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五楽章
奇跡の真珠と人魚姫

♫ Ⅰ まずは温かな朝食を

「死なないで、アラン。いっしょに、お姉ちゃんに会いにいこう。アランがいえなかった気持ちを、お姉ちゃんに伝えにいこう」

 ローナはアランの手を取って、そういいました――。

 広い砂漠の中に、ジャウハラと呼ばれるおおきな都がありました。

 その都のはじっこにある宿に、今、マリアたちはいます。

 盗賊の男の子の、アランを連れて。

 マリアたちは、アランが絶望の気持ちで生み出した魔神から、ひとつの物語をききました。それは悲しい物語で、そして決して、マリアたちにとって関係のない話ではなかったのです。

 物語の中で、ローナのお姉さんであるロレーヌは、命を落として海の底にしずんでしまったのでした。

 ロレーヌは、ローナにとって大切なお姉さんだったのです。もういないことを知って、ローナが一番つらいはずでした。泣きたいはずでした。

 けれどローナは、あきらめませんでした。

「感じるよ。お姉ちゃんが、まだどこかにいるって。アラン、お姉ちゃんを探しにいこう」

 アランはぼんやりと、ハープをだきしめているローナを見つめかえしました。

「……そんなこと、あるわけない。おれは、ロレーヌが海の底へとしずんでいったのをこの目で見たんだ……。それに、こんなにも広い海からロレーヌを探し出すなんて……」

 初めて海を見たときは、どこまでも続いているその広さにどきどきしました。けれどロレーヌがいなくなって、ひとり砂浜に打ちあげられたときは、その広さが憎いとさえ思いました。

 たとえロレーヌが生きていたとしても、この広い世界でもう一度めぐり会うことなどできるはずがないのです。

 だれかと再会するということ。それは幾千もの星がまたたく夜空から、たったひとつの星を見つけるのと同じぐらい、難しいことだとアランは思いました。

「大変なことかもしれない。でも、やらなくちゃ。だってお姉ちゃんも、アランにもう一度、会いたいはずだもの。アランが、お姉ちゃんに会いたいって思っているのと同じようにね」

 海の広さを、ローナは知りません。海を通じて、いくつもの陸や島がつながっているということも。けれどそれを知っていたって、ローナはあきらめるつもりなんてありませんでした。

 そのとき、部屋の扉がそっと開いて、マリアが顔をのぞかせました。

「あら、目が覚めたのね! 具合はどう? 宿の人が、とってもおいしそうなごはんを作ってくれたのよ」

 マリアの後ろではヴィクトルが、湯気の立った鍋をかかえて立っていました。

「うわあ! ローナ、おなかぺこぺこだったんだよう。アランもいっしょに、食べようね」

「いらない。もう、おれのことは放っておいてくれ」

 そういってベッドからおりたアランに向かって、マリアはずかずかと遠慮なく歩み寄り、行く手をふさぎました。

「そうはさせないわよ。あたしたちに助けられた以上、あなたはおいしいごはんを食べて、元気になるしかないの」

 その迫力に、アランは後ずさります。すっかり部屋の壁に追いやられてしまって、にげられません。

「……どうして、おれのことなんか気にかけるんだ」

「悲しんでいる人や弱っている人を助けることが、このマリアさまにとっての正義だからよ! それにあなたは、もうお友だちだもの。放っておくわけないじゃない」

 友だちになったつもりなんてないよ、とアランは思いました。けれどマリアの強気な物言いに、なにもいいかえすことができませんでした。

 結局、アランは半ば強引に椅子に座らされて、四人で朝食を囲むことになりました。初めはしぶっていたアランも、おいしそうなにおいにつられて、そっとスプーンを手に取りました。温かな豆のスープと、ふっくらとした白いパンは、素朴で優しい味がしました。

「……うまい」

 ぽつりとつぶやいたアランを見て、みんなはどこかほっとしたように、微笑みました。

「ごはんをおいしいと思えるのは、いいことだわ。生きるうえで、とても大事なことよ」

 そうして、マリアたちはこれまでのことをアランに話しました。ローナと出会った日のことから、砂漠を通ってきたことまで。ずっと、アランを探して旅をしていたことも。

「そういえば、ちゃんとお礼をいえていなかったわ。シュネーバルのお城では、あたしたちを助けてくれてありがとう」

 マリアのことばに、アランはうつむきました。

「……偶然、近くにいたから。それだけだ」

 それをきいて、ヴィクトルは眉を寄せました。地下水路や、城の中にいたのが偶然であるはずがありません。本当は、アランはずっと自分たちを追っていたのでしょう。ロレーヌの妹である、ローナのことを心配して。

 それならばアランは、山も砂漠もたったひとりでこえてきたことになります。三人ですら大変だった道のりです。ひとりはもっと大変で、そして心細かったでしょう。さびしかったでしょう。

 それを思うと、ヴィクトルの胸は痛みました。もっと早くにアランがいることに気がついていれば、アランが熱を出してたおれることもなかったかもしれないのです。

(しかし、やはり盗賊といったところか。まったく、気配に気づけなかったな……)

 もしアランが悪い盗賊だったら、今ごろ自分たちの命はなかったかもしれません。マリアたちになにかあったら、守れたかどうか……そう考えて、ヴィクトルは唇をかみました。

「まったく、いじっぱりなんだから。感謝の気持ちぐらい、素直に受け取っておきなさい!」

 マリアは、ぴしゃりとアランにいいました。

 アランはむすっとしながら、無言でスプーンを口に運びました。

 そのとなりで、ローナはにこにこと笑っています。

「うれしいな。こうして、アランとごはんを食べて、話すことができて。これからもそばにいてほしいよ。いっしょに、お姉ちゃんを探そうね」

 はにかむローナを見つめるアランの瞳は、悲しげにゆれていたのでした。

 マリアとローナは、からになった鍋をかえすために部屋を出てゆきました。

 扉が閉じて、部屋にはアランとヴィクトルが残されました。

「おなかは満たされたか? まだ、ちゃんとつかれもとれていないだろう。とにかく今は、ゆっくり休むといいよ」

 ヴィクトルは、おだやかな声音でいいました。ここまでアランを運んできたとき、あまりに体が軽かったので、ヴィクトルは心配していたのです。

 ひとりで生きているあいだ、ちゃんとした食事をほとんど食べていなかったのかもしれません。やわらかなベッドで寝たことも、数えるほどしかないのでしょう。それを思うと、ヴィクトルはますます胸が痛むのでした。

 しかし、 そんなヴィクトルの優しさをはねつけるように、アランはするどい瞳をヴィクトルに向けました。

「……あんたも、おれをつかまえるつもりなのか」

「え?」

「おれのこと、悪いやつだと思ってるんだろ。前に牢の鍵を開けたときに、あんたがおれをそういう目で見てた」

 シュネーバルの城で、マリアとヴィクトルがつかまったとき、アランが鍵を開けて助けてくれました。けれどそれは、アランが盗賊だからできたことなのでした。

 あのとき、マリアはその手つきにおどろくだけでしたが。ヴィクトルの方は、よくないものを見るような目を、アランに向けてしまったのです。鍵開けなんて、ぬすむことに慣れていなければ本来はできないことなのですから。

「それは……」

 ヴィクトルは口ごもりました。

 アランのことを、まったく悪く思っていなかったかといわれると、素直にうなずけません。旅に出ることなく、今も騎士団にいたならば、アランを盗賊だからという理由でつかまえていたでしょう。なぜ、ぬすみを働いたかなんて、たずねることもなかったのでしょう。

 しかし、この都の貧しい人たちの暮らしを目の当たりにして、そしてアランのように必死に生きている人たちのことを知った今は――アランをつかまえて、王宮につき出そうだなんてことは、すこしも考えてはいませんでした。

 けれどそれをいったところで、アランが信じてくれるとは思えませんでした。ただでさえ、アランは傲慢な大人たちや、身勝手な王宮の人たちによってつらい思いをさせられてきたのです。そんなアランが、城に仕える騎士であるヴィクトルを疑うのは、仕方のないことでした。

(こまったな……)

 ヴィクトルはため息をつきました。もちろんヴィクトルだって、アランの力になりたいと思っています。ローナが、ロレーヌがまだどこかにいるというのなら、ヴィクトルはそのことばを信じます。けれど自分がいては、アランはまたどこかへと姿を消してしまうかもしれません。

 ふたりのあいだに、つめたい空気が流れました。自分に対して、きらいだという気持ちを向けられることが、こんなにも悲しいことだったとは――。

(……今は、アランの心の傷が、すこしでもいやされることを願うしかない。そのために……わたしも、なにかできればいいのだが)

 そんなつめたい空気を消し去るように、マリアとローナがもどってきました。

「おまたせ。さあ、さっそく出かけましょう!」

「出かけるって、どこに?」

 マリアたちの姿に内心ほっとしながら、ヴィクトルがたずねました。

「まずは港に行って、船に乗せてくださいってたのんでみるのはどうかしら。海に出れば、ロレーヌを見つける手がかりがつかめるかもしれないわ」

 ふむ、とヴィクトルは腕を組みました。

「そうだな。海にくわしい人から、話をきくのはいいかもしれない」

 とはいえ見知らぬ旅人、しかも子どもを乗せてくれる船があるのかどうか――と、ヴィクトルはすこし心配でしたが。

「アランは、もうすこしここで休んでる? ローナたちだけで、行ってこようか?」

「おれは……」

 心配するローナのことばに、アランはうつむきましたが――やがて、顔をあげました。

「……おれも、行くよ」

♫ Ⅱ ロレーヌを探すには

 港は、閑散としていました。いくつもの船が、港に停められています。漁をするための船、どこかほかの大陸へと行く定期船、裕福な人たちが乗るような、豪華な客船――けれど今日はどの船も、動いていないようでした。

 マリアたちは、船の帆の調子を見ている男の人に声をかけました。

「こんにちは」

「ああ、こんにちは。この時期に港にくるなんて、めずらしいね」

 男の人は、この都に住む漁師だと名乗りました。

「あたしたち、ちょっとした理由があって、海に出たいんです。船に乗せてもらうことって、できませんか?」

 漁師は、こまったように腕を組みました。

「ほかの大陸に行きたいなら、お金をはらえば定期船に乗れるよ。海に出るだけなら、わたしの自慢の船に乗せてやってもいいけれど。でも残念だけれど、今は船を出せないよ。この時期は、人魚が出るっていううわさがあるからね」

「まあ。人魚って、あの人魚のこと?」

 マリアは目を見開きました。ちいさいころ、お母さんに読んでもらったおとぎ話の中に、人魚が出てくるものがありました。足の代わりに魚のしっぽが生えていて、顔立ちは美しい少女で――そんな人魚が、人間の男の人を好きになる物語でした。

(あのお話、最後はどうなるんだったかしら?)

 物語の結末が思い出せません。

「人魚を、見たことがあるのですか?」

 ヴィクトルも、おどろいて漁師にたずねました。

「いいや。単なる伝説で、本物の人魚を見たことのあるやつはいないよ。けれど人魚の歌声をきいた者は、その歌声にまどわされて、船ごと海にしずめられるっていわれているんだ。だから毎年この時期は、海に出ないほうが身のためなのさ。伝説だからってばかにして、本当にしずめられたら身もふたもないからね」

 そういって、漁師は去ってゆきました。

「まさか、人魚がこの近くにいるなんて。それにしても、どうして人魚は船をしずめたりするのかしら」

「いずれにせよ、船に乗れないなら、ほかの方法を考えるしかないな。それに船だけではだめだ。ロレーヌを探すには、海の底に行く方法も見つけねばならない」

 世界のどこかには、海の底へと行ったことのある人がいるかもしれません。けれどマリアたちはそんな人には会ったことがなかったし、海の底に行くための道具や乗り物も知りませんでした。

 すると、ずっとだまっていたローナが、決意したようにいいました。

「ローナが、魔法を使うよ。お姉ちゃんが、アランを助けたときみたいに。魔法でみんなを、おおきな泡で包めばいいんだ。そうすれば、海の底でも息ができるから」

「ローナ。それは……」

 ハーディ・ガーディを鳴らそうとしたローナの手を、アランがつかみました。

「だめだ!」

 つかむ力の強さに、ローナは思わず身を固くしました。

「……魔法は、使わないでくれ……。それで、きみまで、いなくなったら……」

 ちいさくふるえるアランの手に、ローナは自分の手をのせました。

「……ごめん、アラン。ごめんね。ローナ、みんなの役に立ちたかっただけなの。いつも、足手まといだから」

 もし、魔法がうまくいかずにローナもロレーヌと同じ道をたどることになってしまったら――。

 そんな未来は、だれも望んでなどいません。

「ローナを足手まといだなんて思っていないわ。それぞれ、できることをやればいいの。けれど今、ローナが命をかけてまで魔法を使うことは、まちがっているとあたしは思うわよ」

 マリアも、強い口調でいいました。

 ローナは悲しそうな顔をしながらも、「わかった」とちいさくうなずきました。

「……本当に、人魚がいるとしたら。どうにか、わたしたちに協力してくれないだろうか。人魚なら、当然海の底に住んでいるのだろうし」

 ヴィクトルのつぶやきに、みんなはなるほどと思いましたが――すぐに顔をくもらせました。

「けれど、人魚は人間の船をしずめてしまうのでしょう? そんなひとたちが、協力なんてしてくれるかしら」

 それに、だれも人魚の姿を見たことがないのも気になります。本当は人魚なんていないのか、もしくは――見た者はみんな、うわさどおり海にしずめられてしまったのかもしれません。

 人魚がもし、おそろしい生き物だったら、とても大変なことになります。

「協力してもらえるように、人魚さんにたのんでみようよ。でもどうやったら、ローナたちのことを知ってもらえるかなあ」

 人魚に会いたいから、なんて理由で船を出してくれる人はいないだろうし、船を買うお金もありません。

 どうしたものかと、頭をなやませていると。

「……手紙を、書けば」

 ぼそりときこえた声に、みんながふり向きます。

 声の主はアランでした。

「……手紙を書いて海に流せば、もしかしたら、人魚がそれを見つけて読んでくれるかもしれない」

 注目を浴びてはずかしくなったのか、だんだんと声はちいさくなっていきましたが、みんなはアランのことばを、しっかりとききました。

「手紙……それ、いいと思うわ!」

「ああ。わたしたちのことを知ってもらうために、まさにぴったりなものだ」

「すごい! アラン、どうしてそんなことを思いついたの?」

 みんなから声をかけられて、アランは気まずそうに顔をそらしましたが、その頬がすこしだけ赤くなっていました。

「……昔、便箋とインクが売られている店を見たときに、教えてもらった。手紙は、遠くにいる人に自分の想いを伝えるためのものだって。おれは字が書けないし、読むのも苦手だけれど――すごくいいものだなって、思ったから」

 マリアたちは顔を見合わせました。それを教えたのはきっと、盗賊の仲間たちなのでしょう。

 アランにとって大切な、盗賊たちとの思い出です。マリアは微笑みました。

「そうと決まれば、すぐに便箋とインクを買いに行きましょう。想いをこめて書けば、きっと人魚のもとへ届くはずよ」

 マリアたちは、町で羊皮紙の便箋と、インクを買いました。羊皮紙は十枚綴りになっていて、太陽の模様が刻まれています。

 手紙は、ローナが書くことになりました。旅をしながら、ずっとヴィクトルに字を教わっていたのです。一枚だけでは気づいてもらえないかもしれないので、十枚とも使うことにしました。十枚も書くのは、なかなかに手間がかかりましたが、それでも、ローナはどの手紙も心をこめて書きました。

 こうして、十枚の手紙ができあがったのです。

『親愛なる人魚さま

 はじめまして。わたしは、妖精のローナです。

 わたしは二年ほど前に海の底にしずんでしまった、姉のロレーヌを探しています。

 ロレーヌは青くて長い髪で、翡翠のようなきれいな瞳をもった妖精です。

 わたしは海の底に行けないので、協力してほしくて手紙を書きました。

 もし協力してくださるようでしたら、月が空にのぼるころ、ジャウハラの港をこえた先の、砂浜にきてください。

 ずっと、待っています。

 心をこめて。妖精のローナより』

 書きあげた手紙を、ひとつひとつガラス瓶につめて、海に流しました。

(どうか、手紙に気づいてくれますように……)

 祈りながら、ローナは手紙を流しました。

 それから毎晩、マリアたちは砂浜で人魚がくるのを待ちました。夜の海なら人がいないので、ほかの人間たちが人魚を見てしまって、こわがる心配もありません。

 来る日も来る日も、人魚を待ち続けました。きらめく波の先に、人魚のしっぽがちらりと顔をのぞかせることを信じて。

 けれども、一向に人魚はあらわれることはありませんでした。

 時が流れて――手紙を流して、十五日目の夜がやってきました。もはやみんな、もう人魚はきてくれないだろうと思い始めていました。それでも、だれもそれを口にすることはありませんでした。いってしまったら、本当にそうなってしまうような気がしたのです。ほんのすこしの希望も、失いたくはありませんでした。

「……あ! あれ!」

 とつぜん、ローナが立ちあがって、海を指さしました。

 ゆれる波の中から、ちいさな頭が飛び出しているのが見えました。ぬれた髪が、月の光に照らされてかがやいています。耳の横にさんごの髪飾りをつけた、かわいらしい女の子でした。

 ローナは服がぬれるのも構わずに、海の方へと走りました。打ち寄せる波をかき分けて、ローナは女の子のもとへと近寄ります。

「もしかして……人魚さん?」

 ローナは、少女を見つめます。

 少女は金色の瞳で、ローナを見つめかえしました。

「そうよ。ねえ、これ書いたの、あなた?」

 人魚の手には、ガラス瓶がにぎられていました。中に、見覚えのある手紙も入っています。

「そ、そうだよ! よかった、読んでくれたんだね!」

 ローナは人魚の手を取って、砂浜の方へと連れてゆきました。

「みんな! 本当に、人魚さんがきてくれたよ!」

 マリアたちも、人魚のもとへとかけ寄りました。

「わあ。本当に、足がお魚なのね……」

 人魚はマリアたちを見ると、とたんに顔をしかめました。

「どうして、人間がいるのよう」

「マリアたちは、ローナのお友だちだよ。みんな優しくて、勇気があるんだ」

 ローナが人魚にそういいましたが、人魚はぷいっとそっぽを向きました。

「人間はきらい。あたしは、手紙を書いたのが妖精だからきたのよ。人間がいるなんて、きいていないわ。さよなら」

 さっさと海へと帰ろうとする人魚の前に、ローナがあわてて立ちふさがりました。

「ま、待って! ごめんね、人間がいるって書いてなかったのは謝るよ。でも、どうしてそんなに人間がきらいなの?」

「だって、人間はひどい生き物じゃない。あなたも妖精なら、わかるでしょう? 人間はね、自分以外の生き物なら傷つけてもいいって思っているの。あたしたち人魚も、昔は人間たちにおそわれたり、傷つけられたりしたんだから」

 ふきげんそうに話す人魚に、マリアはすこしむっとしていいかえしました。

「あたしたち、人魚は歌声で人間の船をしずめるってきいたわ。ひどいことをしているのは、そっちも同じじゃないの」

「なによ、それ。人魚の歌声はね、海の生き物たちに必要な子守唄なのよ。あたしたちの歌声を人間がきいて、勝手にねむって遭難しているだけなの。そんな船を助けてあげたことだってあるのに、人間たちが、ねむらせた人魚を悪者にしているのよ。ひどいのはどっちよ!」

 人魚も、負けじとマリアをにらみかえしました。なんだかよくない雰囲気になってきたので、ヴィクトルがあわててふたりのあいだに割りこみました。

「きみが人間をきらう気持ちは、痛いほどわかる。わたしたち人間の身勝手さのせいで、たくさんの命が消えていった。……謝って許されることではないことも、わかるんだ。けれど今は、この妖精の――ローナの話を、きいてあげてはくれないだろうか。ローナは、だれも傷つけたりなどしていない。だから……このとおり」

 ヴィクトルは、真剣なまなざしで人魚を見つめました。見つめられた人魚は、おどろいたようにヴィクトルを見かえします。

「妖精も昔、人間たちにひどいことをされたって、ローナもきいたよ。それはとても悲しいことだと思うし、人間を、こわいって思ったこともある。でも、ローナを助けてくれたのも、人間だから。なにも知らなかったローナのことを、ここまで連れてきてくれたのは、マリアたちだから。だから今だけは、人間のことを信じてほしいの……」

 ローナも必死に、人魚にたのみました。

 人魚は桃色の髪の先を、くるくると指に巻きつけながら、ちいさくこたえました。

「……まあ、あたしだって、すべての人間が悪いやつだなんて思ってはいないわ。みんなからそうきかされていただけで、あたしは人間に、なにもひどいことはされていないもの。今回はそこの妖精のために、協力してあげるわ。さっきはきついことをいって、ごめんなさい」

 人魚がそういってくれたので、ローナたちはほっと胸をなでおろしました。

「あたしも、あなたを疑ってごめんなさい。今度、人魚を悪くいう人がいたら、しっかり訂正しておくわ。人魚は人間をおぼれさせたりなどしないって」

 マリアも素直に謝って、そうしておたがい微笑みました。

♫ Ⅲ ロレーヌの居場所と、人魚の恋と

「あたしの名前はルゥルゥ。海を散歩していたら、なにか変なものが流れてきたの。最初は『ああ、また人間が、いらないものを海に捨てたんだわ』って、思ったんだけれど。よく見たら中にあやしい紙が入っているから、このあたしが、調べてやろうって思ったわけ」

 ルゥルゥは岩場にこしかけて、ガラス瓶をかかげて月の光に照らしました。ルゥルゥが見つけた瓶は、このひとつだけのようでした。ほかのびんはどこか遠くへ流されてしまったか、あるいはくじらのおおきな口の中に、のまれてしまったのかもしれません。

 ルゥルゥのような人魚に見つけてもらえてよかったと、ローナはほっと息をはきました。

「ルゥルゥ……いっしょに、ローナのお姉ちゃんを探してくれる?」

 おそるおそるきいたローナを、ルゥルゥが見つめました。そのまなざしはどこか、憂いを帯びているように見えました。

「――あなたのお姉さんはね、今、海の底にある人魚の国にいるわ」

 マリアたちは「ええっ」と、おどろきの声をあげました。アランはだまったままでしたが、その目はおおきく見開かれていました。

「ほんとう? じゃあ、人魚さんたちの国に行けば、お姉ちゃんに会えるの? お姉ちゃんは、そこで生きているんだよね?」

 ローナは、それはもううれしそうに、手足をぱたぱたさせました。

 けれどルゥルゥは、首を横にふりました。

「……二年くらい前のことよ。あたし、妖精の女の子が海にしずんでゆくのを見つけたの。瞳は閉じていたけれど、青くて長い、きれいな髪をしてた。もちろん、助けにいったわ。でも、あたしがその子にふれようとしたら……その子の体は、泡になって消えてしまったの」

 全員が、息をのみました。

「人魚は、死ぬと体が泡になるの。ほかの種族が死ぬとどうなるのか、あたしは知らないけれど……まるで人魚が死をむかえたときのように、その子は泡になって、消えてしまった」

 ルゥルゥは、つらそうに眉根を寄せ、目を細めました。

「そんな!」

 ローナはさけんで、ルゥルゥの肩をゆさぶりました。ルゥルゥはなぐさめるように、その手にそっと自分の手をのせました。

「もう、ロレーヌはこの世にいないというの? そんなの……あんまりだわ」

 マリアが、悲痛な声でつぶやきました。

 ルゥルゥの話をきいて、マリアは昔に読んでもらった、人魚のおとぎ話の結末を思い出したのです。

 お話の中の人魚も、好きになった人間の男の人を想って、自らの死を選んだのでした。けれど男の人は、人魚の死に気づくことすらなくて――どこまでも悲しい、物語だったのです。

「そんなはずないよ! だって、ここにお姉ちゃんのハープがあるもん。お姉ちゃんが死んでしまっていたら、ハープも消えちゃってるはずだもん」

 ローナのことばに、ルゥルゥはうなずきました。

「ええ。まだ、話には続きがあるわ。あたしは、どうしてもその子を――ロレーヌを、助けたかった。たしかに体は泡となって消えてしまったけれど、まだロレーヌの魂だけはそこに残っていて、光の玉となってかがやいていたの。まるで、きれいな宝石のようにね。あたしはその魂を、人魚の国に連れていったわ」

 そしてロレーヌの魂は、まだ人魚の国にいるのだと、ルゥルゥはいいました。まるでだれかを、待ち続けているかのように。天に召されることなく、ずっと海の底にとどまっているのだと。

 それをきいて、みんなの心にほんのすこしだけ、希望の光が差しました。けれど体がなくなってしまっていては、ロレーヌと話すことや、歌声をきくことも、だきしめることも、できないのです。

 暗い顔になってしまったマリアたちに、ルゥルゥは明るくいいました。

「だいじょうぶ、元気を出して。人魚の国にいる魂はね、特別な真珠の光に照らされると、その姿を取りもどすことができるの。人魚の国の中でしか、効果がないけれど……。だからあたしは、ロレーヌの魂を人魚の国に連れていったのよ。あの子が待ち続けている人と、また会えることを願って」

 そうして二年の時が経って――ついに今日、ルゥルゥはロレーヌを探しているという、妖精からの手紙を見つけたのでした。

「まさか、人間までいるとは思わなかったけれど。でも、いいわ。これでロレーヌも、やっと大好きな人に会えるんだものね……」

「ありがとう……ルゥルゥ。お姉ちゃんを、助けてくれて」

 ローナはルゥルゥをだきしめました。人魚の国に行けば、またロレーヌと会うことができるのです。それだけで、ローナは胸がつまる思いがしました。

「ぜひ、すぐにでも人魚の国を訪れたいところだが……わたしたちは人間なのに、人魚の国に行ってよいのだろうか。人魚たちは人間を、その、よくは思っていないだろう」

 ヴィクトルがきくと、ルゥルゥは「ええと」と、顔をそらしました。いやがっているというよりも、なぜだかあせっているように見えました。

「人間は行っちゃだめっていうのなら、あたしとヴィクトルはここで待っているわ。でも、ローナと……アランは、連れていってあげてほしいの。アランは人間だけれど、悪い人なんかじゃないわ。ちょっと、だんまりなところがあるから誤解されやすいだけで。ロレーヌが待っている人っていうのは、きっとこのふたりのことだもの。お願い」

 マリアのことばに、アランはなにかいいたげにしていましたが、結局口には出さずにだまっていました。

「ちがうのよ。そりゃあ、人間を連れていくのは、あんまりよくは思われないだろうけれど。でも、あなたたちがいい人間なのはわかったし、事情を話せばほかの人魚たちもわかってくれると思うわ。そうじゃなくてね……」

 ルゥルゥは肩を落として、ため息をつきました。

「……ないのよ。その、姿を照らし出すための真珠が。人魚の国の、大事な国宝だったんだけれど」

「なんですって!」

 マリアは身をのり出しました。真珠がなければロレーヌに会うことができないし、国宝がなくなったなんて、人魚の国としても一大事です。

「どうして、なくなっちゃったの? どこかに、落としちゃったの?」

「まさか、悪い人間にうばわれたのか?」 

 ローナとヴィクトルも、次々にルゥルゥに問いかけます。

 しかしかえってきた答えは、想像とはかけはなれたものでした。

「……あげちゃったの」

 一瞬、ルゥルゥのことばが理解できなくて、みんなは首をかしげました。

「だから! あげちゃったのよ! 人間の男の子に!」

 ルゥルゥは顔を真っ赤にして、海中にきこえるぐらいの声でさけびました。

 そして、真珠がなくなった経緯を話し始めたのです。

 時は、今から十年ほど前にさかのぼります。

 人魚は歳をとるのがゆっくりなので、十年前もルゥルゥは今と同じ、十二歳ぐらいの女の子の姿をしていました。

 ルゥルゥは人魚の王さまと、六人のお姉さんたちといっしょに暮らしていました。王さまは、ルゥルゥのお父さん。つまり、ルゥルゥは人魚の国のお姫さまでした。

 けれどルゥルゥは、たいそうないたずら好きで、いつも王さまやお姉さんたちをこまらせていました。

 その日も、ルゥルゥは人魚の国の国宝に見とれていました。国宝は、美しい装飾がほどこされた短剣です。短剣の中心には、一際きれいな真珠がはめられていて――その真珠こそが、特別な力を持つ真珠でした。

 ルゥルゥは、こっそり短剣を手に取りました。

(本当にきれいだわ。そうだ、このかがやきを、友だちのイルカたちに見せてあげましょ)

 そう思いついたときには、もう城を飛び出していました。

 ごきげんな気分で海を泳ぎながら、ルゥルゥはふと人間のことを考えました。王であるお父さんから、人間は自分たちを傷つける、だから絶対に人間の住む国には近づいてはいけないと常々いわれていました。けれどそれを素直にきくようなおしとやかさを、ルゥルゥはもってなどいなかったのです。

 そういうわけで、ルゥルゥは好奇心のおもむくままに、人間の住む都――ジャウハラへ向けて泳いでゆきました。

 それがまちがいでした。港を通りぬけるとき、ルゥルゥは人間が漁のためにしかけていた網に引っかかってしまったのです。

(な、なによう、これ! こんなものが引っかかってたら、うまく泳げないじゃないの!)

 ルゥルゥは、網をはらおうともみくちゃに暴れました。しかし、網はかえってからみつくばかり。網をまとったまま、ルゥルゥは波にのせられて砂浜へと打ちあげられてしまったのです。

 こまったことになりました。人間に見つかったら、どうなってしまうのでしょう。身動きがとれないので、短剣を鞘からぬくこともできません。

「だいじょうぶ?」

 とつぜん、頭の方から声がかかりました。びっくりして見あげると、ルゥルゥと同い年ぐらいの男の子(とはいえ、本当はルゥルゥの方がずっと長生きでしたが)が、こちらを見おろしていました。黒い髪と、黒い瞳をもった男の子でした。

(しまった! 人間に見つかっちゃった!)

「じっとしてて。今、助けるから」

 男の子は網に手をかけて、ルゥルゥをこわがらせないよう、すこしずつ網をはずしてくれました。

 ルゥルゥは男の子を見つめました。てっきり、そのままつかまえられるのかと思ったのです。人間はひどい生き物だときいていたので、まさか助けてもらえるなんて思ってもいませんでした。

「はい、はずれたよ。それにしてもこんな網に引っかかるなんて、おっちょこちょいな人魚だな」

 そういって男の子がくすくすと笑ったので、ルゥルゥはきっ、と男の子をにらみました。

「なによ! そもそも、こんなものを海に入れる、人間が悪いんじゃないの! 危ないし、いい迷惑だわ!」

 男の子は笑うのをやめて、「ごめん」といいました。その表情はなぜだかとても切なくて、ルゥルゥはどきりとしました。

「で、でも! 助けてくれたことは感謝するわ。その、どうもありがとう」

「どういたしまして。さて、ぼくはもう行かなきゃ。これから剣の稽古もあるし、こんなところにいるってことがばれたら、また大臣に嫌味をいわれる」

「あなた、子どもなのに剣をにぎるの? どうして?」

「わからない。けれど、やらなければだれもぼくを見てくれない。戦うことなんて、本当は好きじゃないのにさ。――それじゃあ、元気で」

「ま、待って!」

 去ろうとした男の子の服を、ルゥルゥがつかみました。どうしてだか、勝手に手が動いてしまったのです。

 男の子がふりかえります。すいこまれそうなその瞳に、ルゥルゥの心臓は、さらにどきどきと脈打ちました。

「また、会えるかしら?」

「……もう、ここにはこないほうがいいよ。きみのいうとおり、人間は悪い生き物だ。今度は、本当につかまってしまうかもしれない」

 ルゥルゥのことを想っていった、男の子の優しいことばでした。

 ルゥルゥはほんのすこしだけうつむくと――顔をあげて、男の子の手に短剣をおしつけました。

「これ、あげるわ。これを見て、あたしと出会ったときのこと、たまにでいいから思い出して」

 美しい短剣は、男の子の手の中できらりとかがやきました。

「そんな……こんなきれいなもの、もらえないよ。きみにとっても、大事なものなんだろ?」

「いいの! あなたなら、大事にしてくれそうだから」

「……ありがとう。じゃあ、いつかまた会うことができたら。そしたら、その時にこの短剣をかえすよ。それまで、預かっておくことにする」

「わかった。約束ね」

 そうして、男の子と別れて――十年の時が経ちました。

 ルゥルゥの話が終わると、マリアは「まあ」と両手を頬にあて、ヴィクトルはあきれたようにため息をつきました。

「なぜ、そんなにも大事なものをあげてしまったんだ……」

「だって、あたしのことを忘れてほしくなかったんだもの。そう思ったら、ついわたしてしまったの」

「だからといって、国宝をわたすなど……」

 小言をいい始めたヴィクトルをおしのけて、マリアがルゥルゥの手を取りました。

「ルゥルゥは、その男の子に恋をしているのね」

 マリアにそういわれて、ルゥルゥはさらに顔を真っ赤にして、マリアの手をふりはらいました。

「ち、ちがうわ! そんなんじゃないもの! 人間なんて、きらいだもの! 人魚を傷つけた、人間に恋だなんて!」

「でも、その男の子はルゥルゥを助けたのよ。それに、ルゥルゥもいっていたじゃない。すべての人間を悪いとは思っていないって。それは、その男の子との思い出があるからではなくて?」

 うっ、とルゥルゥがつまったので、マリアは「やっぱりね」と笑みをうかべました。ルゥルゥに、人間との思い出があることにうれしくなりました。

 その一方で、不安でもありました。人間を好きになったことで、ルゥルゥまでもがおとぎ話のように泡になってしまったら、と思ったのです。

(――あれはおとぎ話だもの、本当のことじゃないわ。だからだいじょうぶよ)

 そんなマリアのとなりでは、ヴィクトルが遠い目をしながら、以前に訪れたシュネーバル国のことを思い出していました。その国の姫君であるオデットも、恋をした相手に会うために城をぬけ出していたのです。けれどそれが原因で、呪いをかけられてしまったのでした。

 そのときも、ヴィクトルはオデットに「お姫さまが城をぬけ出すなんて危険すぎる」と苦言を口にしたのです。

(恋は人を盲目にするとは、よくいったものだ。いいや、それが恋と呼ばれるものではなかったとしても……だれかを愛する気持ちがあるだけで、人はなんでもできてしまう。時には相手のために、命を投げ出すことさえある。しかし、それで残された人は――)

 ヴィクトルは、そっとアランの方をふりかえりました。アランはただ静かに、海の彼方を見つめていました。

 その琥珀の瞳は、悲しげにゆれていました。心から大切に想っている人が、自分のために命を落とした悲しさにゆれていました。

 ふと、アランと目が合います。しかし、すぐに目をそらされてしまいました。まだまだ自分は信用されていないようだと、ヴィクトルはため息をつきました。

(……その短剣を見つけて、ロレーヌの姿が見えたとしても――それは決して、ロレーヌが生きかえるわけじゃない。ロレーヌは、人魚の国から出ることはできない。それでもロレーヌに会えば、アランもローナも、幸せになれるのだろうか)

 そこまで考えて、まずは短剣を探すのが先だと、ヴィクトルは首をふりました。それが見つからなければ、なにも始まりません。

「ねえ、短剣を男の子にわたしたあと、王さまたちにはどう説明したの? 国宝を、しかも人間にあげたなんてきいたら、王さまはきっと、ものすごくおこったわよね」

「海の魔女にたのんで、そっくりな偽物を作ってもらったのよ。もちろん偽物だから、特別な力はなにもないんだけれど。でも、まだだれもすりかわったことに気づいていないと思うわ」

「ちょ、ちょっと待って。海の魔女って、いじわるなんじゃないの? 人魚の声を奪うばったりして……」

「いいえ? とっても陽気な、おばあちゃんよ。じつをいうと、あたしが今までやってきたいたずらをかくすために、何度も協力してもらっているのよね」

 そういって、ルゥルゥはぺろりと舌を出しました。その表情は大変かわいらしくて――あまり反省はしていないように見えました。

 これにはマリアもあきれてしまいました。マリアも十分、おてんばなところがありましたが、ルゥルゥはそれ以上かもしれません。そして、海の魔女がいい魔女であることも、おどろきでした。

「その男の子を探して、短剣をかえしてもらおうよ。ルゥルゥも男の子にまた会えるし、ローナたちもお姉ちゃんに会えるし、国宝も人魚の国にもどって、いいことづくしだよ!」

「そうね。けれど、短剣をあげたのは十年も前のことでしょう? その男の子、まだこの都にいるかしら」

 不安げにいったマリアに、ヴィクトルがこたえました。

「ルゥルゥの話の中で、少年は『大臣に嫌味をいわれる』といっていたな。大臣は、王宮に仕える者のことだ。ならばその少年は、王宮に関係した貴族の子どもか、あるいは――王子か」

 王宮、ということばにアランの目がするどくなりました。アランにとって、一番近づきたくない場所です。かつてアランは、王宮の者たちにひどい目にあわされたことがありました。そして大臣や衛兵たちは、自分の地位のために、盗賊シハーブに剣をふるったのです……。

 大臣たちは今もきっと、宝石に囲まれた美しい部屋で、貧困に苦しむ人たちを見おろしているのでしょう。

 思いかえすたびに、アランの表情は険しくなってゆきます。

「だいじょうぶ? アランは、きっと王宮には行きたくないよね」

 その様子を見ていたローナが、心配そうにアランにたずねました。

 アランははっとして、ローナを見つめると――平気だよ、というように首を横にふりました。

「じゃ、まずは王宮のそばまで行って、様子を見てみましょう。明日の夜、ルゥルゥはまたここにきてちょうだい」

 しかしルゥルゥはそれにうなずくことはせず、とんでもないことをいい出したのです。

「あたしも行きたい! 連れていって!」

 みんなは思わず顔を見合わせました。人魚は人間のことがきらいだといっていたというのに、ルゥルゥはなぜそんなことをいうのでしょうか。

「父さまや姉さまたちは、人間に近づくなっていうけれど……本当はあたし、ずっと人間の住む世界を見てみたかったの! 海の中の世界とは、全然ちがったところなのでしょう?」

 ルゥルゥはうっとりとした表情で、頬に手をあてました。

「ルゥルゥ。いくらその男の子に会いたいからっていっても、いっしょにくるのはまずいわ。あたしたちがその男の子を探し出して、どうにかしてここに連れてくるから待っていてよ」

「きみのお父上のいうとおり、人間の中に悪いやつがいるのは、本当のことなんだ。きみのような人魚も、人間にねらわれるかもしれない」

 マリアとヴィクトルがそう諭しても、ルゥルゥはきく耳をもちません。

「やだやだ! あたしもいっしょに行く! 行くのーっ!」

 まるでだだっ子のように、しっぽをばたばたさせました。

 こうなったら、連れてゆくまで海へ帰ってはくれなさそうです。ルゥルゥひとりを、こうして浜辺に残しておくわけにもいきません。

「なんて、わがままなお姫さまなんだ……」

 しかたがない、とヴィクトルはルゥルゥをだきあげました。ルゥルゥは陸を歩くことができないので、こうして移動するしかないのです。

「ありがとう! 人間の足も、なかなかいいわね」

「海を自由に泳げる人魚のしっぽも、すてきなものだよ。わたしは泳げないから」

「あら。あなた、しっかりしてそうなのに泳げないの?」

「わたしの生まれた国は、山に囲まれた雪国だから。港はあっても、水がつめたすぎて泳ぐことなんてできないんだ」

「そうなの。でも、雪もいいわね。真っ白で、きれいなんでしょう? いつか見てみたいなあ」

 ルゥルゥとヴィクトルが楽しげに話しているのを見て――マリアはなぜだか、心がしぼむような思いがしました。

「あ、あのう、ヴィクトル……」

 いつものマリアとは思えない、とてもちいさな声でした。

 ヴィクトルは、マリアの方をふりかえって微笑みます。

「どうしたんだ? マリア」

「……いいえ、なんでもないの」

「すこしつかれたか? もう夜もおそいから、早くもどって休もう」

 再び前を行くヴィクトルとルゥルゥの背中を、マリアは見つめました。

(あたしったら、どうしちゃったのかしら。ヴィクトルのことも、ルゥルゥのことも好きなのにこんな気持ちになるなんて。あたしの好きな人たちが仲良くしているのは、うれしいはずなのに)

 ヴィクトルの腕の中で、ルゥルゥがはしゃいでいます。

「さあ、さっそく人間の町に出発よ! いったい、どんなものがあるのかしら? 早く見てみたいわ!」

 はやく、はやく! とせかすルゥルゥに、ヴィクトルはやれやれとため息をつきました。

「おおせのままに、お姫さま」

 そんなふたりの姿を見ながら、マリアはなにもいわずについてゆきました。

 

♫ Ⅳ 恋をした相手は

 夜が明け、マリアたちは王宮へと向かうことにしました。ルゥルゥは、男の子の名前をきかずに別れてしまったので――手がかりは王宮にいるかもしれないということと、黒い髪と黒い瞳の持ち主であるということしかありません。

 すずしい朝の市場はにぎわっていて、たくさんの屋台が並んでいました。

 ルゥルゥは、今日もヴィクトルにだきあげられながら、「あれはなに?」とか「これ、いいにおいねえ。食べ物なの?」とか、めずらしそうに周りを見回しては、ちいさな子どものようにはしゃいで問いかけました。そのたびに、ヴィクトルは優しくこたえてあげています。

 マリアは一番後ろから、のろのろとそれに続きました。いつもなら、はりきって先頭を歩くというのに、なぜだか今日はその元気がありません。

「マリア、なんだか元気がないね。どうしたの?」

 ローナが、心配そうにマリアの顔をのぞきこみました。となりにいたアランもふりかえります。心なしか、心配してくれているように見えました。

「ええと……なんでもないの。ああ、いいにおいをかいでいたら、なんだかおなかがすいちゃったわ!」

 いつまでも、みんなに心配をかけるわけにはいきません。マリアはそうさけんで、これでもかというぐらいの笑顔を、ローナたちに向けました。

「マリアったら、朝ごはんさっき食べたばかりなのに!」

 そういってローナもくすくすと笑いました。それを見て、マリアもすこしずつ体に力がわくのを感じました。

「おおい。王宮が見えたぞ」

 前を歩いていた、ヴィクトルの声がきこえました。見あげるほどの、立派な宮殿が目の前にそびえていました。

 宮殿の屋根や壁には、たくさんの宝石がちりばめられています。太陽の光に照らされ、かがやく様子は宮殿そのものが巨大な宝石のように見えました。

 宮殿を囲うように、水路が引かれていました。水路のそばには、南国で育つ植物たちが植えられ、見たことのない鳥や蝶が優雅に舞っています。

「まるでここだけ、別世界だな」

 ヴィクトルが、あきれたようにいいました。アランも宮殿をにらむような目で、見あげています。町の方では住む家のない人々もいるというのに、王族や貴族たちだけが、こうしてはなやかで、贅沢な暮らしをしているのでした。

「王さまたちが住むところって、どこもこんなふうにきらきらしているの? 今まで見てきたお城も、みんなおおきくてきれいだったよね」

 ローナがつぶやきました。

「人魚の国のお城も、とてもきれいよ! みんなで貝がらとか、さんごとかでかざりつけしたの。短剣をかえしてもらったら、案内するからね」

 ヴィクトルの腕の中で、ルゥルゥが胸を張りました。

「あたしの……」

 マリアもそういいかけて、あわてて口をおさえました。マリアが最北の国のお姫さまであったことは、みんなには秘密にしているのでした。知られてしまったら、つらい故郷の思い出も話さなくてはならなくなるからです。

(あたしの国のお城だって、とてもきれいだったわ。おおきな湖に囲まれたお城よ。雪が朝日に照らされると、国全体が虹色にかがやくから、虹の国って呼ばれていたのよ。……でも)

 心の中で、マリアは思いました。美しかったのは城だけではありません。マリアの生まれた国では町も門も、人々の笑顔も、すべてがかがやいていたのです。ちいさな国ではありましたが、みんなで手を取り合って、助け合って、そうやって幸せに暮らしていたのでした。

 今、目の前にある宮殿も、美しいことに変わりはありません。けれど貧しさに苦しむ人たちのことを思えば、マリアにはその宝石のかがやきも、色あせて見えました。

「城は、その国をあらわすものだ。代々、その国を守ってきた王や女王が好きだった装飾がされていたり、その土地でよく取れる石や木を材料にしていたり……。こうして、宝石を散りばめることだって、悪いことではないさ。この都は、宝石の都と呼ばれているのだし。
 しかしそれは、城だけではだめだ。町や、町に住む人たちすべてが、そのかがやきに照らされていなければ。こんな、王宮だけがきらびやかだなんて――それではどれだけ美しくたって、その光はまがい物でしかない」

 苦々しく、ヴィクトルがいいました。

 そんなヴィクトルの後ろ姿を、アランがじっと見つめていました。

「ふうん。人間の世界って、複雑なのねえ」

 ルゥルゥがそういうと、「あら?」と首をかしげました。

「あそこに、だれかいるわ」

 宮殿を囲む水路のそばに、人陰が見えます。

 マリアたちは気づかれないよう、物陰にかくれました。黒髪で、ヴィクトルよりもさらに歳上の青年でした。

 青年は悲しげに、花の周りを舞う蝶を見つめていました。

「ねえ。もしかして、あれがルゥルゥの探している男の子じゃないかしら? 十年前、短剣をわたしたときにルゥルゥと同い年ぐらいだったなら、今はあれぐらいおおきくなっているはずよ」

 マリアがそっと、ルゥルゥに耳打ちしました。ルゥルゥは眉を寄せながら、じっと青年を見ています。

「……たしかに、黒髪で黒い瞳で――大人にはなっているけれど、顔もそっくりだわ」

「きっとそうだよ! あの男の人のところに、行ってみる?」

「待って。……ううん、どうしてかしら。なぜだか、あの人は十年前のときのあの子とは、ちがう気がするの」

「人間にとって十年は、長い時よ。子どもは大人になるし、いろいろと、変わることだってあると思うわ」

 マリアたちは、ひそひそと話し合います。

「かれはいったい、だれなのだろう。王宮の敷地内にいるということは、やはり――」

 ヴィクトルがいいかけたとき。王宮の方から、だれかがやってきました。

「シャムス王子! ここにおられたのですか。まったく、勝手に出歩かれてはこまりますな」

 銀色の眼鏡をかけた男の人でした。眼鏡の奥の瞳が、あやしげに光っています。

 片腕には、木でできた義手をはめていました。

「王子ともあろうお方が、ひとりでこんなところにいてはなりませぬ。町にいるうえた者どもや、賊におそわれでもしたらどうするのです」

 そのことばに、シャムス王子は眉をひそめました。

「あなたの方こそ。大臣ともあろうあなたが、町の人たちを悪くいうのはよくありませんよ。……すぐにもどるから、もうすこしだけひとりにさせてほしい」

「……せいぜい、気をつけることですな。この、わたしの腕のようになりたくなければ」

 大臣はいまいましそうに自分の義手を見おろすと、王宮の方へともどってゆきました。

 残されたシャムスは、こぶしを強くにぎりしめました。

「ぼくは、王子だというのに……。いつも、自分の意見をいえずに、大臣のいいなりになっているだけ。衛兵たちも、そんなぼくのことをばかにしているんだ。これでは、民を幸せにすることなどできない。でも……ぼくには王子としての力なんて……」

 ちいさくそうつぶやいたのが、マリアたちにもきこえました。

 シャムスはとぼとぼと、王宮へと続く道を歩いてゆきます。うなだれてちいさく見えるその背中は、お世辞にも王子と呼べるような、立派なものではありませんでした。

 やがて姿が見えなくなると、マリアたちは再び話し合いました。

「あの人、この都の王子さまだったのね」

「じゃあ、やっぱりルゥルゥの探していた男の子だったんだ」

 ルゥルゥはまだ眉を寄せたまま、考えこんでいます。

「ううん……本当に、そうなのかしら」

「それにしても、シャムス王子はずいぶんと思いつめていたようだな。それに、王子が大臣のいいなりだなんて……いったいどういうことだ」

 すると、険しい顔をしていたアランが、ちいさくいいました。

「……あいつ、やっぱりまだ王宮にいたのか」

 みんながアランに目を向けます。

「あいつは二年前、おれたちをつかまえにきたやつだ。義手の片腕は、ロレーヌを守るためにシハーブさんが斬った。あいつはいつも、盗賊や貧しい人たちのことを、ばかにしていたんだ……」

「たしかに、いやなやつって雰囲気が、もんのすごくでていたわ。あたし、あの人間はきらいよ」

 ルゥルゥも顔をしかめました。

「あの人に知られないように、どうにかしてシャムス王子に会えないかな?」

 ローナのことばに、マリアは不敵に微笑みます。

 それを見て、ヴィクトルはいやな予感がしました。

「こうなったら、王宮にしのびこむしかないわね」

 予感は的中、マリアは微笑んだままそういいました。

 やっぱり……と、ヴィクトルは頭をかかえます。

「シュネーバルの城でもそうやってしのびこんで、つかまったじゃないか……それに、しのびこむのは不法侵入だともいったはずだぞ」

「ルゥルゥと、ロレーヌのためよ! じゃあヴィクトルには、ほかにシャムス王子と会う方法があるというの?」

「それは……」

 ヴィクトルは考えこんでしまいました。

 相手はこの都の王子なのです。見知らぬ子どもたちがお願いしたところで、簡単に会える相手ではありません。

「しかし……もしもあの大臣に見つかりでもしたら、今度はきっと、牢に入れられるだけではすまないだろう」

「だいじょうぶよ。もしつかまったとしても、アランがいれば鍵だってなんだって、ちょちょいと開けられるじゃない!」

 なぜかマリアが、得意げに胸を張りました。

 いきなり名前を呼ばれて、アランはおどろいたように目を見開きます。

「おれは……」

 アランは、ちらりとヴィクトルに目を向けました。目が合います。前に、宿でふたりきりになったときのようなするどいまなざしとはちがって、なんだかこまったような、不安げなものでした。

「アランがいやなら、あたしだけでも行くわよ。シャムス王子が人魚の短剣を持っているかもしれないのに、このまま見ているだけなんて、いやだもの!」

 迷いなく、きっぱりとマリアはいい切りました。

「……しかたない。今回だけは……いや、今回だけも、目をつむろう。しかし、こんな大人数では、しのびこむどころかすぐに見つかってしまう」

 ほかによい方法が思いつかなかったので、ヴィクトルはしぶしぶとそういいました。

「あたしひとりで、行ってくるわ。ひとりなら、そう簡単には見つからないと思うの。だいじょうぶよ、いざとなったら暴れてにげてやるんだから!」

 とたんに、ヴィクトルが顔をしかめます。

「だめだ。そんな危ないことを、きみひとりだけにはさせられない」

 ローナとルゥルゥも、ヴィクトルのことばにうなずきました。

 しかし、マリアは首を横にふりました。

「あたしが王宮に行っているあいだ、ヴィクトルはみんなのそばにいてあげて。今だって、人魚だからとか、妖精だからとか、そんな理由でふたりをねらっているやつが、どこかにいるかもしれないわ。このあいだのように、ローナたちが悪い人間につかまるなんて、もう絶対にいやなの。つかまって……アランのような、つらい思いをする人が増えるのも、いやなの。ヴィクトル、あなたはとっても強いわ。みんなを守れるのは、あなただけなのよ」

「しかし……!」

 ヴィクトルが、そういいかけたとき。

「おれも行く。マリアといっしょに行くよ」

 アランが、顔をあげました。迷いのない、よく通った声でした。

 みんなが、アランを見つめました。

「あなたなら、そういってくれると思っていたわ」

 マリアは、うれしそうににっこり笑いました。それを見てアランは気まずそうに、顔をそらして頰をかきました。

♫ Ⅴ 王宮潜入

 マリアたちは、夜が訪れるのを待ちました。しのびこむなら夜、それもみんながねしずまった、真夜中がいいということになったのです。

(シャムス王子には悪いけれど、無理やり起こすことにしましょう。あたし、あの王子さまは、きっとあたしたちの話をきいてくれる気がするの)

  マリアは瞳をきらりとさせて、ひとりうなずきます。

(ああでも、王子さまが、とんでもないねぼすけさんだったら、どうしましょう。起こすために、にわとりの一羽でも連れていったほうがいいかしら)

 そんな心配をしているのは、おそらくマリアだけでしたが――マリアはしばらく、にわとりを手に入れる方法を真剣に考えていました。

 それはさておき。今、マリアたちはルゥルゥと出会った砂浜にいます。

 もしもシャムスが、本当にルゥルゥが短剣をわたした男の子だったら。シャムスにわけを話して、ここに連れてこよう――という作戦です。人気のない海辺の方が、いろいろと都合がいいだろうとヴィクトルが提案したのでした。

 ヴィクトルは、最後までマリアとアランが王宮にしのびこむことをしぶっていましたが――ついには折れることにしました。

「アラン。どうか、マリアをたのんだぞ。マリアはちょっと、その……周りが見えなくなることがあるから。無茶をしそうになったら、すぐに止めてほしいんだ」

 ヴィクトルが、アランにいいました。アランは相変わらず、だまったまましたが、ほんのすこしだけ、うなずきました。

「それと……アランも、無理はしないでくれ。きみは、わたしのことがきらいかもしれないが。わたしは、きみを仲間だと思っているよ。それだけは、信じてほしい」

 ヴィクトルの、心からのことばでした。

 アランは、じっとヴィクトルを見つめました。そして口を開きかけましたが――結局はなにもいうことなく、ヴィクトルの元を走り去ってゆきました。

 ローナは、せっせとマリアに薬をわたしていました。もしもけがをしたときに、いつでも治せるようにです。

「これがね、血を止める薬だよ。こっちが、腫れたところにぬる薬。ええと、これが酔い止めの効果があるもので……」

「ローナ。あたしは長い船旅に出るわけでも、魔物のいる洞窟へ入るわけでもないのよ。でも、もらっておくわ。ありがとうね」

「ごめんね。なんにも、役に立てなくて」

 ローナは泣きそうな顔で、うつむきました。

「人それぞれできることをやればいいって、この前もいったでしょう」

 マリアは、子犬を愛でるようにローナの髪をなでました。

 ルゥルゥも、なんだか元気がなさそうに顔をふせています。

「あなたたちを、大変な目に合わせてしまってごめんなさい。元はといえば、あたしが起こしたことなのに」

 しおらしくルゥルゥがそういったので、思わずマリアは目を丸くしました。

「まあ。あのわがままなルゥルゥが、そんなことをいうなんて、らしくないわよ」

「わがままは余計よ! ……あたしに足があったら。そうすれば、あたしが自分で、あの人に会いに行けたのに。どうして、あたしは人魚なのかしら。どうして、陸を歩けないのかしら。……あたしも、人間だったらよかったのに」

「……それをいってはいけないわ、ルゥルゥ。あなたは、人魚として生まれたのよ。なら、人魚であることを誇りに思うべきだわ」

 ルゥルゥには、おとぎ話のことは話しませんでした。人間に恋をして、人間にあこがれて――人魚の自分を捨てて、人間になったあの人魚のことを。そうして最後に、人間のために命を落としたことを。

 おとぎ話は、架空の出来事だと、マリアは今まで思っていました。けれど、かつては本当にそんな人魚がいたのかもしれないと――マリアは、そんな気がしたのでした。

「行きましょう、アラン」

 マリアのことばに、アランもうなずきました。

 王宮の前では、獣のようにするどい目つきをした衛兵がふたり、入り口をふさいでいました。さすがは王宮を守る衛兵たち、真夜中でもねむりにつきそうな気配はありません。

「王宮の、裏側に行く」

 アランにいわれて、ふたりは衛兵たちに見つからないようにかけぬけます。

 王宮の周りは、手入れの行き届いた水路に囲まれていました。水路をこえた先には、大人ふたり分ぐらいの高さの塀が、宮殿を囲っています。

「この水路、そこまで深くなさそうだから、このままわたれそうね!」

「ちょ、ちょっと待てよ」

 平然と水の中に足をつっこもうとしたマリアを、あわててアランが止めました。

「水の中に、なにかいるかもしれないだろ」

「いるって、なにが?」

「……わに、とか」

 王宮を守るための水路です。なにがひそんでいるかわかりません。水に足を入れたとたん、そのにおいに引き寄せられたなにかに、足をとられることだってあるかもしれないのです。

 しかし、マリアは不敵に笑いました。

「わになんて、このマリアさまの敵じゃないわよ!」

 高らかにそういうと、アランの手をふりきりました。そして、そのまま何事もなく水路をわたって、アランに手をふりました。

「ほら、なにもいなかったわ。はやくアランもきてよー!」

 マリアはちょっと、無茶をすることがあるから――ヴィクトルのことばを思い出して、アランはため息をつきました。

 結局、アランもマリアと同じようにして水路をこえました。しかしふたりの前には、まだ塀が立ちふさがっています。

「ううん、意外と高いわねえ。それに、足をかけられそうなところもないわ。どうしたものかしら」

 マリアはぶつぶつと、塀を見あげながらつぶやきます。塀は規則正しくレンガを積んでつくられていて、表面はなめらかなものでした。爪すら、引っかけられるところはありません。

「……あのさ。きみは最初、ひとりでしのびこむっていっていたけれど。どうやってこの塀をこえるつもりだったんだよ」

「もちろん、塀をよじ登るつもりだったわ。この手と足でね」

 マリアは、あっけらかんとこたえます。それをきいて、アランは二度目のため息をつきました。

 アランは腰帯に差したナイフを縄の先に結びつけ、塀の向こうに見える木の幹をめがけて、勢いよくナイフを投げました。ナイフは風のように飛んでゆき、そして幹に深くつきささりました。

「この縄をつたって、塀をこえる」

「まあ。アランってば、器用なのねえ!」

 マリアはすっかり感心して、思わずおおきな声を出してしまいました。アランは静かに、という目でマリアをにらむと、慣れた手つきで縄を登ってゆきます。マリアも、それに続きました。

 どうにかこうにか、ふたりはだれにも見つかることなく王宮の敷地内に入ることができました。なんだか、シュネーバルの城のときよりもずいぶんあっさり入れたなあ、とマリアは思いかえします。

「あたしたち、前にもお城にしのびこんだことがあるんだけれど。そうそう、地下水路で、あなたが魔物の群れを追いはらってくれたときのことよ。あのときは、それはもう大変な道のりだったわ」

 ひっそりとした声で、マリアはいいました。たしかに大変な道のりではありましたが、それがあったからこそ、ローナやヴィクトルとの仲も深まったように思います。今となっては、いい思い出でした。

「……あのとき、おれが勇気を出して声をかけていれば。ロレーヌのことを、話せていれば――。きみたちは、この都にくることもなかった。あの妖精の子がつかまって、危ない目にあうこともなかった……」

 マリアは、勢いよくアランの手を取りました。アランはびっくりして、その手をふりほどこうとします。けれどマリアは、にぎる手にさらに力をこめました。

「いいえ、それはちがうわ。あなたとあたしたちが、何度もすれちがいながら――ここで出会ったのは、きっと運命だったのよ。ここにきたから、ロレーヌとまた会える方法を知ることができた。この先、どうなるのかはまだわからないけれど……きっとあなたを、絶望や悲しみに満ちた闇の中から、救い出せる。あたしは、そう信じてるわ」

 そのとき、遠くから足音が近づいてくるのがきこえました。見回りの衛兵たちが、こちらにやってくるのが見えます。

「いけない。こんなところで話しこんでいる場合じゃなかったわね」

 マリアは舌を出して、アランの手を引いたまま急いでその場からはなれます。

 消えていたろうそくに、新たにちいさな火が灯ったように――アランの心がすこしだけ、明るく照らされました。それに本人は、まだ気づいていませんでしたけれど。

 人気のない、王宮の裏口に向かいます。案の定、そこには鍵がかかっていました。

 扉に向かって平然と槍をふりあげたマリアを、ものすごい速さでアランが止めます。

「なに、やってるんだ!」

「なにって、扉をこわすのよ。鍵のかかっている扉は、こわせば開くわ」

「そんなことをしたら、音で気づかれるじゃねえか!」

 アランはマリアをしっしと追いやって、扉の前に立ちました。

 一度辺りを見回し、扉に耳をあて、扉の先にだれもいないか確認してから、鍵穴に針金を差しこみます。

 やがて――かちりと音がして、扉が開きました。

「たのむから、もうすこし考えて動いてくれよ……」

「なによう。あたしはいつだって、自分ができる最善の方法を考えながら動いているわよ。それにしても、いいなあ、その鍵の開け方。あたしもできるようになりたいから、今度教えてちょうだい」

「……ぬすむために、覚えたことだ。いいものじゃない」

 うつむきがちにいったアランの前で、マリアは人差し指をふりました。

「アランったら、わかってないわね。鍵がなくても開けられるってことは、鍵を持ち歩く必要もないってことよ。大事な鍵をなくしたり、だれかにとられる心配をしなくてすむなんて、すばらしいじゃないの」

 そういって、マリアは鼻歌なんか歌いながら、中へと入ってゆきます。

 残されたアランは、なんともいえない複雑な表情をしながら、マリアの後に続きました。

 王宮の中は、しんと静かでした。

「きっと、王子さまの部屋は王宮の一番上の階よ。だって、あたしの部屋は――じゃなくて、王子さまといったら、一番上! そういうものよね」

 あやうく、自分のことを話すところでした。アランはうなずくと、階段へと向かいます。暗闇の中でも迷うことなく、すべるように先を行くアランを、マリアは見失わないようにしのび足で、しかしかけ足で追いかけます。

(ふふ。心配してくれているヴィクトルたちには悪いけれど、こうしてこっそり動くのって、ちょっと楽しいのよね。ちいさいころから、みんなの目をぬすんではお城をぬけ出していたから、くせになっちゃったのかしら)

 なんとも気楽なことを、マリアは考えていました。ヴィクトルにきかれたら、お小言をいわれるにちがいありません。

「だれかきた」

 とつぜん、アランに声をかけられて、思わずマリアの体が固まります。アランは落ちついたまま、マリアの手を引いて物陰にかくれました。

 見回りの衛兵が、こちらにやってきます。さっきのお気楽な気持ちは一瞬でふき飛び、マリアの心臓がはねました。衛兵に心臓の音がきこえてしまうんじゃないかと、マリアは必死で胸をおさえます。

 衛兵は、ふたりに気がつくことなく通りすぎました。

「……行ったみたいだ」

 もう一度、しっかりと辺りを見回して――アランは再び、マリアの先を行きます。

「ずいぶんと落ちついているのね」

「こんなことであせっていたら、盗賊なんてできるもんか」

 ふりかえらぬまま、アランはぶっきらぼうにそうこたえました。

(……やっぱりシュネーバルのお城のときも、アランに手伝ってもらった方が楽だったかもしれないなあ)

 心の中で、マリアはほんのすこしだけ後悔したのでした。

 なんとか、見つからずに王宮の最上階へと続く階段の前までやってくることができました。上の階はさらに衛兵の数も多いだろうと、ふたりは身構えます。もし見つかったら暴れてやるんだからと、マリアは背中の槍に手をそえました。

「……まさか、ここで暴れようだなんて、考えてないよな」

「まあ。あたしが、そんな乱暴な女の子に見えて?」

 マリアがいいかえしました。しかし、マリアが槍にそえていた手をいそいで放したのを、アランはみのがしませんでした。

 三度目のため息をついて、アランが最上階へと続く階段をのぼります。

 しかし――目の前に広がる光景を見て、ふたりは拍子ぬけてしまいました。

 なんと、衛兵たちはひとり残らずねむっていたのです。

 みんな、その場で気を失ったかのようにたおれています。どこかから、いびきまできこえてきました。

「どういうことなの……?」

  おどろいたまま、マリアが辺りを見回すと――ほのかなあまい香りが、マリアの鼻をくすぐりました。

「あら、なにかいい香りが……」

「かいだらだめだ!」

 とっさに、アランがマリアの口元をおさえました。

「ここにいるやつらはみんな、この香りでねむらされたんだ」

「いったい、だれに?」

 マリアは自分の鼻をつまみながら、アランにたずねました。鼻をつまんでいるせいで、なんだかまぬけな声になってしまいます。自分の声にマリアは笑いそうになって、必死におなかに力を入れてこらえました。

 目をこらすと、香りをのせた煙は、一番奥の部屋からただよっていました。

 アランは衛兵たちを起こさぬよう、足早にその部屋へと向かいます。

 部屋の扉がすこしだけ開いていて、そこから煙が細い線をえがいているのが見えました。

「ここ、シャムス王子の部屋だわ」

 扉の横にシャムスの名前が彫られているのに、マリアが気づきました。

 かすかにひらいた扉の隙間から、アランは中をのぞきこみました。明かりはついておらず、おおきなベッドの中も、もぬけのからでした。

 思いきって、扉を開けてみます。扉の近くでは香がたかれていて、どうやらこの香が、衛兵たちをねむらせた原因のようでした。

「だれもいないみたいね……。こんな夜中に、シャムス王子はどこへ?」

 マリアは不思議そうに首をかしげます。アランは闇に包まれた部屋に、隅々まで目を向けました。

 部屋があらされた様子はありません。だれかにさらわれた、というわけでもなさそうです。

「温かい飲み物でも、取りにいったのかしら? ほら、こんなお香もたいているぐらいだし、きっと王子さまはねむれなかったのよ」

「自分がねむるためなら、枕元にこれを置けばいい。それなのにこんな扉の近くに置いて、扉まで開いているなんて変だろ」

「じゃあ、衛兵さんの中に不眠症の人がいたんじゃない? 優しい王子さまは、そんな衛兵さんのためにお香をたいてあげたのよ。そうすればみんなぐっすりねむれて、みんな幸せよ」

 それじゃあ、見張りの意味がないだろ――アランは思わず半目になって、マリアを見ました。

「なによ。あたしの顔に、なにかついてる?」

「……なんでもないよ」

 もはや何度目かわからないため息をついて、アランは考えます。おそらくシャムスは、自分で衛兵をねむらせて、部屋をぬけ出したのだろうと思いました。

「王宮のどこかに、いるかもしれない。探しにいこう」

 ふたりは再び階段をおります。とはいえ相変わらず衛兵は見回りをしているし、地図もないのであまり派手に動くことはできません。

「あたしの勘が告げているわ。こんなときは、地下を探せばいいって」

 得意げに、マリアがいいました。それを、アランが明らかにあやしむ目で見ています。

「……なに? その、勘って」

「旅をするときに、あたしが大切にしているもののひとつよ。なにも手がかりがないときは、勘にたよるしかないもの。あたしはそれでローナに会ったし、シュネーバルの地下水路も迷わずぬけたのよ」

 本当は、ただ単に地図が読めなかっただけなのですが――そんな些細なことは、マリアの記憶からは消えていました。

「とにかく、あたしは地下に行くのがいいと思うわ。だからアランは、どうにかして見つからないように、王宮の地下まで連れていってちょうだい」

 それは心の底から、アランを信頼しているような口調で――アランはしかたなく、うなずいたのでした。

 王宮はとても広いので、一階だけでも動き回るのは大変なものでした。

 衛兵たちからかくれては進み、またかくれては進み――だいぶん、時間が経ちました。月の位置も、かなり真上までのぼっています。

「これ以上時間がかかると、ヴィクトルたちが心配してしまうわ」

 マリアがこまったようにつぶやくと。

 かすかに、うめき声がきこえてきました。

 廊下の奥に、下へと続く階段が見えます。うめき声はそこからきこえてきました。

「あった。地下へと続く階段……」

 ふたりは顔を見合わせると、慎重に地下へと降りてゆきます。

 階段の先は倉庫になっていました。木箱や麻袋がいくつも積みあげられています。

 巨大な樽が、いくつも転がっていました。どうやら積んでいたものが、雪崩のように転げ落ちてしまったようです。樽のあいだから、うめき声と、人の手がのびているのが見えました。

「たいへんだわ!」

 ふたりがいそいで、樽を持ちあげると。

「はあ、はあ……たすかった……」

 ひとりの青年が、樽の下からはい出てきました。黒髪のやせた青年には、マリアもアランも見覚えがありました。

「あなた、もしかしてシャムス王子?」

 マリアの声に、シャムスは顔をあげます。そして、目を見開きました。

「あなたたち、いったいだれです?」

 そういって、顔をゆがめました。腕が赤く腫れあがっています。樽におしつぶされたときに、けがをしてしまったようでした。

「あたしたちが何者かは話すから、今はじっとしていて!」

 マリアは、ローナからもらった薬をシャムスの腕にぬってあげました。薬をもらっておいて本当によかったと、心の中でローナに感謝しました。

「これでだいじょうぶ。あたしの友だちが作った薬だから、すぐによくなると思うわ」

 青年は、照れたように頭をかきました。

「助けていただき、ありがとうございました。ここに用があったのですが、樽にぶつかって、そのまま生きうめになってしまい、こまっていたのです。でも、どうやら衛兵たちにはその音はきこえなかったようですね」

 なぜか、ほっとしたようにシャムスがそういいました。

「無事でなによりだわ。そうそう、あたしたちのことだけれど。じつは、あなたを探していたの。あたしはマリア。こっちの男の子は、アランよ」

 そうしてマリアは、ルゥルゥのことや、短剣を探して王宮にしのびこんだことを話しました。勝手にしのびこんだことを謝ると、シャムスは笑って許してくれました。

「この王宮にしのびこもうだなんて、勇気のあるおじょうさんたちですね。王宮の者たちは、とても厳しいので……もしきみたちがつかまっていたら、どうなっていたことか」

 シャムスは心から、マリアたちの身を案じてくれているようでした。王子さまが心優しい人でよかったわ、とマリアはほっとしました。

「そういうわけで、あなたにはその短剣を持って、いっしょに海辺まできてほしいの。だいじょうぶ、朝には王宮にはもどれるようにするから」

 しかし、シャムスはこまったように首をふりました。

「申しわけありませんが……ルゥルゥさんが探している人物は、ぼくではありません。ぼくは生まれてから一度も人魚を目にしたことはありませんし、ましてやそんな美しい短剣をもらったこともありませんよ」

「ええ!」と、マリアは口に両手をあてました。

「けれど、ルゥルゥはあなたを見て、そっくりだっていったのよ。十年も前のことだから、忘れているだけではなくて?」

 シャムスはさびしそうに笑いました。

「そんなすてきな思い出があったら、忘れるわけがありません。お力になれないのは、心苦しいですが……。さあ、もうお引き取りください。王宮の者たちに見つかったら、大変なことになります。ぼくはなにも見なかったことにしますから、早く」

 すると、だまっていたアランが口を開きました。

「あなたは、もしかして……ナジュムさんの弟ですか? 太陽の名前を持った、ナジュムさんの弟……」

 それをきいて、シャムスの顔色が変わりました。

「ナジュムを……兄を、知っているのですか?」

「昔……いっしょに暮らしていたんです。あなたの顔を見て、すぐにナジュムさんの弟だって思いました。顔がそっくりだから」

「兄は……ナジュムは今、どこに?」

 アランはうつむき、首を横にふりました。

「……わかりません。生きているかも。おれが、仲間を裏切ったから、みんなはなればなれになってしまったんです」

「アラン、それは」

「いいんだ」

 マリアのことばをさえぎって、アランは昔のできごとを話しました。

 ナジュムが、自分は王宮で生まれたといっていたこと。王宮から捨てられて、ひとり町をさまよっていたこと。盗賊シハーブに助けられ、自分も盗賊として生きるようになって、そしてアラン自身も、ナジュムにたくさん助けてもらったことを。

 シャムスは真剣な表情で、アランの話をきいていました。

「ナジュムさんは、魔神のランプ――ええと、恨みとか、絶望の気持ちから魔神を生み出すランプがあるんですけど。それで、王宮をおそおうとしました。自分を捨てた、王宮の人たちを恨んでいたから。でも、魔神が暴走して、魔物になって――ナジュムさんをおそったんです。
 魔物はたおしました。でも、王宮の人たちは、おれたちを許さなかった。おれと――おれだけ、助かって、あとのひとたちはみんなつかまって、きっと――」

 そこまでいって、アランはことばをつまらせました。膝にのせた、ちいさなこぶしがふるえました。

 もはや、だれも生きているはずがないのです。みんなつかまって、そして打ち首となって命を落としたのだろうと、アランは思いました。

「……さぞ、おつらかったでしょう。過去を打ち明けていただき……ありがとうございます」

 シャムスは静かな声で、アランにいいました。

「……おれのこと、つかまえようって思わないんですか?」

 アランも、かつてはこの都の盗賊団にいたのです。どんな理由があろうと、人から物をとったことに変わりはありません。それを話せば、当然つかまるだろうと、アランは思っていたのです。

 シャムスは首を横にふりました。

「きみはそれ以上に、つらい思いをした。きみだけじゃない。明日の朝日を見るだけでも必死な人々が、この都には何人もいる。人が人を物のように売っている。そして、魔神のランプなどという危険なものまで、出回って――それはみんな、ぼくの責任なのです。ぼくが王子として、未熟だから。謝って許されることではありませんが――今までそんな思いをさせてしまって、本当にごめんなさい」

 シャムスはそういって、深々と額を床につけたのです。

 アランはおどろいて、シャムスの手を取りました。

「頭をあげてください。おれは、謝られるような人間じゃ……」

「いいえ。そう思わせてしまっているのも、ぼくたちのような人間がいるからだ。人は、だれしも自由でなくてはならない。奴隷なんてものが、いてはいけないのです。人の物をとらねば生きていけないなんて、そんなことがあってはいけないのです」

 不思議な感覚でした。今までずっと、王宮の人間はきらいだったし、こわいものでもありました。ルゥルゥやロレーヌに会うためとはいえ、ここにしのびこむのは、アランにとってはとてもつらいことでもありました。

 王族や貴族たちは、いばってばかりだと思っていました。それなのにシャムスは、王子であるにもかかわらず、自分に頭をさげているのです。

 どうすればいいかわからなくて、アランはただただシャムスの手をにぎっていました。

 マリアは、シャムスにたずねました。

「あなたは王子さまなのに、ナジュムさんが魔神を従えて王宮をおそおうとしたこと、知らなかったの?」

「二年前のそのころ、ぼくは勉学のため、ほかの国に行っていたのです。けれどもどってきてから、そのことをぼくに伝えた者はいませんでした。みんな、ぼくに伝える必要などないと思ったのでしょう。王子なんて名ばかりで、ぼくはこの王宮では、一番力のない、情けない存在だから」

 くやしそうに、シャムスはいいました。

 とにかく、シャムスはルゥルゥの探している人ではななかったのです。また、一から手がかりを探さなければなりません。

 そこまで考えて、マリアはぽんと手を打ちました。

「もしかしたら、ルゥルゥが短剣をわたした男の子って、ナジュムさんのことかもしれないわ。黒髪で、黒い瞳で、あなたと顔も似ている――きっと、そうよ」

「で、でも……ナジュムさんたちは、もう」

 うつむいたアランを見て、マリアはアランの両肩を勢いよくつかみました。マリアの瞳は、強い光を放っています。

「まだ、生きているかもしれないじゃない  死んじゃったところを見たわけではないんでしょう? それなら、あきらめてはだめよ! 町を探してみましょう。それでも見つからなかったら、世界中を探すまでよ!」

 マリアは立ちあがると、こぶしを高くあげました。

「……マリアは、どうして、そこまで」

 アランが、そういいかけたとき。

「おい! なにか、話し声がしなかったか?」

 上の方から、衛兵たちの声がきこえました。その声とともに、足音がすこしずつおおきくなってゆきます。

「まずいわ! こっちにくる!」

  口ではそういいながらも、「今こそ暴れるときかしら」とマリアはわくわくしながら槍を構えました。

「はやく、こちらへ!」

 シャムスが、樽を飛びこえて奥の戸棚に手をかけました。大人でも入れそうな、おおきな戸棚でした。

 その扉を開けると、なんと奥に通路が続いていました。

「非常用の脱出口です。さあ、今はここからにげましょう」

「あなたも、いっしょにきてくれるの?」

 唇をとがらせながら、しぶしぶと槍をしまって、マリアがたずねました。

「もともと、ぼくは王宮からぬけ出すためにここにいたのです。そのために、衛兵たちをねむらせました。
 ぼくは、この都を変えたい。でも、ぼくだけではだめなのです――だから、いなくなった兄に力を借りたいと思ったのです。兄を探すのを、ぼくにも手伝わせてください」

 返事をしている時間はありませんでした。衛兵たちが地下室にやってきたのと同時に、戸棚の扉が閉まりました。そうして三人は、奥に続く光を目指してかけ出しました。

♫ Ⅵ 再会

 さて。そのころヴィクトルは、形のよい眉を寄せながら、王宮のある方を見つめていました。

 月は真上にのぼりましたが、未だにマリアたちがもどってくる様子はありません。

(マリアは、勇気のある女の子だ。なにかあっても、きっとなんとか切りぬけるだろう。信じることも、仲間として大事なことだな……)

 むしろアランが、マリアにふり回されていなければいいが――と、ヴィクトルはひとり笑いました。ちょうどそのころ、まさにアランはマリアの破天荒な行動にふり回されているところでしたが、それをヴィクトルは知るよしもありません。

 海に面した岩場では、ルゥルゥとローナがなにやら話しこんでいました。人魚と妖精、似たような過去を持った同士でわかりあえることもあるのでしょう。

 ふたりの邪魔をしないように、けれどなにかあったとき、すぐにふたりを守れるように――ヴィクトルはふたりの反対側の岩場に座っていました。

 星空を見あげます。故郷からは見ることのできない、知らない星座がうかんでいました。

(――ここにやってくるあいだに、たくさんの国や町を見て、いろいろな人と出会ってきた。最初は、ただ魔物に打ち勝つことだけを目標にしていたが。わたしには、ほかにもまだまだ、考えなければならないことがあるな)

 もし、自分がこの都に仕える騎士団員だったとしたら。自分は、どうしたでしょう。

 この都はまちがっていると、王宮の人々にいい切れるのでしょうか。自分はあくまで、その人々に仕える身。反対すれば、王の怒りを買って命を落としてしまうことだってあります。それを覚悟して逆らう勇気が、自分にあるのかどうか――。

 こうして王宮に怒りを向けられるのも、自分がこの国の人間ではないからだと、ヴィクトルは思いました。

(わたしの故国が、もし人を傷つけるような、過ちを犯していたら。わたしは、どうすれば……いいや、そんなはずはない。故国を治める女王陛下は、聡明なお方だ。だから父上も、陛下に従っておられる。わたしごときが心配することなど、なにもないのだ)

 それより、魔物をたおせる強さを持つことの方が、大切だと思いました。旅に出てからまだ一度も、ヴィクトルは魔物をたおせてはいなかったのです。

(強くならなければ。何者にも負けない強さを持たねば、父上はわたしを認めてはくれない)

 ヴィクトルはそっと、ため息をつきました。

 その反対側では、ルゥルゥはしっぽの先を水面にひたして、座りこんでいました。出会ったときの元気さはどこへやら、その姿はしおらしくしずんでいます。

「あたし、自分のことばかり考えていたわ。あたしが大切な国宝をあげちゃったから、みんなを巻きこむことになってしまって」

 ルゥルゥのとなりでは、ローナが膝をかかえて座っています。

「マリアたちのことなら、きっとだいじょうぶだよ。そりゃあ、人魚さんたちにとって大切なものを勝手にあげちゃったのは、よくないことかもしれないけれど。でもね、もしかしたら、ルゥルゥが短剣をあげたことで、男の子が救われたかもしれない」

 どういうこと? とルゥルゥがきくと、ローナは星々の光に照らされた、海の先を見つめていいました。

「人の憎しみや恨みの気持ちは、魔物になるんだって。でも、だれかからもらった大切なものを持っていれば、それが持ち主を魔物から守ってくれる。だから、もしかしたらその男の子も、短剣に守られたことがあるかもしれないって思ったんだ。短剣にこめられた、その男の子を想うルゥルゥの気持ちにね」

「……相手は、王子さまだったのよ。王宮にいれば魔物におそわれることなんてないだろうし、おそわれたって、衛兵たちが守ってくれるじゃない」

「それでもね、だれかの想いがこもっているものは、きっとその人の励みになる。ルゥルゥが短剣を男の子にわたしたことは、絶対に意味のないことなんかじゃなかったと思う」

「そう、かな……? あの男の子、今も大事に持ってくれているかな?」

「きっと、だいじょうぶだよ。でも、人魚の王さまたちにはちゃんと謝らないとだめだからね」

「……こまったわ。あたしのお父さま、おこるとすごくこわいのよ」 

 ルゥルゥが青くなりました。けれどすぐに、首を横にふります。

「ううん。でも、やっぱりだまっているのは、だめよね。十年経ってしまったけれど、あたし、勇気をだして、みんなに謝る」

 ふたりは顔を見合わせて、笑いました。

「それにしても、ローナって、見かけによらずいろいろ考えてるのね」

「ルゥルゥ! それ、ローナのことをばかにしているでしょう! ……でも、そのとおりなんだ。ローナは魔法もうまく使えないし、知らないことだらけだし、いつも足手まといで……だから、ときどきすごくさびしくなる。このまま、みんなに置いていかれちゃうのかなあって」

「マリアたちは、絶対にそんなことしないわよ。練習すれば、魔法だってなんだってうまくなる。人魚は、みんなに子守唄をうたうっていったでしょ。それだって最初から上手だったわけじゃないもの。ひとり前になるには、とても大変なんだからね」

「……うん、そうだね。それ、最初にマリアにもいわれたなあ」

 けれど、前に魔法を使って気を失ってから、マリアもヴィクトルも、あまり魔法の練習をさせたくないように見えました。ふたりに心配をかけたくなくて、最近はとんと魔法を使っていません。

(……役に、立ちたいのにな。ローナ、お姉ちゃんの気持ちがわかるよ。自分がどうなったとしても、大好きなひとを助けたい気持ちが)

「ねえ。ローナは、マリアたちのことが好き?」

 ふと、ルゥルゥがローナに問いかけました。金色の瞳がこちらをのぞきこんでいます。

「もちろんだよ。マリアも、ヴィクトルも、アランも、今まで出会った人たち、みんな大好きだよ」

「これからも、ずっといっしょにいたいって思うの?」

「うん。ルゥルゥ、どうしてそんなことをきくの?」

 ルゥルゥは、海にひたしたしっぽの先を見つめました。

「……成長したシャムス王子を見て思ったの。人間は、絶対にあたしたちより早く死んでゆく。人魚の感覚からしたら、人間が生まれてから死ぬまでなんて、あっというまのできごとなのよ。それを考えたら、どうしようもなくさびしくなって……。人間を好きになったって、いっしょに生きることはできないって思ってしまったの」

「ルゥルゥ……」

「妖精も、人間と比べて長く生きるのよね? これから先、マリアたちといっしょに生きていったとしても――いずれあなたは、みんなの死を見届けることになる。あなただけが、残されてしまうのよ。あなたがいつか死をむかえるとき、周りにはだれもいなくなってしまうのよ。あたしは……ローナにそうなってほしくない」

 ルゥルゥの目は真剣でした。

「それでも、ローナは人間といっしょにいたいというの?」

「……ローナは」

 自分の思っていることを、話そうとしました。けれど、うまくことばが出てきてくれませんでした。

 かすかに、水を切る音がしました。なにかが海の方から、こちらへせまってきます。

「ふたりとも、こっちへくるんだ」

 ヴィクトルにいわれて、ローナとルゥルゥは岩陰へとかくれました。

 ゆっくりゆっくり、それはこちらへやってきます。

 一漕の舟でした。オールをこぐたびに、波が波紋をえがきます。

 やがて舟は砂浜へと打ちあがり、ひとりの青年が降りてきました。ランタンを手にして、町の方へと向かってゆくようでした。

(こんな夜更けに、ひとり舟でやってくるなんて。いったい、かれは何者なんだ?)

 ヴィクトルはするどい視線を、青年に向けます。ランタンの炎がゆらめいて、青年の顔を照らし出しました。

「そんな、まさか!」

 ルゥルゥが息をのみます。そして青年の顔を、じっと見つめました。

「ルゥルゥ、どうしたの?」

「まって! 行かないで!」

 ルゥルゥがさけび、青年の方へと手をのばします。

 ルゥルゥの体が、岩場から転げ落ちました。それでもなお、ルゥルゥは砂浜をはうようにして、青年を追いかけようとしました。

「ルゥルゥ、だめだ!」

 砂まみれになったルゥルゥを、ヴィクトルがだき起こします。

「いったいどうしたんだ?」

「あの人なの! あたしが探していた、男の子! まちがいないわ!」

 ローナとヴィクトルは、おどろいて顔を見合わせます。

「じゃあ、王宮の王子は、人ちがいなのか?」

 ランタンの光は、すでにちいさな点となっていました。今にも見失ってしまいそうです。           

「ヴィクトル、追いかけよう!」

 ローナがかけ出し、ヴィクトルもルゥルゥをだきあげてその後を追いました。

 青年は港をぬけ、町をぬけ、迷うことなく町の外れの方まで足を運びます。足音なく闇をぬけてゆく様は、まるで盗賊のようでした。まるで追いつくことができません。ランタンの光だけが、青年を見失わない唯一の手がかりです。

 つめたい風が、ヴィクトルたちの頬をなでました。町の外れに、たどりついたのです。

 そこは、とてもさびしいところでした。昼間に見た、にぎやかな町並みからは想像もつかないほど、さびしいところでした。

 月と星の光だけが、そこを照らしていました。

(ここは……)

 ヴィクトルは、その場を見つめます。ローナがぎゅっと、ヴィクトルにしがみつきます。ルゥルゥもおびえているのが伝わってきました。

 牢がありました。中には破れた布をまとった人たちが、うなだれながら座りこんでいます。みんな、手足に重くつめたい枷をつけられているのでした。

(ここは、人売りの牢。……アランが、かつていたところ)

 牢の中の人々からは、悲しみも苦しみも感じられませんでした。あるのはただ、明日がくることへの絶望と、あきらめだけ。

「ヴィクトル……」

 ローナの体が、ふるえています。

「……だいじょうぶだ」

 すこしでもローナを安心させようと、ヴィクトルがつぶやきました。けれど自分のそのことばに、自信はありません。

 青年は牢の前に立つと、南京錠に手をかけました。そしてしばらくその手を動かすと、南京錠が外れました。

(やはり……かれも、盗賊なのか)

 青年がちいさくつぶやく声がきこえてきます。

「ごめんな……おれには、鍵を開けてやることしかできない。こんなことしかできないけれど、ここからにげ出して、生きることを、どうかあきらめないでくれ」

 青年の声は静かで、けれどかすかにふるえていて――ヴィクトルはやるせない気持ちになりました。

「……それで、おまえたちはさっきから、おれの後を追いかけてきて、どういうつもりだ? おれを、つかまえるつもりか?」

 いきなり青年がふりかえり、ヴィクトルたちをにらみつけます。後をつけていたのを、知られていたのです。青年は、腰帯に差した剣の柄に手をのせていました。

 見れば見るほど、青年は王子と顔がそっくりでした。服さえみすぼらしいものでなければ、見分けがつかないほどです。

「ちがうんだ! わたしたちは、あなたをつかまえるつもりなどない。どうか、信じてくれ」

「じゃあ、人さらいか? こんな真夜中に出歩くやつなんて、おれと同業者か、あるいはおれ以上に最低な人間だとしか、考えられねえな」

 青年の持ったランタンが、ヴィクトルたちを映し出しました。

 すると、にらんでいたその瞳が、おどろきで丸くなります。

「お、おまえは……! あのときの、人魚じゃねえか!」

「……やっぱり。あたしを助けてくれた、男の子でしょう? あたしのこと、覚えていてくれたのね」

 ルゥルゥは泣きそうになりながら、微笑みました。青年もまた、ルゥルゥとの思い出を忘れてなどいなかったのです。

「どうして、ここにいる? その人間に、つかまったのか?」

「ちがうわ。ヴィクトルは、とても優しいひとよ。お願い、信じてちょうだい」

 青年は、ヴィクトルの顔を見つめました。すべてみすかされてしまいそうな、するどい視線でした。ルゥルゥのことばが本当なのか、慎重に考えているのです。

 やがて青年は短く息をはくと、腰に差した剣から手をはなしました。

「……わかった、信じるよ。でも、もうここにはくるなって、あのときいったじゃねえか。それなのにまた、人間なんかと仲良くなりやがって」

 青年は、おこったようにいいました。けれど瞳はどこかなつかしそうに、ルゥルゥを見ていました。

「あなたを見つけるために、協力してもらっていたの。だって、また会うときまで人魚の短剣を預かるって、約束したじゃない。だから、あたしたちはまた会わなきゃいけなかったのよ」

 青年は頭をかきました。

「……そっか。おれのこと、覚えていてくれたんだな。ずっと約束を果たせなくて、ごめん。そっちの兄ちゃんも、いきなり疑ったりして、悪かったな」

 ヴィクトルは、深々と頭をさげました。

「わたしたちの方こそ、だまって後をつけたりして、申しわけありません」

「そんなにかしこまらないでくれよ。おれはそういうの、苦手なんだ」

 青年はすこし気まずそうに、笑いました。

「ねえ、あたし、あなたの名前すら知らなかったわ。あたしはルゥルゥ。あなたの名前は?」

「おれは……」

 そういいかけて、青年はヴィクトルにかくれるようにしがみついていたローナに気づき、息をのみました。

「ひょっとして、妖精か……? もしかしておじょうちゃん、ロレーヌちゃんの妹なのか?」

「え……? お兄さん、お姉ちゃんのことを知っているの?」

 ローナはおどろいて、ひょこっと顔を出しました。

「ああ、よく知っているよ。歌も楽器も上手な、かわいい女の子だった。妹を探して旅をしていると――もう、ずいぶん昔の話だけれどな。ロレーヌちゃんとは、無事に会えたのか?」

「……ううん、まだだよ。でも、もうすぐ会えるんだ。そのために、お兄さんが持っている、人魚の短剣が必要なんだよ」

 青年は首をかしげましたが、すぐにうなずきました。

「なんだか、大変なことになっているみたいだな。おれができることがあれば、力になるよ。けれど、ここにいるのはまずい。だれかに見つかったらめんどうだ。砂浜のところに停めてある、おれの舟のところまで行こう」

 足早に、砂浜へともどります。

 まさにちょうどそのとき、王宮にしのびこんでいたマリアたちも、砂浜へともどってきたところでした。

 足の速いアランが、一足先にたどりつきました。ローナたちの姿を探して、辺りを見回します。

 そして、青年と目が合いました――。

「……ナジュム、さん」

 アランの瞳が、ゆらぎました。青年もおどろいた顔のまま、アランを見つめています。

 ふらりと舟でやってきて、人売りの牢を開けた盗賊の青年。それは、まさにこれから行方を探そうとしていた、ナジュム本人だったのでした。

 幻でしょうか。ナジュムがそこにいることが信じられなくて、アランは一度目を閉じました。けれどもう一度目を開けば、ナジュムは消えることなく、そこに立っているのでした。

「どうして。どうして、ここに……」

「……アラン。アランなのか?」

 ナジュムが、アランに問いかけました。

 ちいさく、アランがうなずきます。 

 時が止まったように、ふたりはしばらく、なにもいわぬまま見つめ合っていました。

「……ナジュムさん。おれ、おれは……」

 もし、またナジュムに会えたのなら。そのときには、いわなければならないことばがたくさんありました。

 そんな日は、ずっとこないと思っていました。もう二度と、会うことはできないと思っていました。

 いざ、ナジュムの姿を前にしたら、なにもいえなくなってしまって――口ごもって、うつむいてしまったアランの頭に、ナジュムがそっと手をのせました。

 初めて出会った日と、同じように。

「……生きていたんだな。よかった。本当によかったよ」

 そして、アランを強く、強くだきしめました。

 その瞬間、心の底にずっとおえこんでいた気持ちが、ことばとなってあふれてゆきました。

「ごめんなさい。ごめんなさい、ナジュムさん……おれは、何度も助けてくれたあなたに、なにもできなかった。ランプにとりつかれてしまったあなたに、声をかけることすらできなかった」

「いうな、アラン。おまえは、なにも悪くねえよ」

「こんなどうしようもない、ばかなおれだけが生き残ってしまった。あのとき、本当はおれだけが死ぬべきだったんです。おれだけが、死ねばよかったんです。それなのに、おれだけが、ひとり生き延びて――心のどこかで、またみんなに会いたいって、ずっと思っていたんです。そんなこと、思っていいわけないのに。ずっと、会いたかった。ごめんなさい。ごめんなさい……!」

 アランは、ぽろぽろと涙をこぼしました。

「ばかをいうな。嘘でも、自分が死ねばよかったなんて、いうんじゃねえ。おまえが死ねばよかったなんて、そんなことはだれひとり望んじゃいない」

 そういうと、ナジュムはアランの頬に手をあてました。流れる涙を、指でぬぐってくれました。

「だいじょうぶだ。おまえはもう、ひとりじゃない。たくさん、泣きたいことがあっただろ。ずっと、我慢していたんだろ。今、ここで泣けばいい」

 ナジュムの腕の中で、アランは泣き続けました。ちいさな子どものように、いつまでも泣き続けたのでした。

 そんなふたりを、ローナたちがすこしはなれたところから、そっと見守っていました。

「……アラン、よかったね。ナジュムさんと会えて」

「ああ。まさか、ルゥルゥの想い人が、ナジュム殿だったとは。偶然――いや、もしかしたら、この都にやってきたときから、なにかに導かれていたのかもしれないな。アランがずっとひとりで、がんばってきたから……」

 ナジュムはアランの耳元で、そっとささやきました。

「やっと、仲直りできたな。あとは、おまえの気持ちを――ほかの仲間にも、いってやってくれ。みんな、おまえの帰りを待ってる」

「え……?」

 ことばの意味がわからず、アランがききかえしたとき。

「あなた、もうすこし早く走れないの? 情けないわよ!」

  いきなり、マリアの大声がみんなの耳をつらぬきました。

「ま、まってください……! ぼく、走るの苦手なんですよう……!」

「早くしないと、追っ手がきちゃうじゃないの! あとすこしだから、がんばって!」

 砂浜にたどりついたマリアは、ふりかえると腰に手をあてながらさけびます。

 その後ろから、シャムスがふらふらとした足取りでやってきました。それでも、シャムスの姿はまだはるか遠くにありました。

「おまたせ、シャムス王子を連れてきたわ。ああでも、王子さまはじつはルゥルゥの探している人じゃあなかったんだけれど……。あら? その人はだれ?」

 なにも知らないマリアが、ナジュムを見て首をかしげます。

「マリア。じつは……」

 ヴィクトルが説明しようとしたところで、ようやくシャムスがたどりつきました。

「みなさん、子どもなのにすごいなあ……ぼくより足も速くて、勇気もあるなんて、はあ、はあ」

 息を整えて、シャムスが顔をあげます。

 そしてばっちりと、ナジュムと目が合いました。

「ナジュム兄さん? ナジュム兄さんだよね? うわあ、まさか王宮から出たところで会えるなんて、なんて幸運なんだ!」

 顔を赤くしながら、シャムスが声をあらげました。

「ええ? この人がナジュムさんなの?」

 マリアも、おどろいてナジュムの顔を見あげました。

 うれしそうなシャムスとは反対に、ナジュムは複雑そうな顔をしています。

「……おまえ、シャムスか? 王子のくせに、どうしてこんなところにいやがる」

 ふたり並ぶと、ますます見分けがつきません。

 すると、王宮の方がなにやらさわがしくなりました。

「たいへん! 早くにげないと王宮から追っ手がくるわよ! それ、あなたの舟? 乗せてちょうだい!」

 ナジュムがこたえる前に、マリアはみんなを舟へと追いやりました。人魚のルゥルゥは、そのまま海に飛びこみます。

「おい、定員オーバーだ! 舟がしずんじまう!」

「そんなもの、気合いでどうにかして! とにかく、どこでもいいから逃げてちょうだい!」

 マリアの迫力に、だれも逆らうことはできませんでした。

「やれやれ、血の気の多いおじょうさんだぜ」

  苦笑いをうかべて、ナジュムは力いっぱいオールをこぎ始めました。

♫ Ⅷ アランの勇気

 あっちへゆらゆら、こっちへよたよた。今にもしずみそうになりながら、六人を乗せた舟は海をわたってゆきます。ルゥルゥが舟を支えて手伝ってくれたおかげで、どうにかこうにか、前へと進んでいました。

「かくし通路から王宮をぬけ出すまでは、うまくいっていたのよ。それなのにこの王子さまったら、途中で派手に転んで、さけび声をあげてしまって。それで、お城の衛兵たちに気づかれてしまったの」

 マリアがすこしおこった顔をしながら、腕を組みました。

「す、すみません……。ぼくがおっちょこちょいなばっかりに……」

 シャムスは汗をかきながら、マリアに謝ります。立派な青年が女の子に頭をさげている光景は、なんだかおかしなものでした。

「最初に出会ったときは、樽につぶされていたし……このままじゃあ、あなたの体がいくつあっても足りないわよ」

 シャムスの傷を治すときに、ローナがくれた薬が役に立ったの。そうマリアが話すと、ローナはとてもうれしそうな顔をしました。

「まあ、よかったじゃないか。みんな無事にもどってこられて、安心したよ。マリアならきっとだいじょうぶだと、信じていた」

 ヴィクトルにそういわれて、マリアは顔を赤くしました。

「そ、そうよ! このあたしに、できないことなんてないんだから!」

 胸を張ったマリアを見て、アランはあきれたようにため息をつきました。

 マリアの勇気のありすぎる行動に、アランがどれほどふり回されたか――それを、みんなが知ることはないでしょう。

「それにしても、こんなにも早くナジュムさんを見つけられるとは思わなかったわ。みんなの日ごろの行いがいいと、幸運も向こうからやってくるのねえ」

 マリアはにっこりと笑いました。

 久々の再会です。それぞれ、話したいことがたくさんありました。なぜシャムスが、ナジュムを探していたのか。なぜローナたちが、人魚の短剣を求めているのか。盗賊たちと別れたあとの、アランのことや、ロレーヌのこと。そしてルゥルゥが、ナジュムに対していだいている気持ち――。

 様々な想いをのせて、舟は海をわたってゆきます。

「どこへ、行くんですか?」

 アランの問いかけに、ナジュムは優しく微笑みました。

「ついたらわかるさ」

 舟は静かな海を進み続け、やがてちいさな孤島にたどりつきました。

 とてもちいさな島でした。砂漠と同じ、さらさらとした砂の地です。島の真ん中には自然にできた水辺があって、その周りには草木が育っていました。

「オアシスってやつさ。砂漠では、水が貴重だろ。だから水の心配をしなくてすむ、この場所を見つけられてよかったぜ」

 ナジュムが、そう説明しました。

 島には、みすぼらしいテントがいくつも張られています。

「おおい、ナジュム! おかえり!」

 テントの入り口から、男たちがひょっこりと顔を出しました。

「……そんな、まさか」

 その顔ぶれに、アランは見覚えがありました。

 それは死んでしまったと思っていた、かつていっしょに暮らしていた盗賊たち。みんな、二年前と変わらない、明るい笑顔をこちらに向けています。

「おれたち盗賊団の、新しいアジトなんだ」

 ナジュムにうながされて、マリアたちは島へと降り立ちました。ただひとり、アランだけが、とまどったように舟のそばにたたずんでいます。

「こっちにこいよ。みんなにも、アランが生きていたことを教えてやらないと」

 ナジュムがアランの手を引きます。

 盗賊たちが、そんなアランの姿をとらえました。

「あ!  アランじゃないかあ!」

「生きていたんだな! 相変わらず、やせっぽっちだなあ。でもすこしだけ、背がのびたか?」

 次々にアランを取り囲み、ぐりぐりと頭をなでました。

 ナジュムだけでなく、みんなが生きていたなんて。アランにとって、こんなにもうれしいことはありませんでした。

 けれどその一方で、胸が痛みます。かれらはまだ、自分が仲間を裏切ったことを知らないのです。

「ロレーヌちゃんは? あのとき、アランといっしょにいただろ?」

 その問いかけに、アランはますますうつむきました。

 それを見たナジュムが、盗賊たちにいいました。

「じつは、今夜はほかにもお客がいるんだ。いろいろと、わけありみたいでさ。ここに連れてきた」

 盗賊たちが、マリアたちに目を向けました。

「王宮の人間でもないかぎり、みんな大歓迎だぜ! せっかく命からがら、やつらから逃げたっていうのに、また見つかったらたまったもんじゃない」

「そのとおり。まあ、ナジュムがそんなやつらを連れてくるわけがないけどな!」

 にぎやかに笑う盗賊たち。それに水を差すように、シャムスがおそるおそる手をあげました。

「あのう……ぼくは、シャムスといいます。王宮の、王子です……」

 笑い声がぴたりと止みました。とたんに盗賊たちが、シャムスに食ってかかります。

「なんだとう! どうして、王子がここにいるんだ! おれたちを、つかまえるつもりなのか?」

「ち、ちがいます! ぼくは、あなたたちを悪い人だなんて思っていません! 信じてください!」

「じゃあ、どういうことなんだ。まさかナジュム、身代金欲しさに、王子を誘拐したのか……?」

 ナジュムはあきれたように肩をすくめました。

「ばかやろう。そんなことしねえよ。……こいつは、おれの弟なんだ」

「ええっ」と、盗賊たちがおどろきの声をあげました。

「王子だけじゃないぜ。強気な槍使いのおじょうちゃんに、まじめな騎士の青年くんだろ。あと、妖精と人魚の女の子もいるんだ。……だれも、おれたちのことをけなしたりしない。だから、おれの弟のことも、大目に見てやってくれ」

 ナジュムのことばに、盗賊たちは顔を見合わせて――しかたないな、と笑いました。

「じゃあ、王子じゃなくて、ナジュムの弟として接することにするよ。よろしくな」

「あ、ありがとうございます! よろしく、お願いします」

 盗賊たちとシャムスは、それぞれおたがいの手をにぎりました。

 だれも、ねむる気配はありません。みんな、マリアたちのことが気になるようでした。

 火をたいて、それを囲みながらマリアたちはどうしてここまでやってきたのかを、盗賊たちに話しました。

「……そうか。ロレーヌちゃんは、海に……」

 盗賊たちが、顔をふせました。アランはさっきからずっと、うつむいています。

「でも、その短剣についた真珠があれば、また会えるんだろ? その希望を、捨てたらだめだぜ。きっとロレーヌちゃん、今もアランとローナちゃんを待っているにちがいないよ」

 盗賊のひとりが、明るくいいました。みんなに、笑顔がもどります。

「ナジュムは、今もその短剣を持っているんだろ?」

「ああ、もちろん」

 ナジュムは服の中から、短剣を取り出しました。海のような、すんだ青い色をしています。中央には、やわらかな乳白色にかがやく真珠が、はめこまれていました。

「本物の、人魚の短剣だわ!」

 ルゥルゥが、うれしそうにいいました。

「きれい……」

 ローナが、ぽつりとつぶやきました。この真珠のかがやきで、ロレーヌと会うことができるのです。ローナにとっての、希望の光でした。

「なあ、ルゥルゥ。おれは、この短剣に救われたことがあるんだ」

「え?」

「おれは、二年前に魔物を生み出してしまった。魔神のランプなんていう、ばかげたものに手を出して、人を殺そうとした。あのときのおれは、本当にどうかしていたよ。気の迷いで、ランプにふれちまった。そのとたん、心の中にあったどす黒い感情が、おさえきれなくなって……そして、自分が生み出した魔物に、殺されかけたんだ。そのとき、強い光がおれを包んで、魔物から守ってくれた。それが、この短剣だった」

 その光景を、アランも見ていました。けれどナジュムが手にしていたものが、何なのかまでは見えなかったのでした。あのときナジュムは、この短剣で魔物にとどめをさしていたのです。

 ルゥルゥが、両手を口にあてました。ルゥルゥのナジュムへの想いが、かれを守ったのです。

「おまえは、なんの気なしにこの短剣をわたしたかもしれない。でも、おれにとっては、あの日のできごとは忘れられないものだったんだ。
 ルゥルゥと出会ったころ、おれはまだ王宮にいて、王子として勉強したり、剣の稽古をしたりしていた。でも、おれに優しいことばをかけてくれるやつはいなかった。生きている価値がないとすらいわれたこともあった。でも、あの日おまえを助けて、感謝されて――素直に、うれしかったんだ。ああ、おれでもだれかを救うことができたなって」

 ナジュムは照れたように、頭をかきました。

「まあ、そのあと王宮から捨てられて、ろくな生き方をしていないんだけどさ。でも、この真珠のかがやきを見るたびに、あの日のことを思い出して、心が明るくなった。それでここまで生きてこられた。……ありがとう、ルゥルゥ」

 ナジュムのきりりとした顔が、やわらかく微笑みました。すっかり大人になった青年の表情に、出会ったときの少年の面影が重なります。

 それはルゥルゥにとって、今まで見たものの中で、一番愛おしくて、どきどきする笑顔でした。

 ルゥルゥは一瞬だけ、悲しそうに顔をふせました。

「……あたしの気持ち、全然わかってないのね。あたしが、あなたにそれをわたしたのは、あなたのことが――」

 そこまでいいかけて、ルゥルゥはおこったようにそっぽをむきました。

「ふん! そんなにあたしに感謝しているなら、もっと早く短剣をかえしにくるべきだわ! あたしにとってもその短剣、大事なものだったんだからね!」

「ごめんな。王宮を追い出されてからは、生きるだけで必死なものでさ。おまえを探しにいくことが、なかなかできなかったんだよ」

 ナジュムが謝ると、ルゥルゥは「しかたないわね」と素直にうなずきました。

 それをきいていたシャムスが、おそるおそるナジュムに問いかけます。

「……兄さん。今も、王宮の人たちのこと、恨んでる?」

 ナジュムは眉を寄せてすこし考えこみましたが、首を横にふりました。

「いいや。もう、気にしてねえよ。だれかのことや、自分の運命を恨んだって、なにも救われないって、二年前に思い知ったんだ。いろいろあったけれど――盗賊として生きてきたことに、後悔なんてないよ」

「そっか……。強いんだね、兄さんは」

「強くなんかねえよ。おまえだって、大変だろ。王宮の中は、息がつまるだろうしな。それに、こういうふうに思えるようになったのは、おれを助けてくれた、あの人のおかげなんだ――」

 そういってナジュムは、アランを見つめました。

「なあ、アラン。ちょっときてくれよ。あの人にも、アランが生きていたことをちゃんと教えなくちゃいけねえ」

 ナジュムに連れられて、アランはオアシスの奥へとやってきました。ほかの盗賊たちも、それに続きます。

 草木が開けた先に、水辺がありました。その水辺の真ん中に、一際美しく、花々がさき乱れている場所がありました。

 水辺に足を入れて、ナジュムはその場所までアランを連れてゆきました。

 そこに、粗末な木の棒が一本だけ、つきささっていました。

「おれたちには、美的センスってもんが、かけらもねえからな。こんなもんになっちまったが、それでも、せいいっぱいの気持ちがこもっているさ」

 ナジュムはそういいましたが、花々に囲まれたそこはアランにとってはとても美しく見えました。

「……ここはな、シハーブのだんなの墓なんだ」

 ナジュムが、アランの肩をそっとだきました。

「二年前、だんながおまえたちを舟でにがした後のことだ。おれたちは、王宮のやつらに囲まれた。それで、あの大臣――あいつは何度も、だんなの体を斬りつけやがったんだ。あいつは人を斬るときに、笑っていた」

 肩をだいた手に、力がこもりました。

「それを見たときに、思ったんだ。こいつのほうが、よっぽど悪党だろうって。そう思ったから、みんな必死で戦った。大臣を殺すためじゃなくて、シハーブのだんなを守るために戦ったんだ。
 そして、あいつを打ち負かした。都からにげ出すために、みんなで舟に乗って、海をさまよって――運よく、ここにたどりついたんだ。でも、たどりついたときにはもう、だんなの命は消える寸前だった」

 背後で、すすり泣く声がきこえました。盗賊のひとりが、泣いているのでした。

 シハーブがもう、この世にいない――アランの心臓が、激しく鳴りました。

 ナジュムは泣くことなく、りんとした声で、話し続けます。

「だんなは一度も、おれたちのやっていることを『悪いこと』だと、おれたちにいわなかった。本当はどう思っていたのかは、わからねえけど。だんなはおれたちに、『人の命はとるなよ』っていった。そして、死んでいった。
 おれたちは、だんなの体をここにうめたよ。そして、これからどうするか話し合った。どこか遠くの地へにげて、盗賊をやめて真っ当に生きようという話もあった。
 でもな――そのたびに、この都の貧しい人たちや、奴隷として売られている人たちのことが、頭にうかんでくるんだ。だんなはそんな人たちを助けていたし、おれたちだって、もともとはそういう人間だったんだ。だから、おれたちもここに残って、そんな人たちの力になろうと思った。それが、おれたちにできる唯一のことだと思った」

 ナジュムはアランに、微笑みました。

「おれたちは、しょせんは盗賊。ぬすむ以外のことなんて、なにもできやしない。でも、その生き方をだんなに教えてもらった。だれかがそれを悪いことだといおうが、おれは誇りに思うぜ」

「……」

 そっと、アランはお墓に近寄りました。粗末な木の棒を、だきしめます。冷えた夜の下にたたずむお墓は、なぜだか温かく感じられました。

 もう二度と会えない、シハーブとの思い出がよみがえります。いつも無愛想で、げんこつが痛くて、けれど本当はみんなを深く愛していてくれたことを、思い出します。まるで本当のお父さんのように、シハーブを慕っていたことも。

 長いこと、アランはお墓をだきしめていました。

「そうだ。だんなの持ち物の中に、おまえ宛の手紙があったんだ。だんなに手紙なんてしゃれたもの、まるで似合わなくて、思わず笑っちまったよ」

「手紙……?」

 ナジュムが、アランに手紙を差し出しました。長い月日が経って、ずいぶんとぼろぼろになってしまっていました。

「書いたはいいものの、照れくさくてわたせなかったんだろうな。ほら、だんなってば不器用な性格だから」

 ナジュムはなつかしそうに目を細めました。

 手紙が破れないよう、慎重に封を切ります。

 一枚の、羊皮紙が出てきました。

 書きなぐったような乱暴な字が、そこに並べられていました。

『アラン

 いつだったか、おまえに『手紙は遠くの人に想いを伝えるものだ』なんて、かっこつけたようなことを教えた気がするな。だが、じつはおれは手紙なんて書いたことはねえ。だからこれが最初で、最後の手紙だ。

 最初におまえと会ったとき、その瞳が気に食わなかったんだ。なにもかもをあきらめている瞳が。生きようが死のうが、受け入れるしかないというその瞳が。

 だから、おまえを連れ出した。世界は決して、色あせたものじゃないとおまえに教えたかった。

 だが、おまえはおれと出会わなければ、もしかしたら盗賊なんてものを、やらずに生きていけたかもしれない。結局おれ自身、真っ当な世界で生きている人間じゃねえんだ。だからおれのせいで、おまえをその道に連れこんじまって、悪かったな。

 

 いいか、これだけは覚えておけ。この先、おまえの生死を決める選択をせまられることがあるかもしれない。

 それが、おれや仲間との約束を破ることになるかもしれない。

 なにを選ぶかは、おまえの判断に任せる。だが、選ぶ前に考えろよ。ちゃんと考えて選んだなら、おまえをわかってくれるやつはきっといる。

 死ぬことをおそれろ。とにかく、生きろ。どうなってもあきらめるしかないなんて、空っぽな気持ちだけは、もう二度と持つんじゃねえぞ。

 おまえは、もう自由なんだ。その足でどこへだって行ける。

 それを忘れるなよ。じゃあな』

 月日が経っていても、インクと羊皮紙のにおいは、まだしっかりと染みついていました。それに混じって、ともに暮らしていたときの、砂のにおいも感じるのでした。

 涙が流れそうになったのを、ぐっとこらえます。

 ふりかえって、盗賊たちを見回しました。みんな、不思議そうにアランを見ています。

 アランは、静かにいいました。

「……おれは、みんなに謝らなくちゃいけないことがあるんです。二年前、王宮のやつらが洞窟に入ってきて、みんなをつかまえたとき。あいつらに、洞窟の呪文をばらしてしまったのは、おれです。衛兵につかまって、おどされました。『呪文をいわなければ、おまえを牢に閉じこめて痛めつける』って。
 おれは、みんなと出会う前は人売りに売られていて、それをシハーブさんに助けてもらいました。だから、牢の中もむちの痛みも、慣れていたし――牢に閉じこめられたって、そういうものだってあきらめられるはずでした。
 でも――あいつらにおどされたとき、すごくこわくなってしまったんです。また牢に閉じこめられて、自由をうばわれることが。むちでたたかれて、それにたえられなくて死んじゃうことが。それがとてつもなくこわくて、気がついたら、呪文を教えてしまっていました。……おれは裏切り者です。おれがどれだけ後悔したって、その罪は消えない。本当にごめんなさい」

 アランは、みんなに頭をさげました。許してもらえなくても、かまわないと思いました。みんなからもう仲間だと思われなかったとしても、それでも本当のことを話したいと、心から思いました。

 しばらく、静かな時が流れていました。アランにとってはとてつもなく、長い時間のように思えました。みんな、アランをにらんでいるのでしょうか。裏切り者めと、さげすんでいるのでしょうか。

「ちくしょう! あのとき呪文をばらしたの、アランだったのかあ!」

 とつぜん、くやしそうな声がひびきわたりました。けれど、その声に憎しみのようなものは感じられません。

 おどろいて、思わずアランは頭をあげました。

 そんなアランをそっちのけで、盗賊たちがさわいでいます。

「おい。だれか、アランに賭けたやついるか?」

「おれ、賭けてない。というか、おれはおまえに賭けた」

「なんだと、このやろう! おれがおかしらとの約束を、破るわけないだろ!」

「けっ。おまえは、日ごろから嘘ばっかりついてるじゃねえか。だからいつ仲間を裏切っても、おかしくないと思ってな!」

「あーあ。おれ、なけなしの銀貨まで賭けたのに。アランのひとり勝ちか……」

 みんなは、深くため息をつきました。いったいなんのことかわからず、アランは目をぱちくりとさせています。

 ナジュムが、苦笑いをうかべました。

「いやあ……じつは、おれたちは『最初に呪文をばらすのはだれか』っていう賭けごとを、ずいぶん前からやっていたんだよ。おまえにはまだ難しいかと思って、話していなかったけれど。呪文をばらすってことは、シハーブのだんなとの約束を破るってことだろ。そんなおそろしいことができる命知らずな――いや失礼、勇気のあるやつはだれかって賭けをしていたんだ。賭け金の金額、だいぶん高くなっていたんだぜ」

「はあ……」

 アランは、思わず変な声を出してしまいました。

「洞窟にきた王宮のやつらがさあ、いったんだよ。『茶髪の少年が、扉を開く呪文をばらしたぞ』ってさ。全員、そんなはずはないっていいかえしたさ! だって、だれもおまえに賭けてなかったんだからな! やつらのことばを、信じるわけにはいかなかった……信じたら、負けを認めることになっちまうからな……」

 盗賊のひとりが、くやしそうな声でそういいました。

「ああ、でもひとりだけ、『アランはそんなことしないわ』って、めちゃくちゃに怒ってかばっていた子がいたな」

「いたな。ロレーヌちゃん」

 そういって、盗賊たちは「あーあ」と、再び深くため息をつきました。アランはただただ、呆然としながら盗賊たちを見つめるばかり。

「とにかく、賭け金はみんなおまえのものだ。くそ、持ってけ泥棒!」

 アランの前に、硬貨の入った袋が置かれました。

「あ、あの。おれ、いりません。そんな話、知らなかったし……」

 アランがそういった次の瞬間には、袋は盗賊たちの手の内へともどっていました。

「いらないっていったな? 男に二言はないぜ。やっぱり欲しいっていっても、もうだめだからな」

「これは、次の賭け金に上乗せしよう」

「おい。次はアランも、賭けに参加しろよ!」

 そういわれて、アランは目をまたたかせました。

「……おれも、参加していいんですか?」

「あたりまえだろ。おれたちは仲間なんだから」

 心が、ぽうっと温かくなったのを感じました。こらえていた涙が、一筋だけ頬をつたいましたが、だれもそれには気がつきませんでした。

「……ありがとう……」

 ちいさくアランがつぶやくと、盗賊たちは白い歯を見せて、にかっと笑いました。

 いつのまにか、賭け金の入った袋を持った盗賊が、そそくさと立ち去ろうとしています。

「あ! あいつ、あやしいぞ!」

「まさか、こっそりひとりじめする気なんじゃ!」

「つかまえろ! あれはみんなの金だ! 今はな!」

 わいわいとさわぎながら、みんながその盗賊を追いかけます。

 お墓の前に、ナジュムとアランだけが、残されました。

「結局おれたちは、どんな境遇の中で生まれていたって、今を生きて、今をどう楽しむかを、真剣に考えているだけなんだ。たぶん、そんなもんでいいんだと思う」

 ぱちりと片目を閉じて、ナジュムも歩き出しました。

 アランも、そのあとを追います。そのとき、頭をなでられたような気がしました。

 ふりかえっても、シハーブのお墓があるだけです。けれどなぜだかアランは、シハーブがそばにいて、そっと頭をなでてくれたような、そんな気がしたのでした。

♫ Ⅷ それぞれの想いは

 お墓からもどったあと、アランはひとり浜辺に座りこんでいました。手にはシハーブからの手紙があります。

 盗賊たちとはなればなれになって、ロレーヌが海の底へとしずんでしまって――それから、ずっとひとりで生きてきました。これ以上だれかを傷つけたり、自分のせいでだれかが命を落とすぐらいなら、ひとりでいたいと思っていました。

 いいえ、本当はさびしかったのです。けれど自分はそんなことを思ってはいけないのだと、ずっとその気持ちを、おしこめていました。

 体は自由であっても、心は牢の中にいたころと同じぐらい、絶望とあきらめに染まってしまっていました。

 今も、シハーブの死を知って、心がしまるような思いがします。けれどそれは、ずっと感じていた絶望とはちがう、純粋な悲しみ。そしてその中に混じる、温かくて切ない気持ち……。

 様々な気持ちが、アランの胸の中をうずまいていました。

「ちょっと、いいかしら」

 マリアがやってきて、アランに声をかけました。

 アランがうなずくと、マリアはとなりに腰をおろして、アランの顔をのぞきこみました。

「もう。短剣も見つかったことだし、あとは人魚の国に行けば、ロレーヌと会えるのよ。もっと、うれしそうな顔をしなさいよ。あなたって、全然笑わないんだから」

 マリアはアランの頬を引っ張って、無理やり笑わせます。

「や、やめろ」

 アランは鬱陶しそうに、マリアの手をはらいのけようとします。しかしマリアの方が力が強かったので、結局はされるがままになってしまいました。

「ふふ。あたしに勝とうだなんて、百年早いのよ! ……本当に、よかったわ。あなたが、ナジュムさんたちとまた会えて。だから、あきらめちゃだめって、いったでしょう」

 アランの頬から手を放してマリアが微笑むと、アランはむすっとした表情のまま、そっぽを向いて頭をかきました。

「……おれに、何か用?」

「ええとね。アランに謝らないとって思って声をかけたの。あなたの過去を、勝手にきいてしまったから。あなたが生み出した魔神からきいたとはいえ、それはあなたの意思ではなかったでしょう。なんだか、あなたの心を勝手にのぞいてしまった気がして。きっと、だれにも知られたくないことだって、あったと思うの。ごめんなさい」

 アランは目をまたたかせました。たしかに自分の口から、直接話したわけではありませんでしたが、それでマリアたちをきらいにだとなってはいませんでした。

「いいよ。もう、気にしてないから」

「ありがとう。ローナとヴィクトルも、決して悪気があったわけじゃないの。ふたりとも、あなたのことをとても心配していただけなのよ」

 そうしてふたりは並んだまま、しばらくなにもいわずに浜辺に座っていました。

「……マリアは」

 ふいに、アランが口を開きました。

「マリアは、どうして旅をしているんだ」

「もちろん、魔物をやっつけるためよ! 今は、ローナをほかの妖精たちのところへ連れていくことの方が、大事だけれどね」

 マリアは、元気よくこたえました。

 今まで何度も、同じことをきかれました。そのたびに、マリアはひまわりのような笑顔を向けて、そうこたえていました。大体は「えらいね」とか「がんばってね」とか、そんなことばをかけてもらえて、それがマリアにとっての励みになるのでした。

 けれどアランは、さらに問いかけました。

「……どうして、魔物をたおすんだ。そんなことをしたら、自分が死ぬかもしれないのに」

「……だって、魔物は人々をおそう、悪いやつらだもの。魔物をたおせば、みんなが救われるわ。ただそれだけのことよ」

 アランは、マリアを見つめました。

 その瞳に、本当の気持ちをみすかされているような気がして、マリアはどきりとしました。

「……そうか。変なことをきいて、ごめん」

 アランはマリアから目をはなして、再び海の方を見つめました。

 マリアも同じように海を見つめていましたが、やがてぽつりとつぶやくように、話し始めました。

「……あたしの住んでいた国はね、魔物にやられてしまったの。父さまも、母さまも、妹も――そこに住んでいた人は、みんな死んでしまった。たまたま町の外に出ていた、あたしだけが助かったのよ。……あたしには、帰るところも、待っていてくれる人もいないの。だから、父さまのような立派な槍使いになって、こまっている人を助けるために旅をしようって決めたのよ」

「……」

 アランは、なにもいいませんでした。けれど、寄せた肩から伝わる温かさに、マリアは安心するのでした。「かわいそう」だとか「つらかっただろう」だとか、そんなことばをかけられるよりも、ずっと優しく感じられるのでした。

「あのね。昔のことを話したの、アランが初めてなの。いい? ローナやヴィクトルには、いっちゃだめだからね! ヴィクトルなんて特にだめよ。こんな話をきいたら、きっと熱を出すぐらい、心配しちゃうんだから」

 そういったマリアの表情は、いつもの姿からは想像もつかないぐらい、弱々しいものでした。

「……ふつうの女の子だと思われていたいの。自分の過去をかわいそうだなんていわれるより、パンにはなにをつけて食べるのが好きかとか、新しい町についたらやりたいこととか、昨日見た夕日のきれいさとか……そういうことを、みんなで話していたい。だから、知られたくないの」

 マリアの姿に、自分の姿が重なりました。

 売られていたことを、人に知られたくありませんでした。みじめだと思う気持ちもあったし、それを知られて、かわいそうだなんていわれる筋合いもないと思っていました。牢にいたときのアランの気持ちは、アランにしかわかりっこないのです。

 大切な人を失った気持ちだって、失った人にしかわからないのです。

「いわないよ」

 アランがそうこたえると、マリアはうなずきました。

「ありがと。さあ、そろそろみんなのところに行きましょうよ」

 立ちあがって、アランに手を差しのべます。

 アランは素直に、その手を取りました。

「……あのさ。いっしょに王宮にしのびこんだとき、おれにいろいろいってくれて、ありがとう。うれしかった」

 マリアは目を丸くして、そしてすぐににっこりと笑いました。

「どういたしまして!」

「それで、おまえはどうして王宮をぬけ出したんだ」

 マリアたちがもどると、ナジュムがシャムスにそう問いかけているところでした。

「兄さんを探していたんです。王宮の人たちだけが贅沢な暮らしをするなんて、まちがっている。それをどうにかしたくて、兄さんの力を借りたいって思ったんだ。王宮にはぼくの味方はいないし、ぼくだけでは……なにもできないから」

 ナジュムは首をひねりました。

「なんだって? おまえは、王子として優秀だったじゃねえか。おれは、あの大臣のやろうに『弟に比べて、だめな王子だ』っていわれて、捨てられたんだぞ。王だって……父さんだって、おれのことがきらいなんだって、きかされた」

 ナジュムのことばに、今度はシャムスが首をひねりました。

「それはちがう……ぼくは、兄さんはぼくに愛想がつきて王宮をぬけ出したと、大臣からきかされていたんだ。ぼくは、優秀な王子じゃない。今だって、王宮の者たちの笑い者にされて……ぼくは、勇気や行動力がある兄さんに、ずっとあこがれていたんだ」

 話せば話すほど、ふたりの話は食いちがっていました。

「おかしいな。ナジュム殿は捨てられたといっているのに、シャムス王子は、かれが自ら王宮を出たときかされている。……どうも、その大臣が、ふたりを引きはなそうとしている気がするのだが」

 ヴィクトルが険しい顔をして、そうつぶやきました。

 ナジュムはうつむきがちに、いいました。

「……でも、やっぱり信じられねえよ。それならどうして、父さんはおれがいなくなったときに、探しにきてくれなかったんだ。おれのことなんて、どうでもよかったからじゃないのか」

「父さんは、兄さんがいなくなってから……体をこわして、ずっとねたきりになってしまっているんだ。探しにいけなかったのは、そのせいなんだよ」

 ナジュムが目を見開きました。王が病でたおれているなんて、だれも知りもしないことでした。

「兄さん。王宮にもどって、ぼくといっしょにこの都を変えてほしい。もう、貧しい人たちを見ているだけなのはいやなんだ」

「急に、そんなことをいわれても……」

 ナジュムはこまったように、盗賊たちの方を見ました。

 自分はもう、王子ではないのです。今まで盗賊として生きてきて、大切な仲間もいます。これからもずっと、そうして生きてゆくつもりでいました。

 弟のシャムスのことが好きだったかときかれれば、きっと首を横にふるのでしょう。自分が必死に生きているあいだ、シャムスは王宮で何不自由なく暮らしているのだと、くやしい思いをすることもありました。

 けれど、おたがいを誤解していたことがわかって――こうしてシャムスと再会して、話をきいた今は、素直にシャムスの力になりたいと思いました。けれど盗賊たちを置いて、自分だけ王宮にもどるなんて――ナジュムは、それが気がかりだったのです。

 そのときでした。

 島の方へ、巨大な船がやってくるのが見えました。ナジュムがこいできた粗末な舟とちがい、立派で何人も乗れるようなものでした。

「王宮の船だ!」

 シャムスが、さけびました。

 船は島へとたどりつき、衛兵たちが降りてきました。マリアたちが身構えます。

「シャムス王子! こんなところにおられましたか」

 列を組みながら、大臣と衛兵たちが降りてきました。

「王宮でさわぎがあったと思ったら、あなたの姿が見えない。まさか賊にさらわれ、こんなところまで連れてこられていたとは。探すのに、苦労しましたよ。おまえたちは王子を誘拐した罰として、重い刑に処されるのです。そしてわたしは、王子を助けた功績をたたえられ、さらに高い地位につく」

 大臣はそういって笑いました。

「待ってくれ! ぼくは、誘拐されたわけじゃない。ぼくは自分の意思で、ここまできたんだ。この人は……かつて捨てられたナジュム王子。ぼくの兄だ」

 シャムスが盗賊たちをかばように前に出て、大臣をにらみつけました。

 大臣は、眼鏡を押しあげながら憎々しげにナジュムを見かえします。

「ああ……おまえの顔には、見覚えがある。二年前、魔神を使って王宮をおそった不届き者。わたしの腕を斬り落とした、憎きシハーブの仲間……。やはりあのとき、しっかりと殺しておくべきだったか。まさか、おまえが捨てた王子だったとは」

 つめたい大臣のことばに、シャムスが息をのみました。

「……兄さんを捨てたのは、あなたなのか?」

「あなたがたのお父上……ジャウハラ王がいけないのですよ。王宮の財宝を、貧しい人々に分け与えようなどといい出したから。なぜ、そんなことをする必要がある? 貧民は生まれたときから貧民のまま。死ぬまで、うえたままでいればいいのです。貧民がいるからこそ、わたしたち貴族の価値がさらにかがやくというのに。それを、王はわかっていない。だから、わたしは息子であるおまえを捨てたのです。王子の存在は、王を殺めるのに邪魔だったのでね」

「……あなたという人は……!」

 シャムスが、歯を食いしばりました。

「王には、ナジュム王子は悪党にさらわれたとでも伝えましたよ。消えた息子を心配して、体をこわしていったのは思ってもいない幸運でした。わたし自ら手をかけなくとも、病で死んでゆく方が好都合ですからね。
 シャムス王子の方も、捨ててしまおうかと考えましたが……あまり続いて姿を消しては、あやしまれると思いまして。それにあなたは、なにもできない情けない王子。いてもいなくても、大して変わらないと思ったのですよ。ここまで王子として生きられたことに、感謝するのですね」

 マリアは、はらわたがにえくりかえるような思いがしました。たしかにシャムスは樽につぶされていたり、足がおそかったり、情けないところはありましたが、それと同じぐらい、勇気もありました。都を変えようと、ひとり王宮をぬけ出そうとしたことは、きっと勇気のいることだったでしょう。

 だれにも相談できず、それどころか王宮では、みんなから役立たずな王子だと笑われていたのです。それに負けなかったシャムスの心を、とても強いと思いました。

 シャムスは大臣をにらみつけたまま、きっぱりといいました。

「貧しい人たちを見捨てるなんて、そんなことは王子であるぼくが許さない。王の意見に、ぼくも賛成する。衛兵たち、大臣をとらえるんだ!」

 シャムスがさけびましたが、衛兵たちは動きません。まるで、きこえていないかのように。ぎらぎらと目を光らさせて、こちらに剣を向けていました。

「むだですよ、王子。この者たちには、わたしから大金をにぎらせた。金や富の力がどれほど偉大か、わかるでしょう? いくらあなたが王子という地位をもっていても、ここではわたしの方が優位なのです」

 衛兵たちが、マリアたちを取り囲みました。

「おい、おまえたちだけでもにげろ。おまえたちはこれから、人魚の国に行かなきゃならねえんだ。こんなところで、足止めくらってる場合じゃないだろ」

 ひっそりとつぶやいたナジュムのことばに、マリアは首を横にふりました。

「いやよ。あたし、このえらそうなおじさんだけは、絶対に許せない。全員、こてんぱんにしてやるんだから! 人魚の国に行くのは、そのあとだっておそくないわ」

 マリアは迷うことなく、槍の先を大臣に向けました。

「抵抗するつもりですか。ならばこの場で、全員殺してやる。シャムス王子、あなたもです。そう……なにもあなたを助ける必要などない。息子がふたりもいなくなれば、王は今度こそ病に負けて死ぬ。そうすれば、王宮も都も、すべてわたしのものだ!」

 大臣が高らかにそうさけび、衛兵たちが飛びかかりました。盗賊たちも、剣をぬきます。

「おかしらの、かたきをとるんだ!」

 衛兵たちとの、剣の打ち合いが始まりました。

「かかってきなさい! みんなまとめて、あたしがとっちめてやるわ!」

 久々に槍をにぎったマリアは、それはそれは暴れ馬のようでした。ひとり先陣を切って、衛兵たちの剣を次々にはじき飛ばしてゆきます。

「ひ、ひい! なんだ、あの小娘は!」

 マリアをおそれた衛兵たちが、次々ににげ出します。

 あまりの強さに、大臣ですらすこしあせったように後ずさりしています。

「おじょうちゃん、強いなあ……」

 戦いの最中、感心した盗賊たちがマリアを尊敬のまなざしで見つめていました。

「ばか、感心している場合か! 女の子ひとりに手柄を取られるわけにはいかねえ、 おれたちもやるぞ。でも、命はとるな」

 ナジュムがさけび、盗賊たちもマリアの後に続きました。

「また、マリアはひとりでつっぱしって……」

 ヴィクトルはため息をつきながら、ローナとルゥルゥを岩陰へと連れてゆきました。

「ふたりは、ここにかくれているんだ。きっとけが人が出るから、ローナはそれを治す薬を用意してくれ。きみにしか、できないことだ」

「わかったよ!」

 ヴィクトルはうなずくと、マリアのいる方へと向かってゆきました。

 残されたローナは、リュックから薬草をいっぱい取り出しました。

「あたしも、なにか手伝うわ!」

 ルゥルゥが、ローナのとなりでそういったとき。

 とつぜん、海がざわつきはじめました。そして、激しい大渦があらわれたのです。

 島がゆれ、盗賊たちもなんだなんだと剣をふる手を止めました。

「なに、あれ!」

 ローナが、渦を指差しました。

 渦の中から、人陰があがってきたのが見えました。

「げっ! お父さま!」

 ルゥルゥが、青くなってさけびました。

「お父さま? ということは、あの人が人魚の国の王さまなの?」

 渦の真ん中には、巨大な体をした、男の人がたたずんでいます。足はなく、代わりにルゥルゥと同じように魚のしっぽが生えていました。

 その姿を見て、衛兵も盗賊も口をあんぐりと開けています。

「ルゥルゥ!」

 そのひとことで海がおおきくゆれるぐらい、低くてひびく声でした。

「いつまでも帰ってこないと思ったら、こんなところにいたのか。陸なんぞにあがりおって、いったいなにをしていた!」

「お、お父さま! きいてください……!」

 ルゥルゥのことばを無視して、人魚の王は島の人間たちをぎろりとにらみつけました。

「またおろかな人間たちが、戦っておるのか。まさか、この者たちがルゥルゥをさらったのか?」

「ち、ちがうのよ! この人たちは、悪い人ではないの! ああでも、半分は悪い人たちなんだけれど……!」

「ではなぜ、おまえはここにいる? まさか、人間などと仲良くしていたのではあるまいな?」

「それは……!」

 ルゥルゥはなにもいえなくなってしまいました。大切な短剣を人間にわたし、そのうえ人間に恋をしているなんて知られたら。王をおこらせて、もう二度と、陸の上にくることはできなくなるかもしれません。それどころか、家にも帰らせてもらえないかもしれません。そうなったら、ローナたちがロレーヌと会うこともできなくなってしまうのです。

 だまったままのルゥルゥを見て、人魚の王はあきらめたようでした。

「もうよい。やはり本当は、人間がおまえをさらったのだろう。そんな人間を、わたしは許さぬ。みんなまとめて、しずむがよかろう」

 人魚の王が、なにやら呪文を唱えます。

 すると海の彼方から、津波がこちらへと向かってきました。

「つ、津波がくるぞ!」

 みんなが、戦う手を止め津波を見つめました。ものすごい速さです。まだ波は遠くにありましたが、島ごと飲みこまれてしまうぐらいのおおきさだとわかりました。

「くそ! 人魚の王め、余計なことを!」

 大臣は舌打ちをして、我先にやってきた船に乗りこもうとしました。津波に巻きこまれる前に、自分だけ船でにげるつもりなのです。

「待て!」

 アランが、大臣に飛びかかりました。戦いの中で、アランは持ち前の足の速さで、大臣に近づいていたのでした。

「はなせ! きたない手で、わたしにさわるな!」

 大臣がアランをふりはらい、剣で斬りつけました。切っ先が頬をかすめて、血が流れました。

 さらにふりかかってきた剣を、ナイフで受け止めます。ちいさなナイフは、今にも折れてしまいそうでした。

「死ね! この、生意気な小僧が! おまえなど、生きる価値もなにもない。地位も名声も、明日を生きるための金すら持っていないおまえが、いったいなんの希望をいだくというのだ!」

 大臣の剣が、さらにアランのナイフをおしやりました。片腕が義手であっても、大臣の剣はとても強いものでした。あとすこしで、アランの体を切り刻んでしまいそうです。

 それでも、アランはあきらめませんでした。

「……死ぬもんか。きたなくたって、貧しくたって、おれは自由なんだ! あきらめなければ、きっと希望はあるって、教えてもらったんだ!」

「アラン!」

 ヴィクトルが、アランを守るように大臣の剣をはねのけました。

 おどろいて、アランがヴィクトルの背を見つめます。

 大臣がいまいましそうに、ヴィクトルをにらみつけました。

「おまえの、その服の模様……北の国のものだな。おまえは、そこの騎士か? そんなおまえが、わたしに剣を向けてみろ。ほかの国の大臣に剣を向けたなどと知られたら、おまえの地位は、あっというまに地の底に落ちる。おまえを立派に育てた両親の顔に、泥をぬることになるのだぞ」

 大臣のことばに、ヴィクトルは一瞬とまどいました。父親の顔がうかびました。

 ――しかし、ヴィクトルが剣をおろすことはありませんでした。

「わたしは、わたしの意思でここにいる。故国も、両親も関係ない。たとえわたしの地位が、地の底に落ちたとしても。今、ここであなたをみのがす方が、父上はきっとお怒りになるだろう!」

「ならば、おまえも死ね! 騎士などしょせん、上に立つ者に仕えるだけの身よ。ただ上の者に従っていれば、自分の名誉を守れるというのに! こんな盗賊どもの味方をするなど、ばかげたことをした自分を、後悔するのだな!」

 大臣は、剣をヴィクトルにふりあげました。

「ヴィクトルさん!」

 アランが悲痛な声で、さけびました。その剣を、ヴィクトルが受け止めます。

「なんとでもいえばいい。しかし盗賊たちと……アランの命をうばうというのなら、わたしはあなたを許しはしない!」

 剣に力をこめ、大臣をおしやりました。大臣の剣がはじかれ、体がよろけました。

「今だ、アラン!」

 ヴィクトルがさけびました。 

 アランは大臣に向かって、ナイフを投げました。

 ナイフの先は、見事に大臣の眼鏡の縁をかすめました。眼鏡は地面に落ちて、そのまま岩に当たって粉々に割れてしまいました。

「ああ! なんということをしてくれたんだ! わたしは、あれがないとなにも見えないのに! くそ!」

 両目を押さえながら、大臣がよろよろと座りこみました。その隙に、ヴィクトルは大臣から剣を取りあげ、自分の剣先を向けたのでした。

「ヴィクトルさん……」

 アランが、ヴィクトルに近寄ります。

「アラン、けがはないか? ああ、頬から血が出てしまっているじゃないか!」

 ヴィクトルがあせったように、アランにいいました。

「……どうして、助けてくれたんですか? あなたは、悪いやつをつかまえる騎士なのに……」

「んん? 悪いやつならつかまえたじゃないか。ほら」

 力がぬけたように、うなだれ座りこんでいる大臣を、ヴィクトルが見おろしました。

「……おれは盗賊です。人の物をぬすんで、生きてきた……」

「アラン。悪いやつかどうか判断するのに、盗賊とか王族とか、そんな肩書きは関係ないと思うんだ。盗賊でもいい人はいるし、王族でも悪いやつはいる。肩書きよりも、その人がどんな理由でどんなことをしたか――その方がずっと大切なのだと、わたしはきみたちを見て、わかったんだ。旅に出る前は、きっとそんなふうには考えなかっただろうけど」

 まだまだ未熟者だから、とヴィクトルは照れたように笑いました。ヴィクトルのそんな子どもらしい笑みを見たのは、初めてでした。

「それに、だ。わたしは、悪いやつをつかまえるよりも、大事な人たちを守れるような騎士を目指しているんだ。きみも、わたしにとって大事な仲間のひとりだから。だからきみを守れて、本当によかったよ」

 ふたりのあいだにふいた風は、もうかつてのようにつめたいものではありませんでした。

「ヴィクトルさん……ごめんなさい。おれは、あなたのことを疑って、あなたにひどいことをいいました」

 頭をさげるアランの肩に、ヴィクトルがそっと手をのせました。

「気にしないでくれ。ああ、でもようやく仲良くできるようで、わたしもうれしいよ」

 ヴィクトルは自分の心にあった、もやもやとしたものがようやく消えてゆくのを感じていました。

「……むだなことを」

 うずくまった大臣が、ぼそりとつぶやきました。ヴィクトルがそれをにらみつけます。

「なんだと?」

「津波は、もうそこまできている。おそかれ早かれ、我々は海へとしずむのだ。もう、だれも助かりはしない。我々全員、ここで死ぬ」

 大臣は不気味に笑いました。見れば津波はもう、島を囲むようにしてすぐそこまできているのでした。今から船に全員乗ったところで、津波からのがれることはできません。

(どうすれば……!)

 ヴィクトルは、唇をかみました。

 そのとき、ルゥルゥのことばが島いっぱいにひびきわたりました。

「やめて、お父さま! 本当のことを話すわ! だから、あたしの大好きな人たちを、殺さないで!」

 人魚の王は、ルゥルゥをじっと見おろしました。

 ルゥルゥの真剣な瞳を見て――人魚の王は、再び呪文を唱えました。

 すると海は何事もなかったかのように、ぴたりと静かになったのです。

 島にいた人たちは、ほっと息をはきました。

「……お父さま。あたしは十年前、人間に国宝である短剣を、わたしてしまいました。網に引っかかってしまったあたしを、助けてくれた男の子に。あたしのことを覚えていてほしくて……つい、わたしてしまったの」

 うなだれて、ルゥルゥは話し始めました。

「今、人魚の国にある短剣は、海の魔女にたのんで用意してもらった偽物よ。本当のことを話したら、きっと、お父さまはおこるだろうと思ったから。人間のことがきらいなお父さまに、国宝を人間にあげたなんて知られたら、絶対に許してくれないと思ったから。だから、ずっとだまっていたの」

「ルゥルゥ。そんな大事なものを、どうしておれに……」

 ナジュムが、ルゥルゥに近寄りました。

 ルゥルゥは切なげに、ナジュムを見つめました。

「ずっと、好きだったの。あなたのことが。あたしは人魚で、あなたは人間。種族もちがうし、生きる長さもちがう。あなたはもう大人になったのに、あたしはあのときの子どものままよ。それでも……やっぱりあなたを好きな気持ちを、なくすことなんてできなかった」

「そ、そうだったのか……」

 ナジュムは顔を赤くして、照れたように頭をかきました。

 そんなナジュムに人魚の王が、厳しい目を向けます。

「……しかし、人間は我々人魚を、傷つけた過去がある。人間を認めることなどできぬ」

 そのことばに、島にいた人たちに顔がこわばりました。

「ねえ、ルゥルゥのお父さん」

 ふいにローナが、人魚の王に声をかけました。王はローナの姿に、目を見開きます。

「おぬしは、妖精か……? なぜ、妖精まで人間とともにいる? 妖精も、人間に殺された過去を持つというのに」

 ローナはまっすぐに、人魚の王を見つめました。

「あのね、ローナは記憶がないから、妖精が人間に殺されちゃったってこと、最近まで知らなかったんだ。でも、もし知っていたとしてもね。ローナはきっと、マリアたちと友だちになっていたと思う。だって、マリアたちといっしょにいるだけで、毎日とっても楽しいもの。
 好きなひとたちといっしょにいるのって、本当に楽しくてすてきなことだよ。それなのに、相手が人間だからっていう理由で、いやなひとだって決めつけちゃうのは、もったいないことだと思うんだ」

 人魚の王は、だまったままローナの話をきいていました。

「ローナはマリアのことも、ヴィクトルのことも、アランのことも大好き。ここまで旅をしてきて、出会ったひとたちのことも。みんな、だれかのためにがんばったり、ときには自分のことを責めてしまっていたり……だれかのことを、傷つけちゃうひともいた。けれどそれは、自分のことを守るのに必死だったから……。
 みんな、いろいろな想いをいだいて生きていたよ。それって、人間も妖精も同じだと思うんだ。だれかといっしょに生きてゆくのに、種族は関係ないよ。妖精たちが殺されちゃった事実があったって、ローナはそう思っていたい。ローナの好きなひとたちのことを信じていたい」

「ローナ……」

「だから……ルゥルゥが、助けてくれた人間を好きになった気持ちも、どうかわかってあげてください」

 人魚の王はしばらく目を閉じていましたが、やがておだやかな声で話し始めました。

「……やっと、本当のことをいってくれたな、ルゥルゥ」

「え……?」

「知っていたよ。おまえが国宝を持ち出し、代わりに偽の短剣にすりかえていたことは」

 ルゥルゥは「そんなあ!」と、悲鳴のような声をあげました。

「絶対、ばれていないと思っていたのに……」

「王をばかにするでない。まさか人間にやってしまっていたとは、思わなかったが。おまえから謝りにくるのを、ずっと待っていたんだ。十年ごしだなんて、おそすぎるぞ」

「ご、ごめんなさい……」

 ルゥルゥは、しょんぼりと肩を落としました。

「……近ごろは、おまえたちとゆっくり話す機会もなかったからな。娘たちが日ごろなにを考え、なにに興味を持って生きているのか、わたしも全然知ろうとしなかった。すまなかったな」

 そして人魚の王は、ナジュムを見つめました。さっきまでの厳しいものではなく、優しいまなざしをしていました。

「人間の青年よ」

「は、はい! なんでございましょう」

 ナジュムはすっかり緊張して、かちこちになりながらこたえました。

「ルゥルゥを、助けてくれてありがとう。それに、その短剣は特別なもの。売れば、さぞや大金だって手に入ったはずだというのに、それをせずずっと持っていてくれた。……人間は欲にまみれた生き物だと思っていたが、すこし見直したよ」

「い、いや……そんな、お礼をいわれることなんて。おれも、ルゥルゥ……じゃない、ルゥルゥさんと出会った日のことは、とても大切な思い出です。この短剣に、命を助けてもらったこともあるんです。お礼をいうのは、おれの方です」

 ナジュムのことばに、人魚の王は目を細めました。

 そして、ローナの方に向き直ります。

「……妖精よ。あとで、人魚の国に来るのだろう? ……特別に、人間がくることも許してやる」

「ほんとう? ありがとう、ルゥルゥのお父さん!」

 笑顔でお礼をいったローナに微笑んで、人魚の王は海の底へと帰ってゆきました。

♫ Ⅸ 奇跡の真珠

 シャムスとナジュムは、大臣を連れて一度都の方へともどることになりました。盗賊たちもいっしょです。

「おまえたちは、人魚の国に行ってこいよ。事が済んだら、また都に顔を見せにきてくれ」

 ロレーヌちゃんによろしくな、と手をふって、みんなは船に乗りこみました。

 島には、マリアたちだけが残されました。

 ようやく、人魚の国に行って――ロレーヌと会うことができるのです。

 みんなの胸が、高まりました。

「いい? この人魚のうろこを、しっかりにぎっていてちょうだい。そうすれば、海の中でも息ができるわ。貴重なものなんだから、なくしちゃだめよ!」

 ルゥルゥにそういわれて、みんなはうろこをしっかりと手に持ちました。

 そして、思いきって海に飛びこみます。

 ルゥルゥのいうとおり、水の中でも息をすることができました。それに、水のつめたさも感じられません。ふわふわの毛布に、包まれているような不思議な感覚でした。

「こっちよ」

 ルゥルゥに連れられて、さらに海の底へともぐってゆきます。

 色あざやかな魚たちが、めずらしげにマリアたちの周りを泳ぎました。

 やがて――おおきな、城が見えてきました。

 ところどころに、さんごや真珠が散りばめられていて、それは美しい城でした。

「おかえりなさいませえ、ルゥルゥさまあ。 いったい、どこに行っていたんですかあ?」

 城の門の前にいたウミガメが、ねむそうな声でルゥルゥをでむかえました。

「人間のところよ! ほら、人間と、妖精のお友だちも連れてきたの」

「そうですかあ。ようこそ、人魚のお城へ……」

 ウミガメはそういうと、そのまますやすやとねむってしまいました。

「この子、いちおう門番なんだけれど。いつもねむそうにしているのよ。かわいいでしょう?」

「……都の門番とは、えらいちがいね」

 マリアは苦笑いをうかべました。

 城の中にも、たくさんの魚や、イルカたちが泳いでいました。人魚の王がマリアたちのことを話してくれたのか、みんな快くむかえてくれました。

「あなたのお姉さんは、ここにいるわ」

 ルゥルゥは、城の一番奥の扉を開けました。

 その先には、ちいさな部屋がありました。そこに、翡翠のようにかがやく光がただよっていました。

 マリアたちを見ると、その光がより一層、強くかがやきました。まるで、ローナたちが見えているかのように。

「いい? 真珠の光を、照らすわよ」

 つばをひとつ飲みこんで、ローナがうなずきました。

 ルゥルゥが、短剣をかかげました。短剣にはめこまれた真珠が、やわらかい光を放ちます。

 あまりのまぶしさに、思わずみんなは目をつむりました――。

 そして、もう一度目を開けたときには――そこにはひとりの、女の子が立っていました。

 ローナと同じ、あざやかでつやのある、青い髪をしていました。本物の翡翠のような、きれいな瞳をしていました。

 ローナと初めて会ったときのことを、マリアは思い出しました。あのときもとてもかわいくて、不思議な女の子だと思って、どきどきしたのです。そのときと同じどきどきを、感じていました。

「……お姉ちゃん」

 ローナが、ぽつりとつぶやきました。

「ローナ」

 優しい声で、ロレーヌが呼びかけました。

 その瞬間、ローナはロレーヌのもとへとかけ寄っていました。目に涙をいっぱいためて。

「お姉ちゃん! ロレーヌお姉ちゃん! ずっと、あいたかったよ! さびしかったよう!」

 ローナは赤子のように、泣き声をあげてロレーヌにだきつきました。

 ずっと、我慢していたのです。本当は、さびしくてたまらなくて、それでもいつか会えることを信じて、ずっと泣くのを我慢していたのです。一度だって、その希望を捨てたことはなかったのです。

 ロレーヌの優しい微笑みを見たとたん、その気持ちが一気に、あふれたのでした。

 ロレーヌが、ローナをだきしめました。

「ローナ。よかった、生きていてくれて。元気でいてくれて。会いにきてくれて、ありがとう……」

 ロレーヌはまるで天使のように、どこまでも優しくローナをだきしめていました。

(よかった。本当によかったわ)

 ふたりの姿を見つめながら、マリアは心からそう思いました。けれどその心にすこし、つめたい風がふいたような気がしました。

 ローナと出会ってから、ローナを妹のようにかわいがってきました。ローナもまた、マリアを本当のお姉さんのように、慕ってくれていたのです。

 けれど、ローナの泣き顔を見たことは一度もありませんでした。あんなにも、ローナがマリアにあまえたことはありませんでした。

(そうよね……だってローナの本当のお姉さんは、ロレーヌなんだもの。本当のお姉さんに、あまえるのは当然のことよね。……あたしは、ローナの本当のお姉さんじゃない。あたしの本当の妹は、もう……)

 そんなこと、わかりきっていたのに。それがどうしようもなくさびしくて、マリアの胸は痛むのでした。涙が出そうになるのを、ぐっとこらえました。

 ふと、となりを見ると、アランがロレーヌを見つめています。今まで見たことのないぐらい、優しい瞳をしていました。

 けれどアランはどうしてか、遠慮がちに後ろにさがっているのでした。

「アラン、なにをしているのよ。はやくあなたも、ロレーヌのところに行きなさいよ」

「……おれは、いいよ」

「なにがいいのよ、だめに決まっているでしょう。またそうやって、臆病になるんだから。ほら、さっさと行く!」

 マリアは半ば強引に、アランの背中をおし出しました。

 アランは前につんのめりそうになりながら、ロレーヌの前にあらわれました。

 そして、ロレーヌと目が合います。

「アラン……!」

「……ひ、ひさしぶり」

 なんともまぬけな挨拶になってしまって、アランは情けなくなりました。けれどロレーヌは気にしません。

 いきなり、アランをだきしめました。とつぜんのできごとに、アランは顔を真っ赤にさせたり、目を白黒させたり――とにかく、心はまったく休まりませんでした。

 けれど、ロレーヌのなつかしい温もりに、胸が熱くなって――そっと、アランも腕を回して、ロレーヌをだきしめました。

「ああ、アラン。まさかあなたが、ローナと出会っていたなんて。わたしの大切なひとたちが、こうしていっしょに会いにきてくれるなんて。なんて幸せなのかしら!」

 その声音は、本当に心の底からうれしそうにはしゃいだものでした。

「ロレーヌ……」

 アランが名を呼ぶと、ロレーヌがアランの顔を見つめました。

「なあに?」

「……ずっと、謝りたかった。おれを助けるために、海を静める魔法を使って――それで、きみが命を落とした。おれのせいだ。……ごめん」

 アランが、うつむきました。こうしてもう一度会えたとしても、ロレーヌが生きかえるわけではないのです。その現実を、変えることはできないのです。

 暗い顔になったアランに、ロレーヌは微笑んで、アランの頬に手をそえました。

「それはちがうわ、アラン。わたしは、あなたに助けられたのよ。あなたが、わたしをあの商人の牢から連れ出してくれなかったら。わたしは今もきっと、つらい思いをしていたわ。それに、こうしてローナを連れてきてくれた。あなたと出会わなかったら、ローナにも会えていなかったのよ」

「……ここにこられたのは、ローナがあきらめなかったからだ。マリアとヴィクトルさんが、ローナを守ってきたからだ。ルゥルゥが、きみを見つけてくれたからだ。おれは……なにもしていない」

「アランも、助けてくれたでしょう? あなたがいわなくたって、わたしにはわかるわ。あなたはもっと、わがままになっていいのよ。悲しいことやつらいことを、ひとりでかかえこまなくていいの。やりたいことをして、いいたいことをいっていいの。あなたの周りにいるひとたちは、それを絶対、受け止めてくれるから……」

 ロレーヌのことばが、心に染みてゆきます。ずっとしめつけられていた心が、ほどけてゆくような気がしました。

 ロレーヌはマリアとヴィクトルを見ると、すこしこまったように微笑みました。

「おふたりとも、ローナのことを、助けてくれて本当にありがとうございます。ローナが、なにかご迷惑をおかけしなかったかしら?」

「お、お姉ちゃん! ローナ、なにもやってないよ!」

「あら。いつも『おなかすいちゃった!』ってさわがしくしているのは、どこのだれだったかしら?」

「魔法で、いきなりわたしたちを空高く飛ばしたこともあったな」

 マリアのすこしいじわるなこたえに、なんとヴィクトルまでのっかってしまいました。

 ロレーヌが、目を見開いたまま両手を口にあてています。

「ああ! そ、それはいっちゃだめだよう!」

 ローナが、頬をふくらませました。

「ローナったら、相変わらず食いしんぼうなんだから……。魔法を操るのが苦手なのも、変わってないのね」

 ロレーヌがいうと、ローナはまじめな顔つきになって、ロレーヌにいいました。

「お姉ちゃん。じつは、ローナはお姉ちゃんのことしか、覚えていないんだ。ローナは、昔から魔法が苦手だったの? 生き残った、ほかの妖精たちはどこに行ったの?」

 ロレーヌは、ローナの額の冠にふれました。金色の葉がかがやいています。

「……あなたの記憶は、魔法でふうじられているようだわ。この冠が、記憶をふうじているの。楽器があれば、わたしがそれを解いてあげられるのだけれど……海に落ちたときに、楽器をなくしてしまったの」

「だいじょうぶ。ほら、お姉ちゃんの楽器ならここにあるよ」

 ローナが、ロレーヌにハープをわたしました。

「お姉ちゃんの、大事なハープ。アランが、ずっと大切に持っていてくれたんだ」

 アランは頬を赤くして、そっぽを向いています。

 ありがとう、とロレーヌはうれしそうにそれを受け取って――そして、ハープを奏で始めました。

 そしてうたうように、語りかけました。

「はるか昔、人間と妖精はともに暮らしていました。

 ふたつの種族は、とても仲良しでした。

 けれどあるときから、人間は妖精が使う魔法をおそれて、妖精を殺すようになりました。

 たくさんの妖精たちが、死にました。

 生き残った妖精たちは、もうだれも傷つけられることのないよう、新天地を目指して旅をしました。

 そして、見つけたのです。だれも傷つかず、死ぬことのない永遠の地を」

 そこまで話すと、ロレーヌはハープを奏でる手を止めて、悲しげな瞳でローナを見つめました。

「……記憶を取りもどしたら、あなたはとてもつらい思いをすることになるわ。人間におそわれたときのことを、思い出すことになるのよ。……それでもいいの?」

 ローナは、迷うことなくうなずきました。

「うん。記憶がないのは、自分の大事なところが欠けているみたいで、いやだから。だから……解いてほしい」

「……わかったわ。準備はいい?」

 ローナは、もう一度うなずきました。

 それにロレーヌもうなずいて、ハープを奏でました。

「リュラー・ハープ・アマービレ! 記憶をふうじる妖精の木よ、どうかローナの記憶を、よみがえらせて!」

 ロレーヌが呪文を唱えます。

 すると、ローナの額にはめられた冠の葉が、はらはらと散り始めたのです。

 その瞬間、今まで忘れていた記憶が、ローナの中に流れこんできました。

 たくさんの自然と妖精たちに囲まれながら、楽器を奏で、平穏に生きていたこと。妖精と人間が、手を取り合って生きていた、幸せな思い出のかけらたち。

 そしてやってくる、おそろしい時代。森を焼かれ、炎の中、ロレーヌに手を引かれながら必死に走り続けた記憶。その途中、その手を放してしまって、気づけばひとりぼっちになってしまっていたこと。そして――。

 ローナは、ロレーヌにだきしめられながら、さめざめと泣きました。大好きな妖精たちの顔がうかんでは、炎に焼かれて消えてゆきました。

 いったい、何人の妖精たちが生き残ったのでしょう。焼かれた森が再びよみがえるまで、いったいどれほどの時間がかかったのでしょう。どうして人間は、それを忘れてしまったのでしょう――。

 ローナは涙をふいて、つぶやきました。

「全部、思い出したよ。お姉ちゃんたちとはぐれてから、ひとりで森をさまよって――そして、妖精の木があるところに、たどりついたんだ。その木はローナと、お姉ちゃんのお母さんだったんだよ。そこはまだ、炎に焼かれていなかった。
 こわくて、こわくてたまらなくて――気づいたら、楽器を鳴らして、魔法を使っていたんだ。『助けて』って、何度も願いながら、楽器を鳴らしたの。そうしたら、妖精の木が根をのばして、お城をつくってローナを守ってくれた。そして、ローナは気を失って――次に起きたときは、マリアがいたんだ」

 ローナはふり向いて、マリアを力強い瞳で見つめました。

 過去のことを思い出しても――ローナは人間のマリアのことを、きらいになどなれませんでした。おそろしいとも思いませんでした。

 大好きな、マリアのままでした。

 ロレーヌは、葉の落ちたローナの額をなでました。

「ローナは、妖精の木に助けを求めて――ずっと守られながら、そのお城で長いねむりについていたのね。そのとき、木があなたの記憶もふうじてしまったんだわ。おそろしい思い出から、あなたを守るために」

「……ローナ、思い出せてよかったよ。ありがとう、お姉ちゃん」

 ふたりは、お互いを強く抱きしめました。

 かつて感じた妖精の温もりが、体に伝わってゆきました。

 ロレーヌは、丁寧に巻かれた古い紙をローナにわたしました。

「これは、生き残った妖精たちがいるところへ行くための地図。そこは、出るのは簡単だけれど、行くのはとても大変なの。けれどローナなら、きっとたどりつけるわ。だからあなたは、その地へ行くのよ。ほかの妖精たちも、ローナが生きていたことを知ったら喜ぶわ」

 そしてロレーヌは、マリアたちを見て祈るように両手を組みました。

「お願いします。どうか、その永遠の地までローナがたどりつけるよう、手伝っていただけませんか? ローナは、さびしがりやだから……となりにだれかがいてあげないと、だめなの」

 ローナのことばに、マリアはうなずきました。

「もちろんよ! もともと、そのつもりだったわ。大変だろうが、何年かかろうが、ローナはあたしたちが、守るもの」

 任せておいて、と胸をたたいたマリアのとなりで、ヴィクトルもうなずきます。アランは、すこしとまどっていましたが――やがて決意したように、うなずきました。

「ありがとう。さあ、ローナ。そろそろ行く時間よ」

 しかし、ローナは一向にロレーヌのもとから動こうとしませんでした。

「ローナ、そこには行かない。だって、お姉ちゃんはいっしょに行けないんでしょう?」

 真珠の光の力は、人魚の国の中でしか使えないのです。ロレーヌを外に連れ出せば、ロレーヌの魂は天に召されて、今度こそ本当に会えなくなってしまうのです。

「いっしょにそこに行けないのは、残念だけれど……でも、いいんだ。だって、ここにいれば、ずうっとお姉ちゃんといっしょにいられるもん。ローナ、もうどこにも行かないよ。ずっとここにいる。お姉ちゃんだって、さびしくないよ」

 ローナはあまえるように、にこにこと笑ってロレーヌにすり寄るのでした。

 ロレーヌは優しく微笑むと、ローナの髪をなでました。

「そうね……。ローナが、本当にここにいてほしいって願うなら。わたしはずっと、ここにいるわ。愛しいあなたを、悲しませるわけにはいかないもの」

 けれどその瞳は、切なげにゆれていました。

「でも……ローナは、本当にそれを望むの? わたしといっしょに、ずっとここにいることが、あなたの本当にしたいこと?」

 ロレーヌが、どうしてそんなことをきくのかわかりませんでした。ずっと探していた、大切なお姉さんです。ほかの妖精たちがいる地があったって、そこにロレーヌがいないのなら話は別です。

 ローナにとって、一番そばにいたい妖精はロレーヌなのです。ロレーヌだって、妹の自分とずっといっしょにいたいに決まっています。だからこれからは、ずっといっしょにいるものだと当然のようにローナは思っていました。

「ローナは、世界が広いことを知ったでしょう? 優しい人間たちもいるってことを、知ったでしょう? そんなひとたちの力になりたいって、あなたならきっと思ったわよね。でも、ずっとここにいたら、なにもできなくなってしまうわ」

「……それは、そうだけど……」

 ローナがうつむくと、ロレーヌは微笑んだまま、ローナの頬をなでました。

「また会えるなんて、思ってもみなかった。本当に、うれしかった……。でもね、わたしはやっぱり、一度命を落とした身なの。消えた命は、神さまのもとへ行く。それが、正しい命の流れ……。だからわたしはもう、神さまのもとへ行こうと思うの」

 ロレーヌのことばに、ローナは心が凍る思いがしました。

「やだ! 行っちゃやだ! ずっといっしょにいてよう、どこにも行かないでよう! ローナひとりじゃ、なんにもできないよう!」

 だだっ子のように、泣きわめきました。

「せっかく会えたのに! せっかく、ずっといっしょにいられるって思ったのに! お別れのことばなんて、いいたくない! お別れするぐらいなら、ずっとここにいる! 明日も、あさっても、百年たっても、ローナが死んじゃうその日まで、ずっとここにいるんだもん!」

 悲痛な泣き声が、部屋中に広がりました。

 いつまでもいつまでも、ローナは泣き続けました。

 ロレーヌは、泣いているローナの背中を、優しくさすりました。ちいさな子どもをあやすように。だいじょうぶよ、と安心させるように。

「ローナ。わたしは、あなたを空から見守っていたい。あぶなっかしいけれど、がんばりやで、かわいいあなたを、空から助けてあげたい。あなたが、わたしのせいでここからどこにも行けなくなってしまうのは、いやなの。広い世界を歩いて、たくさんの人とふれ合って、そして――妖精たちのいるところにたどりついて、幸せになってほしい」

「……」

 ロレーヌの胸元に顔をうずめながら、やがてローナは、消え入るような声でそっとたずねました。

「……お姉ちゃんは、そうしたいの?」

「ええ。だって空の上なら、いつだってあなたのことを見ていられるのよ。いつだって、あなたのことを助けてあげられるのよ。……わたしが、そうしたいの。それが、わたしのたったひとつのわがまま。わたしのわがまま、きいてくれないかな……?」

 ロレーヌはいつも、あまえんぼうのローナの願いをきいてくれていました。いつも、ローナがねむるまでロレーヌは起きていてくれました。いつも、ローナのために歌をうたってくれました。

 そんなロレーヌが、ローナにわがままをいうのは初めてのことでした。

 ロレーヌは流れるローナの涙を、優しく指でぬぐいました。

「ローナ。ひとを幸せにするために、魔法を使って。わたしたちの魔法は、そのためにあるんだもの。だいじょうぶ。あなたが安心して魔法を使えるように、わたしが手伝うから。だからもう、魔法で気を失ったり、命を落としてしまう心配もしなくていいのよ」

 ぬぐってもなお、ローナの目からは大粒の涙が止まることなくあふれていました。けれどロレーヌのことばに、ついにちいさくうなずいたのでした。

「……わかったよ。ローナ、がんばるから……だから、またいつかお姉ちゃんに会えたときは、いっぱいほめてくれる?」

「もちろんよ。あなたはわたしの、大切な大切な妹なんですもの」

 そして、ローナの額にそっと優しくキスをしました。

 ロレーヌが、そっとアランに近寄りました。

「アラン。わたしね、あなたのことを考えただけで、いつも胸がどきどきしていたわ。ほかのひとには感じない、特別などきどきよ。今も、それを感じているの……。わたしはきっとね、あなたに恋をしているんだわ」

 そういって、切なげに微笑みました。

「でも、もうあなたはどこにでも行けるのよ。これからたくさんのひとたちと出会って、だれかに恋をして、だれかを愛して、アランが幸せになってくれれば……わたしはそれでいい。この気持ちは、届かなくてもいい。わたしのことは、忘れちゃってもいいから……」

 口ではそういっていても、その表情は「忘れないで」と、いっているように見えました。

 ロレーヌともう一度会えて、また話すことができて、何度も涙が流れそうになりました。心の底から、ロレーヌのことを愛おしいと思いました。ロレーヌと別れたくないのは、アランも同じです。

 けれど、涙は流しませんでした。さよならを悲しむ涙の代わりに、ずっと伝えたかったことを、ロレーヌにいうことにしました。

「忘れないよ。ロレーヌ、きみは……出会ったときからずっと、これからだって、おれにとって一番大切な女の子だ。きみが好きだ。愛してる」

 ロレーヌはきれいな瞳から涙をひとつこぼして、そして――花がさいたような、笑顔になりました。

「うれしい。わたしも、あなたが大好き。ずっと、ずっと愛しているわ」

 ロレーヌは、アランの頬にキスをしました。

 すると、魔法でしょうか、それとも奇跡でしょうか――斬られた頬の傷が、たちまち治っていったのです。

 けれど傷なんて、アランにとってはどうでもいいことでした。

 ロレーヌに、キスされた! ――熱くなった頬をおさえながら、アランはぼんやりとロレーヌを見つめていました。

「お姉ちゃん。さいごに、いっしょにうたってくれる?」

 ローナがハーディ・ガーディに手をかけると、ロレーヌもうなずいて、ハープの弦に手をそえました。

 あなたが生きたその軌跡を

 音にのせて 歌にのせて

 伝えてゆくよ

 立ち向かう勇気や だれかを愛した想いや

 自分を傷つけてしまう優しさや だれかを守る強さ

 それをみんな 伝えてゆくよ

 それはきっと だれかの生きる希望になる

 あなたのために歌うよ

 あなたのために奏でるよ

 わたしたちは いのちをつなぐ旋律たち

 ふたりの歌声は城をぬけて、海をこえて――世界中に、広がってゆきました。

(この歌は……最初にローナと出会ったときに、きかせてくれたものだわ。よかった。ローナ、歌の続きを思い出せたのね……)

 歌が終わるそのときまで、みんなは目をつむって、きき入っていました。

「――わたしたち妖精を助けてくれて、本当にありがとう。みんなの幸せを、ずっと祈っています」

 ロレーヌの体が、すこしずつすけてゆきます。

「お姉ちゃん! ……ロレーヌお姉ちゃん!」

 ローナがロレーヌをだきしめようと、かけ寄ります。その手が、空を切りました。

 ロレーヌの体は、今度こそ本当に泡となって、消えてしまいました。

 けれどみんなの心の中は、温かな想いであふれていました。

♫ Ⅹ そして、旅はつづく

 みんなは、浜辺でルゥルゥに別れのことばをつげました。

「ありがとう、ルゥルゥ。ルゥルゥのおかげで、またお姉ちゃんと会うことができたんだ」

 ローナが、ルゥルゥにお礼をいいました。

「あたしの方こそ、ありがとう。あなたたちに会えて楽しかったわ」

 浜辺を立ち去る前に、ローナはルゥルゥに近寄ります。

「ルゥルゥ。ローナ、もっと考えてみるよ。人間と、いっしょに生きてゆくことについて。たしかに人間とは生きる長さがちがうし、悲しい過去が消えることだってない。でもね――何度考えたって、結局最後は、同じ答えになる気がするんだ」

「……そっか。じゃあ、答えが出たら、あたしに教えにきなさいよ」

 ルゥルゥのことばに、ローナがうなずきます。

 そんなローナの表情は、とても晴れ晴れとしていました。

「ルゥルゥ!」

 ナジュムが、手をふってかけ寄ってきました。

 その姿に、ルゥルゥの心臓はどきんと脈打ちました。

「あのさ。おれに会いにきてくれてありがとう。だから、今度はおれがルゥルゥに会いに行くよ。方法は、まだわからないけれど……いつか絶対、自分の力だけで海の底に行ってみせるから。だから、もうすこしだけ待っていてくれないかな」

 ナジュムのことばに、ルゥルゥの瞳がうるみます。

(ああ、やっぱり、好きなんだわ。あたし、このひとのことが――)

 うるんだ瞳を見られないよう、一度海にもぐって、そしてすこしはなれたところから、再び顔を出しました。

「しかたないから、待っていてあげる! なるべく早くきなさいよね!」

 ルゥルゥは満面の笑みをナジュムに向けると、手をふって、そして海へと帰ってゆきました。

 ナジュムは、シャムスとともに王宮へともどることになりました。

 王宮にもどることをしぶっていたナジュムの背中をおしたのは、盗賊たちでした。

「べつに、二度と会えなくなるわけじゃねえしさ。なんだかんだ、おかしらがいなくなってから、おれたちをまとめてくれていたのは、おまえだったじゃないか。そういうやつは、王子みたいなのに向いているんじゃないか?」

「そうそう。それにナジュムは、星っていう意味があるだろ? 砂漠をわたるときに、星は旅人を正しい方角へと導いてくれる、大事なものだぜ。だからおまえはその名に恥じないよう、この都を良い方に導く義務がある! そういうわけで、あとは全部、おまえに任せた!」

 気楽に盗賊たちはいいましたが、そのことばはナジュムにとって、泣きたくなるほどうれしいものでした。初めて、自分に自信を持つことができたような気がしました。

 しかし、やっぱり盗賊たちをそのまま見過ごすことはできなかったので――盗賊たちはナジュムの提案で、正式に王宮からの仕事として、町を守ることになりました。町を隅々まで知りつくしている盗賊たちは、魔神のランプを売るようなあやしい店の場所や、どんなところで悪事が起こっているのか、すぐにわかるのでした。

 ローナの薬の力もあって、王の病気はすこしずつ回復してゆきました。けれど一番の薬は、ナジュムが帰ってきたこと。すっかり大人になったナジュムとシャムスの頭を、王さまは優しい瞳を向けながら、愛でるようになでたのでした。

 大臣と、それに従っていた衛兵たちは、下水道を掃除する仕事をさせられることになりました。自分たちを殺そうとしたかれらを、シャムスはついに許すことにしたのです。

「きたないところを掃除すれば、かれらのよごれた心も、すこしずつきれいになってゆくんじゃないかと思いまして」

 おだやかなシャムスらしい考えだと、マリアは思いました。

 さて。マリアたちは、そろそろジャウハラを発とうとしていました。

 この都に残るだろ? とたずねたナジュムに、アランは首を横にふりました。

「仲間だっていってもらえて、本当にうれしかったです。でも、おれはローナを妖精たちがいるところまで、連れていきたい。ロレーヌにたのまれたのもあるけれど――おれ自身が、そうしたいって思ったんです。……こんなおれでも、すこしは役に立てるかもしれないから」

 そのことばに、マリアたちはうれしくなって顔を見合わせました。アランはもしかしたら、盗賊たちとここで暮らしてゆくかもしれないと思っていたのです。

 アランはマリアたちの方をふりかえりました。

「マリア、ヴィクトルさん……ローナ。おれのことを、助けてくれてありがとう。おれのことを、友だちっていってくれてありがとう」

 そうお礼をいって――アランはおだやかに笑ったのでした。

「笑った! アランが、笑ったよ!」

 ローナも笑顔で、アランに飛びつきました。

 ナジュムは、アランの頭を力強くなでました。

「なにかこまったことがあったら、いつでもこいよ。おまえが帰るところは、ここなんだからさ」

「この都は、これからどうなるの?」

 マリアがきくと、シャムスが王宮を見あげてこたえました。

「まずは、この王宮の屋根や壁にかざられた宝石を、貧しい人たちに配ろうと思うんだ。父も、王宮の財産を町の人に配ろうと考えていたしね」

「わあ。いい考えね! それで、どうやって?」

「それは……屋根に登ってひとつずつけずって、配るとか……」

 地道な提案をしたシャムスに、みんなは呆気にとられました。

「あのなあ。何年、かけるつもりだよ。まあ、そんなやり方も、きらいじゃあないけどさ」

 そういうナジュムも、ほかに方法は思いついていないようでした。

 そんなふたりの服を、ローナが引っ張りました。

「ねえねえ。それ、ローナが魔法でやってみてもいい?」

 ふたりは顔を見合わせます。

「いいけど……だいじょうぶなのか? 妖精は、魔法を使いすぎるとよくないんだろ?」

「だいじょうぶ! まかせてよ!」

 ローナは、元気よくハーディ・ガーディを奏でました。その音色に合わせるように、ロレーヌのハープの音色が、きこえてくるような気がしました。

(お姉ちゃんが、見守ってくれているもの。ローナはもう、どんな魔法だって、使うことができる!)

「ハーディ・ガーディ・カンタービレ! 大いなる風たちよ、宝石たちを町中の貧しい人のもとへ散らばせて!」

 呪文とともに、王宮の屋根に竜巻が巻き起こました。そして、宝石を次々にそぎ落としてゆきます。

 風にのって、宝石たちは雨のように、町中へと降り注ぎます。

 朝日に照らされて、都全体が、かがやきました。

「……本物の、宝石の都だ」

 ヴィクトルが、つぶやきました。

 すっかり宝石がはがれた王宮は、みすぼらしい姿へと変わりました。けれどその姿は、今までよりもずっとずっと、美しいものだったのでした。

 マリアたちは、ロレーヌにわたされた地図を開きました。

 そしてそれをのぞきこみ、顔を見合わせます。

 地図には、なにが書かれているのでしょう。

 四人は無事に、妖精たちのいる〈永遠の地〉へとたどりつけるでしょうか。

 ――そうして、旅はつづきます。