。自分がいつから、どうしてここにいるのか、思い出せませんでしたが――どこか遠いところから売られてきたのだろうと思いました。アランの茶色い髪と琥珀色の瞳は、砂漠のものではなかったのです。

 けれどそれがわかったところで、なにも変わりはしませんでした。自分には帰る家もなく、親の顔だってわからないのです。

 牢の中から、手をつないで歩く親子の姿を見かけたことがありました。その姿が、うらやましくてなりませんでした。そして時が経つにつれ、その気持ちは次第にあきらめの気持ちへと変わってゆきました。

 両親にとって、自分はいらない存在だったのです。たとえもう一度会えたとしても、きっと自分をだきしめてくれなどしないのです。

 すこしでも抵抗すれば、すぐにむちでたたかれました。前に牢からにげ出そうとした人は、にげきれずにつかまって、罰として何度もむちを打たれたのです。そうやって、力で人が人を支配している世界でした。

 にげ出した人が謝っても、涙を流しても、だれもその人を助けはしませんでした。

 おそろしさとあきらめの気持ちは、アランの心を闇に閉じこめました。自分は一生、ここから出ることなどできないのでしょう。牢の中か、あるいは売られた先で、自由を知ることなく死んでゆくのだと思いました。

 どうして、人が人を売るのでしょうか。どうして、自分たちは自由に生きられないのでしょうか――。

 ちいさなアランは、牢の中でひっそりと生きながら、光を失った目でその世界を見ていたのでした。

 そのころ、牢の中にいた子どもはアランだけでした。背が低くてやせっぽっちなアランは、なんの役にも立たないだろうと思われていました。だから、ずいぶん長いこと牢の中にいたのでした。

 ある真夜中のこと。にぎわっていた町並みも、今はねむりについています。

 静かな砂漠の町は、かすかに潮のにおいもします。それは未だ見たことのない、海のにおいでした。

 だれの姿もない、そんな夜がアランは好きでした。牢の中の自分をあわれむような目、なにかきたないものでも見るような目、自分を物のようにあつかう、貴族たちや人売りの目――それが、今はどこにもありません。

 月と星だけは、牢の中からでも美しく見えました。幾千ものかがやきは、世界がとても広いということを、どこにも行けないアランに教えてくれているような気がしました。

 こんなちっぽけな牢の中からではなくて、広い大地で夜空をながめることができたら、どんなにいいでしょう。

(大人は、宝石を大事そうに持っているけれど。宝石なんかより、星のほうがずっときれいだ)

 こうしてひとり、鉄格子のあいだから星空をながめるのが、アランの唯一の生きがいだったのです。

 ながめているうちに眠気がやってきて、うつらうつらとしていると。

 ふいに月の光をさえぎるようにして、おおきな陰があらわれました。

 牢の前に、男が立っています。

 男は、アランを見ているようでした。逆光で男の顔はわかりませんが、こんなにもおおきな体の人は、今まで見たことがありませんでした。

 だれだろう――アランがその男から目をはなせないでいると、男は牢の扉にかけられた、南京錠にふれました。

 そしていともたやすく、それを外してしまったのです。

 男は鍵を持っていませんでした。代わりに、細い針金を持っていました。

 それを鍵穴に差しこんで、南京錠を開けたのです。とても静かで、一瞬のできごとでした。

「行くぞ」

 男は低い声で、それだけいいました。光に照らされた男の瞳には、はっきりとアランの姿が映されていました。

 不思議と、その男の自分を見る目は、いやだと思いませんでした。いつもなら、だれとも目など合わせたくないというのに。

 この人に、ついていっていいのでしょうか。知らない人だし、体もおおきくてなんだかこわそうです。よく見ると、腰におおきな剣までさげています。連れられた先で、暴力をふるわれるかもしれません。

 それに、牢の中にいるほかの人たちのことも気がかりでした。自分だけが、にげ出してもいいのでしょうか。ほかの人たちと話したことはなかったし、友だちでもありませんでしたが、いざ自分だけがここから出るのは、悪いことのような気がしました。

 アランがそわそわとしていると、男はいいました。

「扉は開けた。ほかのやつらも、にげる気があるなら自分で出ていくだろうよ」

 おまえは、どうなんだ。

 そうきかれて、アランは自分の中に広がっていた、あきらめの気持ちをぬりつぶしてゆくように――強い想いが生まれました。

 ここを出たい。この人がどんな人なのかはわからないけれど、まずはここを出て、自分の足で歩きたい。

 アランはそっと、牢からぬけ出しました。はだしでふむ砂の感触が、なんだかくすぐったく感じられました。

「こっちにこい」

 男はそっけなくいうと、音もなく砂漠の町を歩き始めました。その後ろを、アランが追いかけます。それはとてもゆっくりとした足並みで、アランの足に合わせてくれているようでした。

 それからしばらく、ふたりはそうやって歩き続けました。

 満点の星空と白い月だけが、そんなふたりを見守るように、かがやいていました。

 港を通りぬけ、砂浜が見えてきました。

 記憶をさかのぼるかぎり、アランは海を見たことがありませんでした。初めて見た海は、鏡のように星を映し出していて、とても美しいものでした。けれど水平線の彼方は、夜空と混ざるように黒く染まっています。どこまでも続く闇が、すこしこわくもありました。

「海を、初めて見たのか」

 いきなり男に話しかけられて、アランはびくりと肩をふるわせました。

 そんなアランを見て、男は「あー」とつぶやきながら、頭をがりがりとかきました。

「……おどろかせたわけじゃない。べつに、わからないならこたえなくてもいい」

 ぶっきらぼうないい方ではありましたが、その声音は、どこか優しいものでした。

 アランはあわてて、ちいさくうなずきました。

 男の顔を、じっと見つめました。顔におおきな傷があります。

 大人は、とてもこわいものだと思っていたのに。なぜかアランは、この男の顔を見ているだけで安心するのでした。

「……なにを見ている」

 男はアランをみかえして、ふきげんそうにいいました。

 うつむいてしまったアランに、男はまた「あー」とつぶやきました。

「いや、べつに、おこっているわけじゃない。……おまえ、話せるか」

 アランは、もう一度ちいさくうなずきました。とはいえ、人と話すなんてことは今までほとんどなかったので、なにを話せばいいのかはわかりませんでした。

「名前は、わかるのか」

「……アラン」

 男の問いかけに、ぽつりとそれだけこたえました。

「そうか」

 男も、そうこたえただけでした。

 それからまたしばらく、ふたりは砂浜に沿って歩いてゆきました。

 やがて、おおきな岩場の前にたどりつきました。いくつもの大岩が積み重なっている場所でした。

 男は、そのうちの岩のひとつの前に立つと、静かにいいました。

「今からおれがいうことばを、だれにもいうんじゃねえぞ。それが、おれとの約束だ。わかったか」

 アランは、うなずきました。

 男は、岩にそっと手をあてました。

「ひらけ、ゴマ」

 すると、どうでしょう。ふれていた岩が、ひとりでに横に動いたのです。

 ずれた岩の先には、洞窟が続いていました。

「入れ」

 男にうながされ、アランはそろそろと洞窟に足をふみ入れました。

 ふたりが中に入ると、岩はまたひとりでに動き、入り口をぴったりと閉ざしてしまいました。

 外からの光がなくなったと同時に、奥の方がぼんやりと明るくなっているのが見えました。

 人陰が、こちらへとやってきます。

「おそかったですねえ、シハーブのだんな! てっきり、つかまっちまったかと思いましたよ!」

 若い男が、へらりと笑いながら男に声をかけました。そこで初めて、アランは男の名前がシハーブということを知りました。

「おれが、そんなへまをするわけがないだろう。ナジュム、もう夜もおそいっていうのに、なんで起きていやがる」

「みんな、だんなの帰りを待って起きていたんですよ! だんながなんの計画もなしに、ひとりで夜に出かけるのはめずらしいですからね」

 ナジュムと呼ばれた男は、親指で洞窟の奥を指しました。見れば、何人かがこちらに向かって手をふっています。

「どこに行こうと、おれの勝手だろう。それより、明日も朝から一仕事あるんだ。おまえら、ねすごしたりでもしたら、ただじゃおかねえからな」

 いっていることこそおっかないものでしたが、やっぱりシハーブの声音は、どこか優しいものでした。

「わかってますって! それより、なにを手に入れてきたんです?」

「こいつだ」

 シハーブが体をずらすと、その後ろにかくれていたアランの姿があらわになりました。

「はあ。こいつはまた、ずいぶんとちいさな、がきんちょじゃあないですか!」

 ナジュムが、アランをまじまじと見つめました。アランは体をふるわせ、いそいでシハーブの陰にかくれました。

「ああ、かわいそうに。こんなにおびえちまって……。だんな、ちゃんと自己紹介とか、この場所のこととか説明したんですか?」

「……そんな暇はなかった」

 ナジュムは、おおげさにため息をつくと、やれやれと両手をあげました。

「そんなことをいって、本当はその無愛想な性格が出ていただけでしょうに。ただでさえ顔がこわいんだから、せめて笑顔でいないと。そんなんだから、だんなは誤解されちまうんですよ」

「うるせえ。それ以上むだ口をたたいたら、てめえの口をぬってやるからな。おれはねる。こいつの世話、やっておけ。名前はアランだ、ことばもわかる」

 シハーブはそういって、さっさと洞窟の奥へと消えてしまいました。

「まったく。すぐに人任せにするんだからなあ、おれたちのかしらは」

 ナジュムは苦笑いをうかべると、アランの前にしゃがみました。

「おれは、ナジュムっていうんだ。おまえは、アランだったか? シハーブのだんなは、ぶっきらぼうだけど、本当はとても優しいんだ。だから、心配するなよ」

 そういったあと、アランの手足を見て「あ」と口を開きました。アランの手足には、枷がつけられていたのです。走ってにげ出せないように、武器を持てないように、人売りがつけたものでした。

「枷が、外されていねえじゃねえか。まったく、だんなってば気が利かないんだから。今、外してやるからな」

 ナジュムは、懐から細い針金を取り出して、枷のつなぎ目に針金を差しこみました。真剣に、針金の先を見つめています。

 やがて、かちりと音がして、枷が外れました。足の枷が外れると、今度はアランの手を取りました。

 その手つきが、アランにとって不思議でなりませんでした。シハーブもナジュムも、針金一本でどうして鍵を開けることができるのでしょう。なにかの、魔法なのでしょうか。

 アランの目線に気づいたのか、ナジュムは静かにいいました。

「どうして、そんなことができるんだって顔をしてるな。……おれたちはさ、盗賊なんだ。盗賊シハーブと、その一味。盗賊ってのは、ぬすむためならどんな鍵だって開けられる。その鍵の先にあるものを手にするために」

 シハーブたちは貴族や悪人から、宝石をぬすんで生活していました。ぬすんだ宝石は、行商人に化けて売ってしまいます。それでお金を手に入れて、食べ物を手に入れて――というふうに。

「盗賊ってものはさ、だいたいの人から悪者だと思われてる。おとぎ話に出てくる盗賊だって、最後には痛い目にあうか、主人公にたおされるだろ?」

 アランはだまっていました。おとぎ話というものを、一度もきいたことがないのでわからなかったのです。

 けれど、ぬすみが悪いということはアランにもわかっていました。牢の中から、ときどき荷物をひったくる人や、財布をぬすむ人を見たことがありました。ぬすまれた人はおこったり、悲しそうな顔をしたり――逆に、ぬすみに失敗してつかまった人が、なぐられていることもありました。

 しかしその悪いことを、シハーブたちはやっているのです。

「まったく、気の毒なものだぜ。盗賊たちがどうしてぬすみを働くのか、どうして盗賊なんてものになったのか――そう考えてくれる人はいないんだから。そりゃあ、人のものをうばうのが好きな、本当の悪者だっているけれど。中には、ぬすみをしないと生きていけないやつらだっているんだ」

 おれたちみたいなやつのことさ、とナジュムは続けました。

「シハーブのだんなは、ときどきジャウハラの町で、貧しい人たちを助けているんだ。食べ物を分けたり、人売りにつかまった人たちの、牢の鍵を開けたりしてさ。
 ここにいるやつらも、生きるのに必死で、食べ物をぬすんでつかまった。だんなはそんなやつらをにがして、そして盗賊団をつくった。あまるほどの金に囲まれて暮らしている貴族どもや、人の弱みにつけこんで金稼ぎをするような、悪い商人からしかぬすまない盗賊団を」

 熱く語るナジュムの声には、シハーブに対する敬意や、あこがれのようなものが感じられました。

「それに、あんなにこわい顔をしているけどさ。だんなは、本当は子どもが好きなんだよ。子どもは、幸せでなくちゃいけねえって思ってるんだ。おまえがどこからきたのか知らねえけど、きっとおまえのこと、放っておけなかったんだろうな」

 やがて、手につけられた枷も外れました。ナジュムは笑って、アランの頭に手をのせました。

「さあ。おまえはもう、自由だ。好きなように、生きられる」

 ナジュムのそのことばをきいて――アランは、胸が苦しくなりました。

 そうしていつのまにか、頬には熱い涙が流れていました。

 最後に涙を流したのは、いつだったでしょう。なにもかも、あきらめていた心は涙を流すことすら忘れていたのでした。

 うれしい気持ちと、ほっとした気持ちと、これからどうなるのかという不安。さまざまな気持ちが入り混じった、複雑な想いがアランをおそいました。

「さあ、もう夜もおそい。おれたちといっしょに寝ようぜ」

 洞窟の奥は広がっていて、何人もの男たちが広げた布の上に寝転がっていました。そのはじっこにナジュムが横になると、アランもそのとなりでいっしょにねむりました。

 目が覚めると、となりではナジュムがまだねむっていました。ほかの男たちも、寝息を立てています。

 自分が、牢の外にいることが未だに信じられませんでした。

 起きあがると、洞窟の入り口から光が差しているのが見えました。

 岩の扉が開いています。そっと外へと出てみると、水平線から朝日が顔を出したところでした。そのまぶしさに、アランは思わず目を細めました。

 空が群青色からすこしずつ、うすい紫へと色を変えてゆきます。星と月が、朝日の金色の光にとけこんで、姿を消してゆきます。

 朝日は、好きではありませんでした。新しい一日の始まりなんて、アランにとって最もいやなものでした。

(……こんなにも、きれいなものだったんだ)

 砂浜には、シハーブがひとりたたずんでいました。

「起きたのか」

 ふりかえることなく、シハーブがいいました。

 なにかこたえなければ、とアランは思いましたが、口がうまく動いてくれません。

「あ、あのう、そのう……」

「いいたいことがあるなら、はっきりいえ」

 口ごもっていると、シハーブに強い口調でいわれてしまいました。

 アランは勇気を出して――琥珀色の瞳をまっすぐ、シハーブに向けました。

「たすけてくれて、ありがとうございました」

 シハーブは朝日の方を見たまま、だまっていましたが――やがて、ぼそりといいました。

「べつに、助けたわけじゃない。あそこから出ると決めたのは、おまえだ」

 そうこたえた、シハーブの耳が赤く染まっているのが、見えました。

「それにここにいたところで、おまえが必ず幸せになれるとはかぎらない。ここがいやだと思ったら、その先は自分で考えろ。……おまえは、自由だ」

 そうして朝日を背にして、シハーブは洞窟の入り口に立ちました。

 おおきく息を吸うと、

「おまえら、いつまでねていやがる! がきがもう起きているっていうのに、情けねえと思わねえのか!」

 耳をつんざくような大声でどなりました。

 心なしか、岩がふるえたような気がしました。洞窟の中で反響したシハーブの声が、いつまでもきこえていました。

 やがて、ナジュムたちが耳や頭をおさえながら、あわてて飛び出してきました。

 不思議な洞窟に住む、十一人の盗賊たち。それが、アランにとって初めての家族だったのです。

「――こうして、この少年は盗賊になったのです」

 そうしめくくって、魔神はいったん口を閉ざしました。

 だれも、なにもいいませんでした。

「……まさか、アランが売られた子どもだったなんて」

 ようやくマリアがそうつぶやいたのは、幾分か時が経ったころでした。

 マリアのお父さんやお母さん、そして大好きな妹は、今はもういません。家族を失ったとき、悲しみで心がこわれてしまいそうでした。こうしてまた前を向いて生きてゆけるようになるのに、長い時間がかかりました。

(でもそれは、あたしが家族のことを愛していたからだわ。あたしには、家族の思い出がいっぱいある。家族に愛されて、大切に守られて……でも、アランには……)

 それが、ちいさなころのアランにはないのです。すくなくとも、シハーブたちと出会う前までは。

 ずっとひとりで、牢の中で生きてきたのです。幼いころの日々を、だれかから愛されることを知らずに生きてきたのです。だれかを愛することも。考えただけで、マリアは胸が張りさける思いがしました。

 人がこわい、というアランのことばが、鉛のようにマリアの胸の底にうまってゆきました。

 ヴィクトルはじっと、アランの顔を見つめていました。

 じつをいうと、ヴィクトルは最初、盗賊であるアランのことを、心のどこかで悪く思っていたのです。

 ヴィクトルの生まれた国では、貧富の差はあまりなかったので、人から物をうばう盗賊や、泥棒の気持ちがわかりませんでした。たとえどんな理由があったとしても、ぬすみは悪いことであると。それが、ヴィクトルなりの考えでした。

 けれど、盗賊シハーブはその手で、アランを助けたのです。シハーブがいなければ、アランは今だって牢の中にいたかもしれないのです。

 それは決して、悪いことだとは思えなくて――それが盗賊であるシハーブの、正義だったのかもしれないとヴィクトルは思いました。

 果たして自分だったら、アランを助けられたでしょうか? それに、もし自分がアランと同じような生まれだったら――自分だって、同じ道を歩んでいたかもしれません。

(めぐまれているから、騎士になれた――か)

 以前、ロットバルトにいわれたことばを思い出しました。もちろん騎士になるため、努力をしてきたつもりですが――そもそもの生まれた場所や境遇は、自分の努力だけではどうにもならないものです。

 そう考えると、生きるために必死でぬすみを働く、盗賊たちを悪くはいえないような気がしたのです。

 騎士は、悪人には剣を向けねばなりません。けれどヴィクトルは、アランやシハーブたちを、盗賊だからという理由でつかまえることはできないと思いました。

(……こんな考えをもったわたしを、父上はおこるだろうか)

 さまざまな想いが、みんなの胸の中でうずまきました。

「……この洞窟は、アランやシハーブさんたちが、かつていっしょに住んでいたところだったんだね」

 ローナが、ぽつりといいました。呪文を唱えないと開かない、不思議な洞窟。そして、アランがさっきつぶやいたものと、話の中のシハーブがいっていた呪文が同じであると、マリアとヴィクトルも気づいていました。

「いかにも。この洞窟は、かつてこの少年が、盗賊たちと住んでいた場所です。ここにはもう、もどってこないつもりでしたが――まさか、こんな低俗な連中に乗っ取られてしまっていたなんて。きっと盗賊シハーブがいなくなったあと、どこかでここを開ける呪文をききつけたんでしょうよ」

 魔神はため息をつきました。

「魔神さん。アランは、シハーブさんたちと出会って、幸せだったんだよね? そうでしょう?」

 すがるように、ローナは魔神にたずねました。

「はい。この少年にとって、盗賊たち、そしてこれから出会う妖精の少女との思い出は、かけがえのないものです。少年は――アランは、人のぬくもりを、愛情を、知りました」

 絶望から生まれた魔神は、どこかなつかしそうに、そうこたえたのでした。

♫ Ⅵ ロレーヌとの出会いと、妖精の過去と

 そうして、アランは盗賊たちとともに暮らすことになりました。なにもできなかったアランに、ナジュムは食事の作り方や、洗濯の仕方や、釣りのやり方――いろいろなことを教えてくれました。ほかの盗賊たちも、すこし粗野なところはありましたが、みんな気のいい人たちです。

 アランはみんなの食事を作る仕事や、ぬすんできた宝石をみがく仕事を任されていました。

 ひとり黙々と作業を続ける姿を、盗賊たちは感心したように見ていました。

「アランはまだちいさいのに、文句もいわず働いてえらいなあ。料理もうまいしさ」

 今までほめられたことなど一度もなかったので、アランはどんな顔をしていいかわからずうつむきました。ただ、顔がどんどん火照ってゆくのを感じました。

「ナ、ナジュムさんが、教えてくれたから」

 ちいさくそれだけこたえると、盗賊たちは顔を見合わせて、にやりと笑いました。

「ナジュムは、面倒見がいいからな。弟ができたみたいで、うれしいんだろ」

「それにしてもナジュムは、すこし変わったやつだよなあ。盗賊なのに、どこか高貴な雰囲気がただよっている感じがするんだよ」

 盗賊たちはうなずき合いました。ナジュムは着ているものこそ、ほかの盗賊たちと同じようなみすぼらしいものでしたが、つややかな黒い髪と、きりっとした濃い顔立ちは、たしかにほかの盗賊たちとはすこしちがって見えたのでした。

「あいつ、本当はぬすみなんてしたくないんじゃねえかな。たまに、都の方をじっと見ていることがあるし。もっとまっとうな道を歩めたかもしれねえのに、運命っていうのは、残酷だよなあ」

盗賊たちのことばには、ほんのすこしだけ切なさが混じっていました。

「おいおい。おれの、うわさ話か?」

 いつのまにか、ナジュムがやってきていました。ナジュムはいつものように、明るく笑っています。その笑顔が、アランは好きでした。

「かんちがいしてもらっちゃあ、こまるぜ。おれは、今ここでみんなと暮らせて幸せなんだ。その運命を、残酷だなんて思わねえよ」

 そういって、アランの頭をなでました。それを見て、盗賊たちも笑いました。ナジュムのその明るさは、いつだってみんなを笑顔にしていたのでした。

 ある日、アランはみんなといっしょに、町へ行くことになりました。

 自分が売られていた町。それを思うと、胸の奥が痛むような、いやな気持ちになりました。

 暗い顔になったアランに、シハーブは静かにいいました。

「いつか、ひとりで生きなきゃいけなくなるときがくるかもしれない。おまえだけじゃなく、ここにいるみんながそうだ。生きてゆくために、外の世界のことは知っておけ」

 シハーブのことばを、信じたくはありませんでした。けれどそのことばの意味を、アランはわかっていました。

 盗賊とは、そういうものなのです。ぬすみがばれてつかまって、はなればなれになってしまう日が、いつきてもおかしくはないのです。それがたとえ、明日であったとしても。

 シハーブに手を引かれて、アランは町を歩きました。そんな自分とシハーブの姿が、いつか牢の中で見た親子と似ている気がして――それを思えば、アランの胸の痛みは、すこしずつうすれてゆきました。

 露店にはきれいな布や、みずみずしい果物や、繊細な細工がされている装飾品が並べられていて、興味をひかれました。牢の中にいたときと同じ場所とは思えないほど、にぎやかで色あざやかな世界が広がっていました。

 シハーブは店で売られているものを、ひとつひとつアランに教えてくれました。ぶっきらぼうないいかたではありましたが、どれもとても丁寧に、ゆっくりと教えてくれました。

 そんな中、大通りから外れたところに、ぽつんとひとつ露店があるのが見えました。不思議なかがやきを放つ、オイルランプを売っています。

 なんだろう、と近寄ろうとしたアランの手を、シハーブがつかみました。

「あれには近づくな。あれは、人の命をうばう」

 猛獣でもおとなしくなってしまうような、低くしゃがれた声でした。

(人の命をうばう――)

 露店にいる男の目はするどく、つめたいものでした。ふととなりを見あげれば、ナジュムも眉をひそめながら、その店を見つめていました。

 おそろしくなったアランは、それきりその露店に近づかないようにしました。

 さて。アランが盗賊たちと暮らすようになってから、二年の月日が経とうとしていました。自分の歳はわかりませんでしたが、おそらく十歳ぐらいになったのだろうと思いました。

 このころには、アランはだいぶん盗賊としての技を身につけていました。しのび足や、気配を消してしまうぐらいに身をかくすことは、すっかりこなせるようになっていました。

 持ち前の器用さもあってか、鍵を開ける技も教えられてすぐにできてしまったほどです。おそらくシハーブと同じぐらい、あるいはそれ以上の速さで開けられるだろうとうわさが立っていました。

 それでも、アランはまだ一度もぬすみを働いたことはありませんでした。そんな勇気はなかったのです。

 ある日、シハーブたちは町で商人に化けて宝石を売っていました。そのとなりで、アランは広場の方へと目を向けていました。

 広場には人だかりができています。みんな豪華な服を着て、きらびやかな宝石たちを身にまとった貴族たちでした。

「さあ、世にもめずらしい妖精ですぞ! 幸運を運ぶといわれている、あの妖精がここにいるのです! このわたしが、旅の途中につかまえました。ぜひ一度、ご覧ください。ああ、見物料をお忘れなく!」

 人だかりの真ん中で張りあげた声が、こちらまできこえてきました。

 妖精ってなんだろう――? 初めてきくものです。

 気になったアランは、そっと広場の方へと足を運びました。体がちいさいので、人だかりを簡単にすりぬけられました。

 そうやって人のあいだから顔を出した瞬間、はなやかな布が舞うのが見えました。それは何枚も布を織り合わせた、美しい衣装でした。それを着ているのは、アランと同い年ぐらいの女の子です。

 女の子の顔を見たとたん、心臓がとびはねました。

 なんて、きれいな女の子なのでしょう。翡翠のようなおおきな瞳が、悲しげにゆれています。青色の、長い髪が風にふかれてなびいています。

 女の子と、目が合いました。悲しげだった瞳が、きらりと光ります。アランはすっかり、目がはなせなくなっていました。

 女の子の足には枷がつけられていました。アランがかつて、人売りにつかまっていたときと同じように。

「妖精はめずらしいだけでなく、楽器を奏でるのも上手なんですよ。ためしに、きいてみてください。……ほら、さっさとひくんだ!」

 商人はこわい顔をして、妖精の女の子にどなりつけました。女の子はおびえながらも、手に持ったハープを構えて、奏で始めました。

 ハープの音色は、この世のものとは思えないぐらい、繊細でこぼれ落ちるようなものでした。けれどその旋律は、とても悲しいものだったのです。

「おい、お客の前だぞ! もっと明るい曲をひけないのか!」

 商人が、むちを手に取りました。女の子はふるえる声で「ごめんなさい」とつぶやいて、涙を流しました。

 思わず、アランはかけ出したくなりました。その子の手を取って、どこまでもいっしょににげ出したいと思いました。けれど商人のむちを見ると、牢で自分にもむちを向けられたことを思い出して、動けなくなってしまいます。

「たしかに、すばらしい音色だな。それに、幸運を運んでくるとは興味深い。その妖精を、わたしに売ってはくれないだろうか」

 貴族のひとりが、商人にいいました。

「いいや、それならわたしに売ってほしい。いくら出せばいいんだ?」

 別の貴族が、身を乗り出しました。あちこちから、妖精の女の子を欲しがる声が飛び交いました。

 商人は、やれやれと肩をすくめました。

「こまりましたな。本当は、お売りするつもりはなかったのですが。そこまでいうのなら――金貨五百枚で、いかがでしょう」

 金貨五百枚! アランは目を丸くしました。贅沢をしなければ、一生不自由なく生きていけるような金額です。

 さすがの貴族たちも、その値段の高さにおどろいたようでした。

「そこらの宝石よりも、ずっと高価じゃあないか。本当に、妖精にそんな価値があるのか? ぼったくりじゃあないだろうな」

「妖精の力を信じないなら、それで結構ですぞ。幸運は、このわたしが手に入れます。わたしはしばらくこの町に滞在しておりますので、金貨を用意できた方がいらっしゃいましたら、町の外れに停めてある荷馬車までおこしください。それでは――ほら、さっさと歩け」

 商人は女の子を追い立て、広場をあとにしました。女の子がこちらにふり向き、アランを見つめます。アランも、いつまでも女の子を見つめていました。

 しかし、町を行き交う人々にさえぎられて、ふたりの距離はどんどん広がってしまいました。

「ここにいたのか。勝手にどこかに行くなんて、おまえらしくないな。さあ、そろそろ帰るぞ」

 ナジュムがアランを探しにきてくれましたが、それでもなお、アランはしばらく広場から動けないままでした。

 洞窟にもどってからも、アランはずっとあの妖精の女の子のことが頭からはなれませんでした。出会った時間はほんのすこしのはずだったのに、アランにとっては永遠のように感じられました。

 あの子の瞳はどんな宝石よりも、ずっと好きだった星空よりも、美しくすんでいたのでした。

 胸がどきどきしました。けれど、あの子が商人にむちでたたかれるところを考えただけで、その胸は張りさけそうなぐらいに痛むのです。

 アランはいてもたってもいられなくなりました。あのとき、商人の持ったむちをおそれて、あの子の手を取らなかったことを深く後悔しました。

 金貨が五百枚あれば、あの子を引き取ることができます。けれどそんな大金は一度だって見たことがないし、それにあの子をお金で買うなんてことは、絶対にしたくありませんでした。

(あの子を、助けにいこう)

 アランはそう決意すると、シハーブたちにばれないよう、こっそりしのび足で洞窟をぬけ出しました。

 夜の闇は、アランの姿をかくしてくれました。足音を立てることなく、すべるように町をかけぬけました。

 人気のない町の外れまでやってくると、おおきな荷馬車が一台、停まっているのが見えました。その中から、かすかな音色と歌声がきこえてきます。

 なぜ こんなことをするの?

 なぜ わたしをとじこめるの?

 月も星も かがやいていたのに

 今はなんだか かすんで見えるの

 おねがい

 わたしに 自由をください

 おねがい

 どうか わたしを見つけて

 ここにいるわたしを

 鈴の鳴るような、美しい歌声でした。なんて、悲しい歌なのでしょう。

 御者台の上で、商人が寝転がっています。周りには、たくさんの酒瓶が転がっていました。深いねむりについているようで、辺りにはいびきがひびいています。

 アランは息をひとつはくと、おそるおそる荷台の布をめくってみました。

 荷台には、人ひとり分ぐらいのおおきさの檻が積まれていました。

 その中に、あの女の子が閉じこめられていました。

 檻の中でちいさくうたう女の子は、まるで鳥かごの中の小鳥のようでした。

 こんなときだというのに、歌と楽器の音色のすばらしさに、アランはしばらくききほれてしまいました。

 奏でていた曲が終わって、女の子は目を開けました。

「あなたは……!」

 とつぜんあらわれた少年に、女の子はおどろいたようでした。よく見れば、その子の頬には涙のあとがありました。

 しばらく、ふたりはじっと見つめ合っていました。再び口を開きかけた女の子に対して、アランは静かに、と唇に人差し指をあてました。ここで商人に気づかれるわけにはいきません。

 檻の鍵穴に、針金を差しこみました。それはアランにとって初めての、盗賊としての試みでした。シハーブたちのように、うまくできるか不安でしたが――思いのほか、すんなりと開けることができました。

「行こう」

 開けたはいいものの、うまくことばが見つからなくて、ぼそりとそれだけいいました。なにしろ女の子はおろか、同い年の子どもとですら、アランは一度もしゃべったことはありませんでしたから。

「……わたしがここを出たら、あの人がわたしを探しにくるわ。見つかったら、あなたもつかまってしまう。あなたが殺されてしまうかもしれない」

 そういう女の子の声はふるえていました。そんな姿を見て、なおさら放っておくことなどできるわけがないとアランは思いました。

「だいじょうぶだよ」

 実際、だいじょうぶかどうかなんてわかりませんでした。けれどどうにか女の子を安心させたくて、アランは静かにそういいました。

 そして、今度こそ女の子の手を取りました。

 その手に力をこめると――女の子は涙をひとつこぼして、アランにだきつきました。

 思ってもいなかったできごとに、アランは目を白黒させました。ふんわりと、森の中にいるようなさわやかな香りが鼻をくすぐって、心臓が激しく脈打ちました。

 この子の近くにいるだけで、心臓がうるさいぐらいにさわがしくなるのです。息をするのですら、苦しくなります。

 とにかく落ちつこうと、アランは女の子から目をそらして、荷馬車から降りました。そうして女の子の手を引いて、港をぬけ、海沿いをかけてゆきました。

 だれも追ってこないことを確認すると、浜辺の真ん中で立ち止まりました。女の子が息を切らせているのを見て、アランは「速く走りすぎたかな」とひとりおろおろとしていました。

「たすけてくれて、ありがとう」

 やがて女の子が、アランと手をつないだままいいました。

 なんと返事をすればいいのか、わかりません。こまってしまって、あーとか、うーとか口ごもっていると、女の子は微笑みました。

「わたし、ロレーヌっていうの。妹を探すために、ずっとずっと遠くからきたのだけれど、あの人につかまってしまって……。でも、あなたが助けてくれた。人間の中にも、絶対いい人がいるって、わたし信じていたの」

「い、いい人なんかじゃないよ」

 しどろもどろになりながら、ぶっきらぼうにアランはこたえました。ぬすみをたくらむ、盗賊の仲間ですから、たしかに一般的にはいい人とはいえません。

「いいえ、いい人だわ。わたしのことを、あんなにもこわい人から、助けてくれたもの。優しいだけじゃなくて、勇気もあるのね」

 ロレーヌの笑顔は、天使さまのようにやわらかなものでした。その笑顔が、あまりにかわいらしかったので――アランはしばらくぼんやりと、ロレーヌを見つめていました。

 ふたりで洞窟へともどると、岩の扉の前にだれかが立っているのが見えました。

 シハーブです。遠くからでも、シハーブの周りにただならない雰囲気がただよっているのが、アランにもわかりました。

 おそるおそる近づくと、シハーブは腕を組みながら、アランを見おろしました。

「どこに行っていた」

 その声に、アランはおじけづきました。ロレーヌも、アランの腕にしがみつきます。

「あ、あのう。……町に」

「その少女はだれだ」

「つかまっていて、それで。たすけたくて」

「……おまえが、助けたのか」

 アランはうなずきました。シハーブは深いため息をつくと――アランの頭にひとつ、おおきなげんこつを落としました。

「いってえ!」

「こんな夜おそくに、子どもひとりで出かけるたあ、いい度胸してるな!」

 アランは頭をおさえてうずくまりました。目の前でいくつもの星が舞いちったような気がしました。ロレーヌが心配そうに、アランの顔をのぞいています。

「ごめんなさい……」

「二度と、ひとりで町へは行くんじゃねえぞ。……ほら、ふたりとも入れ」

 その声はとてもおこったものでしたが、どこか安心しているようにも、きこえました。

「うわあ! アランが、女の子を連れてきやがった! それも、とびっきりかわいい女の子を!」

 洞窟の中は、とたんにおおさわぎになりました。みんな、アランがいなくなったことを心配して、起きていたのでした。

 アランはロレーヌがつかまっていたことを、ところどころつっかえながら、けんめいにみんなに話しました。生まれてから一番長く話をしたので、終わったころには目が回りそうになっていました。

「それにしても、アランが最初にぬすんできたものが、まさか女の子だなんて! おまえも、隅に置けねえなあ!」

 仲間のひとりがアランの背中を豪快にたたいたので、アランは思わず咳こみました。

「たしかにロレーヌちゃんは耳の形も、髪の色も人間のものとはすこしちがうなあ。それでその妖精ってのは、本当に幸運を運んでくるものなのかい?」

 盗賊たちの問いかけに、ロレーヌはこまったように首を横にふりました。

「妖精には……そんな力はありません。けがを治す薬を作ったり、自然の力を借りた魔法を使ったり……妖精ができることは、それぐらいです」

「それってじゅうぶん、すごいことだけどなあ。おれたちは、魔法なんてこれっぽっちも使えないしよ」

「おれとしては、ここに女の子がきてくれたってだけで、幸せな気分だぜ。ここにいるのは男ばっかりで、むさ苦しいったらありゃしない」

 全員が深くうなずきました。日ごろから、思っていることはみんな同じのようでした。

「あの……とてもうれしいです。妖精を見てもつかまえたり、売ったりしない人たちがいるってことがわかって。でも、わたし、妹を探しにいかないと」

 ロレーヌのことばに、ナジュムはしぶい顔をしました。

「妹を心配する気持ちはわかるんだが、しばらくはここから出ないほうがいい。その悪徳商人が、あんたを探しているかもしれねえからな。ね、だんな。しばらくこの子を、かくまってあげましょうよ」

 ナジュムがシハーブに提案しました。アランも、ぜひそうなってほしいと思いました。

 しかし、この盗賊団のおかしらはシハーブです。シハーブがうなずかなければ、ロレーヌはここにいることはできないのです。

 みんなが、シハーブを見つめました。シハーブはあぐらをかいたまま、だまっていましたが、やがてたったひとこと、いいました。

「好きにしろ」

 洞窟内に、歓声があがりました。一気に盛りあがった盗賊たちの姿に、ロレーヌは目をぱちくりとさせていました。

 こうして、ロレーヌは盗賊たちといっしょに過ごすことになりました。

 ロレーヌは、盗賊たちにけがや病気を治す薬を作ってくれました。かすり傷から、高熱が出てしまう病気まで、なんでも治すことができるのです。アランが、シハーブにげんこつを落とされてできたこぶも、ロレーヌが治してくれました。

 夜になれば、ロレーヌはハープを奏でて、美しい声でうたいました。初めてきいたときのような悲しいものではなくて、はなやかで心がおどるような旋律でした。

 盗賊たちがうたうこともありました。それに合わせて、ロレーヌがおどりました。かろやかに舞うロレーヌの姿を、アランはいつも目で追っていました。

「アランも、いっしょにおどりましょ!」

 いきなりロレーヌから誘いを受けて、アランはどぎまぎしました。

「お、おれはいいよ。おどったことなんて、一度もないし」

「だいじょうぶ。ただ、楽しめばいいの!」

 差し出されたロレーヌの手を、アランは勇気を出してにぎりました。

 頬を赤くしながら、ぎこちない動きでロレーヌといっしょにおどったこと――それは、アランにとって大切な思い出となったのです。

 とにかく、不思議な女の子でした。けれどロレーヌがどこからきたのか、今までだれといっしょに暮らしていたのか――それをきく人はいませんでした。

 生まれた境遇がさまざまである盗賊たちは、だれかの過去をきくことはしないのです。過去を話すことが、本人にとってつらいことかもしれないからです。それよりも今を楽しみ、今を生きることが、盗賊たちにとって大切なことでした。

 ロレーヌとともに過ごすうちに――いいえ、思えば最初に出会ったときから、アランはロレーヌのことを、心から大切に思うようになりました。

 もちろん、自分を助けてくれたシハーブやナジュムや、盗賊たちのことも大切です。しかしそれ以上に、ロレーヌは自分にとって特別な女の子でした。町にいるほかの女の子を見たって、こんな気持ちにはなりません。

 ロレーヌも、きっと同じだったのでしょう。無口なアランは、ほとんどなにも話すことはありませんでしたが――それでもロレーヌは、いつだってアランのそばに寄りそっていましたから。

 おたがいのことは、ほとんど知りません。けれどいっしょにいるだけで、心が温かくなってゆくのでした。

 ロレーヌがやってきてから、二度目の満月の夜のことでした。ふたりは浜辺に座って、夜の海をながめていました。月は今夜も変わることなく、白くかがやいています。

「わたし、お星さまもお月さまも大好きなの。暗い夜を照らしてくれるし、地図がなくても、わたしたちに正しい道を教えてくれるもの」

 砂漠や海をわたるとき、人は星をたよりに進みます。星の位置を見れば、正しい方角がわかるからです。昔から、人は星とともに旅をしてきたのでした。

 月や星が好き、というロレーヌのことばにアランはうれしくなりました。自分もちいさいころから、夜空をながめることが好きでしたから。

「おれも、星とか月とか、好きなんだ。その、きれい、だから……」

「わあ! きっと、そうだと思っていたの! アラン、よく空を見あげていたから。やっぱりアランは、優しいのね。だって月や星を愛する人が、悪い人なわけがないもの!」

 ロレーヌは花がさいたような笑顔になりました。アランはあわてて、空の方へ顔を向けました。きっと顔は真っ赤になっていて、それをロレーヌに気づかれていないかが心配でした。

 ロレーヌも月を見あげました。

「うれしいな。お月さまも、お星さまも、昔と全然変わってない。いつまでもずっと、こうしてかがやいていてほしいわ」

 それがまるで、ロレーヌが昔の空を知っているようないい方だったので、アランは不思議に思いました。

 それが伝わったのか、ロレーヌはすこし切なげに微笑んでいいました。

「じつはね、わたしは昔からきたのよ。それに、妖精は人間よりもずっと長く生きるの」

 アランはおどろいて、ロレーヌを見つめました。

 てっきり、ロレーヌは自分と同い年だと思っていたのです。まさか、生きていた時代も、生きる長さもちがうとは夢にも思っていませんでした。

 ロレーヌは、ひとつ息をはきました。

「……妖精はね、もうほとんどこの世にはいないの。はるか昔、人間と妖精は仲良しだったのよ。わたしは、その時代を生きていた。とても平和で、楽しい時代だったの……。
 でも、あるときからわたしたちが魔法を使って、人間たちをほろぼすんじゃないかってうわさが立って……人間たちが、妖精を殺してしまったの」

 アランは、だまったままロレーヌの話をきいていました。

 妖精に、そんな過去があったなんて思いもしませんでした。

「ごめん……」

 謝ったところで、過去はなにも変わりはしないけれど――それでもアランは、ロレーヌに謝らずにはいられませんでした。

「いいのよ。アランは、なにも悪くないもの。……わたしたちは、人間からにげ続けたわ。戦うのは、いやだったから。その途中で、妹とはぐれてしまったの」

 ロレーヌは、悲しげに顔をふせました。

「……ロレーヌは、それからずっと、ひとりでこの世界を生きていたの?」

 アランにとっては、想像もできないような長さです。そんなにも長い時間を生きる妖精が、とても遠い存在のように思えました。

 アランの問いかけに、ロレーヌは首を横にふりました。

「ううん。生き残った妖精たちは、新しい地を見つけて、そこに移り住んだの。そこはね、時間が流れないのよ。永遠に、同じ時が留まり続ける。子どもは、子どものままだし、命の終わりがきて、だれかが死ぬこともないの。もう二度と、だれかを失う悲しみを、かかえなくてすむところ……」

 妖精たちは、そこでおだやかに暮らしてゆくことにしました。自分たちの時が止まる代わりに、永遠に続く平和を手に入れたのです。

「けれどわたしは、はぐれた妹が心配で……。あの子を探すために、その場所を飛び出してきたの。でも、そのころには外の世界は、長い時が流れてしまっていたわ。妖精は、言い伝えの中だけの存在になっていて……妖精を殺したってことも、だれも覚えていなかった。きっと大昔のことだから、もう忘れちゃったのね……」

 さびしげにいうロレーヌを見て、アランは思わずこぶしを強くにぎりしめました。殺すだけ殺して、人間は自分のしたことなど、きれいさっぱり忘れてしまっていたのです。

 ロレーヌのことを、だきしめてあげたいと思いました。けれど、人間である自分がそんなことをしてはいけないと思いました。人間が、妖精を好きになる資格などないと思いました。

「わたし、ずっと人間がこわかった。わたしたちは人間になにもしていないのに、どうして命をうばうのか、わからなかった。命に値段をつけて、売ろうとすることも。わたしたちが死ぬことに、なにか意味はあったの? わたしたちが、死んでいったこと。それだけは、忘れないでほしかった……」

 夜の砂漠の風が、ふたりの髪をなびかせます。

 アランは、膝をかかえていた手を組み直しました。

「おれも、わからない。人間がだれかを傷つけたり、まるで物のようにあつかったりする理由が。命を、大切にしない理由が……」

 今でも、牢にいたときのことを夢に見ることがあります。目が覚めたら、また牢の中にもどっているんじゃないか――そう考えただけで、ふるえが止まらなくなるのです。

 ロレーヌは、そっとアランに寄りそいました。ふれた肩から、温かさが伝わってきました。

「でもね。わたし、アランやシハーブさんたちに会って思ったの。わたしは、やっぱり人間を信じたい。こまっているなら、助けたい。人間を好きでありたい。人間も妖精も関係なく、みんなで支え合って生きていきたいって、思ったの。だって、かつては人間と妖精は、仲良しだったもの。また、仲良くなることだって、できるはずだよね」

 ロレーヌの瞳は、迷いなくすんでいました。その瞳を見ているだけで、アランはとてつもなく苦しくなりました。

 ロレーヌは、人間に傷つけられた過去があるのです。それなのに、人を恨まず信じようとしているロレーヌを、強い女の子だと思いました。それと同じぐらい、人間のことなど信じないでほしいとも思いました。信じたところで、結局また傷つくのは、きっとロレーヌなのです。

「妹がどこにいるのか、わたしにもわからないの。長い時が経っているから、今ごろは大人になっているかもしれないわ。ふふ、わたしよりおおきい妹って、なんだかおもしろいね。
 けれど、大人になったってあの子はきっとさびしがりやだから……ひとりどこかで不安になっているかもしれない。人間をこわがっているかもしれない。だから、わたしが見つけ出して、こんなにも優しい人たちがいるってことを、あの子にも教えてあげたいの」

 複雑な想いが、アランの胸の中をうずまきました。出会ったときから、ロレーヌに伝えたいことは星の数ほどありました。けれど、なにひとつ口にすることはできていませんでした。

 ここからいなくならないでほしいと思っていることも。ひとり、危険な世界に旅立たないでほしいと思っていることも。本当は、そばにいたいと思っていることも。心から、ロレーヌを大切だと思っていることも……。

「きっと、見つかるよ」

 たったそれだけ、どうにか伝えると、ロレーヌはうれしそうに微笑みました。

「そういうふうに思えたのは、アランのおかげよ。檻の中にいたわたしの手を、あなたが取ってくれたから。ありがとう、アラン。わたし……アランのこと、大好き」

 そのときのロレーヌの笑顔を、アランは一生忘れないと思いました。

 マリアたちは、妖精の悲しい過去をききました。みんな、じっと動かないままアランを見つめていました。

 妖精は、みんな人間の手によって殺されてしまったのです。そしてその歴史は伝えられることなく、忘れ去られてしまったのです。

(なぜ……人間はそんなことを、するんだ。命をうばうなんて、おろかなことを……それも、そのことをわたしたちは知らずに生きていたなんて。知って、償わなければ、人間はまた同じ過ちをくりかえすだけだ)

 ヴィクトルは、こぶしを強くにぎりしめました。

 魔神は、ローナを見つめました。

「初めてあなたに会ったとき、すぐにロレーヌの妹だとわかりました。大人になってはいませんでしたが、あまりに顔がそっくりなものですから」

「ローナは、森の奥深くにある妖精の木のお城でねむっていたの。きっと、ロレーヌとはぐれてからずっと、あのお城に守られていたのね。長いねむりについていたから、ローナは大人にならなかったんじゃないかしら」

 ローナが生きていた時代は、はるか昔ではないかというヴィクトルの推測は当たっていたのです。そしてもう、妖精と暮らす人間など、どこにもいないのです。

「ローナ……だいじょうぶ?」

 そっと、マリアがローナに声をかけました。一番つらいのは、ほかでもないローナなのです。ずっと探していた仲間たちが、大好きな人間の手によって、命を落していたのですから……。

 ローナは、微笑みました。

「うん。平気だよ。魔神さん、続きを教えて。アランは、どうなったの? お姉ちゃんは?」

 ローナが無理して笑っているのが、マリアにもヴィクトルにもわかりました。ちいさなその姿が、痛々しくてなりませんでした。

 魔神は、再び口を開きます。

♫ Ⅶ そして、魔神による物語の結末は

 もうすこし海をながめていたいというロレーヌを浜辺に残して、アランは洞窟へともどりました。心に、もやがかかっているような気分でした。

 洞窟の壁に、のびたふたつの影が映っています。奥から、ナジュムの声がきこえてきました。

「これは人の憎しみを、最強の魔神に変える代物なんですよ! 魔神を従えれば、王宮でふんぞりかえっている王族どもを、まとめてとっちめられる! もう、おれたちのような貧民がばかにされることもなくなるんです。これがあれば、おれたちはこんな暮らしをしなくてすむんですよ!」

 ナジュムはなにやら興奮したように、シハーブに語りかけていました。その手には、いつか町の露店で見た、オイルランプがにぎられていました。

 絶対にふれてはならないと、シハーブにきつく教えられたものです。

 それを持つナジュムの姿に、アランの心臓はどきりとしました。それに、魔神というあやしいことばがきこえてきたのも気になります。

 次の瞬間、ナジュムの頬にシハーブのこぶしが飛びました。ランプが、ナジュムの手から落ちました。

「これにはさわるなと、いったはずだ!」

 ナジュムがよろけて、岩の壁にもたれかかりました。その迫力にアランの足がすくみます。前にげんこつを落とされたときよりも、何倍もこわいものでした。

「いつからおれたちは、命をうばう盗賊になった? だれかが死んだって、おれたちは幸せになどならない。今すぐ、それをこわせ。それができないのなら、もう二度とここにはもどってくるな」

 ナジュムは、うつろな目でシハーブを見つめました。その姿はアランの知っている、明るくてお調子者のナジュムではありませんでした。周りのみんなも、おどおどしながらふたりの行く末を見守っています。

 ナジュムはなにもいわずにランプを拾いあげると、入り口の方へと走り去ってゆきました。途中ですれちがったアランには、気がつかなかったようでした。

「あいつのことは放っておけ」

 シハーブは、洞窟にいるみんなにそういって、奥へと消えました。

 不穏な空気が、洞窟を包みました。アランはほんのすこしだけ迷って――結局、ナジュムの後を追いました。黒い影を落としたナジュムのことが、心配でした。

 洞窟の入り口に、ナジュムはぼんやりと立っていました。

 ナジュムはアランに気がついて、ふりかえりました。やせた体は、風がふけば今すぐにでも飛ばされてしまいそうでした。

「なんだ、おまえか。だんなになぐられたおれのことを、笑いにきたのか?」

 アランは強く、首を横にふりました。

 それを見て、ナジュムは力なく笑いました。

「なあ。アランだって、王や貴族が憎いだろ? あんなやつらは、死んじまえばいいって、思うだろ? あいつらが富を独りじめするから、おれたちはぬすみを働かなければならない。そうしないと、生きていけない。王が、おれたちを見て見ぬふりをするから。あいつらが、おれたちを物のようにあつかうから、奴隷だって生まれるんだ。そうだろ?」

 すがるようにナジュムにそうきかれて、アランはとまどいました。

 アランだって、お金持ちでいばっているだけの人たちのことはきらいです。自分やロレーヌを売ろうとした商人たちだって、いなければいいと思います。けれどそうきかれると、なぜか素直にうなずけませんでした。

 だれかに対して、死んでしまえと口にするナジュムが、こわくなりました。そう思ってしまったことに、悲しくなりました。ナジュムはいつだって、自分や仲間の面倒を見てくれていた、優しい兄のような存在だったのです。

「……おれはさ、本当は王宮で生まれたんだ。おれ、この都の王子だったんだよ。だけど、ずいぶんと落ちこぼれの王子だった。頭もよくないし、戦うことがきらいだったから、剣の腕だってたいしたことない。弟が生まれてからは、ますます邪魔者あつかいされた。それで、子どものころに捨てられたんだ。まるでおれは、最初からいなかったかのように」

 ナジュムは、さびしげに微笑みました。

「ナジュムってことばはな、星という意味なんだ。星なんて、空にいくらでもかがやいているだろ。ひとつやふたつ消えたって、だれも気づきやしない。一方で、弟には太陽という意味の名前がつけられた。世界にただひとつしかない、みんなを明るく照らす太陽の名が。……星なんて、太陽がのぼれば一瞬で見えなくなっちまう」

 自分は星が好きだと、アランは伝えようとしました。自分が牢にいたころは、星をながめることだけが楽しみであったと。

 それなのに、うつろな目をしたナジュムを見ると、なにもいえないのです。

 ナジュムは、深く息をはきました。

「気がつけば、道をふみ外していたよ。食い物をぬすんで、つかまった。本当は、そんなことしたくなかったけれど。そうしないと、生きていけなかったからやったんだ。……こんなおれを助けてくれた、シハーブのだんなには頭があがらないよ。でも、今回ばかりは従うわけにはいかない。おれはこれを使って、王を殺す。おれを捨てた、父親も大臣も、王宮にいるやつら、全員を」

 ナジュムは手の内にあるランプを、アランに見せました。ランプは不自然なほど、つめたいかがやきを放っていました。

「このランプから生まれた魔神は、おれが憎んだ人たちの命をうばう。おれはずっと、そのことだけを考えてきたんだ。――じゃあな、アラン」

「まって、行かないで! ナジュムさん、前にいってたじゃないか。ここでみんなと暮らしている時間が一番幸せだって。その運命を、恨んでなどいないって!」

 とっさに、アランはナジュムの服をつかみました。命をうばうなんてことを、ナジュムにしてほしくありませんでした。どこにも行かずに、そばにいてほしいと思いました。

 ナジュムはふりかえり、アランを見つめました。そのにごった瞳に、アランの体が固まりました。

「ああ。いつだったか、そんなことをいった気もするな。――それは、嘘だ」

 頭を強くなぐられたような衝撃を感じました。アランは、ナジュムのそのことばをずっと信じていたのです。それを嘘だといわれて――ナジュムの顔が、にじんでゆきました。

 体から力がぬけてゆきます。そしてナジュムは、身をひるがえして闇へと消えてしまいました。

 ナジュムがもどってくることはありませんでした。みんながナジュムを心配していましたが、シハーブだけが、険しい顔をしたままつぶやきました。

「あいつのことはもう忘れろ」

 シハーブはもう、ナジュムのことを仲間だと思っていないのでしょうか。そのことに、アランはさらに悲しくなりました。

 ナジュムの服をはなしてしまった、あの夜のことを思い出します。落ちこむアランを、ロレーヌが心配そうに見つめていました。

 そんなある日のことでした。

 その日、シハーブはひとりどこかへと出かけていました。近ごろ、シハーブは朝早くに出かけては、夜おそくにもどってくることが多くなりました。もう、前のようにいっしょに町へと行くこともなくなってしまいました。

「アラン……だいじょうぶ?」

 ロレーヌがアランの顔をのぞきこみました。

「べ、べつに。なんでもないよ」

 アランはあわてて顔をそむけました。じつはあとすこしで、泣いてしまいそうなところだったのです。けれどそんなかっこ悪い姿を、ロレーヌに見られたくありませんでした。

「でも……」

「なんでもないってば」

 アランはいそいで立ちあがると、洞窟の外へとかけ出しました。優しいことばをかけられたら、それこそ涙が止まらなくなってしまうような気がしていました。

 砂浜を走り続け、気がつけば港の近くまできていました。

 海をながめながら、ぼんやりとアランは考えていました。

 ナジュムとは、もう二度と会えないのでしょうか。シハーブがなにもいわぬまま、どこかへ出かけていることも気になります。

 それに、ロレーヌだってもうすぐいなくなってしまうのです。

 大切な人たちが、どんどん自分からはなれていってしまう。そのことを考えただけで心に穴が開いたような、つめたい風が体を通りぬけてゆくような、そんな気持ちになるのでした。

  それがさびしさであることを、アランは知りませんでした。牢の中にいたころは、希望をいだいて生きることをあきらめていたのです。だから、ひとりぼっちでもなんとも思っていなかったのです。

 アランはじっと、水平線の先を見つめました。

 そんなアランの背後に近づく人陰がありました。しかし考えこんでいたせいで、その気配に気がつくことができませんでした。

 その人に、いきなり腕をつかまれました。ものすごい力です。

「おまえは、盗賊シハーブの仲間だな? あいつのアジトから、おまえが出てきたのを見たぞ」

 アランの腕をつかんだ男は、王宮に仕える衛兵でした。その後ろには同じ格好をした何人もの兵が、剣先をアランに向けていました。

 体中の血が、一気につめたくなったような気がしました。背中に汗が流れ、体がふるえます。

「盗賊シハーブは、ジャウハラの貴族たちや王宮をねらう、おそろしい盗賊。ずっとしっぽをつかめないままだったが、ようやくあいつのアジトの場所がわかった」

 衛兵を率いていた、豪華な服を着た男がアランにいいました。銀色の眼鏡をかけた目が、勝ちほこったように笑っています。

「大臣さま! 盗賊シハーブをとらえたあかつきには、ぜひ我々にも褒美をいただけますか」

「もちろんだとも。シハーブほどの悪党を捕らえたことを王が知れば、わたしの地位はさらにはねあがる。金貨でも宝石でも、なんでもおまえたちに与えようじゃないか」

 そういって大臣と衛兵たちは、あやしく笑いました。

「シハーブさんは、おそろしい人なんかじゃない!  貧しい人たちを助けてくれる、優しい人だ!」

 ふるえながらも、力強い声でアランはさけびました。しかし大臣たちはきく耳を持ちません。

「だれがそんな話を、信じるものか。シハーブはずいぶん前から、おたずね者としておそれられていたんだ。人の命をもうばう、凶悪な盗賊だとな。とらえて打ち首にすれば、民も安心するだろう。さあ、あの洞窟の扉を開く方法を教えろ。さもないと、おまえをひどい目に合わせるぞ」

 アランはかたく口を閉ざしました。その呪文をだれにも教えないというのが、シハーブと出会ったときの約束です。絶対に破るもんかと、アランはせいいっぱい、大臣をにらみつけました。

「生意気ながきだ。おい」

 大臣が目配せすると、衛兵は、アランの手をつかむ力を強めました。その痛みに、アランは思わず顔をゆがめました。

「いわぬのならば、おまえを王宮の牢に放りこむぞ。扉を開く方法をいうまで、むちで打たれることになるだろうな」

 ここで呪文を話してしまったら、盗賊たちも、シハーブも、ロレーヌもみんなつかまってしまいます。首をはねられて、殺されてしまうかもしれないのです。それをアランだって、わかっているはずでした。

 かつて牢の中にいた自分の姿が、頭によみがえります。あざやかだった世界が、急速に灰色になってゆく気がしました。

 牢の中に連れもどされることが、大好きな人たちと会えなくなることが、自由を失うことが、こわくてたまりませんでした。

(もう、あの暗い世界にはもどりたくない!  でも、このままじゃ、みんなが……!)

 恐怖で心臓が脈打ち、歯ががちがちと音を立てます。

 追いうちをかけるように、大臣はいいました。

「今ここで開け方を話せば、おまえだけはみのがしてやろう。しかし話さなければ、おまえはもう一生、自由になることはない。この広い海や青い空を見ることも、人の温もりにふれることも、二度となくなるのだ!」

 目の前で、なにかがはじけたような気がしました。

 アランはうなだれると――ちいさくつぶやきました。

「……ひらけ、ゴマ。扉が開く呪文」

 衛兵はそれをきくと、つかんでいたアランの腕を放るようにはなしました。宙吊りになっていたアランの体は、まるでずた袋を放ったように砂浜に落ちました。

「仲間より、自分の身を守ることを選んだか。しょせん、盗賊同士の絆なぞその程度よ。行くぞ、我々はさらなる地位と名声を手に入れるのだ!」

 そうはき捨てて、大臣たちは洞窟の方へと向かってゆきました。

 残されたアランは、砂浜にたおれこんだまま、こぶしを強くにぎりしめました。

 仲間のことより、自分のことを選んだのです。自由を失うことがこわくて、シハーブとの約束を破ったのです。シハーブだけでなく、みんなを裏切ったのです。

  今さらになって、後悔の気持ちがアランをおそいました。

 視界がにじみました。けれど涙を流すことすら、許されないと思いました。

(……このままじゃ、みんなつかまってしまう。みんなの命も、あぶないんだ。はやく、シハーブさんを探して、伝えなくちゃ)

 力をふりしぼって立ちあがると、アランはひとり、町の方へとかけ出しました。

「――これが、アランの罪。自由を失うこわさに負けて、シハーブとの約束を破ったこと……次にアランが見た光景は、仲間たちが縄につながれ、王宮へと連れられてゆくところでした」

「そんな……」

 魔神は表情を変えぬまま、どこか遠くを見つめました。

「王宮の者たちがこの洞窟へと入ってゆくところを、アランは見ていません。ご主人が見ていないできごとは、わたしにもわかりませんが……いきなり扉が開いたことに、盗賊たちはさぞおどろいたでしょう。そして、アランが呪文をばらしたことを知れば、きっとアランを憎むのでしょうね。盗賊たちも、ロレーヌも……最も、もう知ることなどできないのでしょうが」

 マリアたちは、なにもいうことができませんでした。

 魔神は、話を続けました。

 アランは必死で、シハーブを探しました。顔は真っ青で、息は乱れ、何度も転んで体は傷だらけでした。

 そうしてようやく、町の外れの人気のないところに、シハーブがたたずんでいるのを見つけたのでした。

 シハーブの目の前には、お墓がひとつありました。お墓を見つめながら、シハーブが静かな声で語りかけているのがきこえました。

「……おれは、どうしたらいい。どうすればあいつを、ナジュムを助けられる。あいつは、おまえと同じ目をしている。だれかを憎んで、死ねばいいと思っている。その気持ちはいつかきっと、あいつ自身を傷つけるだろうよ。おれはまた、仲間が死んでゆくのを、ただ見ていることしかできねえのか」

 お墓の下にねむる、かつての仲間に語りかけるシハーブの背中が、とても遠くにあるように思えました。その背中に、アランはなにも声をかけることができませんでした。

「ふん。しょせん、おれはならず者だ。盗賊風情がだれかを助けようだなんて、高望みしすぎているのかもしれねえな」

 シハーブのことばにこたえる者は、だれもいません――。

 そのとき、アランが落ちていた枯れ枝をふみました。かわいた音がして、シハーブはふりかえります。

「どうした。なぜ、ここにきた。また、ひとりで洞窟をぬけ出してきたのか」

  ぶっきらぼうに、シハーブがたずねました。しかしアランのぼろぼろの姿を見て、すぐに眉をひそめました。

「おねがいです。みんなを、たすけてください」

  それだけ、アランはどうにか声を出せました。そうして、涙をぽろぽろとこぼしました。

「なにがあった」

 シハーブがアランにたずねたとき。

  町の方から、なにやらさわがしい声がきこえました。

「話はあとできく」

  シハーブはアランをかかえ、町へと走り出しました。

 王宮の方へと、仲間たちが縄でつながれ連れられてゆくのが見えました。その中には、ロレーヌの姿もありました。

 アランの心臓は、今にも張りさけてしまいそうでした。体のふるえがとまりません。

「おそろしい、盗賊たちだ!」

「この、泥棒め!  人のものをうばうなんて、許せないよ!」

 町の人たちは、つめたい視線を盗賊たちに向けました。石を投げつける人もいます。それでも、だれひとり下を向くことはありませんでした。

「盗賊シハーブよ、姿をあらわすのだ!  さもないと、おまえの仲間を今すぐここで打ち首にするぞ」

  大臣が、町中にひびくように声を張りあげました。シハーブは表情を変えることなく、王宮の方を見ています。

「おまえは、ここにいろ」

 シハーブが、アランを地面におろしました。

 そのとき、人の波の中から、ふらりとやせた人陰があらわれました。 

「打ち首になるのは、おまえたちの方だ」

  それは姿を消したはずの、ナジュムでした。手にはあの、あやしいかがやきを放つランプを持っています。瞳はすっかり光を失って、心なしかナジュムの体からは、まがまがしい気が放たれているように見えました。

  ナジュムは、手に持ったランプをこすりました。

  するとランプの口から、真っ黒な魔神があらわれたのです。

  その姿に盗賊たちも町の人たちも、大臣も目を見開きました。

「王も大臣も、みんな殺してしまえ。おれを捨てた、あいつらを。貧困に苦しむ者たちをあざ笑いばかにする、心ない貴族たちも」

「お安いご用です、ご主人。こんなちんけなやつらの命をうばうことなど、ろうそくの炎を消すことよりも簡単なこと。それほどまでに、あなたの憎しみの気持ちは強大ですばらしい」

  魔神は目を細めて笑みをこぼすと、指先から黒い煙を出しました。

  煙は巨大なナイフへと形を変え、魔神はすばやく大臣の体をつかみました。

「さあ。まずはあなたの首から、はねてさしあげましょう」

 魔神の姿に人々はおそれおののき、王宮前の広場は大混乱に陥りました。

 逃げてゆく人の波をかき分け、シハーブは魔神の元へと走りました。

「ナジュム、やめろ!」

 その声に、つかまった仲間たちの顔がぱあっと明るくなりました。

「ああ!  おかしらと、アランだ!」

「おれたちを助けにきてくれたんですね!」

 シハーブはすばやく、盗賊たちをしばっていた縄を切りました。

「アラン!  また会えてよかった! あなたのこと、とても心配だったの……」

  ロレーヌはうれしそうに、アランにかけ寄り手を取りました。その笑顔を見ていられなくて、アランは思わず顔をそむけました。

「た、たすけてくれ!」

  頭上から悲鳴がきこえてきます。見あげると、魔神が大臣の首を斬ろうとしているところでした。衛兵たちは、だれもそれを助けようとはしません。みんな、おそろしい魔神と戦いたくないのです。

「ナジュム、大臣をはなせ! 」

  シハーブがナジュムにどなりました。ナジュムはうつろな目で、シハーブを見つめました。

「なぜ?  あとすこしで、邪魔なやつらを、みんな消し去れるというのに!」

  まさにそのとき、魔神が大臣めがけてナイフをふりあげました。

  シハーブはとっさに、魔神から大臣をかばいました。

  魔神のふりあげたナイフは、シハーブの背中を斬りつけました。 真っ赤な血が流れ出てきて、シハーブはその場にたおれこみました。

「おかしら!」

  盗賊たちが、シハーブを囲みました。

  ナジュムは呆然と、その姿を見つめます。

「……どうして。どうしてこんな身勝手なやつなんかを、かばうんだ!」

  ぜえぜえとあえぎながら、シハーブはいいました。

「やめろ、ナジュム。人を殺すな。命を、うばわないでくれ。……たのむ」

  その声に、ナジュムの瞳がゆらぎました。 

「どうして、そこまで……」

「だれかを殺したって、おまえは幸せになどなれない。おれは、おまえが不幸になるのを見たくない」

  そういって、シハーブは大臣を見あげました。

「なあ、大臣よ。おれの命なら、いくらでもくれてやる。だがこいつらは、おれが無理やりこき使っていたようなもんだ。だから、こいつらの首をはねるのだけは、やめてくれ。このとおりだ」

「そんなことは、どうでもよい!  さっさと、この化け物をなんとかしろ!」

  大臣はそうさけんで、そそくさと逃げ出しました。

  ナジュムは、それを追うことはしませんでした。

「ご主人、早く命令を。先ほどまで、あんなにも憎しみに満ちていたではありませんか」

  魔神が、すこしいらだったようにナジュムにいいました。

「あ、ああ……」

「まさか、復讐をやめるとでも?  あなたは、どんな気持ちでわたしを生みだしたか覚えていらっしゃらないのですか?  王宮から追い出されてから、毎日憎しみだけをかかえて生きていたのではなかったのですか!」

「ち、ちがう。おれは……!」

  ナジュムは苦しそうに、頭をかかえました。

 そのとき、ランプがぱきりと音を立てました。

  ランプに入ったひびは、どんどん広がっていって――そうしてついに、細かい破片となって、くずれ落ちました。

「ああ、そんな。ランプがこわれれてしまっては……ご主人。あなたの復讐もここまでです」

  人の姿をしていた魔神は形をゆがめて、巨大な蛇の姿をした魔物へと姿を変えました。ナジュムの声も、だれの声も、魔物はきくことはありません。

  盗賊も貴族も関係なく、生きる者をおそうのでした。

「おまえら、はやくにげろ!」

  シハーブが仲間をかばうように、立ちあがりました。しかし背中の傷が深くて、よろめきました。

「おかしらを置いていけるわけがないでしょう!  たまには、おれたちのこともたよってください!」

 盗賊たちは、よろけたシハーブの体を支えました。

「……死んじまっても、知らねえぞ」

「おかしらを残して、死んだりなんてしませんよ!  おれたちが力を合わせれば、なんとかできますって!  まあ、だいたいのことはね……」

  すこし気のぬけた返事に、シハーブはため息をつきました。

「……町の中で戦うのは危険だ。海辺の方まで、魔物をおびき寄せるぞ」

  シハーブの作戦に、みんながうなずきました。そうして、呆然と魔物を見あげているナジュムの背中を、強くたたきました。

「ぼさっとしてるな、ナジュム!  おれたちが囮になるから、おまえは、おかしらを支えてやってくれ。アランも、手伝えよ!」

  そういわれて、アランは思わず後ずさりました。自分は、みんなを裏切ったのです。もう、ここにいてはいけない存在なのです。

  うつむくアランの手を、ロレーヌがそっとにぎりました。

「だいじょうぶよ。行きましょう」

 魔物は、しつこく盗賊たちを追いかけ続けました。町をぬけ、港をぬけ、そうしてついに洞窟の前の砂浜までやってきました。

 岩陰に、シハーブを横たえます。

「アランとロレーヌちゃんは、ここでだんなのことを見ていてくれ。……あいつは、おれが生み出した魔物だ。だから、おれがけりをつけねえと」

 ナジュムのことばに、ロレーヌがうなずきました。

「あ、あの、おれ、おれは……」

 いいかけたアランの唇に、ナジュムが人差し指をあてました。

「仲直りは、全部終わったらにしよう」

 ナジュムは自分の武器を構えて、魔物へと立ち向かってゆきました。

 蛇の魔物は鎌首をもたげて、盗賊たちにおそいかかりました。しかし、盗賊たちは華麗にひらりととよけてしまいます。軽々とした身のこなしは、盗賊だからこそできるものでした。それにいらだった魔物は、ますます激しく体をくねらせます。

「あぶない!」

 だれかが、そうさけぶのがきこえました。その声に、アランとロレーヌは思わず岩陰から身を乗り出しました。

 ナジュムが果敢にも、魔物の背をかけのぼり頭を目指しているところでした。魔物がおおきく体をゆらすと、ナジュムはバランスをくずして地面にたたきつけられました。

 みんながナジュムを助けようとしますが、間に合いません。

 魔物がおおきく口を開き、するどい牙でナジュムにかみつこうとしたとき。

 ナジュムの服の中で、なにかかがやき出しました。

「これは……!」

 ナジュムが、懐からかがやくものを取り出しました。あまりに強いその光に、それが何なのかアランには見えません。

 その光を浴びた魔物が、のたうちまわりました。

 その隙にナジュムは魔物の頭めがけて、思い切りその光をふりおろしたのです。

 おぞましい悲鳴をあげて、魔物は黒い塵となって消えてゆきました。

「やった!  魔物をたおしたぞ!」

  そのことばを合図に、盗賊たちは浜辺で舞いあがりました。

「すげえじゃねえか、ナジュム! 魔物にとどめをさすなんてさ!」

 盗賊たちに囲まれて、ナジュムは照れくさそうに笑いました。

「さっきの光は、なんだったんだ?」

 ナジュムは、愛おしげに手の中のものを見つめました。

「これは、おれの宝物なんだ。これが、おれを魔物から守ってくれたんだよ」

  ナジュムはそれを服の中にしまうと、シハーブのもとへとかけ寄りました。岩にもたれかかったシハーブの横に、片膝をつきます。

「……ごめんなさい。おれが、まちがっていました」

 そして、シハーブの瞳をしっかりと見つめました。もう、ナジュムの瞳は光を失ってなどいませんでした。

「ふん。ようやく、目を覚ましたか。まったく、世話のやけるやつだ」

  シハーブはふきげんそうに、けれどどこかほっとしたように、いいました。

 砂をける足音がきこえました。

「ぬすみを働いたうえに、おそろしい魔物まで生み出した盗賊たちよ。もはやおまえたちに、生きる資格などない。全員、死をもって償うのだ」

  いつのまにか、砂浜に大臣と衛兵たちがやってきていました。魔物がいなくなる頃合いを見計っていたのです。

 衛兵たちが、つめたく光る剣先をこちらに向けています。

「なんだと! おまえ、さっきはこそこそとにげたくせに、こういうときだけもどってくるなんて卑怯だぞ!」

「そうだ、そうだ! いつも自分ばっかり裕福な思いをしやがって、おまえの方が、よっぽど悪党じゃねえかよ!」

 盗賊たちが口々に大臣にいうと、大臣は鼻で笑いました。

「なんとでもいうがいい。自分の命と金と地位。それこそが、わたしがなによりも大切にしているものなのだ。おまえたちを処刑し、魔物はわたしがたおしたことにする。そうすれば、わたしの地位はもはや王と同等にまでのぼるだろう!」

 大臣は、岩にもたれたままのシハーブに目を向けました。そのそばにいたアランとロレーヌを見て、大臣は目を細めました。

「ほう。仲間を裏切った少年がいるじゃないか。まだ、うすっぺらい仲間ごっこでもしているのか?」

 大臣のことばに、アランは青ざめました。手足の先が、一気に冷えてゆくのを感じました。

「裏切った? それじゃまさかアランが、洞窟の呪文を……?」

 盗賊たちは眉をひそめ、アランを見ました。アランはうつむき、目をそらしました。額から流れたつめたい汗が、砂地に落ちました。

 大臣はそれを無視して、ロレーヌを見て笑みをうかべました。

「それに、そこの小娘――おまえは、いつぞやに商人に売られていた妖精だろう。幸運を呼び寄せるという、貴重な存在。おまえの命は助けてやろう。こっちにこい」

 大臣は乱暴に、ロレーヌの手をつかみました。

「いや! やめて!」

 ロレーヌの悲鳴にアランははっとして、とっさにロレーヌをだきしめました。けれど大臣は力をゆるめません。ますますロレーヌの腕を強く引っ張ります。

「ええい、いうことをきけ! このわたしが、おまえを助けてやるといっているのだ! 幸運を呼びさえすれば、おまえには金でも宝石でもくれてやるぞ! だからおまえは、死ぬまでわたしのために生きるのだ!」

「わたし、そんなものいらない! はなして!」

 ロレーヌが泣きさけびました。

 その泣き声をきいて――シハーブがゆらりと立ちあがりました。

 そして、ロレーヌをつかんでいた大臣の腕を、すばやく剣で斬り落としたのです。

 風のような速さでした。その反動で、ロレーヌがアランの方へたおれこみました。

「ああ! よくも、よくもわたしの腕を! 殺してやる! シハーブ、おまえを必ず殺してやるぞ!」

 大臣は痛みと怒りでくるったようにさけび、残された方の腕で剣をぬくと、何度も何度もシハーブを斬りつけました。

「だんな! みんな、シハーブのだんなを守るぞ!」

 盗賊たちは衛兵をおしのけ、シハーブをかばうようにして大臣に立ちはだかりました。

「くそ! 全員残らず殺せ、だれひとりのがすな!」

 大臣の命令で、衛兵たちも盗賊たちに斬りかかります。

 その隙に、シハーブはアランとロレーヌをかかえあげると、ふたりを浜辺に寄せてある小舟に乗せました。

「シハーブさん! 傷の手当てをしないと……!」

 ロレーヌが青い顔で、シハーブのおおきな手を取りました。大臣に何度も斬りつけられて、体中から血を流していました。

「おれのことはいい。子どもは、大人の心配なんてするな」

 シハーブは、アランを見つめました。

「アラン。ロレーヌといっしょににげろ」

 アランは、力強く首をふりました。 

「い、いやだ。おれも、ここに残してください。そばにいさせてください。シハーブさんがいなかったら、今ごろおれは……!」

 初めてシハーブと出会ったときのことを、思い出しました。シハーブが鍵を開けてくれて、「行くぞ」といってくれたから、アランは生きようと思えたのです。生きることに希望を持つことができたのです。

「ばかなことをいうんじゃねえ。おまえは、まだ子どもだ。どこにでも行ける未来がある。おまえまでここで死ぬ必要なんてない」

「ちがうんです。全部、おれが悪いんです。おれが……!」

  扉を開く呪文をばらしてしまったから、といいかけたアランの頭を、シハーブがなでました。

「だいじょうぶだ。おまえは、なにも気にしなくていい」

 そういって、ふっと微笑みました。

 それは今まで見たことのなかった、シハーブの優しい笑顔でした。

「ロレーヌも……いい歌声を、ありがとうよ。おまえのおかげで、おれも、毎日が楽しかった」

 そういうと、シハーブは舟の先をけり、海の方へとおし出したのです。

  ふたりだけを乗せた舟が、浜辺をはなれてゆきます。アランは愕然としながら、遠くなってゆく浜辺を見つめました。

「生きろ」

  シハーブの口が、そう動いたような気がしました。

  その後ろから、大臣がシハーブに剣をつきさしたのが見えました。シハーブの体が、膝からくずれ落ちてゆきます――。

「シハーブさん!  シハーブさん!」

  アランは喉が切れそうになるまでさけび続けました。その声は届くことなく、空の彼方へと消えてゆきました。

(全部、全部おれのせいだ! おれが、自由を失うこわさに負けて、呪文をあいつらに教えてしまったから! だから、みんながつかまってしまったんだ! シハーブさんが、傷つくことになってしまったんだ!)     

 思わず舟から身を乗り出したアランの手を、ロレーヌがつかみました。

「だめ!  舟から落ちたら、死んでしまうわ!」

「はなしてくれ! みんな、おれのせいなんだ!  つかまるのも、傷つくのも、死ぬのだって、おれだけでよかったんだ!」

  そうさけんで、アランははっとしました。ロレーヌは瞳を悲しげにゆらして、アランを見つめていました。

  ふたりを乗せた舟は、さらに海の真ん中へと流れてゆきました。辺りには上陸できるような、砂浜も島も見えませんでした。

 やがて嵐がやってきて、アランとロレーヌを乗せた舟は、黒い海の上で激しくゆれました。

 アランは、どうにかロレーヌが舟から落ちないよう、必死でロレーヌの体を支えました。

  しかし舟のゆれは、ますます激しさを増しました。ちいさな子どもの力では、オールをこぐこともできません。

(このままじゃ、ロレーヌが海の底へとしずんでしまう。どうすれば、どうすればロレーヌを助けられるんだ……!)

 アランは唇をかみました。

  すると、ロレーヌはなにかを決意したように、黒く染まった空を見あげました。

「……ねえ、アラン。もし、わたしがいなくなったら。そうしたら、わたしの代わりに、妹を見つけてほしいの。あの子、とてもさびしがりやだから。だからわたしの代わりに、そばにいてあげてほしいの。だめかな……?」

「ロレーヌ。なにを、いって……」

「アラン。わたしのことを、助けてくれてありがとう。あなたに会えたから、わたしは人間を好きだと思えた。だから今度は、わたしがあなたを助けたいの。わたしの力は、そのためにあるんだわ」

 一際おおきな波が、舟をおそいました。

 波にのまれ、アランは舟の外へと放り出されました。

 口から泡をはきながら、頭から海の底へとしずんでゆきます。

 水は氷のようにつめたく、容赦なくアランの体温をうばってゆきました。

 このまま死ぬのだと、アランは思いました。これがみんなを裏切った罰なら、喜んで受け入れようと思いました。あとはロレーヌが助かってくれれば、ただそれだけでよかったのです。

ふいに、優しい音色がきこえました。

「リュラー・ハープ・アマービレ! 海よ、嵐よ、静まって! お願い、アランを助けて!」

 ロレーヌがハープを奏でながら、呪文を唱えました。

 すると、アランの周りは淡い光を帯びた、おおきな泡に包まれました。泡の中にいるおかげで、息ができます。

 そして――あんなにもあれていた海が、一瞬にして静まったのです。雨雲はどこかへ姿を消して、月の光がアランの元へと差しこんできました。

 その光に照らされて、ロレーヌの青い髪が、かすかに見えました。

 アランは、息をのみました。

 ロレーヌが、海の底へとしずんでゆくところでした。

 必死に手をのばしますが、むなしく水を掻くばかりです。

 ロレーヌと目が合って――ロレーヌが微笑んだのを最後に、アランは気を失いました。

 アランは、白い砂浜にたおれていました。目を開けると、暖かな日差しと、緑豊かな木々が見えました。

 見たことのない景色です。砂漠ではない、どこか遠いところに打ちあげられたようでした。

 海の上でのできごとが、流れこむように頭の中によみがえりました。ロレーヌが、アランを助けるために魔法を使って、海を静めたのでした。

 けれどその魔法の力は、あまりに強すぎたのです。ロレーヌは自分の命と引きかえに――海の底へと、しずんでしまったのです。

 夢であればどれほどよかったでしょう。けれど体に残ったにぶい痛みは、これが現実であることをアランにつきつけているようでした。

 重い体を起こして、よろよろと波打ち際まで足を運びました。ロレーヌの姿は、どこにも見えませんでした。もちろん、シハーブたちの姿も。本当に、ひとりぼっちになってしまったのです。

 砂浜に、くずれ落ちるように座りこみました。みんなと過ごしていたあの日々は、もう二度ともどってはこないのです。自分のせいで、シハーブたちも、そしてロレーヌも、命を落としたのです。

 波打ち際に、なにかが流れついているのが見えました。

 それはロレーヌのハープでした。ロレーヌがいつも、美しい音色を奏でていたハープでした。しかしその弦をはじく妖精は、もうどこにもいないのです。

 アランはハープをだきしめました。お日さまに照らされて、ハープはほんのりと温かくなっていました。まるでロレーヌの温かくて優しい心が、残っているかのように。

 ハープをだきしめたまま、アランはひとり、声をあげて泣きました。どこまでも広い海だけが、その声をきいていました。

 涙がかれてしまうまで、アランは泣き続けました。

 自分だけが、生きていることが許せませんでした。死ぬのはシハーブたちでもなくロレーヌでもなく、自分であるべきだったのです。自分が憎くて憎くて、殺してしまいたいと思いました。

 そう、強く思ったとき――砂浜の先で、なにかが光った気がしました。

 それを見て、どきりとしました。

 魔神のランプが、砂浜にうもれています。ナジュムが憎しみの魔神を生み出したランプと、同じものでした。けれどナジュムが持っていたものは、ひびが入ってこわれたはずでした。そして、ランプが生み出すおそろしい魔神の姿を、アランもしっかりと目に焼きつけていました。

 偶然、ほかのランプがここに流れついたのでしょうか。

 ランプは、まるでアランに「憎め」と呼びかけているように、あやしいかがやきを放っていました。

(……どうしてこれがここにあるかなんて、どうでもいい。これがあれば――これがあれば、この世で一番憎い人間を、殺すことができる)

 琥珀の瞳に、光はありません。ハープと、ランプを持って――そうして、アランは砂浜をあとにしました。

 それから、アランはずっとひとりで生きてきました。一日を生きのびるたびに、ランプの中は絶望の気持ちであふれてゆきました。

 ときには、人の物をうばったこともありました。そういう生き方しか、わからなかったのです。

 飢えに苦しむ子どもがいれば、ぬすんだ食べ物を分けました。そうやって、人を助けた気になって、すこしでも自分の罪からのがれたつもりでいました。

 そんなことをしたって、盗賊たちも、ロレーヌももどってこないことなど、本人が一番よくわかっていたというのに。自分の罪は消えないことなど、よくわかっていたというのに。

 月日は流れて――アランは偶然、ロレーヌの妹と出会いました。偶然……今思えば、運命だったのかもしれませんが。ロレーヌと同じ青い髪。エメラルドの瞳。そう、それがあなたですよ、ローナ。

 しかしあなたのとなりには、すでに仲間がいました。自分なんかとはちがう、勇気と正義の気持ちに満ちあふれた仲間たちが。

 もはやアランに生きる意味など、なにもなかったのです。

♫ Ⅷ 魔神の望みは

 魔神の、長い長い話が終わりました。

「ああ、アラン。アラン」

 ローナは何度も名前を呼びながら、アランをだきしめました。未だ閉じたままのアランの目からは、涙が一筋流れていました。

「あなたに会ってから、ロレーヌのことを話さなければと、アランは何度も歩み寄ろうとしました。けれどそのたびに、自分のやってきたことが頭によみがえりました。あなたが真実を知って、悲しむのがこわくて――結局、なにも話せぬまま、ここまできてしまいました。
 この都にもどってきたのだって、あなたのことが心配だったから。あなたがここにくることがなければ、アランはジャウハラにもどってくることなど、一生なかったでしょう」

 もどってきたところで、アランを知る者はもうどこにもいないのですから。そう魔神は続けました。

「アランは出会ってからずっと、ローナのそばにいてくれたんだね。だから何度も、助けてくれたんだね。ずっとローナたちが、アランを探している気になってたよ。……気づいてあげられなくて、ごめんね」

 ロレーヌがもういないというその事実は、ローナの心につきささりました。それでも、ローナはアランをだきしめました。アランのことを、絶対にはなさないと思いました。

「ねえ。それじゃあ、あなたが生まれた理由は、もしかして」

 マリアのことばに、魔神はうなずきました。

「だれかを傷つけるつもりなど、アランにはありませんでした。アランはただ――死のうとしていたのですよ。ほかのだれでもない、自らを傷つけるために、わたしを生み出したのです」

 やっぱり、とマリアはつぶやきました。アランがひとりで危険な路地裏にいたのも、単に盗賊だからという理由ではなくて――本当は、自分は暗い世界でしか生きてはいけないと思っていたからなのかもしれません。いっそのこと、その世界のどこかで死んでしまいたいと思っていたからなのかもしれません。

「アランはこわいのですよ。自分のせいで、だれかが傷つくことが。自分のことが、この世で一番憎いのです。自分の心が弱くなければ、あんなことにはならなかったと。だれかが死ぬぐらいなら、自分はずっと牢に閉じこめられたまま、死んだほうがよかったと。その想いに、ずっとしばられ続けている……」

「そんなわけないじゃない! だって……アランは自由になって、うれしかったんでしょう? その気持ちを忘れてしまうのは、絶対にだめよ。……だれかと生きていたら、まちがえて傷つけてしまうことだってあるわ。傷つけられることだってある。だから、ごめんなさいってことばがあるんだわ。
 けれど、それをおそれていたら……ずっと、ひとりぼっちよ。そんなの、さびしいじゃない」

 マリアは、膝にのせたこぶしを強くにぎりしめました。爪が手のひらに食いこんで、痛みを感じました。それでも、力をゆるめませんでした。

「さあ、そろそろ時間です。わたしが生まれた以上、わたしはアランの命をうばいます。ほかでもない、アラン自身がそれを望んでいるのですから。わたしを、止めることはできません」

 ローナはあわてて、魔神からアランをかばいました。

「おねがい、アランを殺さないで! とりあえず、一度ランプの中にもどってほしいよ。そうしたら、アランを説得するから。自分を責めるのはやめてって」

「残念ですが、それはできぬこと。もはやわたしの力は、ランプの中ではおさえきれない。ランプがこわれれば、わたしはただの魔物となって、自我を失います。あなたたちのことをも、おそうことになりましょう」

 魔神をたおすのはいやだと、マリアたちは思いました。決して仲良くなったとはいえませんでしたが、こうしてアランの過去を話してくれた魔神と戦いたくはなかったし、魔物にしたくもありませんでした。

(まさかあたしが、戦いたくないと思うなんて――)

 自分自身の考えに、マリアはおどろいていました。魔物も魔神も、人をおそうもの。そして、自分の家族をうばったものです。今、目の前にいる魔神だって、たおさなければアランが死んでしまうのです。

 魔物から人を守るために、自分は旅にでたのです。そのはずなのに、どうしてか魔神を傷つけたくないと思ったのです。

 とまどっているマリアのとなりで、ヴィクトルがいいました。

「つかぬことを、おききしますが。魔神殿は、先ほど自らも意思を持つとおっしゃいましたね」

 とつぜん、思ってもなかったことをきかれて、魔神は呆けたような顔になりました。

「はあ。たしかにわたしは、アランが生み出したものではありますが、決してご主人の分身というわけではありません。わたしには、わたしの自我があります」

「それならば、あなたが望むことは、なにかないのですか? 命をうばうことは、ランプの持ち主の望みだ。それ以外に、魔神殿自身がやりたいことや望むことがあれば、それをかなえてあげられればと、思ったのですが……」

 ヴィクトルのことばに、マリアとローナは顔を見合わせていましたが――微笑んで、魔神にいいました。

「そうだね。魔神さんに、アランのことを教えてくれたお礼をしたいよ。ねえ、あなたの望みはないの? アランじゃなくて、あなた自身が、望むこと。それを、やってあげたい」

「……妙なことを、おっしゃいますね。自我をもつといったって、わたしは単なる感情から生まれたものにすぎません。なにも、望むことなど……」

 そこまでいって、魔神は、ふと遠くを見つめました。

「……昔話をしていたら、なつかしい思い出が、わたしの中に流れこんでくるような気がしました。アランにとって、ロレーヌの奏でる音楽や盗賊たちの歌。ロレーヌと、おどったこと――。それは、これ以上ない幸せな思い出でした。妖精の楽器が、魔法の楽器というのなら……それをもう一度、ききたいものです」

「ちょうどいいわ。ここに、楽器があるもの。それも、妖精の楽器よ。これってきっと、偶然なんかじゃないわよね」

 マリアがローナに目を向けると、ローナはうなずいて、ハーディ・ガーディに手をかけました。

「まかせて。あのね……あなたが教えてくれた物語を歌にするから、きいてくれるかな」

 ローナは楽器のハンドルを回して、旋律を奏でました。

 これはひとりの 少年の話

 自由を知らずにいた 少年は

 愉快な盗賊たちと出会いました

 愛しい妖精の少女と出会いました

 そうして少年は 自由と愛を知りました

 

 絶望と罪を背負って 生きてゆく

 自由も愛もいらぬと 生きてゆく

 それがどれほど 悲しいことか

 それがどれほど 寂しいことか

 

 だいじょうぶだよ こわくないよ

 あなたは ひとりじゃないよ

 だから勇気を出して

 わたしたちを信じて

 守りたいの 愛したいの

 あなたのことを

 音色はハープとは全くちがったものであったし、盗賊たちの豪快な歌声でもありませんでしたが、それでも魔神にとっては、かつてきいた音楽が、景色が、よみがえったようでした。

 気がつけば、魔神の体が、すけていました。

「なんということだ。まさか魔神が、幸せな記憶によって召されることがあるなんて」

 すこしずつ消えゆく魔神は、おだやかな表情をしていました。

「ありがとう、妖精とその仲間たち。……わたしが消えたところで、アランの悲しみが消えるわけではありませんが……それでも、どうか、アランを助けてください。願わくは、アランが絶望から救われますように」

 魔神は、どこか満足そうに微笑んで、消えてゆきました。

 ランプに、ひとりでにひびがはいりました。細かなかけらとなったランプは、もうかがやきを放つことはありませんでした。

♫ Ⅸ ローナの考えは

 アランが目を覚ますと、黄土色の天井が見えました。

 手足を動かすと、ふんわりとした布の上に横たわっているのがわかりました。

 あれからみんなで、アランを宿まで運んで、ベッドの上にねかせてあげたのです。

 ベッドでねたことなんて、ほとんどありませんでした。その居心地の良さに、アランはしばらくぼんやりとしていました。

「あ! 起きた! 気分はどう?」

 いきなり、青い髪の少女がひょっこりと視界に入ってきたので、アランはびっくりして飛び起きました。

「ああ、急に動いたらだめだよ! まだ、ちゃんと治ってないんだから!」

「……なんで、おれ、生きているんだ。おれは、魔神に……」

「……もう、いないよ。アランのことを話してくれて、それで、消えていったの」

 アランは、顔をふせました。ついに、ローナに知られてしまったのです。妖精の過去のことも、ロレーヌのことも。

「じゃあ、どうしておれを助けたんだ。きいたんだろ? おれのせいで、ロレーヌが……それに妖精たちだって、人間のせいで死んだんだぞ」

 ローナは、こまったような顔をしました。

「妖精のことは、悲しいよ。でもそれは、アランを助けない理由にはならないよ。だって妖精たちを殺しちゃったのは、アランじゃないもの。お姉ちゃんのことだって……アランのせいなんかじゃない。お姉ちゃんはただ、アランを助けたくて必死だったんだ。アランが、お姉ちゃんを助けてくれたのと同じように」

 ローナは、アランの顔をのぞきこみました。

「お姉ちゃんの楽器、見せてくれる?」

 アランは、ずっと大切に持っていたハープを、ローナに差し出しました。

 うれしそうに受け取って、ローナはハープをだきしめます。

「ありがとう。……ねえ、アラン。いっしょに、ロレーヌお姉ちゃんを探しにいこう」

 そういったローナを、アランはうつろな目で見あげました。

「なにを、いって……ロレーヌは、もう」

「お姉ちゃん、まだきっとどこかにいる。だって、ここにお姉ちゃんの楽器があるもん」

 アランは、すこしだけ目を見開きました。

「妖精は、命を落としたら楽器も消えてしまうんだ。でも、お姉ちゃんのハープはまだここにある。だからきっと――海の底で、まだ生きてるかもしれない。
 もしハープがここになかったら、きっとローナもあきらめちゃってた。でも、アランが浜辺に流れついたこのハープを拾ってくれたから。それからずっと、大切に持っていてくれたから。だからローナは、まだあきらめない」

 ローナはアランを見つめかえしました。ロレーヌよりもすこし明るい色をした、エメラルドのような瞳を向けて。

「死なないで、アラン。いっしょに、お姉ちゃんに会いにいこう。アランがいえなかった気持ちを、お姉ちゃんに伝えにいこう」

 そうして強く、強くアランの手をにぎったのでした。